14.茶飲み友達
「マリィって、カニ食べたことある?」
「え、ええ……あるけれど」
――三十三古書店の一角。すっかり恒例となった放課後の寄り道で、数日前にどこかで行われたような会話が繰り広げられていた。
「そっかぁ。やっぱりお金持ちは違うなぁ」
「そ、そうなのかしら……」
叔父の家で何度か食したことがあるだけで、他ではあまり食べたことはない。マリィの印象としては、味は悪くない。が、優雅に食事をするのには向かない代物だ。好きか嫌いかと問われば、まあ好きな方に分類されるかもしれない。
「実はね、」
と、そこできぃと音がして、店の扉が開いた。この時間に三十三古書店の扉をくぐる人間は限られている。マリィとユカコはいつものように、揃って入口へ顔を向けた。
「おかえりー」
「おかっ……おかえりなさい」
二人が挨拶すると、来訪者は「やあ」と言って、店内に入ってきた。狭い通路を慣れた足取りで進み、あっという間にカウンターまで辿り着く。
「マリィも来てたんだ」
「え、あ、はいっ」
ぴくりと直立姿勢になるマリィ。不自然にならなかっただろうかと不安に思いながらも、可能かなぎり優雅に微笑んでみせた。
(また、名前で呼んで貰えた)
彼の何気ない一言に、自然と体温が上がる。
ここ最近、「マリィ」の愛称で呼んで貰える機会が増した。それはきっとユカコが積極的に呼んでくれているからであり、彼女が仲介役を担ってくれているからだろうと、マリィは思う。彼女には感謝してもしきれない。そうやって愛称で呼ばれると、なんだか新密度がアップしたような気がして、それだけでマリィは嬉しくなってしまう。
カウンターを挟んで向かい合って座っていたマリィとユカコだが、ダリオが来たことで移動することにした。移動先は店舗の奥――つまりは、ユカコの自宅である。
ユカコはいつものように看板――「ご用の方はベルを鳴らしてください」と書かれたプレートを掲げ、お金を仕舞う。どうせ誰も客は来ないだろうし、ましてこんな場所で盗みを働くような人間がいるとも思えなかったが、一応は祖父の言いつけを守っているのだ。
片付けの最中、ユカコはダリオの手にある紙袋に目を留めた。
「それ、何?」
片手に収まるくらいの小さな紙袋には、ラッピングが施されている。誰かにプレゼントを渡す心積もりでもあるのだろうか。ユカコには、もしかしてという思いがあった。
しかし、ダリオの回答は期待していたものとは大いに異なっており、
「ああ、これ? さっき、そこで貰ったんだ」
「貰った? 誰に?」
「知らない女の子」
「ちょ、何それ!」
がばっと椅子から立ち上がり、ユカコはカウンター越しに身を乗り出す。傍にいたマリィは、彼女が何にそんなに驚いているのか分からず、目を白黒させた。
ユカコは、時折こういった行動に出ることがある。ダリオの言葉に対して反応するときに。
彼女曰く、「ダリオはボケてるから、ツッコミが必要なの」とのことらしいが……マリィには、まだよく理解できていなかった。
とりあえず、今の拍子にカウンターから落ちた紙を拾ってから、マリィは成り行きを見守ることにした。
「あ、でも向こうはこっちのこと知ってたみたいだったなー。僕は未だに思い出せないんだけど……」
「詳しく!」
微妙に興奮状態のユカコとは反対に、ダリオは淡々と詳細を語り始めた。
「うん。学校出たところで、同い年くらいの女の子に会ってさ。この前のお礼だって言って、これくれたんだ。何のことだか分からなかったんだけど、その子、それだけ言ってすぐ帰っちゃってさ。結局、分からず仕舞い。何だったんだろうなぁ。……あ、それと、せっかく貰ったのにお礼言いそびれちゃったし。悪いことしたかな」
後悔の色を滲ませる幼馴染に、ユカコは頭を抱えた。そこじゃない。
「待って。何でそのシチュエーションに、何の疑問も持たないわけ!?」
「え、うん……なんでだろ。――ああ、そういえば、前にも似たようなことがあったからかなぁ」
ダリオはその時のことを思い出すように、天井に顔を向けた。
「似たようなこと?」
「そうそう。前にも学校から帰る途中に、お礼って言われて、手作りクッキー貰ったんだよ。こっちの子は、道端で具合悪そうにしてたときに、ちょっと助けたことがあったから、それは覚えてるんだけど……」
何ということはないといった風に、ダリオは語る。ユカコはまたしても頭を抱えた。
「ダリオ……恐ろしいやつ……」
無自覚というのが一番恐ろしい。今後、どれだけ被害(?)が拡大するのか。というか、幼馴染として「コレ」を放置してよいものか。
ぶるぶると震える彼女だったが、隣で不思議そうに見上げるマリィと目が合った途端、態度は一変した。
「――はっ! マ、マリィ!? あのね、ダリオはこういうやつなんだけど、決して悪気があるとかじゃなくてね、基本お人好しだから、色んな人を助けちゃうの。で、そのお礼を貰ってるってだけだから! 別に複数の女の子と付き合ってるとかそういうんじゃないからね!」
