第12話 事前調査①
少女は満足げに頷いた。
「この前、家に来た騎士たちからこっそり持ってきたんだ。今日のお礼だよ!」
俺はしばらく騎士章を見下ろした。
『これを持っていれば、大抵の検問は避けられそうだな……。銀貨数枚とは比べものにならないほど貴重な品じゃないか!』
それをお礼だと言って渡してくるとは。この少女は、俺が思っていた以上に大胆な奴だった。
俺は騎士章を内ポケットにしまい、笑みを浮かべた。
「俺の方こそ、ありがとう」
少女に手を振り、再び歩き出した。
◇ ◇ ◇
少女と別れた後、疲労に押し潰されそうな体を引きずりながら宿へ戻った。
朝から回帰に巻き込まれたうえ、思いがけない戦いまで経験したせいで、一日が何日も続いたかのように長く感じられた。
「まあ、レオン。やっと帰ってきたのかい?」
カウンターで帳簿を整理していた宿屋のおばさんが、俺に声をかけた。
「いろいろありまして」
「それにしても、その肩はまたどうしたんだい?」
そこでようやく、おばさんの視線が俺の肩に向けられていることに気づいた。少女が巻いてくれたハンカチには、まだ血が滲んでいた。
『そういえば、怪我をしていたんだったな』
戦っている間は気にする余裕もなかった。だが、緊張が解けると、疼くような痛みがはっきりと感じられた。
「まあ……獣みたいな奴に噛まれたようなものです。大したことはありません」
「それでも気をつけなきゃダメだよ。あんたが怪我をすると、見ているこっちまで心が痛むんだから」
おばさんは心配そうに俺の肩を見つめていたが、それ以上は問い詰めてこなかった。
「それじゃ、お疲れさまです」
挨拶を済ませ、階段を上ろうとしたそのときだった。
「あっ、そうだ! レオン、朝方に女の子があんたを訪ねてきたよ」
「俺をですか?」
俺を訪ねてくるような人間がいただろうか?
おばさんはカウンターの下から折り畳まれた小さな紙切れを取り出し、差し出した。
「あんたはいないって伝えたら、これを渡してほしいってね」
「手紙ですか……」
俺は不思議に思いながらも、それを受け取った。手紙をやり取りするほど親しい相手がいた覚えはない。
おばさんにもう一度挨拶をしてから、二階の一番奥の部屋へ向かった。
部屋に入るなり、剣を壁に立てかけて上着を脱いだ。そのままベッドに倒れ込みたかったが、手に持った紙切れがどうにも気になった。
『いったい誰からだ?』
ベッドの端に腰を下ろして紙を開くと、整った文字が目に入った。
レオンさんへ
エレインです。朝早くから訪ねてしまってすみません!
もしよろしければ、以前お話ししたダンジョン攻略の計画を立ててみませんか?
明日の鐘が三度鳴る頃に、ギルドでお待ちしています。それでは、そのときに!
追伸。あっ、もちろんお忙しければ仕方ありませんが……。
──エレイン
「……エレインだったのか」
俺は手紙をもう一度読み返した。
普段は相手の顔色をうかがいながら話すエレインだったが、手紙には意外なほど活気があふれていた。最後の一文を見れば彼女が書いたものだとすぐにわかり、思わず笑みがこぼれた。
『ダンジョン攻略か……』
これまで俺にとってダンジョンは縁遠いものだった。下級の魔獣一匹を相手にするのにも苦労した俺が、ダンジョンを攻略するなんて。そう簡単に挑戦できることではない。
それでも、エレインと一緒なら何とかなるような気がした。
もちろん、根拠はない。ダンジョンとは、準備不足の冒険者を容赦なく飲み込む場所だ。そのことくらい、俺だってわかっている。
俺は手紙を折り畳み、テーブルの上に置いた。
『それでも、やるしかないよな』
疲労が押し寄せてきた。これ以上考えるのはやめて、目を閉じた。
◇ ◇ ◇
窓の外から鳥のさえずりが聞こえてきた。
「……もう朝か」
俺は目をこすりながら体を起こした。まだ疲れは抜けておらず、肩まで疼いている。もう少し眠っていたかったが、ふと何かを思い出した。
『……手紙?』
──!
