第79話 ゴブリン王討伐 ― 撤退
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私にガソリンをください!!
戦線からの撤退が完了した後も、探索者たちの行軍は終わらなかった。
敵影が完全に振り切れたと判断された地点から、さらに――約8時間。
夜の帳が下り、草原の冷気が肌に刺さる中、探索者たちはただひたすら走り続けた。
もはや隊列と呼べるものはなく、塊になりながら、互いの存在を確認し合うだけの移動だった。
転倒する者もいれば、仲間に肩を貸されながら進む者もいる。
それでも、誰一人として歩みを止めなかった。
「……あと、少しだ……」
誰かの呟きが風に溶ける。
だが、止まれる者はいない。
もしも、ここで減速すれば――
もしも、ここで足を止めれば――
再びゴブリン王が追撃してこない保証は、どこにもなかった。
やがて、闇の向こうに淡い光が滲む。
――ゲートだ。
第3層の入口ゲート。
人類側の領域と、地獄のような戦場とを分かつ境界。
それを視界に捉えた瞬間、誰からともなく吐き出すような息が漏れた。
「……着いた」
その一言が、どれほど重かったか。
ゲートをくぐり抜けた瞬間、緊張の糸が切れたように、何人もの探索者がその場に崩れ落ちた。
膝から倒れ、仰向けになり、天井を見上げる。
移動時間、合計およそ15時間。
途中の戦闘、逃走、再展開を含めれば、肉体と精神の消耗は計り知れない。
誰もが、限界だった。
* * *
ゲートを抜けた途端、休憩スペースの一角がやけに明るい。
見れば、リエントリー組がわらわらと手を振っている。
「おかえりー! 生還組!」
「こっちは先にシャワー浴びといたぞ!」
「思った以上にボロボロだな」
妙にフレッシュな笑顔。
肌ツヤもいい。
なんなら、ちょっと髪のセットまで整っているやつまでいる。
(……いや、なんでそんな元気なんだよ)
理由は単純だ。
このメンバーはほとんど全員、過去に何度も――死んでリエントリーエリアに飛ばされる、という体験を済ませている。
初回こそ肝を冷やしたが、回数を重ねれば「いつもの緊急帰還ボタン」くらいの感覚になる。
心身へのショックも、もう慣れたものだ。
結果として、今回リエントリーした組は、
「最初の行軍7時間+戦闘」で安全圏に帰還。
そのまま回復して、軽食まで済ませている。
一方の生還組はというと――
「最初の行軍7時間+戦闘+退却の行軍8時間」というフルコース。
合計15時間のラン&バトルだ。
足は棒、体力は空、顔色も悪い。
「おつかれー」
「くっそ、早々に離脱しやがって!」
「俺もしたくてしたわけじゃねぇよ」
生還組がふらふらとベンチに腰を落とすと、リエントリー組がテキパキ介護に回る。
タオル、飲み物、甘い物。
ついでに「背中流しましょうか?」まで出てきて、さすがに断った。
「……なんか負けた気がする」
冗談なのか、それとも本音なのか分からない笑いが、力なく漏れる。
生き残った者たちは、全身に重石をつけられたような疲労を抱えていた。
足は鉛のように重く、体力も底を突きかけている。
直哉も例外ではなかった。
身体強化を切ってしばらく経つのに、筋肉の内側に熱が残り、呼吸するたびに肺の奥が痛む。
バットを支えに立ってはいるが、手放したら、そのまま座り込んでしまいそうだった。
(……生きて帰れたな)
その実感が、じわりと胸に広がる。
* * *
探索者全体への指示は、極めて簡潔だった。
「――皆さん、ご苦労様でした、まずは休んでください。
情報については我々のほうでまとめておきます」
ダンジョン課職員の声に、異論は一切出なかった。
むしろ、誰もがそれを待っていた。
「明日、集まれる人は集まってください」
職員は続ける。
「今回の戦闘について、情報の整理と共有を行います。
ただし……300人が一斉に話し合っても、まとまりません」
全員が黙って頷いた。
それは、誰の目にも明らかだった。
「ですので、まずは小隊ごとに整理します。
各小隊には、それぞれダンジョン課の職員をつけ、進行を補助させていただきます」
探索者たちは、それぞれの小隊に戻り、散会する。
ようやく、本当の意味で――戦闘が終わったのだ。
* * *
翌日。
全員が集まれたわけではない。
疲労が抜けきらず、欠席する者も珍しくなかった。
それでも、小隊ごとの情報整理は順調に進んだ。
誰がどこで何を見たか。
ゴブリン王や軍隊の行動パターン。
異常な回復・強化の仕組み。
戦力配分の問題点。
報告は錯綜しつつも、最終的に、議論は2つの焦点へと収束した。
1つ目――
現存戦力で、ゴブリン王を打倒するのは極めて困難であること。
この点については、ほぼ全員の意見が一致した。
正面から削れば回復され、雑兵を無視すれば背後を取られる。
能力者が全力を投入しても、決定打に至らない。
そんな声が、あちこちから出た。
「次回は――4層の魔素能力者も動員します」
職員が淡々と告げる。
それは、事実上の戦力不足の宣言だった。
悔しさを見せる探索者もいたが、誰も反論しなかった。
むしろ、当然の判断として受け止められていた。
そして2つ目。
ゴブリン王が、特殊個体な可能性が高いこと。
流暢な言語。
明確な怨嗟と目的意識。
「喋るモンスター自体は、過去にも報告例はある」
「でも、あそこまで“整理された思想”を持っている個体は……」
議論は慎重になった。
確かに、重要な問題だ。
だが――
「とはいえ、倒さなければならない相手であることに変わりはない」
第3層の魔石の供給が止まり、経済的損失がすでに出始めている。
ゴブリン王が生きている限り、被害は拡大する一方だ。
「疑問や背景を考えるのは大事だが……」
「今は、早期討伐を優先すべきだ」
最終的に、その話題は“保留”となった。
倒す。
まずは、それが最優先だ。
* * *
夜。
簡易ベッドに身を沈めた直哉は、天井を見上げたまま、しばらく動けずにいた。
身体の疲れもある。
だが、それ以上に――頭が冴えている。
(……ゴブリン王との戦い)
瞬閃四連撃。
確実に通った、はずだった一撃。
「攻撃力が……まだ足りないよな」
『補う方法はあります』
イチカの声が、静かに響く。
『分体生成を組み合わせることで、瞬間的な出力を更に引き上げられます』
「アバターを?」
『はい、そうです。
現在、アクセルバーストは4連撃ですが、超巨大ゴーレム戦で見せたように、分体生成による腕の増加。
これにって、6連撃に増やすことができます』
「たしかに!」
「あとさ、あのゴブリン王。
なんか俺たちに恨み持ってたよな。
記憶があるってことなのか……?」
『現時点では、わかりません』
イチカも、少し言葉を選んでいるようだった。
『ただし――情報の収集は可能です。
次までに、可能な限り整理します』
「あぁ、頼んだ」
直哉は目を閉じる。
その直前――
ほんの一瞬だけ、イチカの反応が遅れたような気がした。
違和感。
ほんの些細な、引っ掛かり。
「……気のせい、か」
直哉はそうして、意識を眠りへ落とした。




