第98話 アイテムバッグ
是非、ブックマークか評価を。
私にガソリンをください!!
光が収まると、石造りの薄暗い空間が広がっていた。
「ここは……?」
足元は冷えた石畳だ。壁も天井も、くすんだ灰色の石。
どことなく湿り気を帯びた空気が、鼻を刺す。
『地獄門の先の階段に転移しました。
自宅に転移することも可能ですが、入出管理をされている可能性がありますので』
ああ、なるほど。
転移門でいきなりダンジョンの外に出てしまうと、管理側が首をひねることになる。
ゲートを通らずに地上に現れた人間の記録が残るのだ。
「なるほど」
階段の壁は、下に行くほど装飾が増えていた。
骸骨を模した浮き彫り、腕を伸ばす怨霊のような彫刻。
さっき散々見た光景なのに、改めて眺めると趣味が悪いなと思う。
後ろを振り返ると、武虎、真弓、陽平の3人も揃って周囲を確認していた。
「戻ってきたな」
武虎が言う。
「うん。ちゃんと同じ場所だ」
陽平がほっとしたように息をついた。
「良かった……イチカさん、ありがとうございます」
『いえ、当然のことをしたまでです』
真弓が階段の上を見上げる。
「とりあえず3層へ。話はそれから」
* * *
石段を上り、地獄門をくぐると、見慣れた草原の空気が広がった。
「おぉ、3層だ。本当に戻ってきた」
空が高い。
風が草を揺らし、遠くのゴブリンの砦の輪郭がぼんやりと霞んでいる。
アル・テラスの森の匂いとも、石段の冷気とも違う、いつもの3層の空気だ。
なんというか……ほっとする。
見慣れた場所って、やっぱりいいもんだな。
武虎が大きく伸びをした。
「よし。とりあえず外に出ようぜ。
んで、明日また集まって親父に相談だな」
「賛成。色々整理してから話した方がいい」
真弓が頷き、陽平もうんうんと首を振る。
俺はちょっと思い出したことがあって、歩きながら口を開いた。
「なあ、みんな。ヤスにも異世界のこと話しておきたいんだけど、いいよね?」
3人の足が一瞬止まる。
真弓が少し考える顔をしてから、「まあ、もう4人も知ってることだし」と肩をすくめた。
「ああ、もちろん」
「俺も大丈夫です」
武虎と陽平が続けた。
「サンキュ。じゃあヤスには俺から話す」
* * *
3層を戻る足取りは、行きと比べてどこか軽かった。
先日まではゴブリン王のイベントがあって、草原を進むたびに緊張を強いられていた。
それが今は、視界を横切るゴブリンが1体いたところで、4人全員が「あ」と気づいた瞬間に真弓が撃って終わる。
なんか、頼もしいな。このパーティー。
2層、1層と順に抜けていき、ゲートの前に辿り着いた。
全員がカードをかざし、淡い光に包まれた。
* * *
地上に出た瞬間、ふつうの昼間の空気が肺に入ってきた。
「ふー……なんかこう、変にドキドキするな」
武虎が苦笑した。
「あー、わかる。異世界から帰ってきたのに、外に出たらいつも通りの街だしな」
確かに。
道路があって、車が走っていて、コンビニが見えて。
数時間前まで中世ファンタジーの街にいたとは思えない。
「明日はトラの親父さんのとこだよね?」
「おう。多分昼前がいい。向こうも都合あるから連絡してみる」
俺と武虎を交互に見てから、真弓が口を開いた。
「清閑寺家も動く。いい?」
「え?」
「うちも探索者の伝手を持ってる。
国側に動いてもらうには、それなりにルートが必要」
ああ、そういえばそんな話をしていたか。
「ああ、そういえば言ってたな。サンキュ、助かる」
「んじゃ、次潜る時が決まったらまた連絡するよ」
「わかった」
「またね」
真弓と陽平が並んで歩き出す。
武虎も手を振ってから、反対方向に歩いて行った。
俺はしばらくその背中を見送ってから、スマホを取り出した。
まだ昼過ぎだし、ヤスに連絡すっか。
発信ボタンを押すと、2コール目で繋がった。
「ナオヤ氏! いいところに! とうとうできましたぞ!!」
「ヤス、やばい、大事件だ!!」
……2人同時だった。
「あ」
「あ」
しばらく沈黙が続き、そして俺は思わず吹き出した。
「先に言えよ、ヤス」
「いえいえ、ナオヤ氏こそ。大事件とはなんですか」
「まずヤスのをきかせろ。なんかできたんだろ」
「そうなのです! 本当にできましたぞ!!」
電話越しでも興奮が伝わってくる。
