百均の鏡に平安の姫が映ってるんですが。
「さて、この道長は彰子を中宮にしたわけだ。そのお相手は?」
教室はスッと静まり、全員の期待に満ちた視線が俺に集中した。
……やめろ、俺を見るな! 平よ……!
「はーい、摂政! 答えて」
(クソがぁ! また俺かよ)
俺は震える声で答えるしかない。
逃げることなど出来ないのだ。
「一条天皇です」
日本史の平先生はニヤニヤし、教室は笑いに包まれた。
「さすが道長公! 満点だ」
「ぷぷっ、摂政さすがやで」
「本人やが」
クソ、覚えとけよお前ら……!
──日本史、古文は嫌いだ。
俺の名前が藤原道長なのは、俺のせいじゃねーんだわ!
「親王! 外祖父が怒ってるぞ」
「宥めて!」
「鎮めて!」
次に弄くられているのは一条蓮、幼稚園時代からの腐れ縁だ。
「やだよ!譲位迫られちゃう!」
「親王だと譲位出来なくね?」
「あっ、そうだった!」
一条は小学校のころ、『天皇』だった。
だが、それは不敬なのでは!? という至極真っ当な意見を受け──
ひよった一条は退位すると言い、親王になった。
そして、俺たちはずっと藤原一族というセット扱いだ。
──更に高校に入って、新たな腐れ縁が発生している。
式部紫、あだ名は紫式部。
ちなみに男子校だから、男だ。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば~」
式部が無駄にいい声で叫ぶ。
ああ、今日もこうなったか……。
俺は机に突っ伏し、我が身を嘆いた。
言っておくが──父親の悪ふざけだぞ? この名前。
藤原道長、それが俺の名前だ。
摂政、親王、紫式部──定番のネタ要員になっているが、非常に不本意である。
♢
「いやー、今日もおいしかったな」
式部がゲラゲラと笑う。
こいつ、式部ちゃんなどと呼ばれている癖に、ゴリマッチョなんだぜ。
趣味は筋トレと刺繍だ。
「また即位しようかな」
一条はマヌル猫に似ている。
ワガママボディが極まってる。
趣味は料理と家電の分解だが、組み立てると必ずネジが余ってる。
「クソ、お前ら……!」
俺か?
地味な陰キャだよ、メガネの。
趣味は小石集めだ。
集めすぎて、親に収集禁止令を出されているけどな。
毒づきながら元気に帰宅だよ、帰宅部だし雨が降ってきたからな。
家に帰ると誰もいなかったが、どうということはない。
俺は陰キャだから、一人が好きなんだよ。
夕飯に呼ばれるまでゲームして、ダラダラしたい誘惑を振り切り予習だ。
一応進学校だからな。
(……危険箇所も要チェックだ……ああクソ、明日古文あるじゃねーか!)
絶対、摂政詠んで~とか言われるじゃんか!
夕飯食って風呂入って、自室に引きこもれば俺の天下だ。
外は雷雨になってるが、室内にいる俺には関係ない。
少しゲームをして、ダラダラと至福の時間。
に、しても──目が痒い。
抜いても抜いても生えてくる逆睫毛だ。
「そろそろ抜くか」
俺は机に置いてある、薄汚れたピンクのキ○ィちゃんの鏡に手を伸ばした。
この鏡は妹の理々が要らねえといって俺の部屋に捨てていったものだ。
古すぎてちょっと曇ってる。
陰キャに鏡なんて要らねーんだわ。
どうでもいいからそのまま使ってるだけだ。
「クソ、掴めねえ」
まだ短い睫毛は一向に毛抜きで掴めず、イライラしていたその時────
ふ、と甘い匂いが鼻をかすめた。
……仏壇? いや、もうちょい高級感ある。
ばーちゃんが法事のときだけ焚く特別な線香。
高いから普段は使わないヤツだ。
名前知らんけど。
なんで俺の部屋でそれが匂うんだよ。
(待て待て、確か線香の香りがするときは誰かが亡くなった知らせって……式部が先週言ってた気が?)
え、怖いんですけど!?
空気が滲むように、鏡の表面が揺れた。
「!?」
《みちな、みちなー》
「んなぁっ!?」
鏡から、子供の楽しそうな声がする。
鏡は何故か俺ではなく──水のような、揺蕩う何かを映し出した。
《おお、出来たのじゃ! みちな、みちなー》
人間、心底驚くと何も出来ないんだと俺は初めて知った。
鏡を伏せろ、それか割れ! ──と思うものの、身体が動かない。
雨音だけがやたらに耳につく。
「おかしいのぅ? ちゃんと、とと様に聞いた通りにしたのじゃ」
やっぱり喋ってるよな? この鏡!
「み、みちなはここにいません……」
他に何て言えば良かった?
