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 スタスタスタ。

 カッカッカッ。


 ダッダッダッダッダッダッ。

 タッタッタッタッタッタ。


「っあぁもう!なんなんですか!?」

「何って何が?」

 しれっと返すと途端に眦を上げて彼が睨みつけてきた。

 俺はその反応に内心ほくそ笑みながら、表面上は万人が賛辞する笑みを称えて見返す。

「俺はただ家に帰ってるだけだけど」

「…先輩の家、駅の反対じゃないですか」

「あれ、知っててくれたんだ」

「そんなの誰でも知ってることです!何で毎日毎日俺のあと付いて来るんですかっ」

「それをわざわざ俺に言わせるの?」

 俺を騙した負い目からか、グッと口を引き結ぶ。けれどそれは長くは続かずに、直ぐに反論してくる。

「相手振る度にこんなことしてるんですかっ?」

「まさか。君だから特別だよ」

 俺を欺いた君だから特別。そんな本音を隠して言ってやると彼はポカンとした後、急に青白く顔色を変えた。

 そんな表情の変化を起こす彼がとても面白くて、更に何か言ってやりたくなるのを苦労して堪える。あまりいじめすぎると後々の楽しみが減ってしまう。

 そう、俺はこの彼との掛け合いを楽しんでいる。

 最初は混じりけなしに仕返しだけが目的だったけれど、正直それは充分果たされたと思う。

 遊びの的にされた仕返しに、彼に付きまといだしてから早二ヶ月がたった。

 その間所構わず彼を追いかけ付きまとい、端から見れば満面の笑みで彼の傍にい続ければ必然的に周りの目を引くはずだ。となれば今まで俺に振られた数多の生徒の目にも留まるはずで、その中の過激で強気な誰かからイヤガラセが壱月ほど続いているのを実は黙認している。

 イヤガラセといっても大したものじゃなくて、手紙とかこれ見よがしな陰口ばかりで実害がないものだ。

 そんなことよりも今は彼の反応を楽しむ方が優先順位は上だ。彼は驚くほどよく表情が変わる。怒ったり照れたり嫌がったりが丸ごと顔に出ているのに本人はそれに気付いていないのがまた面白い。彼をからかう楽しみが出来てしまったせいで、壱月で終わるはずのこの計画はズルズルと延長し、今尚続いている。


 今日も今日とて飽きもせず一年の教室へ、彼を迎えにいく。

 最近は終業後すぐに行かなければ逃げられることもしばしばで、俺は足早に渡り廊下を抜ける。この学校の作りは特殊で、正規の方法ではこのあと更に階段を二階分上がって西棟へ行き、天井がガラス張りとなった廊下を抜け昇った分の階数分階段を下りて更にいくつかの角を曲がらないと一年棟には辿り着けない。まるで迷わせるのが目的かのような作りに入学当初は辟易したが、その経験は抜け道を見つける糧として充分役に立った。

 そうして時間を短縮している際、幸か不幸か見上げた三階の廊下の窓に目的の人物が歩いているのを見つけた。

 …何のイヤガラセだ!正規ルートを通っていればすぐにも捕まえることができたのに!!

 すぐさま手近な窓から校内に戻り(教師に見つかれば説教物だが、そんなヘマはしない)彼の行き先に見当をつける。あの廊下の先には特に教室などはなかったはずだ。とすると…


 俺自身はあまり利用しないその施設の扉をそっと開けると、まず衝立が目に入った。

 それを避けて静かな室内を端から歩いてみて回る。他の学校は知らないが、うちは学力向上のために図書室にはコンピューターが備え付けられた個室がある。まずはそこを一つ一つ見てみるが、空振りに終わった。

 放課後のただでさえ利用者の少ない室内には、見る限り彼の姿はない。

 ここへ辿り着く途中、例によって人気者の俺は見知らぬ生徒に呼び止められるという足止めを食ってしまった。急いでいるからとすげなく断ろうとしたが、尚も食い下がってきて中々諦めようとしない相手を説き伏せるのに苦労した。

