第20話 研ぎ澄まされた意識の中で
「…………なっ!?」
巨人の頭部にあるいくつものレンズが一瞬の光を見せた瞬間、それはすでにアリトの視界に映っていた。
腕。いやしかし、さっきまでの右腕ではない。
今までずっと右ばかりに気を取られていた故に気づくのが遅れた左腕だ。
上手い具合に胴体に隠れていて、巨人が体を一瞬のうちにこちらに向けた際にそれを真っ直ぐ放ってきたのだ。
と同時に右腕は半ば強引にめり込んだビルから引き抜かれ、左腕と交代する形で引っ込められた。
そして、不覚にも今更気づいたが、この巨人の腕、よく見ると普通の人型と比べると明らかに長く、更には恐ろしいことに先ほどよりも一段と動きが素早くなっている。
――速い……!
アリトは反射的にそこまでを理解した。しかし、その圧倒的なまでの豪速で迫る獲物を前にして、もはや成す術を考える暇などは微塵も残ってはいなかった。
自分自身も相当な速さで跳んでいるはずだったが、巨人はそんなアリトに追随する勢いで迫ってきていて。
更には前傾姿勢のまま長い腕を限界まで伸ばし、執念さえも感じさせる動きでこちらに向い掴みかかってきていた。
そしてそれが、何故だか途方も無く長い時間に感じ、アリトは徐々に徐々に近づいてくるその巨大な掌をひたすら凝視し続けているだけだった。
無限とも言える加速感。頭の奥底で白くスパークする走馬灯のような疾走感。
それら全てが不可視の膜のように思考を遮断していき、じわりじわりとその瞬間を近づけていく。
けれど。
――……ダメだ!
麻痺する思考を押え付け、無理やりにでも呼び起こす。
――ダメだダメだダメだ……!!
ここで何も考えなければ何もかもが終わる。そうなればもはや、二度と姫塚の前に顔を見せることは出来なくなる。
それは嫌だ。絶対に嫌だ。折角掴みかけた糸なんだ。
俺はまだ、あの人に見限られるのは嫌なんだ。
別に何か根拠があってそう思ったわけでは無かったが、姫塚の醸し出す雰囲気は不思議なまでにアリトをそう思わせるに十分足り得ていた。
――だから……ここで負けるわけにはいかない……!!
瞬間、アリトは思考を復活させて、そこで今更な事実を思い出す。
そうだ俺、飛べるじゃん。
正確には浮遊であったが、あれならばきっとこの八方塞がりな状況を打開できるに違いない。
アリトは早速頭の中で、自身が空中で浮かび上がるのを強く意識した。
自分の体からよく分からないエネルギーが湧き出す感覚。飛びたいと強く願うイメージの奔流。
正直なところ、自分が一体どうやって浮遊しているのか全く原理が謎であったが、姫塚が言うようにこの世界では思い込むことが肝要らしいので、アリトもそれにならって強くイメージする。
すると、瞬間身体に揚力を感じ、それと同時に脳から発せられた一刻も早くこの絶望的な軌道から逸れたいという電気信号が身体全体に作用して……――。
くることは無かった。
自分の体には依然として揚力など起こらず、唯々重力に導かれるまま緩やかな放物線を描き続けているだけだった。
――えっなんで……!? どうして、さっきまではちゃんと……!?
飛べていた。という思考が脳内を駆け巡るよりも前に、しかし遂にその時はやってきてしまった。
恐るべき速さで迫ってきていた巨人の左腕が、既にどうする事も出来ない近距離までアリトを追い詰めていたのだ。
――あっ…………。
そして全てを悟る。
無理だ。逃げ切れない。
まだこの巨人の攻撃を受けたことは無かったが、それでも何故か分かってしまった。
これを受ければきっと終わる。無残に握り潰されて最後を遂げる。
シンクロ・アウトとやらで逃げる暇すらも与えられずに。
――やられる……!!
アリトはその絶対的な確信に強く奥歯を噛み締める。もはや退避する術を探す余裕も無かった。
しかしその時――。
ピシィィィィ――――!!
