8.自慢できちゃうわね
数日後、子ども達が揃って気落ちして離れを訪ねて来た。
私はビスクドールの髪を櫛で梳いてヘアアレンジを楽しんでいた。自分の髪は難しいけれど、ドールならヘアアクセサリーも使えるし扱いやすい。帽子を被るだけでも可愛くなる。帽子の角度には時間を忘れて何時間でもこだわれるのだ。
「どうかした?」
二人はムスッと怒った様な、でも少し悲しそうな不貞腐れた顔をしていた。
「父様が……再婚するかもって」
「まあ!」
驚いた。再婚ですって?意外だ。公爵は今でも変わらず妻を、この子ども達の母親を愛しているのだと思っていたから。何となく手元のビスクドールを見た。つい先程までヘアアレンジを楽しんでいたドールだ。このドールは公爵夫人の物だ。
子ども達はこの不貞腐れた様子から再婚を良く思っていないのだろうと分かった。
「どうしたの?おめでたい事ではないの」
「全然だよ!」
「新しいお母様が出来るのは嬉しくないの?」
「母様は母様だけだよ。今更新しいお母様なんて要らないよ」
マクスは母親との思い出が多少はある。他の人に替えられるものでは無いのだろう。
「僕は母様がいるってどういう事か分からないけれど、レディが居るから充分なんだ。レディが居てくれたらそれでいいよ」
ワイアットからは何とも可愛らしい事を言って貰えて嬉しいけれど、少し申し訳無くも思う。私は結局は幽霊だ。私の存在が公爵の再婚話を潰してしまうのは宜しくはない。
「どんな方かしら。素敵な方かもしれないわ」
「どうせ公爵っていう地位が目当てだったり、父様が格好良いからだよ。僕達の事なんて本当は鬱陶しく思っているかもしれない」
何故そんな風に思っているのか。誰か大人がそんな事を吹き込んでしまったのかもしれない。
「あなた達の父様は公爵という地位で、それを支える公爵夫人がいるのは良い事では無いかしら」
「これまでいなくても大丈夫だったのに何でいるの?」
「貴族の社交で夫人の力が物を言う場合があるわ。それにあなた達にとっても母親がいる方が良いと思ったのかもしれない」
「母親が欲しいなんて言った事無いよ!」
マクスは特に再婚に反対の様だ。実の母親以外を受け入れられないのだろう。年齢的にも環境的にも反抗してしまうのかもしれない。子どもだけれど大人の都合で大人の様に扱われる事もあるし、兄という立場や次期公爵という立場が知らず知らずにストレスを与えているのかもしれない。日々勉強に追われ、真面目な性格だからこそ熱心になり過ぎて発散出来ていない可能性もある。推測だけれど。
「会った事はあるの?」
「まだ無い」
「とても良い方かもしれないわよ」
「……」
「嫁いでくる方も不安なものよ。あなた達が温かく迎えてあげなくては」
「……」
「気持ちは態度に出るものだし、自分の態度は相手に移って自分に返ってくるものよ。あなた達が受け入れる姿勢を見せないと、相手も受け入れてくれないかもしれない」
「別に、いいよ……」
「まあ、そんな事を言って。父様が悲しむのではない?」
「……」
そう簡単に気持ちは変えられないだろう。不貞腐れた顔も変わりそうにない。私に出来るのは話を聞いて頭を撫でてやる事くらいだ。でもマクスは「もう撫でて貰う様な年じゃない」と言って不服そうだ。子ども扱いされるのが嫌なのかもしれない。
「一度会ってみたら相手の良い所が見れるかもしれないわ」
ニコッと笑ってみせた。もしかしたら私なんかにそんな風に言われたく無かったかもしれない。気に入らない事があったから私に話しに来たのだ。気持ちを理解して共感して欲しかったに違いない。余計な事を言ってしまった気がするけれど、年長者の意見として聞いて欲しかった。私も一応幽霊になる前はそこそこの年数を生きて来たのだから。
マクスはじーっと私を見た。薄青色の綺麗な瞳。
「昔、母様にも似た事を言われた気がする」
「まあ、そうなの?」
「子どもがいっぱい居る所に連れて行かれて、でも誰とも話せなくて、それで……話してみないと相手の良い所を見つけられないよって」
「まあ、そうなのね」
おそらく同じ位の年齢の貴族の子息同士で交友関係を作らせようと集められたのだろう。
マクスは溜め息をついた。彼なりに考え直したのかもしれない。
「今日、レディが一段と霞んで見えるんだ。僕はいつまでこうしてレディと会話出来るかな……」
「そうなのね……」
これには私もどう答えたら良いか分からない。私も寂しく思う。
「レディは……母様に似ているよ」
マクスの言葉に驚いて固まってしまい、何も返答が出来なかった。微かに手が震えている。
「そうなの?どんなところが?」
「うーん……話し方とか笑い方とか。あと顔もちょっと似ているかな」
「えー。兄様、本当?初めて聞いたよ」
「まあ、僕もあんまり覚えて無いから。今、何か、そう思ったんだ」
ずっと持ったままだったビスクドールに視線を落とした。これ以上じっと顔を見つめられたく無いと思ったし、ビスクドールが何かアドバイスをくれる様な気がしたからだ。何も答えはしないけれど。
「公爵夫人に似ているなんて、自慢できちゃうわね」
そんな事しか言えなかった。
その夜、公爵が離れを訪ねてきた。
公爵はソファに腰掛けると、ローテーブルに紙とペンを出した。
「レディ。少し、話をさせて欲しい」
公爵に私は視えない。会話も出来ない。だから筆談という手段を思い付いた様だ。
公爵のその提案に応えるという意思を見せる為に、ペンを手に取った。私が視えない公爵には、ペンが一人でに浮いている様に見える事だろう。そして紙に“何でしょう?”と書いた。その文字を見て公爵は頷いた。
「今日、マクスが、レディは妻のティナに似ていると言ったそうですね。以前聞いた話では、レディはここに五年前からいるとも。そして妻と同じくビスクドールが好きとも」
公爵の話を聞きながら、ペンを持つ手が小さく震えていた。
「レディ。貴女は、フリージア妃殿下ではありませんか?」
この公爵家で私が視えるのはマクスとワイアットだけで、私の顔を知っている公爵には視えないのは都合が良かった。でも、それも些細な事で知れてしまうらしい。
私は深呼吸をして手が震え無い様にし、紙に“そうです”と一言書いた。嘘は書けなかった。
「やはりそうでしたか。初めに名乗ってくだされば良かったのに」
名乗る勇気は無かった。信じて貰えるかも分からなかったし。私は、公爵が一目で良いからと願っていた亡くなった妻ティナーリアの母親だ。幽霊となってしまったのが私で、公爵にも亡くなったティナーリアにも申し訳無く思っていた。
幽霊となったのがティナーリアだったら良かったのに、何故私だったのだろう。
私はペンを動かし書いた。
“私は実体の無い幽霊ですから。名も地位ももう実体がありません”




