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瑠璃色の贖罪  作者: あんばたみや
瑠璃色のぬくもり
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2

 静かな機械音が、一定のリズムで空気を刻んでいた。白い天井。消毒液の匂い。薄く閉ざされたカーテン越しに、やわらかい光が差し込んでいる。


 無機質なベッドのそばで、瑠璃は椅子に腰掛けていた。背筋を伸ばしたまま、ほとんど動かずに。両手で、伊織の手を包み込むように握っている。細くて柔らかい、小さな手。けれど、逃がさないと決めたように、強く。

 瑠璃の柔らかい頬には、白いガーゼが一枚。テープで留められている。乾いた血の跡が、まだうっすらと残っていた。その視線は、ただひとつの場所に向けられている。


 ——伊織の顔。どれくらい、こうしていただろう。

 時間の感覚は、とっくに曖昧になっていた。ただ、「ここにいる」と決めてから、一度も目を逸らしていない。そのときだった。わずかに、指先が動いた。


 「……え?」


 確かめるようにもう一度、伊織の手が、確かに動いた。


 「……伊織?」


 声が震える。握る手に力が入る。伊織のまぶたが、ゆっくりと持ち上がる。光に慣れるように、ほんの少しだけ細められた瞳が、焦点を探すように揺れた。

 その瞬間、反射的に伊織の手が、わずかに離れようとする。その動きを、瑠璃は見逃さなかった。


 「……伊織っ!」


 かすれた声。指に力を込めて、ぎゅっと握り返す。逃がさないように。離れないように。堰を切ったように、声があふれる。

 「良かった……目、覚めたの……?」

 その声は、笑っているのか、泣いているのか、自分でも分からないまま揺れていた。視界が定まっていく中で、伊織の瞳が、ゆっくりと瑠璃を捉える。


 ——無事だ。その事実を、確認するように。まず、頬を見る。ガーゼ。小さな傷。一瞬、まぶたが伏せられる。はあ、っと小さく伊織が息をつく。安堵。それが、はっきりと表情に滲んだ。


 「……瑠璃」

 かすれた声。それでも、確かに私の名前を呼ぶ。

 「……痛い、か」

 最初に出てきた言葉が、それだった。瑠璃の喉が、ひくりと震える。

 「なんで…!」

 違う。違うでしょ。なんで。


 「こんなの、全然痛くない。大怪我したのは、伊織の方だよ。伊織が、守ってくれた。なんで私の心配ばっかりするの!」

 声が、少し強くなる。伊織は優しすぎる。

 「伊織の方が……!」

 言葉が、続かない。ぎゅっと、握る手に力がこもる。

 「伊織のおでこから、たくさん血が出てたの…。伊織、しんじゃうかと思った。」

 思い出した瞬間、息が詰まる。落ちてきた影。鈍い音。倒れる身体。

 「……怖かった。すごく、怖かった……。」

 もう、抑えきれなかった。視界が滲む。ぽろ、と一滴、涙が落ちる。その涙が、握っている手の甲に落ちた。温かい。伊織の指が、わずかに動く。今度は、離れるためじゃない。ゆっくりと、力を込めるように。握り返す。弱いけれど、確かな力で。


 「……わるい。怖がらせた。」

 違う。違うのに。そうじゃない。瑠璃は、首を振る。何度も。

 「違うの……」

 涙が、次々とこぼれる。

 「伊織が守ってくれて、本当にうれしかった…。でも、伊織が死んじゃうかと思ったの。そんなの、だめ。絶対にだめなの…。」


 声が震える。自分の命を顧みず、私を全身で守ってくれた。それが、瑠璃はとても怖かった。

 「……傷、たいしたこと、ない?」

 伊織が、静かに言う。視線は、瑠璃の頬に向いたまま。

 「跡も……残らない?」


 いつも自信満々な伊織が、すごく不安そうに言う。その言葉に、瑠璃は一瞬だけ息を止めて——

次の瞬間、くしゃりと顔を歪めた。


 「私は大丈夫。かすり傷だけだよ……」


 泣きながら、笑うような声。小さく、呟く。でも、その言葉は、ひどく柔らかかった。しばらく、沈黙が落ちる。ただ、手だけが繋がれている。離れないように。確かめるように。


 「あの、ね。伊織。ありがとう。」


 ぎゅっと、さらに強く握る。伊織が、わずかに目を開ける。その瞳が、少しだか不安そうに揺らぐ。


 「これからも、ずっと一緒にいてくれる?」

 伊織が、囁くような小さい声で、問う。瑠璃は、迷わなかった。

 「いるよ。」

 即答だった。


 「もう、瑠璃に触れてもいい?」

 伊織が震えながら、問いかける。その言葉に、驚いたように瑠璃が目を見開く。

 「なんで、触れないと思ってたの?いいに決まってる。」

 ほんのわずかに、口元が緩む。安心したように。

 「……良かった。瑠璃。ありがとう。」

 ゆっくりと、伊織のまぶたが落ちる。今度は、意識を手放すような静かな眠りだった。その手は、まだ、瑠璃の手を握ったまま。瑠璃は、少しだけ身を乗り出して。その手を、両手で包み込む。額を、そっと重ねる。


 「……これからも、ずっとよろしくね。」


小さく、囁く。誰にも聞こえないくらいの声で。静かな病室に、呼吸音だけが重なっていく。

繋いだ手だけが、確かな現実みたいに、そこにあった。


 俺の命など、あなたを守るためなら、投げ出したって構わない。この、輝くような宝石に、傷などつけてはいけない。俺が、守らなくては——。

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