1.はじめまして幽霊です
私は三年程前から幽霊をしている。別に望んだ訳では無い。ある日、ふと目覚めたら幽霊になっていたのだ。
性別は女。生きていた頃も、今も、女。そこそこ年老いていた筈だけれど、何故か幽霊になり若返った。多分三十代の頃の容姿だ。若い訳では無いけれど、まだ白髪も生えてくる前だし、顔のシワも目立たない。
いや、もしかしたら鏡に私の顔や姿がはっきり映らないからかもしれない。幽霊だからどこかぼんやりとしか映らないから、細かな老いの部分が分からないだけかもしれない。
まあ別に、それはそれで良い。例えそうだとしても若い頃に戻れたのだと思う方が良い。幽霊万歳。
幽霊になれて万歳なのかって?
勿論最初は驚いた。私だって叶うのなら死んで天国に行きたかった。苦しみの無い天国で平和かつ自由気ままに過ごせるのだと思っていた。地獄に行くような悪い事をした覚えも無かったし、私はどちらかと言えば天国に行けるのだと思っていた。でも死んで辿り着いたのは天国では無く、公爵家の離れだった。離れから出る事が出来ない幽霊となっていたのだ。
私は別に公爵家の人間では無かった。だから初めて見る部屋で、当初はここがどこだか分からなかった。でも時々訪れる男には見覚えがあった。爽やかな見た目の公爵は、数度会って会話もした事があったから。それでここが公爵家だと分かったのだ。
公爵が離れから出て行くのについて行こうとして、私は玄関で弾かれた。幽霊だから痛みは特に無かったけれど、玄関には扉を開け放たれていても見えない壁があった。それは窓も一緒だった。不思議な事に離れの壁は自由自在に通り抜け出来るのに、外壁は通り抜け出来ずに弾かれてしまうのだ。
離れから出る事が出来ない幽霊だった。何故かここに縛りつけられていた。
それでもそれが苦に思わないのだ。それはここが私にとって天国の様なところだから。ここには私好みの一室がある。落ち着いた色味の壁紙、柔らかで細かな刺繍入りのカーテンを纏める品の良いタッセル、清潔感のある寝具、アンティークで統一された家具、綺麗に磨かれた全身鏡、可愛らしい絵が描かれたリモージュ手鏡、ふかふかの毛並みのラグ……まだまだ言い足りない程に私好み満載の中、特にお気に入りなのがビスクドールだ。私は生前、ドレスを作る時にドール用に全く同じドレスも作って貰っていた程に、ドールに愛を注いでいた。予算に収まる様に私のドレスのグレードを下げてもドール用ドレスを作っていた程だ。
私の理想が詰め込まれた部屋だった。居るだけで心が満たされる思いだった。幽霊は食事する必要がない。風呂も入らない。ただこの部屋に居るだけで他に何もしないのに、好きな物に囲まれる空間に身を置くだけで十分幸せだった。まあ、置く身に実態は無いのだけれどね。幽霊だから。
好きな物に囲まれ、時々窓から公爵家の敷地の中を眺める日々。この離れには誰も住んでいない。時々公爵がやって来るだけ。その為に毎日使用人が清掃にやってくる。おかげで離れは綺麗な状態を保っていて、私も居心地が良い。
壁は自由に通り抜け出来るし基本的には物が体をすり抜けてしまうけれど、集中すれば物を持つ事が出来る様になった。修行の賜物だ。お陰でビスクドールで遊ぶ事が出来る様になったし、手鏡を持ってヘアアレンジを楽しめる様にもなった。
そんな日々に最近変化が起こった。可愛いお客が姿を現すようになったのだ。
それは小さな頭が二つ。公爵によく似た眩しい程に光を反射するブロンドだ。それがソロソロと徐々に上がって行き可愛いクリクリの目が四つ、窓の外から室内を覗こうと現れる。好奇心と若干の怯えを混じえた瞳は薄青色で、あっちこっちと動き回る。室内を観察しているのだろう。
初めは離れに近付く事も出来ずに遠目から観察していた。ジリジリと距離を詰め、三日目に一階の窓にまで辿り着いた。二人で勇気を振り絞り窓から室内を覗いたかと思えば、直ぐに二人で悲鳴を上げて逃げて行った。言っておくけれど、私は何も脅かしていない。
その翌日二人が腕を組んでビッタリと寄り添いながら再び窓辺にやって来た。「せーのっ」で息を合わせて窓から覗いた。でも小さい方は怖いからかちょっと遅れてた。そんな様子に思わずくすりと笑ってしまった。
おそらく二人は兄弟。まだ幼い。
私の笑いに合わせたかの様に再び二人は悲鳴を上げて逃げて行った。
この幼い子ども二人は、幽霊である私を認識しているのだろうか。何かを感じ取れるのだろうか。
そのまた翌日、二人はお互いを勇気付け合いながら窓から室内を覗いて来た。私は脅かさない様に陰でひっそりとしていた。クリクリの目を彷徨わせながら室内を観察して、暫くして走って逃げて行った。そんな日を数日繰り返した。
ほぼ毎日やって来た。もしかして私に会いにでも来ているのだろうかと自惚れてしまう気持ちが沸々と湧き上がり、思い切って二人の前に姿を現してみたいと思う様になった。
あんなに幼い子を脅かしてしまわないか、トラウマになったりしないか、いや、でも意外とすんなり受け入れてくれるかもしれない。いやいや、そもそもやっぱり私を認識出来ないんじゃないか……等など、あれこれ考えてしまったけれど、何度も会いに来てくれているお客にご挨拶もしないで失礼じゃないかと思い、二人に姿を現す事に決めた。
そして今日、また二人が窓を覗いて来たので窓の前に立ち視線を合わせた。
「はじめまして、こんにちは。私、幽霊です」




