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√アイドル  作者: ことり
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四投目

 男は酷い喉の渇きを感じていた。自宅に戻り、コップに注いだ水道水を飲み干しても潤わず、その渇きは深夜に至り続いている。日中何をしている訳でもないが、現実逃避をするように発揮される寝つきの良さも今晩は姿を現さず、時間を持て余す。だからだろうか、机が度々視界に入る。より正確に言うならその中にある《エアリアルレイド》のことが気にかかる。仮に修理に成功したとしても凛に渡すつもりは毛頭ない。

 ただ一つ、机に置かれた機械がやたらと目を引く。掛けられたカバーを退かし、電源を入れれば何の問題もなく使用できるそれが不可思議な引力を放つ。

 眠れない焦燥感が湧き上がる。眠れないことで何か困ることはないはずだ。明日も予定はない。しかし、男はそのままベッドに横たわっていられなくなった。

 男は部屋の明かりを点けることなく、素足でフローリングの上を歩く。《ドレスメーカー》のカバーを剥がし、机の中から《エアリアルレイド》を取り出すと、《ドレスメーカー》の中に設置した。電気の通る音が小さくする。

《ドレスメーカー》の盤上に《エアリアルレイド》が浮かび上がる。この実物よりも大きな《コピードレス》に《回路》を編み込んだり別モニタに移るシステム言語を改変したりした後、《ドレスメーカー》で上書き作業を行えば《ドレス》が組み上がるという代物だ。

 まずはシステム言語に目を通す。ここで《回路》異常があればわかる。当たりをつけて《コピードレス》を電灯に翳す。灯りを点け忘れていることにようやく気付き、卓上電灯のスイッチを入れた。

 目が慣れるまで薄目になりながらも確認すると、数本の金糸状の物が途切れていた。《IL》の過剰供給や操作ミスで焼き切れている箇所と、単純に劣化か何かで切断されている箇所がある。繋げばよいだけだが、そこは《エアリアルレイド》だ。システム言語から推測するに、一本繋ぎ直すだけでも他の《回路》の上を通したり下を通したり一本置きに戻ったりと複雑な工程が要求されている。

 並の《チューナー》なら見た瞬間匙を投げるのが必然なレベルだ。正直、男のレベルでさえ平時であれば見切っただろう。しかし今の彼は一種の異常な状態だった。黙々と作業を進める。二年以上のブランクから、その速度も精度も最盛期と比べて劣る。《簡易ドレス》とは、要求される技術が雲泥の差だ。

 真夏の暑さを室内では感じられなかった。年間通して空調を利かせているコストよりも、《ドレスメーカー》の不調がもたらす被害額は大きい。

 ざっと結び繋げた《回路》が一段落すると、《コピードレス》を《ドレスメーカー》で走査させる。示される文字列は膨大なエラー。男は予想通りの結果に、再試行を始めた。金糸状の物を溶かし、円形にした物を《回路》の近くに張り付け、新たな《回路》を描く。

 走査。エラー。走査。エラー。走査。エラー。走査。システムグリーン、ただし《エアリアルレイド》にあるまじき予想スペック値。走査。エラー。

 やがて夜が明け、男の瞼がようやく重くなってきた。彼は《ドレスメーカー》の電源を正規の手段で落とし、全てを事の前の状態まで戻し、ベッドに横になる。

 数年振りの充実感と共に、男は意識を薄れさせた。ようやく眠れる。そう思った矢先、来訪者を告げるベルの音が鳴った。無視してやり過ごそうとしたが、相手は諦めの悪い者のようだ。何度も何度もベルを鳴らす。

 男は物が極限まで少ない部屋のフローリングを渡り、また物の無い廊下を経て玄関まで辿り着く。サンダルに足を掛け、ドアを開く。外の匂いと共に、ここ数日馴染みにある香りがした。

「おはよう」

「どうしてここにいる?」

 凛だ。学校の制服なのだろう赤と黒のチェックスカートは野暮ったくならない程度に短く、白のブラウスの上にスカイブルーのサマーセーター。個性と言えばサマーセーターでしか表現されていない服装だが、それでも彼女は年相応以上に愛らしかった。

