第肆參(67)章:朝倉宗滴という少年 02
文明十七年五月十五日、それなりに太陽が昇り始めた頃。未明から黎明にかけて夜討ち朝駆けを行おうとしていた朝倉教景が捕縛されたことは前回記述したが、処刑を待つだけだったはずの朝倉教景に思わぬ助けの手が差し伸べられた。なんと、他ならぬ夜討ちの対象だったはずの垣屋続成である。朝倉教景は驚愕すると共に、その会見を承諾した。もとより、処刑を待つだけだったはずのところへ、下手に出ざるを得ない立場とはいえ相手に対して会見を行えるのである。
何だったら暗殺まで行おうかという算段だった彼は、武装解除のことを聞かされ、若干の落胆と同程度の安堵を以てそれを受け入れた。どうせ死ねば元々だ、素手でも殺す手立てはある、そんな腹づもりであった教景だが、その予測はとんでもない形で破綻することとなる……。
「垣屋続成である、朝倉教景殿」
両者ともに置き畳ではなく椅子に座り、まず口火を切ったのは続成であった。いきなり諱で呼ばれて若干の怒りを覚えた教景であったが、そもそも続成自身が諱で名乗ったのである、それに少しでも無礼であればたやすく討たれる身であったのだし、そう考えて彼は青筋を抑えつつ、頭を下げた。
「……ははっ」
「さて、長々とした挨拶を行っても良いのだが、そういうのは趣味ではない。……単刀直入に言おう、垣屋家の配下になれとまでは言わん、我が陣営に入らないか?」
「……お戯れを。今更西軍に入ったところで許されますまい」
我が陣営、つまりは今出川義視陣営に戻ってこい、という意味であろうと朝倉教景は把握した。それも当たり前で、垣屋家は山名家の重臣中の重臣であり、山名家が諸事情あって西軍を統括する存在となったこともあって、それはたとえ応仁の乱が落ち着いた後も現状を考慮した場合、しばらくはそういう同盟関係が結ばれていると仮定しても、まず間違いない緊張状態であった。
だが、垣屋続成は意外そうな声で、こう言ったという。
「いや? 西軍東軍云々は一応和議が結ばれただろう。そうではなく、俺は今から一向一揆を討伐しに行くでな、もしおまえさんが一緒に参陣してくれるなら心強いのだが」
「……は?」