マリィに口を挟む間を与えず、一気に捲し立てる。
ここは勢いが大切だ。変に沈黙があると、誤解を与えてしまうかもしれない。無自覚なダリオをフォローするのも、幼馴染たる自分の役目である、と考えて。
ユカコの勢いに飲まれたのか、そもそも誤解などなかったのか――ユカコには判断できなかったが、マリィがその件についてショックを受けている様子はなかった。ほっと息を吐き、ここまで気を遣わせた幼馴染を軽く睨みながら(当の本人は何故睨まれたのか分かっていないようだ)、ユカコはようやく片付けを済ませた。
結局マリィには、何故ユカコがあのようなことを言ったのか分からなかった。まるでダリオが悪いことをしているかのような口ぶりだったが、全然そんなことないのに。むしろ先ほどの話を聴いて、ますます彼を尊敬する気持ちが高まったほどなのに。
(困っている人に手を差し伸べられるなんて、素晴らしいことなのに……)
彼が「お礼」を貰うのも頷ける。何のお礼の品も用意しなかった自分が恥ずかしいくらいだ。
(今度、何かお贈りしようかしら)
ユカコに入れて貰った「玉露」というお茶をすすりながら、マリィは考える。彼の趣味について詳しくないので、今度ユカコに訊いてみよう。
そのユカコは、同じく「玉露」を飲んで一服した後、引き出しから二枚の紙切れを取り出した。
「じゃん。これ、見て」
二枚分のチケット掲げ、マリィとダリオを交互に見る。二人分の視線を浴びるその紙切れには、「無料招待券」と書かれてあった。
「何? これ」
まず口を開いたのは、幼馴染。身も蓋もない発言だが、ユカコとて引っ張る気はなかったのだろう。あっさりとネタ晴らしをした。
「最近オープンしたばっかりの、カニ料理専門店の無料お食事券二名様分。お客さんから貰ったの」
「へぇ」
僅かに驚きの色が含まれているのは、そんなに気前の良い客がいたのかという驚きである。
カニといえば高級食材。この国では獲れないので、百パーセント輸入物になる。近年では交通網と冷凍技術の発達により、輸入量が増加しているものの、それでも庶民の口に入る量は多くない。しかも時期が時期だ。
「二名分しかないんだけど、三人で行ってみない?」
だからこそ、その提案は二人には意外だった。二名分というのなら――。
「ソウベエさんと行かないの?」
「お祖父ちゃん、甲殻類ダメだから」
「ああ……時々いるよね、そういう人」
なるほど。そりゃ駄目だ――誰しもが納得する理由だった。
「人生の半分くらい損してると思うんだけどなあ」
「そんなことはないと思うけど」
ダリオは呆れたように言った。いくらなんでも、それは言い過ぎだ。カニを好まない人間もいることを、彼はよく知っている。
しかしユカコは熱弁を振るう。曰く、
「だってカニなのよ、カニ! カニ! カニ!! あの、カニなのに!」
――全く説得力はなかったが。
少なくとも、彼女のカニに対する思い入れだけは、二人に伝わったようだった。
小一時間ほど他愛もない話をした後、じゃあ「カニパーティー」(ユカコ命名)はいつにするか、という話になった。
「明日にでも……ってわけにはいかないよね」
マリィは貴族の令嬢だ。いくら貴族社会に疎いユカコでも、明日食事に行こう、なんて簡単に誘えないことぐらい想像出来た。
「来週なら、なんとかなると思うわ」
「ほんと?」
「ええ。大丈夫よ」
結構自由な身の上である。末っ子の特権をフル活用する術を覚えた今のマリィに、怖いものはない。
「じゃあ来週ね、決定! ダリオもそれでいい?」
ユカコは幼馴染に同意を求めるが、
「あーうん……。それなんだけど、実は……僕もあんまり好きじゃないんだ、カニ」
「ええええええええっ!?」
そんなに驚くことか、というぐらいの驚きようだった。ユカコは信じられないものでも見るかのような顔つきで、ダリオの顔を見つめる。
「カニ、食べたことあるの!?」
「え、そこ!?」
「ズルい! いつ、どこで食べたの!? ねえ!」
ずいと迫るユカコに、ダリオは思わず椅子を引いた。物理的に距離を取ろうという心境の表れである。
「去年の冬に一回だけ……。と、とにかく、僕はいいから二人で行ってきなよ!」
前半部分は恐る恐る小声で、後半部分は誤魔化すように早口で。とんでもなく理不尽な責められ方をしていると思ったが、悲しいかな、この幼馴染に常識は通用しない。それを彼は誰よりも心得ていた。
ユカコ少しの間むくれていたものの、ダリオの「来週食べられるんだからさ」との言に、ようやく矛先を収めた。
「マリィ! こうなったら食べて食べて、食べ尽くそうね!」
「え、ええ……」
若干引き気味のマリィを余所に、ユカコは握り拳を作る。隣でダリオがぼそっと、「二度と食べられなくなるよ」と言ったのは、聞こえていなかった。