「午後から補習があるから、今日は午前中にもレッスン行こうと思って」

「言い方が悪かった。どうしてここがわかった?」

「そんな結論を焦らないでよ。あたしだって本当にあなたがここにいるとは思っていなかったんだからびっくりしているの」

 凛は言葉通りに、少し落ち着きがなかった。とは言え明確に身体を小刻みに動かしていたり目を泳がせていたりしている訳ではない。

「社長が、ここにあなたが居るって言うから」

 一瞬後を付けられたのかと思ったが、よくよく考えたら思い当たる節があった。《アイドライジング》協会へ三年程前に提出した求職書に記述した住所がここだった。雇用主になりうる黒井社長なら調べることが出来る。

「想像はついた。それで何の用だ? 悪いがレッスン見学ならまた今度にしてくれ。今から寝るところだ」

「今から? 何をして――あ」

 凛は頬を少しだけ上気させ、柔らかな笑みを浮かべた。その魅力に心臓が一度だけ強く鼓動する。男は凛の視線を辿り、舌打ちせんばかりに自分の迂闊さを呪った。金糸状の物が服の裾に付いている。凛が何を考えたのか手に取るようにわかった。

「徹夜するほど一生懸命やってくれてるんだ」

 潤んだ瞳を向ける凛に、視線を合わせられず、男は顔を背けた。そんな良いものじゃない。ただの現実逃避にやっただけだ。言葉で否定しようとして、否定する必要もないことに気付く。

「そうだ、《ドレスメーカー》うちの事務所に在ったよ。今度使ってみる? 赤鳥さんに見て貰ったんだけどすぐ使えるって」

「不要だ」

「何で? もしかして《ドレスメーカー》なしで修理出来そうなの?」

「そう自分に都合よく考えるな。腹が立つ」

 凛の口が開いたまま止まった。男の剥き出しの感情に、驚いたのだろう。

「現状では修理自体が不可能だ。下手な《チューナー》が余計な手を加えてめちゃくちゃになってしまっている。ああなってしまったら設計図を見ながら直さなくてはならない」

 そして、《エアリアルレイド》の製作者は、設計図など残さない女だ。正確には感覚で開発をする無類の天才肌で、自分で設計図を残せない。特に《エアリアルレイド》は彼女の所属している研究機関の黎明期に作られた《ドレス》で、彼女の開発物を研究し、資料化する部署も当時は未熟で、その頃の開発物はオリジナル一点物となっている。

「そっか、そうなんだ。それじゃ、仕方がないね」

 凛は自分の腕を抱きつつ、笑ってそう言った。はっきりと作った笑顔だとわかる。しかし男はその悲壮な彼女の表情を晴らしてやることが出来なかった。術がない訳ではない。むしろ容易なことだ。問題は男にとっては心理的な抵抗が強い手だという事だった。

「えっと、邪魔してごめんね。レッスン、行かなくちゃ」

 去っていく凛の小さな背中が、より小さく男には見えた。その姿は雪奈とは似ていない。そもそも彼女と雪奈の似ているところなどほとんどない。男は連想を続ける。雪奈は彼女ほど大人びた容姿をしていなかった。背だってよっぽど小さい。しかし精神は力に満ち溢れていた。

 凛はどうだろうか、大人びた姿をしておきながらどこか子供っぽく、もともと使えるかもわからない《ドレス》ですら失えばああして小さくなる。

「五分待て」

 男は凛の返事を待たず出かける用意に入った。凛は雪奈ではない。そう完全に結論付けるために彼は動く。寝巻代わりの装いからスーツへと着替え、身だしなみを整える。宣言通りに五分で自宅を出ると凛がドア脇に座り込んでいた。

「レッスン場は近いのか?」

「ううん、バス乗って駅まで行ったら電車」

「タクシー拾うぞ」

「駄目だよ、交通費の無駄」

「午後から補習何だろう、なら時間がない。お前は俺に一目見せただけで納得させるだけのパフォーマンスが出来るのか?」

 凛は黙り込み、そのまま男に手を引かれながらタクシーに乗る。レッスン場まで二人の間に会話はなく、凛は運転手に行き先を告げると、すぐに外の風景に顔を向けていた。

 程なく到着したレッスン場は、案外小奇麗な建物だった。中の音が洩れてこないことから防音もしっかりしているようだ。最も、音漏れがするようなレッスン場は及第点以下だが。

