はじまりの村の私と勇者様の、はじめの一歩
その村は王都から遠く離れた深い森の入り口にあった。
小さな村には古くから魔王討伐を志す冒険者が訪れる。
『村を訪れし者が魔王を打ち倒す勇者となる』。
そんな言い伝えが残る地には、我こそが勇者だと数多の冒険者が訪れ、そして旅立っていく。
いつしか村は、彼らから『はじまりの村』と呼ばれるようになった。
真新しい薄い皮の鎧に身を包んだまだ幼さの残る少年。煌びやかな鎧を纏ったいかにもといった顔つきの青年。私は何人の勇者候補を見送っただろう。
その度に心の中で同じ言葉を繰り返す。
――貴方たちは、勇者にはなれない。だって、私は生きているもの。
彼らは知らないのだ。正しい言い伝えを。
『無惨にも村長の娘が魔物に命を奪われ、その光景を目撃した者が勇者として目覚める』。
そして、私は言い伝えにある村長の娘。
今世も前世もその前も。村長の娘として生を受け、そして勇者様が村を訪れる度に死んだ。
最初の勇者様の目前で、村長の娘だった私は腹部を貫かれ殺された。
言い伝えの始まりは、そこから。
何度めかの人生では、運命に抗おうと村から逃げ出そうとしたこともあった。
だけど、結末はいつも同じ。村からは逃げられず魔物に殺されるのだ。時には禍々しい角に貫かれ、時には鋭い爪で引き裂かれ、時には巨人に握り潰され、時には魔物の蹄に踏みつけられて。
そうやって永い時間を恐怖と絶望と共に繰り返し、やがて私の心はすべてを諦めていった。
そう。私は何度も何度も魔物に惨殺され、未来のこの村で新たな村人として生まれ変わっている。
勇者様は己の不甲斐なさに打ちのめされて、魔王を打ち倒すことを私の墓前に誓い旅立つのだ。
この村は常に貧しかった。これといった特産もない辺鄙な地で、細々と野菜を育てて暮らしてきた。
『村を訪れし者が魔王を打ち倒す勇者となる』。
いつの頃からか言い伝えは間違って広まっていった。
貧しさに嫌気がさした今世の村長は、言い伝えを信じて我こそはと勇者を目指してやって来る冒険者たちから金を巻き上げることを思いついた。
森には村人が協力すれば倒せる程度の魔物が住みついている。冒険者は森で肩慣らしに魔物を狩る。宿に泊まり、怪我をすれば薬草を買う。食堂や酒場で飲食し金を落とす。
時に村人は彼らの善意を利用し、無償で頼みを引き受けさせた。
さらに、森に落ちている木片に村の職人がそれらしい古代文字の聖句を刻んだものを『初代勇者様も携えた護符』と称して法外な値段で売り付けている。
かつての村人たちは、貧しくとも正しい行いをしていたのに。今世のこの村は腐り果てていた。
前世の私は燃えるような赤毛、焦茶の癖毛、そばかすだらけだったこともある。今世の私は、薄茶の髪と瞳。そして、右手の甲にはっきりと浮かぶ痣。
代々、村長の娘の身体に現れる三日月型の赤い目印は、妹の体にはない。
子供の頃、私の痣に気がついた村長である父は、私の首に奴隷具を嵌めた。
一見すると革製の細い組み紐に、黒い魔石が揺れるただの首飾り。
古くから罪人を村から逃亡させない為に使われていた物で、村の外へ出ようとすると首を締めつけられて呼吸ができなくなる呪いの込められたチョーカー。外せるのは父だけだ。
そんな物がなくても私は、この村から逃げるつもりなどなかった。ここが私の死に場所なのだから。
かつての村長たちは娘の死をただの悲劇だと悲しんだり、それが運命だと受け入れるだけだった。だが、父は歴代の村長たちが引き継いできた手記を読み、村長の娘の犠牲が勇者誕生の条件だと把握していた。その上で私を村に縛りつけた。
だから、私が自由に歩けるのは狭い世界だけ。村を囲う太い丸太の柵の向こう側にどんな世界があるのか、今世の私は見たことがない。
冒険者の中には、本来の言い伝えを知っている者もいる。愚かにも私を殺して魔物がやったと偽装しようと企む者も。
命を狙われたことも一度や二度ではない。けれど、勝手に私に死なれては困る村人が総出で撃退してきた。
私は魔物に襲われて死ななければいけないのだ。
カンカンカンカーン。
魔物の侵入を知らせる鐘が村に鳴り響く。
破壊された丸太の柵から現れたのは、艶のある黒い体毛に覆われた馬のような巨体を持つ生き物だった。
「ヘ、魔犬だ!」
「助けてくれ!」
慌てふためき逃げ惑う村人たちを赤い目がギロリと睨みつける。
低い唸り声を上げた魔犬の視線が私を捕らえた。
ああ、この瞬間が来たのだわ。
今世で私を殺すのは、この魔物。
勇者様はきっとこの近くにいる。あそこで剣を構える少年かしら? それとも、向こうで斧を振り上げる大男?