 もしかすると彼はもう用事を済ませて帰ってしまったかもしれない。

 けれど最後に回った共有スペースの隅に、彼のものらしき鞄を見つけて思わずほっと溜息が出た。恐らくこの奥の書庫で調べ物をしているのだろうと目星をつけ、書棚を巡る。

 見つけた。

 地理学の書棚の間で彼はこちらに背を向けている。

 彼の驚く様が見たくて、俺はコソリと足音を忍ばせて近寄っていった。けれど…なんだか様子が変だ。彼の華奢な肩が時折小さく跳ねている。

「もしかして…泣いてるのか?」

 無意識に呟いた言葉に大きな反応を返し、あまつさえギャァとかワァとかよくわからない奇声を発して彼がこちらを振り返った。ただでさえ大きなどんぐり目を更に大きく見開いて、思いのほか大きなリアクションにつられるように、俺までなんだか焦ってしまう。

「なっ何でここにいるんですかっ!?」

「君で遊ぼうと思っ…!」

「……俺で、遊ぶ…?」

 しまった。と思ったが時既に遅く、意表を突かれてこぼれた本音に、常にはない彼の腹の底から出た低い声が震えている。

「俺はあんたのおもちゃじゃない!!」

「え、ええと…。と、図書室では静かに…」

「うるさい!表に出ろ!」

 どこかで聞いたような安っぽい台詞、ではあったが、実際どこか切れてしまったような彼のその言葉に俺は静々と従う形となった。

 もしやと危惧した涙こそなかったが、彼の瞳は赤く潤んで泣き出す寸前のようにも、怒りすぎて血が天辺まで上り詰めているようにも見えた。どちらにせよ俺にとっては望ましくない状況だ。

 柄にもなくずんずんと音がするような歩みで彼が向かったのは屋上だった。何故またこんな吹きさらしの場所なんかへ来たのかと沈黙に耐えられずに適当に訊いてみると、突然俺へ向き直った。気のせいに思いたいくらい彼の眉間には皴がよっていて、且つ口元もヒクヒクと痙攣しているのを、俺の健康すぎる視力はくまなく見て取ってしまった。

「…これ。なんだと思います?」

 ポケットから出てきたのはくしゃくしゃになった紙くずで、彼が先程書棚の間で見ていたものだとわかる。

「ええと、ラブレター?」

「違います」

 ニベもない。確かに色事の手紙にしては真っ黒と言うのは不自然すぎだ。

「じゃあ不幸の手紙とか…?」

 俺は少しでも空気を軽くしたくていつものそつのない笑顔を浮かべようとするが、幾分引きつった不自然なものになってしまう。

「近いけど外れ」

 素っ気無さ過ぎる返答と一緒にその封筒が投げ寄越される。

 自分で確かめろと言う意味だろうと書簡を開け、中身を確かめるとそれは…

「…」

「何で俺がそんなもの貰うんでしょうね。付きまとってきてるのは先輩なのに」

 なんというか…それは良くぞ飽きずにここまで書いたと逆に感心してしまうくらい、細かい字で延々と書かれた"呪"の文字がびっしり紙面を埋めつくされている。芸が細かいんだか知らないが、文字の太さを変えて浮き出るように大きく一文字"死"と見えるようにまでしてある。

 あまりの執拗さに乾いた笑いが零れそうになってしまうが、これを自分宛に貰ったとするなら気持ちのいいものではない。

「なんていうか……。個性的だね」

「そんなこと訊いてません」

「き、貴重な体験を」

「これで八週間連続です。この意味わかりますか?」

「ええっと、記録挑戦、かな?」

 いつになく平坦な彼の口調に、背筋いっぱい冷や汗を流しつつしらばっくれてみる。すると彼の方からブチッと擬音が聞こえる錯覚を覚えた。

「あんたのせいだって言ってんだよ!いい加減俺に付きまとうのは止めてくれ!!こっちはもうウンザリしてんだよ毎日毎日毎日知らない相手からやっかまれたり羨まれたり絡まれたりっ!!あんた自分の影響力わかってんのかよ!?」