瞬く間に目が覚めた。
振り返って窓の外を確認すると、太陽はすでに空の真ん中を過ぎていた。
「しまった!」
約束は三度目の鐘が鳴る頃、太陽が真上に昇る時間だった。もうとっくに過ぎている。
俺はベッドから飛び起き、簡単に顔を洗って上着を羽織り、剣を腰に差した。肩は痛んだが、今は気にしている場合ではない。
『まだ待ってくれているだろうか……?』
エレインの方から誘ってくれた約束とはいえ、これだけ遅れれば怒ってもおかしくない。
俺は宿を飛び出した。
『何て言えばいいんだ……?』
ギルドまで全速力で走ったせいで、扉の前に着いた頃には息が喉元まで上がっていた。
「はあ……はあ……」
荒い息を整えながら扉を開けた。
ギルドの中はいつもどおり騒がしかった。依頼を確認する冒険者や、テーブルを囲んで談笑する人々の姿が目に入る。
『もう帰ってしまったか?』
周囲を見回したが、どこにもエレインの姿はなかった。
やはり遅すぎたのだろうか。
そう思いながら奥へ進もうとした、そのときだった。
「レ……レオンさん! こっちです!」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、隅のテーブルに座った少女が手を振っていた。淡い紫色の髪。エレインだった。
『まだいてくれたのか……!』
思わず安堵の息が漏れた。俺は急いで彼女のもとへ向かった。
「ごめん! 寝坊しちゃって……!」
席に着くより先に頭を下げた。
エレインは慌てた様子で手を振った。
「大丈夫です! そんなに謝らなくてもいいですよ」
「でも、鐘が鳴ってからずいぶん経ってるだろ」
「私から誘ったんですから。それに、もしかしたら来てくださらないんじゃないかって心配していたので……来てくださって嬉しいです!」
彼女は恥ずかしそうに笑った。
俺はようやく緊張を解き、向かいの席に腰を下ろした。
「待っていてくれてありがとう」
「いえ、そんな」
……。
「それじゃ……ダンジョン攻略について話そうか」
エレインは待ってましたとばかりに頷いた。
「はい!」
エレインは用意してきた数枚の紙をテーブルの上に広げた。ダンジョンの構造から魔獣の分布、予想される報酬や攻略ルートまで、びっしりとまとめられていた。
「これじゃ、小さな図書館を丸ごと持ってきたみたいだな」
エレインは満足そうな表情を浮かべた。
「やっぱり、こうして形にしてみると達成感がありますね」
彼女はしばらく微笑んでいたが、ふと俺の肩に目を向けた。
「ちょっと待ってください、レオンさん。肩はいつ怪我したんですか? 以前、魔獣に怪我をさせられた場所とは違いますよね……」
ハンカチに染み込んだ血は、すでに乾いていた。
「ああ、これか……大したことないよ。ちょっとしたトラブルがあっただけだ」
「それでも、かなり深い傷に見えますけど……気をつけてくださいね……! 何だか私まで不安になってしまいますから」
「わかった。次からはもう少し慎重に動くよ」
俺の返事に、エレインはようやく安心したように頷いた。そして再び紙に視線を戻した。
「それでは、本題に入りますね。ここ数日、まだ攻略されていないうえに、危険すぎないダンジョンをいくつか選んでみました。それぞれのダンジョンの特徴や難易度、内部で手に入る資源についてもまとめてあります」
俺は一番上に書かれた内容に目を通した。単なる情報収集にとどまらず、実際の攻略に活用できるよう整理された資料だった。
「これ、もう戦略書と言ってもいいくらいじゃないか」
「褒めすぎですよ。私、少し凝り性なところがあるので。でも、お役に立てるならよかったです……!」
「役に立つどころじゃないよ。俺一人だったら、何か月かけてもこんなものは作れなかったと思う」
エレインは照れくさそうに視線をそらした。それから指先で一覧の一項目を示した。
「この中に気になるダンジョンはありますか? 特に探索してみたい場所とか」
俺は一覧を順番に眺めていった。すると、ある項目で目が止まった。
『真悟石?』
初めて見る名前だった。
「この真悟石っていうのは何だ? 鉱石の一種みたいだけど」
「ふふっ。普通、貴重な宝石といえば、硬かったり、きらきら輝いていたり、あるいは芸術的な価値が高かったりするものを思い浮かべますよね? でも、真悟石はそういう鉱物ではないんです。硬くもないし、特別に輝くわけでもないので、装備品や装飾品に加工するのも難しいんですよ。普通は建物や家具の装飾材として使われるくらいですね」
「それなら、わざわざダンジョンで探すほど価値があるものには思えないけど?」
「見た目だけなら、そうですね。でも、真悟石の本当の価値は別にあるんです」
エレインは指先で紙を押さえた。
「この鉱物は、とても特殊な魔法を受けると性質がまったく変わるんです。他の魔法は受け付けないんですが、たった一つだけ例外があります」
「例外があるのか?」
「『賢者の魔法』と呼ばれる古代魔法です。正確な名称や原理は伝わっていませんが、昔から研究者や魔法使いたちの間ではそう呼ばれているんです」
「賢者の……魔法?」
「その魔法がかかると、真悟石は半透明になって、表面にかすかな赤い光を帯びるんです。他の方法ではその変化を再現できないので、一度見た人ならすぐにわかるそうですよ」
「それで、何か特別な意味があるのか?」
「その状態の真悟石は、レンズのような働きをするんです。普通に目で見ただけでは見えないものを、その石を通すと見られるようになるんですよ」
「レンズか……それで何が見えるんだ?」
エレインは俺の目を見つめた。
「そのレンズを通して人を見ると……その人がどんな『祝福』を受けているのかがわかるんです」
「祝福……?」