 凛は未だに《エアリアルレイド》の件が尾を引いているのか、元気がない。男に着替えてくることを告げると、更衣室へと真っ直ぐ向かう。受付近くの休憩所で大人しくしていると、《トレーナー》らしき男が近寄ってきた。

「どなたかの付き添いの方ですか?」

「睦月凛のレッスンを見学することになっています」

「ああ、凛ちゃんの。どうも、彼女のメイン担当で郷田と申します」

 そう言って、差し出された名刺には《B級トレーナー、C級チューナー》の二つの肩書が記されていた。彼の自然な笑顔と明瞭に話す口振りから、サービスを生業にして長く過ごしていることが感じられた。

 相槌を打つと、凛が半年より少し前にこのレッスン場に来るようになったこと、その見目麗しさから担当トレーナーになった際同僚にやっかまれただとかどうでも言いことを矢継ぎ早に捲し立てた。しばらく男はその話を耳に入れていたが、次第に聞き流すようになっていく。彼は凛のパフォーマンスについて口にせず、彼女を取り巻く環境についての話題に終始していた。

「え? 今日は住吉さんにお願いしていたはず」

 郷田の実のない長話は、凛が現れるまで続いた。彼女は郷田がその場にいることに、戸惑いの表情を浮かべている。どこか、嫌がっているようにも見えたのが男には引っ掛かった。

「凛ちゃんが来てから七か月目だろ? 試験って言うほど大げさじゃないけど、経過を確認させてもらおうと思ってさ。ほら、住吉は《C級》だから、わからないところもあるだろうし」

 郷田が白い歯をむき出しにして笑うのに対して、凛は引きつった笑顔を浮かべている。しかし郷田はその事に気付いていないようだった。

「それじゃあ行こうか凛ちゃん。大レッスン室を取ってあるから今日は《ドレス》も使えるぞ。俺の権力を行使しちゃったよ」

 そう郷田は豪快に笑って言いのけた。随分と男の時と態度が異なるが、それ自体はよくあることで、特に気に掛ける物ではない。

 大レッスン室と札の掛かった部屋に入ると、鏡張りの壁一面、そして小規模の《ステージ》、《ドレスメーカー》と中々の設備を有していた。

 凛は入室すると、男がいることでわずかに緊張を見せ、その面持ちのまま柔軟を始めた。髪をシュシュで高い位置にまとめ、手首には白と青のボーダーになっているリストバンド。色の濃いシャツにハーフパンツといった出で立ちで、普段よりも活発な印象だ。

 郷田が柔軟の手伝いを名乗り上げたが、何故か男が凛に呼ばれた。

「柔軟性とかも、見て」

 うなじの白さや華奢な肩だとか、スレンダーな癖にやはり女性らしい肉付きをしている背中や足だとかに触れても、男はいっさい色めき立つことなく柔軟のサポートをやり切る。

「何か、慣れてる?」

 さあな。などと男はっきりと答えずに流す。すると凛は柔軟性の評価を尋ねる。

「《ダンス》を主体にした《パフォーマンス》でも問題ないだろう」

「本当?」

 男は運動性を度外視したうえでの、あくまで柔軟性一つの評価だと釘を刺したが、それでも凛は表情を和らげた。

「まあ、俺もそう思いますけどね。困りますよ、素人判断でそんなこと言って貰っては」

「そうだな、失礼した」

 男はさしたる反論もなく、凛から離れる。代わって郷田が凛の筋力トレーニングのサポートに入った。凛が仰向けに寝そべると、郷田が彼女の顔を跨いで立つ。彼女が腹筋で持ち上げた足を、郷田が左右に押して倒し、凛が元の位置に戻す。

「はい、それじゃあ声出しながら」

 凛が音階を口にしながら腹筋を続け、その後に背筋、、ランニングマシーンとトレーニングを熟していく間に、男は凛が郷田に対して感じている情が通じた。本人はさり気ないつもりなのだろう、しかし明らかにことある毎に彼女の身体に触れていた。