「…もちろん」

「尚悪いわこのうすら馬鹿!!!」

 ぜいぜいと息を切らし、血走った目をこちらに向ける彼は正直ちょっと、いやかなり怖い。

 けれど一方的に言われてばかりでいるほど俺が悪いわけでもない。俺にだって言い分はある。

「も、元はと言えば君が」

「ああっ?」

 筈だ…。どうしよう本気で怒ってる。

「だ、だって君が俺を遊びの種にしたのがいけないんだろうっ?」

 なけなしの気力を総動員して言い放つ。けれど口調には覇気より弱気が滲んでいるのが嫌でもわかり、辺りには俺の情けない声が少し響いてすぐに消えた。

 彼は数秒考える素振りをしたが、すぐに眉間に新たな皴を戻してさっきよりは幾分落ち着いた声で話し出す。

「あんなの、気に触ったなら直接怒ればいいだけじゃないですか!そうすれば俺だって素直に謝ったし、こんな思いしないですんだっ」

 感情が高ぶったせいか、彼はほんの少し涙を滲ませる。雫となって零れそうになるところで顔に似合わない荒々しい動作で目元を擦ってみせる。けれど一度弛んでしまった涙腺からは、あとからあとから涙が湧いてきて止まる気配がない。

 無意識に彼へと伸びた俺の手は彼の拒絶を受けて届かなかった。

「仕返しならもう充分でしょ。もうおもちゃにされるのはごめんだ」

 もう用はないとばかりに俺の脇を抜けて校内に戻ろうとする彼の腕を、反射的に掴む。振り払おうと彼はもがくが、話してたまるかと俺も抵抗する。

「待って、俺はおもちゃだなんて思ってないっ」

「うるさい離せ!」

「話を聞くまで離さない」

 じたばたと全身で俺を拒絶する彼を、後ろから抱きつくようにしてここに留める。

「痛っ。ね、頼むから話を」

「あんたの話は耳が腐る!」

 あんまりな言いようにカッとなって、気付けば俺は彼の口を塞いでいた。

 一瞬だけ動きが止まる。それでもすぐにくぐもった声での抗議と抵抗を再開するが、俺は拘束をとかなかった。彼も暫く抵抗していたが、いっこうに解けない腕と息苦しさに負けたのか、次第に大人しくなってくる。

「あ…」

 抵抗が止んだのを期に少しだけ口を離すが、すぐさま今度はさっきよりも深く唇をつなげた。

 彼の薄いが甘く香るような唇を柔らかく吸い上げ、綻んだ隙間から中へと入る。唇の裏、歯の一つ一つの並びを確かめるように辿り、奥で縮こまった彼の舌を絡めとる。

 耳に届くのは唾液が触れ合うクチュクチュと言う濡れた音と、かすかに呻く彼の苦鳴と衣擦れの音。俺の胸を押し返そうとする抵抗を封じるため、更にきつく彼を抱きすくめると必然口付けもより深くなる。

「んんっ」

 深く重ねた唇の端から飲み込みきれない唾液が零れだす頃になると、抵抗しか滲んでいなかった彼の声に甘いものが混ざりだした。

 そのあと更に彼の口内を蹂躙したあと、名残惜しく数回啄むように唇を吸い、ようやっと彼の顔を見やる。酸欠のためか羞恥のためか、はたまた快楽のためか。赤く色づいた顔の上で目はとろんと垂れ、濡れて充血した唇に思わずドキリと心臓が跳ねる。

 俺は今まで感じたことのないその感覚に、自分で驚く。まさかとは思うが…。いや、でもそれならどうしてこうまで彼を傍においておきたいと思うのかの説明がつく、か?

