第七話
パタパタ。
宙に浮いたモニター画面に、できあがった『植物サンプル』の細胞データを打ち込む。
今月はこれで五件目。
以前は草の一本もできなかった農場で、これはかなりの進歩だと言えた。
「最近、農場の成果が著しいわね」
「そうね。土壌の改良と気温変化の対策を強化したからかしら」
彼女は上機嫌でまとめた資料を見直す。自分で作り上げた完璧な実験結果に、何度見てもうっとりできると思った。
「でも、この栄養剤の配分はチーフにしては思い切ったわね。ずいぶんと苦労したんじゃない?」
「ううん。ここは農場の土の分析から“助言”をもらって、考察を繰り返して細かい実験をしたの。だから、小さいけど失敗の方がはるかに多いわ」
彼女の言葉に部活の女性はキョロキョロと周りを見回したあと、耳打ちをするくらいの声で話を続ける。
「チーフ、あの……『先生』は……?」
「今日もいるわよ。私たちが昼間に視察をしに行く時以外は、居てくれるって約束だもの」
彼女が『先生』と対面して、早二ヶ月が過ぎようとしていた。
「でも、いつも観る映像は『教師』ですよね」
「うん。いきなりプログラムが変わるのも変だし、他の研究員も不審に思うだろうから、今まで通り映像を弄っておこう……って」
「確かに。でも成果も上がっているし、彼も評価される対象になるのにねぇ……」
「彼、他人の評価って塵ほども興味無いみたいなの」
“評価? そんなもの要らないよ。自分は君の研究を見せてもらうついでに手伝っているだけ。それに好きなことっていうのは、誰かの陰に隠れてやるのが楽しいんじゃないか。政府なんかとは一緒には動かない。自分は無責任に自由に、研究結果の知識を蓄積させるのが面白くてやってるんだから”
そう、一気に捲し立てられた。
きちんと『教師』ではなく『先生』として表に出ればいいと彼女が言ったのだが、彼はそれを頑なに拒んだ。
――――犯罪者じゃないんだから、政府とも仲良く研究すればいいのに。あ、でも……あの人、上からの言うこと聞かなそうだな。
彼女はため息をつきつつも、ククッと思い出し笑いをした。
「…………ほんと、変わった人なの。普通を押し付けると、ぬるりと屁理屈でかわすから、だんだんこっちが馬鹿みたいになるわ。ふふっ」
「…………あら、まぁ…………」
愚痴を言っているように思えるが、口調は惚気を言っているように弾んでいる。
いつになく穏やかな顔で話す彼女に、部下の女性は意味深に口元の笑みを隠して視線を逸らした。
…………………………
………………
二ヶ月前。
彼女が『先生』と会った日。
畑から食堂へと移動したあと、『先生』と呼ばれる少年は彼女に温かいお茶を差し出すと、隣りのイスに座ってクスクスと笑い始めた。
『いや、もぅ……昼間に“飼育員”が荷台を押してきた時に、ものすごく複雑な顔してるから何事かと聞いたら「不審物が届いたぞ」って言うから笑っちゃったよ』
「ぶっ……!?」
危うく紅茶を吹き出しそうになった彼女は、言われたことを理解して顔を赤らめる。
「あ、あなたたち、箱に私が入ってるの分かってたの!?」
『だって、自分たちはプログラムだよ。赤外線温度感知が付いてるとか思わなかった?』
「えっ!? 人型のプログラムってそんなの付いてるの!?」
『いや、そんな機能付いてないよ。可能性として思ってただけ』
「…………………………………………」
笑顔で驚いた彼女の顔が、一瞬でガッカリした表情に変わる。それを見て『先生』が困ったように笑った。
『まぁ、とりあえずバレバレだったねぇ』
「うぅ……私からしたら渾身の策だったのに……」
『いきなりいつもと違うものが届いたら、警戒しないにしても気になるとは思わない? ご丁寧に“開けるな”なんて貼ってあるし』
「………………ぐむぅ……」
『あはは。でも、そこまでしてくれたから、自分も観念して君に会ってみることにしたんだし。無駄じゃなかっただろ?』
「そうよね……私、頑張ったもん……」
『うんうん。頑張ったね、偉い偉い』
「っっっ!?」
ポンポン。
不意に『先生』に頭を優しく撫でられ、彼女は耳まで真っ赤になって固まってしまった。
しかし、すぐに我に返って彼を睨み付ける。
「こ……子供扱いしないでくれるっ!? 私はこれでもこの施設の責任者なんだから!!」
『でも、君はまだ子供にしか見えないね。何歳だい?』
「……13才よ。10才から研究者をやっているわ」
『自分の外見年齢は15だよ。中身はもっと上だけど、それでも“生みの親”には子供扱いされる。自分からすれば、実年齢13才なんてよちよち歩きなんだよねぇ』
「失礼なっ!! あなたはそうでも、私はいつまでも子供だとは言ってられないの!!」
『…………言ってられないから、自分のとこに来たんだね。で? 君は自分に何をしてほしいの? ここに居るだけが望みじゃないんだよねぇ?』
「それは…………」
押し掛けておいて自らの言い分ばかり言っていることに、彼女は少なからず罪悪感を抱いた。しかし、施設にこっそり侵入しているこのプログラムにも非があるとして、改めて彼女の要求を伝える決心をする。
「あなたは、この農場がどんな施設か知ってて出現しているのよね?」
『あぁ、知ってるよ。“惑星に根付くための植物研究及び、それと同時に環境が人体に与える影響と人体の耐久性を高める可能性の探求”…………だったっけ?』
「だいたいは合ってる。あと付け加えると、“動植物の耐久性と能力を向上させる薬品の開発と試験”もある」
『要は、“生物、植物、生活環境、薬品を惑星で生きていくために開発改良する”でいいね?』
「うん…………まぁ……そう。あと、ついでに……食糧になる植物の研究もしてる……」
その“ついで”が、最近の主な仕事になってしまっていることを、彼女はあまり認めたくはなかった。
――――本当は、直接的に惑星に関わる仕事がしたいんだけど………………ん?
