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自宅に帰ってからの記憶は、ひどく曖昧だ。ただ、胸の奥だけが焼けるように痛かった。
「……伊織?」
母の声がする。いつもなら、振り向いて返事をする。今日保育園であったことを、ぽつぽつと話す。けれど、その日はできるはずもなかった。
「どうしたの?何があった?」
優しい声だった。それなのに。
——もう、だめかもしれない。その言葉だけが、頭の中で何度も繰り返される。赦してもらえなかったら。あのまま、もう、口もきいてもらえなかったら。もう、あの瞳が、自分を見ることはないのかもしれない。そう思った瞬間、堪えていたものが、一気に溢れた。
声をあげて、泣いた。取り返しのつかないことをしてしまった、という事実だけが、重くのしかかっていた。夕食は、ほとんど手をつけられなかった。何を口に入れても、味がしなかった。泣き疲れて、気づけばそのまま眠っていた。
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夢を見た。暗い、どこまでも続くような場所だった。その向こうに、光がある。あの瞳のような、まっすぐで、強い輝き。思わず手を伸ばす。
届きそうで、届かない。それでも、何度も、何度も、伸ばす。諦めることなど、考える余地もない。あの光が、俺にとっての唯一の光なのだから。けれども、触れることは絶対に叶わないのだ。気づけば、足元が崩れていく。光は静かに遠ざかっていく。
——だめ、いやだ!いかないで!
叫んだはずなのに、声は出なかった。
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はっとして、目を開ける。頬が濡れていた。息が、うまくできない。
「伊織?」
低い声がした。父だった。そっと、枕元に座る気配がある。
「どうした」
短い問いだった。それだけで、堰が切れた。
「……あのね」
声が震える。うまく言葉にならない。
「おともだちに、さわりたくて……かみに、さわったら…その、るりちゃん、はしってて…」
うまく説明できない。それでも、伝えなければいけない。
「ぼく、ひっぱっちゃって…そんなつもりじゃ、なかったのに……」
ただ、その輝きに触れたかっただけなのに。涙が落ちる。
「るりちゃん、ないちゃって……」
思い出すだけで、心臓を掴まれたような、息が止まるような苦痛。
「ぼく、もう、どうしたらいいか、わかんないの。」
絞りだすように、言った。
父は、少しだけ黙ってから、静かに口を開いた。
「そうか」
それだけだった。否定も、慰めもしなかった。ただ、受け止めるように。
「だったら、ちゃんと謝るしかないな」
まっすぐな声だった。
「誠心誠意、謝る。それだけだ」
俺は、小さく頷いた。それしか、できない。それしか、許されない気がした。
朝になっても、気持ちは変わらなかった。むしろ、強くなっていた。
「あさごはん出来てるよ」
母の声に、首を振る。
「いらない」
「少しでいいから、食べなさい。昨日の夜ごはんもほとんど食べてないし、お腹すいたでしょ」
「……いらない!」
珍しく、強い口調だった。
「ほいくえん、いく」
「まだ早いよ」
「いくの!」
それ以上、何も言えなかった。母は困った顔をしたが、やがて小さくため息をついて、……わかった。と、言った。




