14.結局は幽霊なのです
夜、公爵が離れにやって来た。この頃は公爵も離れを訪れなくなっていた。ティナーリアの母親である私がここにいると知ってから、私の前でティナーリアを想う夜を過ごすのが恥ずかしく思ったのかもしれない。もしくは、再婚する事もあって彼なりに亡くなった娘との向き合い方を変えたのかもしれない。
どちらかは、または別の理由があってかは分からないが、とにかく久し振りに公爵と会った。まあ、公爵に私は視えていないのだから会ったという表現は合っていないかもしれないが。
手にはまた紙とペンを持っていた。
「お話がしたくて参りました」
頭を下げたのを見て、律儀だな、と思った。幽霊の私に敬意をはらってくれている。寧ろ居候させて貰っている私の方が立場は弱いのに。
私はペンを動かして“はい”と書いた。
「息子達から、妻がこの離れを取り壊す事を考えていると聞いた様ですね」
また“はい”と書いた。
「驚かせてしまい申し訳ありませんでした。私はここを取り壊すつもりはありません」
子ども達から公爵は「困っていた」と聞いていたので、こうもはっきりと否定した事に驚いた。取り壊さないと聞いて安心するより、それで大丈夫なのかと心配になった。新妻と意見が衝突して仲が拗れたりしないかと、それが亡くなったティナーリアや幽霊の私が原因なら申し訳ないのはこちらの方だ。
“それで問題無いのですか?”
「問題ありません。家長は私ですから、決定権は私にあります」
“夫人はそれでご納得されるのですか?”
「私達は所詮契約結婚ですから」
確かに国王陛下に勧められた結婚だ。公爵は悩んだのだろう。ティナーリアへの気持ちが残っているのに断り切れない結婚話を、契約結婚だと割り切って受け入れる事にしたのだ。嫌が許されない結婚をした私とは少し違う。私は親が決めた結婚を受け入れる以外無かった。そういうものだと思っていたし。愛など必要無かった、ただ従順でいるだけの結婚。お互いが愛し合った恋愛結婚を経験している公爵にとって、気持ちを捨てる事はおろか仕舞う事も抑える事も出来ず、新妻に向ける事も出来ないのかもしれない。
“もし私やティナーリアに義理立てしているのが理由なら考え直してはどうでしょうか”
公爵は私が書いた文字を見つめて考えている様子だった。
「それが無いとは言えません。しかし、それだけでも無いのです。ここは……もともと祖父が使っていた離れです」
公爵は体を前屈みにし、腕を膝に乗せて組んだ手の指の人差し指を動かしていた。気持ちが落ち着かないのだろうか。
公爵は幼い頃に両親を亡くしている。なので前公爵であった祖父に育てられたのだと聞いた事がある。その祖父も公爵が成人してすぐに爵位を譲ると、数年で亡くなったと聞いた。ティナーリアと結婚する前の事だ。
「私に爵位を譲って余生をゆっくり過ごしたいと言ってこの離れを改装して暮らしていました。階段を使わなくて良い様にリビングも寝室も一階に。つまずいて転ばない様に段差を無くして。そしていつか出来る曾孫の様子が分かる様にと、寝室から本邸の子ども部屋が見える窓を設置して」
だからこの部屋から子ども部屋が見られたのだ。そして反対に子ども部屋からもこの部屋が見えたので、ワイアットに私を目撃されたのだろう。
「曾孫が生まれるどころか私の結婚よりも前に亡くなってしまいましたが。なのでこの離れは私にとっても特別な所なのです。ティナが妃殿下を……レディを公爵家に迎えて一緒に暮らしたいと言って来た時、この離れを使って貰ってはと提案しました。祖父がこの部屋で曾孫と過ごす事を楽しみにしていたのを、レディによって叶えて貰えればと思ったのです。そしてティナにとっても特別な所になったら嬉しいとも思ったのです」
もしかしたら私が初めに子ども達に読んであげた童話の本は、公爵の祖父が用意した物なのかもしれない。そしてティナーリアが私を迎えた後に子ども達に読ませてあげるかもしれないと、部屋の準備をしている時に残してくれたのではないだろうか。ティナーリアが私好みに整えた部屋の中であれだけは仕様が違ったから。