俺には思い付かなかったよ。
「おらぬとな? ではそちは何者じゃ」
「藤原です…………」
鏡の揺らめきがおさまり、不明瞭な姿が映っている。
そう、水に映ってる映像のように。
赤い浴衣みたいな着物を着た女の子だ。
歳はわからんが、幼稚園児くらいだな。
髪が前に落ちて、俯いてこちらを覗き込んでるアングル。
「なんじゃ、藤原の者か。よきよき、おおとのを呼んで参れ」
「おおとの……?」
さっぱりわからんが、俺は今……のじゃロリと会話をしているようだ。
本当にのじゃロリが生息してるとは!
一条に教えてやらなければ。
「おおとのも、いません」
「なに? そち、どこの者じゃ? 名をなんという」
「えっ!? ふ、藤原道長です」
「ピャッ!? おのれ物の怪か! わらわをたばかるつもりか! みちなをどうした!」
のじゃロリが激烈に怒り始めた。
たばかる? 謀るか? ……騙したっていってんのか?
え、なんなのこの子。
「みちなはみちななのじゃ! この世にただ一人しかおらぬわ!」
「落ち着いて、ねえ!?」
のじゃロリが何かを取り出し、腕を振る。
鏡の中に閃光が走り──鏡は何もなかったかのように。
俺の間抜けな顔を映しているだけだった。
「………………」
(俺、疲れてる? 鏡が喋るとか無いわぁ。マジ怖いんだけど)
まあ、俺は陰キャだから部屋に鏡は要らないよな?
俺はキ○ィちゃんの鏡をそっと摘みあげ、足元の屑籠に投げ入れた。
今日はもう寝よう、俺はきっとストレスでご乱心してるんだ。
この雨……朝まで降るんだろうか? やむといいな。
怖すぎて寝れる気がしねえ。
♢
「のぅ…………」
「のぅ、もののけー」
「おるじゃろ? のぅ」
「……………………」
「のぅ、もののけー」
(クソ、うるせぇ! 何時だと思ってるんだ! 丑三つ時じゃねーか!)
しばらく声を無視していたが、屑籠からずっと楽しそうな声が聞こえてくる。
いや、怖いからやめて?
俺は現実主義なんだよ、ホラーはちょっと嫌なんだよ。
「出てこないと……わらわ、泣くぞ!」
「おかしいのぅ、わらわが泣けば皆すぐに来てくれるのに」
「のぅ……」
(ああもう! 朝までやる気か!? 誰かが起きてきたらヤバいんだけど?)
だが──相手は鏡だぞ。
なんかいい話題あるか?
俺は鏡と親しくないから、どうしていいかわからんし。
(物の怪、物の怪ってむしろ鏡がヤベーじゃん)
「………………」
何かあったら、割ろう。
俺は震える指で、屑籠から鏡を拾った。
「いったいなんなんだ」
俺は小声で返事をした。
家族を起こしたら叱られるからな。
「おお、やっと来たか! そち、みちなの……みちなのなんなのじゃ?」
「なんなのじゃって……俺は俺なんだけど──」
「みちなは、おおとの様。同じ名があるなんておかしいの」
まただ。
甘くてちょっと不思議な香りが微かに漂っている。
あれか、線香じゃなくてお香ってやつ?
理々がたまーに百均で買ってくるヤツ。
うーん、似てるっちゃ似てるけど……この香りはあんなに臭くないな。
いい香りだ。
「そち、何故みちななのじゃ?」
「そんなこと言われても」
俺は鏡を振ってみたが、特に何も起こらなかった。
一体どうなってるんだ。
香りはどうも鏡からのようだったが、香っていたのは最初だけで今はもう感じられない。
「藤原ならば、おおとのを知っておろう? わらわも、とと様も」
「わらわ、寂しいのじゃ。みちなに会いとうて」
のじゃロリの声は、どことなく不安そうに揺れている。
俺はなんだか可哀想になって、少し優しく答える事にした。
「あのさぁ、そもそもみちなって誰?」
「みちなは、わらわのみちなじゃ!」
わかんねーよ。
俺は溜め息をついた。
子供の相手は苦手なんだよ。
「うん。だからさ、名前は」
「みちなは、ふじわらのみちなが」
ファッ!?
俺!? いや、藤原道長ッ!?
「とと様は、あべのせいめいであるぞ」
「え、ほんとに?」
いやいや、そう聞くしかないよね。
俺は年齢=彼女なしだし、当然ながら子供もいないし?
俺は関係ないよな?
あべのせいめいって、陰陽師の?
安倍晴明……小説とか映画の?
雨の音が一際大きくなり、屋根を叩いている。
俺の頭は正常なんだろうか?
「んで…………わらわさんは、誰?」
「わらわか? わらわは安倍晴明が娘、葉子なのじゃ!」
雨の気配はあるのに、世界から音が消え去った気がした。
空気が遠い。
「にせみちな! そち、人間か?」
────これが、藤原道長の外孫にして安倍晴明の娘、藤原葉子姫と俺との初邂逅だ。




