第參陸(54)章:朝儀 04
「少将様」
「朝儀の程はいかがで御座いましたか」
少将様こと垣屋続成は、気落ちした顔で朝廷から本陣へ帰還した。その顔を見て取った家臣団は、慰めるべきかと気をもみはじめた。だが、前前前述したとおり、朝廷との折衝は巧くいっていたわけで、ではなぜ続成は気落ちした顔していたのか。
「……一応、巧くいった」
「では、なにゆえに斯様な顔をしてございますか」
折衝が巧くいったならばなぜ気落ちした顔をしているのか。家臣団が訊ねはじめたが、それに対して続成は話題を逸らすために朝廷から賜った「あれ」の正体を家臣団に見せることにした。
「……これ」
「……それは……」
「刀」
「あれ」の正体、それは刀であった。とはいえ、刀だけではなく、いろいろな「もの」を賜ったのだが、それは後述する。
「それは、見れば解ります」
「どのような太刀を賜りましたか」
「わかんね。公家の人は確か……なんつったっけ」
「髭切にございます」
「そ、髭切だって。こんな長い刀でヒゲなんて切ったら手元が狂いそうで怖いが……」
髭切。言うまでも無く、武家にとってはとんでもなく重要な刀であり、またそうでなかったとしても朝廷をはじめとした上司筋から太刀を賜るのは武家の誉れとも言えるものであった。
「ひ、髭切ですと!?」
「本当であろうな」
たちまち、ざわめき始める家臣団。無理もあるまい、髭切とは詳しく解説すると読者も面倒なので簡潔に説明すれば、源満仲から発祥される源氏伝統の家宝であり、同じ物に「膝丸」というものがあるが、本来ならば源氏の棟梁が持つべき宝刀中の宝刀であった。
なお、名が「髭切」なのは大罪人の頸を落とすために試し切りを行った際に、ヒゲまで切れたことから名付けられたものであり、当然ながらこの太刀でヒゲの手入れをするようなものではない。
「おいおい、供の証言を疑うのか?」
一方で、供の者が聞いた名を疑うのかと聞き咎める続成。とはいえ、彼が咎めたのは供の者の能力であり、髭切を受け取ったことを否定する発言を咎めたのではない、というところが彼らしいと言えば、彼らしいのだが。
「そ、そういうことではございませぬ!……髭切の由来はあとで説明致しまする。さすれば、確かに成功したと言えましょうな」
そして、髭切を受け取ったということを聞き、改めて家臣団は安堵した。朝廷との折衝が巧くいったこともだが、何せ髭切である。本来ならば足利家所蔵となってもおかしくない太刀であるだけに、それを受け取ったということがどれだけの重みがあるのかを、彼達はよく理解していた。
「あとな、少将様はよせ」
そして、さらに「少将」を咎める続成。とはいえ、家臣団はそれに対して素早く反駁した。
「いえ、そういうわけにも参りませぬ。いつまでも「若」と呼ぶのは拙いことでございましょうし、それに……「これからは、中将様って呼んでくれな」……そうでございます、中将様と……は!?」
思わず、聞き直す家臣団。だが、それに対して続成は、いつものようにひょうひょうとした声で朝廷との折衝が巧くいった論拠を口ずさんだ。
「なんか、節会のための儀式の費用を受け持ったら昇進した。今日から……えーと」
「本日より殿は、田須蔵人頭左近衛中将従四位上国持衆富良東宿禰万潔となりました。……殿は呪文の一種と勘違いしておりますが、いずれ慣れますよ」
垣屋続成は、早くも従四位上の位を朝廷から賜った。この従四位上という位は、征夷大将軍の標準任官位階相当である従四位下より一段階上である。続成は少将から中将に昇進したことを素直に受け取っていたが、問題はそこではなく、従四位上という絶妙な位階であった。朝廷は、早くも続成が幕府全員よりも上の軍事力を所持していることを嗅ぎ取っており、幕府と続成を両天秤にかけ始めていたのだ。
「だってさ。あと、退位の費用も受け持つつったら内諾だが、上達部にしてくれるらしい」
上達部とは、従三位以上の位階か、参議の官職を持つ者全ての総称である。上流階級の中でもごくわずかであり、藤原氏以外で上達部になれる者は本当に限られていた。
「な、なんと!!」
家臣団は、驚愕した。とはいえ、内諾であり決定ではないのだが、殆ど決定も同然の内諾である。そして、憮然としたままの家臣団を尻目に、多少気落ちした表情からはにかみはじめた続成は家臣団に対して釘を刺すことにした。
「内諾つったろ、まだ決定じゃないからあんまり触れ歩くなよ」
「は……ははっ!!」
「……して、中将様」
ある家臣が、あることに気がついた。行軍中であるが、彼は続成に異見することが許されている立場であり、それは行軍中の私語禁止期間でも同じであった。まあそもそも、私語とは言い難い内容であり、ゆえに特に支障は無いのだが、異例と言えば異例であった。……まあ、続成は行軍中においても、そこまで自ら粛然とした態度をすることがなかった(それはそれで、問題ではあるが)わけではあるが。
「おう」
「なにゆえに、そこまでのものを受け取って落胆なさっておりましたか」
そして、ゆるゆると行軍しはじめた続成に対して、先ほど述べた通りある家臣が先ほどの続成の表情――すなわち、気落ちした――の理由を訊ねはじめた。そしてそれは、続成にとって忘れたいことではあったわけで、ゆえに気落ちした表情を浮かべていたわけなのだが。
「……それなんだよなあ……」
続成が髭切というとんでもなく重要な宝刀を賜り、さらに昇進した、否、足利公方家よりも上位に位置する位階を受け取ったにもかかわらず、「気落ちしていた」わけ。それは……。