いずれにしても関係ない。私があの牙で引き裂かれるのを何も出来ずに立ち尽くし、ただ見届けるだけなのだから。
鼻をつく獣臭に何度目かの最期の瞬間が脳裏をよぎる。口から覗く牙はダラダラと涎を垂らし、ギラリと妖しく光る真っ赤な目。
魔犬の筋肉質な後ろ足が地面を強く蹴り上げ、鋭い爪が地面を抉る。次の瞬間、黒い巨体が私に向かって飛びかかってきた。
せめて苦痛が短いといい、そう願いながら目を閉じ終わりを待つ。
体が震えているのがわかる。諦めたはずの心が叫ぶ。
怖い。怖い、誰か助けて。
――ヒュン。
耳に届いたのは獣の息遣いではなかった。
風を切る甲高い音。
おそるおそる目を開けると、私の視界に飛び込んできたのは紺色の髪の青年の後ろ姿だった。
彼の向こうには魔犬が地面に崩れ落ち、赤黒い血を流している。
辺りが一瞬の静寂に包まれた。そして、次第に歓声が広がっていく。
「あの魔犬を一振りで仕留めやがった……!」
「もしや、言い伝えの勇者なのか?」
「いや、おかしいだろ。あの娘、殺されていないぞ?」
歓声に混じる村人たちの戸惑いと不満げな声に私自身も心の中で同意してしまう。
私が生きているのだから、彼は勇者様ではないのだ。
頭ではそう思っているのに、私は彼から目を離せないでいた。
私はこのはじめて見る後ろ姿を遠い昔から知っていた気がする。
青年が手にした長剣を鞘にしまいながら、ゆっくりとこちらを振り返った。黒の上着とズボンにすらりとした長身を包み、胸元を守る銀色の胸当てには無数の傷が刻まれている。
日に焼けた精悍な顔立ち。風に揺れる紺色の髪は無造作に伸ばされて、その隙間から覗く金色の瞳がまっすぐに私を射貫く。
彼は私の前に歩み寄ってきた。
「……この村で死ぬのを待つ必要はないだろう?」
低くて落ち着いた声はどこまでも優しい。
「私が死ななきゃ、勇者様が生まれないわ」
彼の声に導かれるみたいに、戸惑う私が絞り出した声は驚くほどか細く震えていた。
「魔王を倒しても、生まれ変わって君が殺されるのを何度もこの目で見てきた。……もう、あんな光景は見たくない。君が死ななくとも、間違いなく俺は勇者だ」
そんな、まさか……。彼も私と同じように勇者として何度も生まれ変わっている?
胸が、呼吸が苦しい。
「貴方も、繰り返しているの?」
「ああ、やはり君もそうなのか。幾度魔王を倒しても、俺が魔王に殺されても終わらない。最初の魔王が死の間際に遺した呪いのせいで、生まれ変わり勇者となるべく旅立ちこの村を訪れ、手も足も出せずただ少女が目の前で命を奪われるのを地べたに這いつくばって見ていることしかできない。あんな絶望は今世の俺で終わらせる。……ならば、はじまりを変えようと思ったんだ。その一心で、血が滲むような修行をしてこの村にやって来た。今度こそ君を救うために」
魔王の呪いによって繰り返し魔物に殺されてきたというの? 私の命が勇者様の覚醒の糧になると、運命を受け入れてきたのに。それに、彼も――勇者様も同じ絶望を乗り越えてきたの?