という擬音が相応しいだろうか。
アリトの脳内に突如として電撃が走ったような衝撃が駆け抜ける。
そして……。
巨人の左手がアリトに触れる三十センチ手前でそれは起こった。
何処からともなく薄っすらとした起動音が耳に届く。それは間違いなく自分から発せられている音であり、アリトはそれを認識した瞬間自らの身体から全ての抵抗が消え失せる感覚を覚えた。
きっとそれは唯の錯覚なのだろう。しかし、今起きたこの現象はそう思えるだけの強制力を以ってアリトを不可思議の力で動かしていた。
重力感。空気抵抗。慣性。
それら万物の抵抗全てが一瞬のうちに否定されていった。
けれど、アリトはこれを理解しようとはしなかった。
ただひたすら見えない何かに導かれ、逃れたいという一心を強く抱いた。
そうして、気づいた時にはいつの間にか、”巨人の攻撃の軌道から逃れていた”のだった。
直後、巨人は左手を力の限りで握り締める。だが、そこにはもうアリトの姿はいなかった。
またも空虚を掴まされた瓦礫の巨人がその頭部にあるレンズの全てをギョッとズームさせる。
そして。
その握り締められた左拳の上に、アリトは音も立てずに舞い降りて、緩やかに流れる水のような風格を纏って着地する。
だが、それは正確には着地ではなかった。
アリトの両脚は依然として宙に浮いている。そう、巨人の拳から三十センチ間を空けた宙に浮いているのだ。
その光景に巨人が何を思ったかは分からない。しかし、それすらもどうでも良いと心の中で一掃し、アリトはすかさず動き出す。
拳の上で浮遊したまま音も無く飛び出すと、高速で腕を伝いながら一気に首筋まで接近する。
そして、大剣を前方に向けて鋭く構えると、巨人の頸の部分、装甲と装甲の間にある隙間目掛けて一片の狂い無く突き刺した。
焼け付くような焦燥感が頭を真っ白に染め上げていく。理性などはとうに吹っ飛んでいた。とにかく今動かなければ、全てが終わってしまうような気さえした。
しかしそんな状況だったとしても、滑らかに基部を貫き破壊していく充実感、手応えは今度こそしっかりとアリトに伝わっていた。
直後、巨人が激しく痙攣するような動作を見せた。
が、アリトの攻撃はまだ終わらない。
「く……うぅあぁぁぁぁ!!」
甲高く絶叫しながらアリトは次に、そのまま大剣を突き刺した状態で横に移動していく。
もはや先ほどのような何者も受け付けないであろう硬さは微塵も感じられなかった。
浮遊した体勢のまま一瞬の内に頸の周りを一周しながら切り裂いていく。
「ああぁぁぁぁ……あぁっ!!」
それからまた元の突き刺した場所に戻ってくると、最後にアリトは右腕の大剣を力の限り引き抜いた。
途端、頸との繋がりを絶たれた頭部は力無くずり落ちていき、ドゴンという音を立てながら重々しく地面に落ちた。
それをアリトは見ずに、音だけで以って聞き届け、静かに巨人の肩に足を着く。
「はぁ……はぁ……ビンゴ……!」
激しく息を切らしながらそう呟く。アリトは思わず口元を緩めた。徐々に思考が理性を伴い、冷静な状況分析を開始する。
どうやら発想は間違っていなかったらしい。
あの時、巨人の装甲がアリトの斬撃を易々と防いだ際、確かに驚き、その結果判断が鈍り危うくやられてしまう所であった。
だが、同時にアリトは頭の片隅でとある経験を思い出しかけていた。
それは勿論、この巨人のように凄まじく硬い装甲を持ったエネミーの経験だ。
大抵の場合、物凄く防御の硬い敵は普通に戦ってもまともにダメージを稼げない場合が一般的だ。だから必ず、この手の敵にはどこか大弱点となるポイントが設定されているものだ。
そして、全身硬い装甲で覆われた瓦礫の巨人の場合は、恐らく各所身体の関節部分だろうと最初からアリトは踏んでいた。何故なら、巨人は人型である為、どうしても関節部分だけは装甲で繋ぎとめるわけにはいかないからだ。
あのタイミングでホバーが発動し、巨人の攻撃から逃れたアリトは、そのままの勢いで賭けに出て、結果勝利したというわけだ。
だが、何故あのタイミングでホバーが発動したのかについては、いまいち想像が付かなかった。状況から察するに、あのホバースキルはただ浮遊するというだけの代物ではないことは分かったが……。
しかし、そのことに関する疑問はひとまず置いておく。
これがただのゲームであれば、今頃頭部破壊ボーナス付きのリザルト画面で勝利BGMが流れていることだろうが、マキナにおいてそれは有り得ない。
先ほどのワラジムシ同様、マキナはコアを破壊しなければ活動を停止しない。
すなわちこの瓦礫の巨人はまだ生きているのだ。いつ再び動き出してもおかしくない。
そうしてアリトは意識を切り替え、この馬鹿でかい身体のどこにコアがあるのかを探そうとした。
その時。
「グ……ガアァァァァァ――――!!」
アリトの全身はおろか、辺りの建物全体がビリビリと振動するほどの雄叫びを巨人が上げた。