気持ちが繋がれて残された本は、幽霊となった私と子ども達を繋げるのにひと役買ったのだ。
なんて幸せな事なのだろう。私が幽霊になったのは私の未練だけでは無いのかもしれない。公爵の祖父やティナーリアの子ども達を想う気持ちが少なからず影響しているのではと、思わずにはいられなかった。
“叶いましたよ。私は二年間、ここで子ども達と過ごす時間を貰いました”
「そう、ですね」
“ご祖父様も、ティナーリアも、そして私も、満ち足りた気持ちです”
「それは……」
“だから今を大切にしませんか?亡くなった者より、今を生きている人を優先してください。少なくとも私は公爵様が悩んで苦しんでいるのを見るのが辛いです”
公爵は「取り壊さない」と言いつつ、迷いが残っている。でなければ落ち着かない様子で理由を話さないだろう。迷いながら迷いを消すように理由を話していた。
優しい人だ。ティナーリアと公爵の祖父を想いそちらを優先した結果が「取り壊さない」だったのだろう。出会ったばかりの契約結婚の妻より、積み重ねた時間や想いの多い方を優先した気持ちは分かる。でも、契約結婚とはいえこれから共に生きていく妻を蔑ろにして良いのか迷いがあるのではないだろうか。
“過去も大事ですが、未来も大事です。公爵様は子ども達の未来も考えなければなりません。この離れが今後どうあるべきか、どうあれば子ども達にとって良いのか、それも考えてみてはどうでしょうか”
公爵は私の書いた字を読んで溜め息をついて、暫く俯いていた。動いていた人差し指は、組まれた指と揃ってぎゅっと握られていた。
「レディは、もしここが取り壊されたらどうされるのですか?」
返答に困る質問をされてしまった。きっと私の行方の心配をしてくれての質問なのだろう。
“私にも分かりませんが、幽霊なので路頭に迷う事は無いと思います”
そうなのだ。食べ物の心配も必要無いし、寝床の心配も無い。お金を稼ぐ必要も無い。生きて行く心配をしなくて良いのだ。だってもう死んでいるのだから。
「私は、子ども達の祖母としていつまでも居て頂きたいと思っています」
“マクスはじきに私が視えなくなる様です。ワイアットもマクスと同じ年齢になれば視えなくなるでしょう。いつまでも居られません。視えなくなれば居ないのと同様です。結局は幽霊なのです”
「このまま正体を明かさないつもりですか?」
“はい”
「王宮の肖像の間には妃殿下の肖像もあります。前国王暗殺の疑いが掛けられた時に外されたそうですが、裁判で疑いが晴れた後に元に戻されました。息子達は王位継承権があります。なので肖像の間に入る事が出来ます。いずれ訪れた時に妃殿下の肖像を見て驚く事でしょう」
そう言えばそうだったな、と思った。私は決して良い意味で名を残した妃では無かった。おそらく前国王暗殺の疑いを掛けられた時に新聞に私の姿絵は載った事だろう。でもそれも五年前の事だ。だから私の容姿が分かるものは王宮の肖像の間に飾られた肖像だけだろう。
でも、心配する必要も無い事だ。
“肖像画の私は私以上に美しく描かれました。でも今の私は質素で色味の薄い幽霊です。公爵様には視えていないので分からないかと思いますが、きっと同一人物だとは思いませんよ”
肖像画は腕の良い宮廷画家が高い絵の具も気にせずにバンバン使って、装飾品も綺羅びやかに着けて美しく描かれている。今の派手さの欠片も無い白っぽく薄い私とは全然違う。似てる位にしか思われないだろう。
改めて自分の手を見た。色白な肌を通り越して、透き通っている。
…………ん?
ぼやけてはいたけど、透き通っていたかな?
公爵との話を終えて、一人離れの部屋に佇んでいた。片手を窓から差し込む月明かりに透かしてみた。手がいつになくキラキラと光り輝いて、眩しかった。