 男は、担当アイドルに対して劣情を持つことをよしとしない。その男から見れば許されざる振る舞いだが、それはあくまでも彼自身の価値観であり、当事者ではない自分が口を出すべきではないと、それを咎めることまではしなかった。

 レッスン三時間の内、二時間が経過したところでフィジカルトレーニングがようやく終わった。名残惜しそうに離れる郷田を見て、男は凛にセクハラをするためにフィジカルトレーニングに重きを置いているのではないかと邪推したほどだ。

「じゃあ凛ちゃん。これレンタルの《ドレス》ね。あまり使う人いないから探しちゃったよ」

「すみません」

「ああ、ごめん。良いんだよ。でも何なら俺が専用ドレス作ってあげようか?」

「うちの事務所、あまり余裕ないんで」

「いいよいいよ後払いで。凛ちゃんはきっとビッグになるしね」

 郷田の目は口ほどに物を言っていたからか、凛はそれをやんわりと断り、《ドレス》を両手首、両足首に巻く。彼女が軽く目を閉じると、彼女の《IL》と《ドレス》が作り出す色とりどりの光の粒が周囲に放出され始めた。

 光の粒が生まれては消える。不思議な光はそれ自体の移動に風を生じさせず、慣れない者が目にすれば酷く違和感があるだろう。

 男の目が凛の《IL》を見極めようと鋭くなる。そして、凛の身体がわずかに浮上する。彼女の《IL》と《ドレス》が完全に繋がった瞬間だ。そうなると後は《アイドル》の個性が発揮される。大きく《歌》、《踊り》、《特異》と三種に分けられ、それらは精神感応や能力者の様々な機動、幻視などをもたらす。

 凛の超能力が発動すると思われた瞬間に、わずかなノイズが走った。

 その瞬間、男は自身のスーツの上着を脱ぎ、背側から引裂いた。突然のその行動に、郷田と凛の動きが止まる。引裂かれたスーツの中から黒い帯状の物が三本、姿を見せた。男がそれを手首、首に巻く。装着を終えるその直前に凛の《ドレス》から放電に見える光が噴出し――

「雪奈ぁぁぁぁ!」

――男の全身から白色の、ひし形の光が無数に放出された。次の瞬間、男の姿が掻き消え、凛の前まで移動すると彼女の両手首を掴んだ。男は掌が焼け焦げるのを感じながらも決して手を離さず、川の激流のように流れる凛の《IL》を、彼自身が身に着けた《ドレス》へと誘導する。

 凛の身体が宙を舞う。凛の《ドレス》に流れる《空中機動》の《回路》に、男が彼女から集めた《IL》を集中し焼き切る。反動で、床を転がるようになった凛を必死に抱き抱えた。《IL》を操作し続けた男の背が鏡を割り、二人は止まる。凛の身に着けた《ドレス》の放電は収まっており、辺りは一時、静寂に包まれた。

「だ、大丈夫ですか!」

 遅まきながら駆け寄って来た郷田を、男は傷ついた拳で殴りつけた。鏡はレッスン場にふさわしく割れ、砕け落ちる類の物ではなかったが、それでも男の背からは出血が見られた。しかし、その痛みを男は感じていない。

 倒れた郷田の胸元を男は掴みあげると、郷田は短く悲鳴を上げた。

「ふざけるな! 《アイドル》を殺す気か! 探しただと、そんな物を《チューニング》もしないで使わせたのか!」

「す、すすすすみませ――」

「――謝って済むか――」

 殴り殺してやるつもりで振り上げた拳は、凛の手と、涙声で柔らかく押し止められた。

「そんなことしなくていい。早く、病院」

「どこか痛めたのか!? 腕は動くか? 足は? 火傷はないか!?」

 酷く狼狽した男の姿がそこにはある。最低限の物言いしかしなかった男が、捲し立てるようにして凛の身を案じていた。

「違う、違うよ! あなた、《チューナー》なのに、手、ううん手だけじゃない」

「お前は何ともないんだな!?」

「だ、大丈夫」

 それを聞き届けた男は、本来自身に適性のない《IL》を行使した反動か、意識が薄れていく。泣き叫ぶ凛の声は彼の耳には届いていない。彼が最後に意識を失う前に思ったのは、今度は守れた。だった。


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