3.協力してくれる?
「ぎゃああああああ!」
今回の叫び声はソロだった。弟風の子だけだった。兄風の子は震えながらも叫ぶのを堪えている様子だ。
「お、お前は、誰だ!」
勇敢にも兄風の子は私に震える声で話し掛けてきた。
「えっと……幽霊?」
「そっ、そこから出て行け!」
成る程、ここには私に会いに来たのでは無く、退治しに来た様だ。
「大変申し訳無いけれど、私はこの離れから出る事が出来なくて……」
「そ、そこは、母様の……母様が大切にしていた部屋だぞ!」
「まあ、そうなの?許可も無く使用して申し訳無かったわ。でも、出る事が出来る様になるまでこちらに居させて貰えないかしら?」
「ダメだ!」
ダメだと言われてしまった。けれど出て行くにも私は出て行けないのだ。仕方が無いので私は二人の居る窓に近付いた。私が歩き出して二人はビクッと体を震わせて、窓から後退りした。私は構わず窓まで来て上げ下げ窓をギィギィ鳴らしながら開けた。窓が開けられて何をされるのだろうかと怖くなったのか、それともギィギィという音が恐怖を増幅させたのか、二人は抱き合いながら震えて、弟風の子にいたっては「わあ、あ、あ……」と怯えの声を漏らしていた。私はそのまま窓から手を出そうとした。二人は私の手が伸ばされた事で捕まえられるとでも思ったのか、一層激しく体を震わせた。でも私の手は見えない壁に遮られてそれ以上手を前に出せなかった。私は見えない壁をコンコンとノックする様に叩いて見せた。
「ほら。私はこの離れから手を出す事も出来ないの」
「……」
恐怖のせいか二人は何も答えなかった。
「出て行って欲しいの?」
兄風の子は恐る恐る首を縦に振った。
「困ったわね。じゃあ、一緒にここから出る方法を探してくれないかしら?」
「……」
今度は何も反応が無かった。戸惑っているのだろうか。それとも脳の処理が追い付いていないのだろうか。
気が付けば二人の後方にある木の陰に使用人が隠れていた。さっきの弟風の子の叫び声で駆け付けて来たのではないだろうか。こちらの様子を伺っている気がする。きっと彼らには私が視えない筈。二人が抱き合っている様子に遊んでいるのかどうか判断が付かずに見守っているのではないかと思われた。
「協力してくれる?」
「……」
声が出なくなったのだろうか。ただこちらを見ているだけだ。
「少し、考えてみて。後ろに邸の使用人が来ているみたいだから、今日は本邸に戻って心を落ち着けて」
私の言葉に二人は後ろを振り返ると、弟風の子は一目散に使用人の所へと駆けて行った。兄風の子はまた私に向き直り、ペコリと小さく頭を下げてから弟風の子の後を追って行った。
私は上げ下げ窓を再びギィギィ鳴らしながら下ろして元に戻した。どうやらそれを使用人もしっかりと目にした様で、目を見開いて驚きを隠せないでいた。そりゃそうだ。勝手に窓が閉まったのだ。そして子ども達を囲いながらその場を去って行った。
ああ……幽霊騒ぎを大きくしてしまった気がする。
ビスクドール、処分されちゃうかな。掃除にもう来てくれないかな。
……まあいいか。開き直ろう。幽霊なのにクヨクヨしてても仕方が無い。いざとなればやっぱりビスクドールを隠すなりして守ろう。うん、そうしよう。
その夜、離れにお客が来た。
「ティナ」
公爵だ。時々ここに来る公爵が、いつもとは違う様子で訪れた。
「ティナなのか?」
姿を探す様に手に持っているランプを高く掲げ、部屋中を見渡す。
いつもはソファに座るのに、今日はランプを持ちぐるりと部屋を歩き回った。
「……会いに来てくれたんじゃないのか?」
公爵はビスクドールの飾られた棚の前に立ち、ただビスクドールを見つめた。私はその棚の直ぐ隣に立っていた。けれど公爵には私が視えないのだ。声も届かない。だから何も伝える事が出来ない。
「……息子達も大きくなっただろう。マクスは七歳、ワイアットは四歳だ」
室内には静寂が漂っていた。公爵は何も応答が無い事に溜め息をつき、いつもの様にソファに座りランプをテーブルに置いた。そして組んだ手の上に額を乗せて俯いた。
「幽霊騒ぎは、ティナなんじゃないのか」
問い掛けるように呟いていた。私は口を開いたけれど、言葉は出てこなかった。どうせ私の声は届かない。そのまま口を閉じて俯いた。
「一目で良いから……」
今日は一段と公爵から強い哀しみを感じた。何も伝えられない私は、公爵の座るソファの後ろに凭れ掛かり床に座り込んだ。いつもそうなのだ。慰める事も出来ない。こうしてただここに居る事しか出来ない。居る事を知られる事も無く、だ。
公爵はその後何も言わなかった。静寂の中、暫くソファに腰掛けていただけだった。
私も公爵が部屋を出て行くまでソファの後ろに凭れ蹲ってじっとしていた。
時間が経ちテーブルの上に置かれたランプの火がフッと消えた。お陰で昼間子ども達と向き合った窓から月の光が差し込んでいるのが綺麗に見えるようになった。そしてソファに座る公爵の影が、伸びていた。でもソファに凭れ掛かっている私に、影は無かった。