「わ、ちょっと…!何っ!?」

 真偽を確かめるべく、腕に抱いた彼の体のあちこちに触れてみるがどうにもよくわからない。ならばキスでもしてみればわかるだろうかと思い、顔を近づける。が、それは彼の渾身の一撃によって未遂に終わった。

「痛ぁっ、何するんだい?」

「それはこっちのセリフだよ!あんた今何をしようと…いや、何したのかわかってんのかよっ?」

「口止めだけど」

「何がとまるってんだよっ!!」

「何がって、君の言葉が」

 そういうと彼は怒ったのと困ったのと呆れが混ざったような複雑な表情になった。

 俺は彼の口から続きの言葉を聞くのがいやだった。だからとっさに口を塞いだだけなのだが…もしかしてさっきのは。

「そうか。でも全然いやじゃなかったしむしろ…」

「何独り言いってんだよ」

 ふて腐れたみたく呟く彼に、俺は満面の作り物ではない本心からの笑顔を向けてやる。

「いつもの意地っ張りも良いけど、そういう喋り方も本音で話してる感じで可愛いね」

「はぁ!?」

「どうやら俺は君が好きみたいだ」

 にっこり微笑んで言い放つ俺を、唖然とした風に彼が見やってくる。

 おかしいな。俺がこういうと大抵みんな感極まって喜ぶのに。照れてるんだろうか?

 ポカンと固まったままの彼に、今度は邪魔されることなくキスをする。軽く触れるだけのキスにびくりと肩を震わせた彼はすかさず俺を遠ざようと腕を張るが、俺はしっかり彼を抱えた手を離さないよう力を込める。

「ちょっとちょっと、そんなに照れなくても」

「照れてない、嫌がってるんだよっ!」

「あれ、キスは嫌い?」

「そっちじゃなくてっ」

「じゃあもっとしてあげよう」

「ギャアアアはなせぇっ!!」

 放課後のもはや誰も残っていない校内に、彼の雄叫びが長くこだました。


「ね、もう少しゆっくり歩こう?」

「…」

「ほら、おあつらえ向きにそこにベンチなんかもあるしさ」

「…」

「そんなにつれないとここでキスしちゃうけどいいのかな?」

 数日間のやりとりで彼が人前でのキスを嫌がることを覚えた俺は、こう切り出せば彼が振り向くのを知っていた。

 例の如く顔を赤らめて上目遣いに俺を睨んでくる。その様がなんとも可愛くて思わずチュッと口付けると、彼は更に顔を赤くして件のベンチの後ろの日陰溜まりまで俺を引っ張っていく。

「俺についてくるな!」

「うーん、きけないなぁ」

「迷惑なんだよっ」

「もうイヤガラセはなくなっただろ?」

「それでも邪魔なんだよっ、もう構ってくるな!」

 言うだけ言って走り出そうとする彼を羽交い締めて止める。

 ほんとうに、今までにない反応ばかり返してくる彼は面白い。そんな照れ屋な彼も可愛いが、やはり俺が一番好きなのは素直な彼だ。

 それを引き出すべく彼にこちらを向かせ、顔を近付けようとしたところで、思いっきり踵で爪先を踏まれた。

「…流石に痛いんだ、けど」

「じゃあもうこういう事しようとするなよ!」

「うう。…じゃあこうしよう。キスは暫く我慢するから、そっちももう逃げないって約束して」

 うんうん唸って長らく苦悶した後、渋々といった体で条件を承諾した彼に、俺は内心ほくそ笑む。

 暫く…。そう、暫くなら俺だって譲歩する。だけどあくまで暫くだ。もうしないとは言ってないので暫く経てば約束は果たされる。少しばかり公平じゃない約束だったと彼はいつ気付くだろうか。

 気付いた後の彼の反応を想像すると、こみ上げてくる笑みを止めることはできなかった。







(2006/6/14)

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