『…………………………』
じぃーーー。
『先生』が黙って彼女のことを凝視している。
「? なに?」
『ううん、別に。研究も忙しそうだなぁって』
「そ、そうね……」
一瞬だけ思案した彼女は、今思ったことを『先生』に見透かされた気分になって落ち着かなくなった。
「と……とにかく、あなたには私の手の届かないところを見てほしいというか……」
『つまり、“実験体”である子供たちと仲良くしてて、一日中農場で好きに動ける自分に、君の研究の手助けをして欲しい……で合ってるかな?』
「えぇ。私だと色々と警戒されてるみたいだし……」
『研究員なんだから、多少は仕方ないかもねぇ。時間もないうえに、君からする薬品の匂いが気になる子もいるみたいだから。それにひきかえ、自分なら君の代わりにいつでもデータも簡単に取れるだろうね』
チラッと『先生』が視線を向けた先には、食堂の窓の外で行儀良く座っているキツネのスイちゃんがいた。
――――薬品……だから私には吠えてきていたのか。
この先、スイちゃんに懐かれる確率がないことにちょっとだけガッカリする。
「じゃあ……私の研究を手伝ってくれるのね?」
『もちろん。こちらの“要求”も聞いてもらえたら、全面的に協力したいと思ってたよ』
『先生』は最初から彼女の狙いを解って言っていたようだ。話が早い。しかも、あちらにも得があるというのなら、彼女も『先生』を利用することを躊躇わなくて済む。
「要求は?」
『自分が君にしてほしいのは……』
「………………」
こうして、彼女と『先生』の協力関係が成立した。
…………………………
………………
そして現在。
時刻は昼過ぎ。
彼女は自分の机でひとり、研究結果をまとめる作業を続けている。
――――ほんと、面白いくらいに研究成果が出てる。その辺の大人の研究員よりも仕事が早くて恐れ入ったわ。
彼女が農場へ来ない間も、『先生』は子供たちや育てている植物の細かいデータを取って、いつでも彼女に渡せるようにしていてくれた。
ただ一つ彼の難点を上げれば、必ずデータを膨大な『アナログ』で手渡ししてくること。
表面が“紙”によく似た質感の“映像再生フィルター”という、手書きメモに使う記憶媒体に何百ページと綴ってくるのだ。
さすがにこれには彼女も「基本のデータソフトを使って欲しい」と言ったが、頑なに『文字はペンで書くもんだよ』と主張して譲らなかった。
仕方なくフィルターから映像で取り込もうとしたら、何故かメインのハードに落とすことができない。原因を調べたら、絶妙なバランスの“癖字”を読み取れなかったようだ。
なのでフィルターから、メインデータに移し替える時は彼女が全て、手動で打ち直さなければならなかった。
――――話し方とか、ちょっと変な人だとは思ったけど、まさか機械にまで拒否されるほどとは…………人型プログラムも同じ機械なのに気の毒だわ。
パタパタ……
これを移し終わったら、このフィルターは再び『先生』に戻して別のフィルターを受け取る。彼女がこの作業をしている間も、彼はデータを細かく記録している。
――――この作業は面倒だけど、今までやってきたことを確認しながら進めるのと同じなのよね。これまでも、読み飛ばしなんかもあったかもしれないな……。
フィルターに浮かぶ文字のひとつひとつは、決して汚く書き殴られたものではない。誤字や脱字も無ければ、大きさや列はきちんと揃えられ、彼女が打ち込むために読むのに労することはほとんどなかった。
――――これ、手で書くのにどのくらい掛かったんだろ?
ふと思い立って、デスクの引き出しからフィルターとペンを取り出す。
「よ…………っと……」
データの一文をフィルターに手書きで移してみる。直接文字を書くのは久しぶりだ。
研究者になってからは、メモなども直に書き込むことはない。ここの研究員が常に身に付けているバングルに、書記用の装置が内蔵されている。そこに映像や音声から勝手に文章化され、誤字脱字も自動で修正されてデスクの機械に記録されるのだ。
カリカリとフィルターの上でペンを走らせる。
「うわ……腕、痛っ…………」
文字が汚いわけではなかったが、筆圧は薄く何文字か書くと手が震える。普段から書き慣れていない証拠だ。
「こんなのを画面いっぱいに何百ページも書くの? はぁ……やっぱイカれてるわよ」
ため息をつきながら作業を進め、預かったフィルターを全て移し終わった。全てを移すのにだいたい三日は掛かる。
「まったく……私しか見ないフィルターをこんなにたくさん書いて……」
『先生』の文字は機械も読み取らず、何故か部下の女性も読みにくそうにしていた。
「私しか、この字は読めないのよね。ふふふ……」
フィルターの癖字を指でなぞると、何故かとても気分が良くなる。
――――明日は早めに行ってみようかな……子供たちにも会いたいし。
夕方ならば子供たちも起きていて、『先生』も夕食後の相手をしているはずだ。
いつだったか、子供たちにもみくちゃにされている『先生』を思い出して笑ってしまう。
「うん……こっちも言われてたおみやげがあるから、行っても良いよね?」
彼女は小さなビー玉くらいの大きさの球体を取り出す。
球体の中では、光るリボンのようなものがぐるぐると渦巻いていた。