きっと胸当てに刻まれた数えきれない傷のひとつひとつが、勇者様の決意の表れなのだ。
「ともに行かないか? 君には自由に生きる権利がある、この村に縛られる必要はない」
ともに……? 村を出て自由に生きる? そんなこと今までどの人生でも考えたことがなかった。
だって、だって私はこの村で魔物に殺されなければ……私の命で世界が救われるのだから。ずっとそう思って来た。
「そんなの無理よ、私が生き残ったら誰が勇者になるというの? それに、この首のチョーカーもあるから……」
首元の黒い石に触れながらポツリと呟く。
「チョーカー?」
「これ、村の外に出たら呪いで息ができなくなる奴隷具なの。……村長の娘に村から逃げられたら村の皆が困るでしょ?」
チョーカーを見つめる彼の瞳は燦々と輝く太陽に似ている。きっと「希望」を色で例えるならこんな色なのだろう。
わずかに眉を寄せた彼の手が、そっと私の首に伸ばされる。
その指先が魔石に触れた瞬間、パリンと音を立て石が二つに割れた。
私の首を飾っていた細い組み紐が滑り落ち、彼の大きな手のひらに静かに収まる。
「ほら、これでどこへでも行けるぞ」
見上げた太陽みたいな笑顔に、この人こそが勇者様なのだと実感した。
身体が軽い。ああ、生きている。勇者様が目覚めても私、生きているわ。
理不尽な運命も、この人なら――同じ呪いを持つ勇者様なら変えてくれるのだろうか。もうここで死を待たなくていいの? もう、死ななくてもいいの?
私たちを遠巻きにして様子を伺っていた村人や何も知らない冒険者たちのざわめきの間を縫って、父が顔を真っ赤にしながら向かってくる。
「貴様、何を勝手な真似を! ソレはこの村に代々伝わる貴重な品なのだぞ!」
怒鳴り声を上げながら勇者様の手にあるチョーカーを力任せに掴み取った。
勇者様は動じることなく冷ややかな目で父を見下ろしている。
「まさか、村を出ていくつもりか? わかっているのか? おまえが死ななきゃ勇者が生まれないのだぞ。死ぬまでこの村から出さないからな!」
父の言葉に周囲が静まり返った。村人たちも何も知らない冒険者たちも、何事かと怪訝な表情を浮かべ成り行きを見守っている。
「勇者様ならたった今、誕生したわ。父さん」
父は目の前の彼が勇者様だとは予想だにしていないだろう。
だって、私が生きているのだから。
「は? 何を言っている! さてはこの男に騙されたな?」
怒り狂った父が私に向かって拳を振り上げた――けれど、振り下ろされる直前、勇者様がその腕をぐっと掴んで止めてくれた。
「貴様は冒険者を集めて散々儲けただろう。 『初代勇者も携えた護符』だったか? 我が子の首に奴隷具を嵌めて村から逃がさないなどと、実の親のすることとは思えん。もう彼女を自由にしたらどうだ」
勇者様の落ち着いたけれど冷たさを含んだ声が響き渡る。
腕を掴まれた父が痛みに顔を歪ませ唸り声を上げる中、村人たちから怒号が飛び始めた。
「ふざけるな! ソイツがこの村で死ななきゃ勇者が生まれないんだぞ」
「世界が滅んでもいいのか!?」
叫びながら村人たちが勇者様に飛びかかる。その背後には、狂気じみた村人たちの言葉に驚愕し固まる冒険者たちが立ち尽くしていた。
――ドンッ!
勇者様と私を中心にして、空気の渦が巻き上がった。
父の身体が宙に浮き、勇者様に飛びかかろうとしていた村人たちの上に落ちる。空気の渦が、折り重なるようにして地面に倒れ込んだ彼らを押さえつけた。
「悪いが、もう俺はここにいる。彼女が犠牲になる必要はない」
勇者様は静かに、それでいてこの場にいる全員の胸の奥深くに突き刺さるような鋭い声で告げた。
その堂々とした宣言に、誰もが彼こそが今代の勇者様だと悟っただろう。
「さあ、行こう」
そう言って歩き出した勇者様の大きな背中を、私は迷うことなく追いかける。
「おい、『初代勇者の護符』は偽物なのか!?」
「よくも俺たち冒険者を騙してやがったな!」
背後で冒険者たちが父や村人に詰め寄る声が聞こえてくる。きっと、もう冒険者たちから金を巻き上げることはできないだろう。
丸太で作られた柵を越え、村の外の地を踏みしめた。
これは自由への一歩だ。
私を縛りつける首輪は、もうない。私は、どこへでも行ける。
ずっと死ぬ日ばかり思い描いていた私が、生きる選択をしたのだ。少しの緊張と、それを覆い尽くすほどの興奮に胸が高鳴る。
私が何度も繰り返し生まれそして死んだ故郷を振り返ることは、一度もなかった。
見上げた空はどこまでも高く鮮やかな青。頬を撫でる風は優しい。足元の道は果てしなく続いている。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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