第壹貳(18)章:謀将孫四郎 01
「惣領代! 敵も遂に掠奪を始めた模様!
さすがに荷駄に音を上げ始めたものと思われます!」
……浦上則宗の陣に密使が飛び込んできたのは、文明十六年十二月も下旬に差し掛かる頃であった。
たちまち上がる歓声。なぜ、所領が敵に掠奪されて喜ぶのか。それは浦上則宗ならではの策略を張り巡らしているからこその前提があってではあったが、彼らはなんと所領に罠を仕掛け、掠奪がただ民に怨嗟を与えたまま徒労に終わるための準備をしていたのだ!……だが。
「そうか、でかした! して、被害はいかほど出た?」
「そ、それが……」
言い淀む密使。彼も自身で見た情景を信じていなかったのだからどうやって眼前の主君にそれを説明するのか悩み始めていた。そうとも知らぬ浦上は、密使に対してさらに優しく問うてみた。
「どうした、いくら何でもあの罠をかいくぐって掠奪にこぎ着けたわけではあるまい。そもそも、連中が掠奪しそうなものなど既に……」
……恐らく、勘の良い方は浦上則宗が仕掛けた「罠」と「戦術」、双方に気づいたとは思われるが、今少し明かすのは待って頂きたい。そうこうしているうちに、二人目の密使、というよりは使番か、が陣に駆け込んできた。その人物がもたらした情報は、とんでもない凶報であった……。
「申し上げます! 垣屋孫四郎隊、現地の民百姓を味方につけ兵力を増幅させ進軍中との由!」
「……なんだと?!」
「い、今一度申せ。垣屋孫四郎とかいう者が何をしたと?」
この当時、垣屋孫四郎はまだその偉名を轟かせてはいなかった。無理もあるまい、彼が赤松政則を暗殺したとはいえ、手柄は元服前の童子であるが故に基本的に「家の手柄」とされて、垣屋家全体に加算されていた。そして厄介なことに、孫四郎自身もそれに対して「私がやりました」という異を唱えずに嫡男である政忠に手柄を譲るそぶりをみせたという。後に、浦上則宗は本人の口から赤松政則暗殺の手順を聴いた後に眼前の童子がそのような策略をなし得たことを首が落とされるまで泣きながら悔やんだという。そして、孫四郎がなし得た策略は赤松政則暗殺だけではなかったようだ……。
「……理由や原因まではわかりませぬが、垣屋孫四郎とかいう元服もしておらぬ垣屋家の童子が口八丁手八丁で虚喝でも行ったのか、皆様の所領の民百姓が決起、にわか雑兵として垣屋孫四郎隊の手勢に加わったとの由!」
「何が起こった」
本来、赤松政則を始め、浦上則宗ら赤松内衆とでも言うべき譜代家臣は播備作において非常に強い権益を持ち得、それを数百年にわたる統治によって民百姓に納得させていた。その民百姓が決起した。どのような謀略を使ったのかは定かではないが、一朝一夕に覆るはずのない前提条件が、確かに崩壊しつつあった瞬間であった。
「若、なにゆえに赤松家の民が寝返ると確証を以てこの策を成し遂げなさいましたか」
斎藤が、不思議そうに眼前の若、つまりは孫四郎を見つめる。それに対して孫四郎は事もなげにこう返した。
「ん?そりゃまあ、本当に偶然なんだけども、証拠物資がある以上、あとは修辞学の基礎を応用すればいいだけだもの。いくら俺がアドリブに弱いつったって、この程度ならどうにかなるさ」
前々回、すなわち第壹空章において記述したが、赤松家郎党衆は播磨から撤退する際に兵糧を持ち出すか、非道いときには敵に食わせるよりはと兵糧を燃やしていた。当然ながら、百姓、つまりは農産物生産者にとって生産した農産物とは非常に愛着のあるものである。それを、燃やした。証拠物品を見つけた際に足軽は既に炭となっていた兵糧を惜しそうに眺めていたが、孫四郎だけはそれを見て非常に悪い笑みをしつつ、「諸君、この炭は使えるぞ」とだけ言ったという。
「はあ……。然らば、この策は……」
一方で、興奮すると出る孫四郎の横文字、すなわち現代人の記憶があるからこそ出てくる、後に孫四郎はそれを「無明語」、つまりは自分だけが分かっていれば良い意味の無い繰言として片付けたが、それを聞くまで家臣団は一々こんな発言を聞いては解析を試みていたという。
「うん、赤松家がこんなポカミスをしたから俺は赤松領の国民をこちら側に引き込めた。
でまあ、一度心が離れ始めたら、後はこっちに都合の良いように情報を虚実混ぜて吹き込みつつ走狗に仕立て上げればいいだけだ。
……よく言うだろ? かわいさ余って憎さ百倍って」
炭化した兵糧米を証拠品として「お前達の領主は折角お前達が作った作物を焼却するような人物だが、それでも仕えるか?」といったことを非常に豊かな語彙力で赤松家の民を洗脳……もとい説得した結果、彼はいともたやすく敵国民を自身の陣営へと引き込むことに成功した! 彼は同じ「敵性分子」でも「懐柔すべき敵」と「滅ぼすべき敵」といった風に分けることが多かったが、どうやら山名家にとっては宿敵とも言える赤松家の人間も、彼にとっては「懐柔すべき」と映ったようだ。それは、同じ「日本国民」だからなのか、それともその場しのぎの武略なのか、それとも……?
「はあ……」
かくて、浦上則宗が仕掛けた「罠」と「戦術」はたった数歳の童子に打ち砕かれることとなる。