第196話 血に染まる精霊
気づいたら主人公がまったく登場しない話になってた。
ということで、敵方がメインの話しは断章とし、話数を振りなおしました。
断章はメインの話しと同時並行、という感じです。
本日も断章とメインの話しをアップしています。
崩れ落ちる血の壁が、頭上を覆い尽くした。
「みんな、こっちだ!」
陽平が叫び、木刀を掲げる。
腰の壺に触れながら、声を張り上げた。
「精霊顕装——水操:顕装弐式 跋難陀!!」
足元の水紋が一気に広がり、淡い水色の光が噴き上がる。
水の蛇が幾重にもとぐろを巻き、4人を包み込むドーム状の盾を形成した。
直後、津波が着弾した。
ドオオオオンッ!!
衝撃が広間全体を揺らす。
盾の表面が軋み、水が悲鳴のような音を立てた。
天井まで届いていた血の壁が、盾の丸みに沿って左右へ割れていく。
飛沫が四方の壁や柱を叩き、石が軋む音が重なった。
直哉たちは盾の内側で身を寄せ合い、耐えるしかなかった。
「うぐっ……!」
陽平が歯を食いしばる。
両腕に伝わる圧が、これまでとは比較にならない。
* * *
だが、異変はそこで終わらなかった。
盾の表面に、赤黒い染みが滲み始めたのだ。
血が水の膜へ絡みつき、じわりじわりと内側へ這い込んでくる。
(うぐ、これは難陀が侵食された、あの感触と同じ……!!)
「まずい、このままじゃ!」
陽平の声が上ずった。
血が水蛇の鱗を溶かすように広がっていく。
盾全体が赤く濁り始め、津波を押し返す力が目に見えて弱まっていく。
盾の向こうで、マグナス伯爵の声が愉しげに響いた。
「くはははは、あがけあがけ!」
盾の一部が、まるで消化されるように薄くなっていく。
水蛇の鱗が一枚、また一枚と血に呑まれ、輪郭が崩れ始めた。
「陽平、耐えられるか!」
直哉が叫ぶ。
「わかんね、けど——」
陽平は腰の壺を強く握った。
水の精霊へ、ありったけの魔素を流し込む。
「食われてたまるかよ!!」
* * *
その瞬間だった。
侵食していた血が、水の精霊に呑み込まれるように反転した。
消えたのではない。
溶け合ったのだ。
水色だった盾の光が、赤黒い脈を纏いながら禍々しく輝き始める。
水蛇の目に、赤い光が灯った。
『水の精霊に異常な魔素反応。……いえ、これは変質です』
水の精霊の体表に、赤黒い紋様が血管のように浮かび上がる。
目は爛々と赤く光り、穏やかだった水の精霊が、まるで別の生き物へ変わったようだった。
血を取り込んだ精霊が、それまでとは比較にならない力を放っていた。
盾を突き破ろうとしていた津波が、逆に押し返し始める。
「うおおおおおおっ!!」
陽平が咆哮じみた声を上げた。
盾がドーム状から一気に膨れ上がり、津波を四方へ弾き飛ばす。
ドバァンッ!!
血の壁が四散し、広間中に赤い飛沫が降り注いだ。
* * *
静寂が戻った広間で、陽平は肩を大きく上下させていた。
目の奥に、まだ赤い光が残っている。
「陽平、大丈夫か」
直哉が声をかけると、陽平は牙を剥くように笑った。
「大丈夫すぎるくらいだ……なんか、変な感じがする」
いつもより荒っぽい口調だった。
木刀を握る手にも、無意識の力みがある。
『陽平の精神状態に軽微な興奮傾向を確認。
精霊の影響と推測されますが、戦闘に支障はないと判断します』
「上等だ、そのまま行くぞ!」
陽平が木刀を担ぎ直し、真っ先に駆け出した。
その勢いに、直哉たちが一瞬遅れる。
「おい、陽平のやつ、なんか目つき変わってねえか」
武虎が小声で真弓に耳打ちする。
「今はそれよりワガハイ老害だ!」
真弓もまた、陽平の背中から目を離せずにいた。
* * *
マグナス伯爵が本気を見せてからの戦いは、これまでとは別物だった。
槍が空気を裂き、血の塊が絶え間なく飛来する。
4人は防戦と反撃を繰り返し、押しては押し返される攻防が続いた。
武虎の拳が肩を砕けば、マグナス伯爵の槍が武虎の脇腹をかすめる。
「ちぃっ、キリねえな!」
武虎が血の滲む脇腹を押さえながらも、足を止めない。
真弓の魔素弾をばらまき、その反撃にマグナス伯爵の血塊が真弓の頬を裂く。
「アタシに射撃で勝てるとでも!?」
真弓は頬の血を拭う間も惜しんで、次弾を装填した。
陽平の赤黒い難陀が胴を締め上げれば、マグナス伯爵の笑いが一段と深くなる。
「くはは、いい目をしている。
もっとだ、もっと見せてみよ!」
イチカは直哉のサポートをしながら、全員の調子を観察し続けていた。
誰か一人が崩れれば、そこから連鎖する。
そうならないよう、フォローを送り続ける。
一進一退。
どちらかが優位に立ったと思う間もなく、形勢は入れ替わり続けた。
削った傷はすぐに塞がり、受けた傷は確実に体力を奪っていく。
消耗戦の色が、じわりと濃くなっていた。
* * *
戦闘の合間、イチカがふと違和感を口にした。
『直哉、1つ報告があります』
「今か、あとにしろ!」
『重要です。
血のプールの水位——正確には量が、開戦時と比較して明確に減少しています』
その言葉に、直哉は一瞬だけ意識を広間全体へ向けた。
言われてみれば、足元の血の深さが心なしか浅くなっている気がする。
「減ってる……? 何度もあんだけ使ってんだから、当たり前じゃねえのか」
武虎が槍を弾きながら言う。
『いえ、伯爵が再生に使用した量以上に消耗しています。
攻撃と回復の両方に血を消費している可能性があります』
(このプールが、伯爵の回復の源だとしたら)
「待てよ、じゃあ……」
陽平が息を切らしながら振り返る。
「このまま削り続ければ、そのうち補充が追いつかなくなるってことか?」
『可能性はあります。
ただし、プールの総量が不明なため、確実とは言えません』
「不明でも十分だ」
直哉はバットを握り直し、伯爵を睨みつけた。
もし、この血が尽きたとき——伯爵は、これまでのように傷を癒せなくなるのではないか。
長期戦は望まない。
だが、勝ち筋が見えたのなら話は別だ。
「みんな、聞いたか。
あの再生能力、無限じゃねえかもしれない」
直哉の声に、3人の視線が集まる。
疲労で重かった体に、新しい火が灯った。




