24.駄目です。
メリサリアはてのひらをのばし、力を込めた。そこに癒やしの力がみなぎり、放たれようとし――そうして、腕を掴まれて止められた。
「駄目です」
そこに、哀しそうなまなざしをしたクオリンドが立っていた。
「あの〈ハイ・グリフォン〉は何十人という無辜の民の命を奪い、まして、わたしたちの仲間をも殺めた。その命を救うことは許せません」
「でも」
それはこの子の意思ではなかったはずだ、きっと、何者かがこの子を操ってやらせたのだ。そう語ろうとし、しかし、声が出なかった。
つい先ほど、その頸を折られ斃れた騎士の姿が思い浮かぶ。かれは必ず生き残って恋人のもとに帰るつもりだっただろう。それが、一瞬でその一命を奪われてしまった。
かれを守り、救うことができなかった自分に、ゲルジェリウスのいのちを救けてくれなどという資格があるだろうか。
「あなたには感謝しています、メリサリア。あなたの結界と癒やしの力がなければ、最悪、我々は壊滅していたかもしれない。あなたがいてくれたおかげで被害は最小限で済んだ。ですが、そのグリフォンのいのちを救うわけにはいきません。わかってください」
メリサリアの瑠璃の眸から、静かに、ひと筋の涙の雫がこぼれ落ちた。
かれが正しいのだとわかった。
騎士団の目的はこの〈ハイ・グリフォン〉の討伐なのだ。その任務を放棄することは、王命に背くことに繋がる。できるはずがない。
それでも、完全に納得することはできなかった。だって、百年の時を超えてようやく逢えた友なのだ。この奇跡的な再会の直後に、かれを見送らなければならないとは、何という運命の皮肉だろう。
「わかった」
片手で涙をぬぐう。
「大丈夫。泣いているのは、わたしじゃないから」
いま、泣いているのは、哀しみ、嘆いているのは、わたしではない。わたしのなかの聖女ケイリンネだ。そんなふうに思った。わたし自身は、この幻獣と逢ったこともないのだから。
〈ハイ・グリフォン〉は、つい先刻までの狂乱が嘘のように凪いだ穏やかなひとみをしていた。
かれは間もなく失血し死に至るだろう。メリサリアはそっとそのからだに指さきを差し出した。
クオリンドが止めに入ろうとする。しかし、ユリッサがそれを遮り、ひとつ首を振った。
「彼女に任せてみましょう」
メリサリアは赤黒く生ぬるい血が手を汚すのもかまわず、幻獣のからだを撫ぜた。
「ひさしぶりだね、ゲルジェリウス。わたしがわかる? どうして、こんな風なことになったの。何があなたをこんな目に遭わせたの? わたしに教えてちょうだい」
末期の幻獣の目が、静かな湖面のような穏やかさで彼女を見つめた。
そこからある意思と、想いが伝わってきた。それは明確な言葉にこそならなかったが、はっきりとした伝達であった。
メリサリアは百年の時を超えて再会を遂げたこの無二の友の想いをたしかに受け取ったと思った。
そのまま、幾たびもうなずく。
「うん、うん。わかったよ、ゲルジェリウス。ごめんね、あなたを救けてあげられなくて。いつか、またきっと逢いましょう。わたしではないわたしと、あなたではないあなたで」
〈ハイ・グリフォン〉がわずかに呻いた。いまやあきらかに温和な知性をたたえたその目が、かれを取り囲む人間たちのまえで、ゆっくりと閉じていった。
メリサリアは、服が血で汚れるのもかまわず、そのからだに抱きついて泣きじゃくった。もう、だれも止めようとする者はいなかった。
そうして、しばらくの時が過ぎ去った。クオリンドが後ろからメリサリアの肩を叩いた。
「大丈夫ですか、メリサリア」
メリサリアは呆然とかれの顔を見つめ、血にぬれた指さきでふたたび涙をぬぐった。
「ええ。ありがとう、クオリンド。もう大丈夫」
まわりを取り囲んだ騎士たちはしんと静まり、いかにもとまどった様子でふたりを見つめていた。
凶悪な害獣を打倒したのだ。ほんとうなら勇ましく勝ちどきを上げたいところであったかもしれない。しかし、だれひとりとしてそのようなことをいい出す者はいなかった。
メリサリアは騎士たちの思いやりに感謝した。かれらは事情などまったくわかっていないはずだが、それでも彼女の気持ちを慮ってくれたのだ。
メリサリアはその場に立ち上がり、友の亡骸に手で触れたまま、指に力を込めた。
〈ハイ・グリフォン〉のからだから何か白いものが立ち昇ってゆく。それがかれのたましいであることがメリサリアにはわかる。
あるいは、かつて同じような光景を見たことがあるクオリンドもそう悟ったかもしれない。しかし、かれは何もいわなかった。ただその淡い哀しみをひそめた碧眼で、じっと彼女の顔を見つめているだけだった。