「まじか! アイテムバッグ!?」
「ええ、そうです! ついにできましたぞ!」
「おお、すげーー! 今から取りに行ける?」
「ええ、もちろんです。ラボに来てもらってもよいですかな?」
「おう、行く行く!」
* * *
電車を乗り継いで、ヤスが指定した住所へ向かう。
繁華街からひとつ外れた通りに、古いが清潔感のある雑居ビルが建っていた。
インターホンを押すと、すぐにドアが開く。
「いらっしゃいませ、ナオヤ氏」
ヤスが廊下の奥から手招きする。
見慣れた長髪と飄々とした顔。
でも、今日はどこかいつもよりテンションが高い。
目もキラキラしている。
「ここがヤスの秘密基地か」
間取りはふたつに分かれていた。
入ってすぐのフロアには机と椅子が並び、モニターが何台も置かれている。
広さは50平米ほどだろうか。
整理されているが、棚には本と資料がびっしりだ。
「いひひ、いいでしょう。
あまり派手なことはできませんが、大抵のものは揃えましたぞ」
奥のドアを開けると、さらに広い空間が広がった。
床はコンクリートむき出し、棚には機材や部品がずらりと並んでいる。
天井が高く、照明が煌々と照らしている。
「こっちが実験フロアか」
「そうです。100平米ほどあります」
高校生がビルの一角を借りている。
改めて言葉にすると、だいぶぶっ飛んでいる幼なじみだ。
「で、で、で! アイテムバッグ見せてくれよ!」
実験フロアの棚をあれこれ眺めながら、俺は我慢できずに促した。
「そうでしたな! これです」
ヤスが取り出したのは、ごく普通のショルダーバッグだった。
黒地で金属製のバックルがついた、どこにでも売っていそうな既製品だ。
「……これ?」
「ひひ、見た目は重要ではありません。
さあ、ナオヤ氏。持ってくだされ」
ヤスに手渡されたバッグは、軽い。
素材の軽さじゃなくて、文字通り何も入っていない軽さだ。
「ここに」
ヤスが棚から2リットルのペットボトルを取り出し、バッグの中に押し込む。
「……あれ」
重さが変わらない。
正確には、ペットボトルを入れたのに、持った感覚がほとんど変わらない。
「重さが全然ない……」
「でしょう! ドンドンいきますぞ!」
ヤスはにこにこしながら、次のペットボトルを入れた。
そのまた次も。また次も。
1本、2本、3本、そして5本、10本。
バッグは見た目が少し膨らんでいくが、俺の腕にかかる重さはほとんど変わらない。
「…………」
どんどん入れていく。
ヤスが倉庫の奥から追加を出してくる。
そしてついに、20本目あたりでバッグが満杯になった。
「ふふふ。どうですか?
元の容量の約5倍まで拡張ができるのです。しかも重さはゼロ」
20本×2キロ=40キロ。
普通ならショルダーバッグで持てない重さだ。
それが、片手で軽々と持ち上げられる。
「すげー、すげーよヤス!!」
「よくある時間停止や大きさ無視は実現できていませんが、ようやく実用的なものができました」
ヤスは照れているのか、少し目を細めながら言う。
「十分すぎるだろ、これ!」
俺はバッグを受け取り、中身をひっくり返した。
ゴロゴロゴロゴロ……ガラガラガラ。
ペットボトルが床に転がりまくる。
「ちょ、ちょっと、ナオヤ氏!?」
「もっかい!」
転がったペットボトルを拾い、また入れる。
また出す。また入れる。
何度やっても重さがゼロだ。
なんだこれ、楽しすぎる。
「ひひひ、いいでしょう」
ヤスが苦笑している横で、俺はしばらくバッグの出し入れを繰り返した。
ダンジョンの中でこれがあれば、どれだけ魔石を持ち帰れるか。
食料も、発明品も。
何がどれだけ詰められるか想像するだけで、色々な可能性が浮かんでくる。
「すごいな、これ。本当に」
「むふふふふ」
ヤスが嬉しそうに目を細めた。
「それでナオヤ氏。
ナオヤ氏も大事件とか言ってませんでしたか?」
そうだった。
俺もあったんだ。
「あー、そうだ! 俺のもやばいんだって!!」
俺は勢いよく立ち上がった。
「ヤス、見てくれ」
部屋の隅を見る。
何もない空間。床と壁が交わる角だ。
(『転移先の指定、問題ありません』)
俺は転移門を発動した。
空中に、1人分の人間がくぐれるくらいの光の輪が浮かぶ。
「ま、まさか……ワープでござるか!?」
ヤスの声が裏返った。
長髪が揺れるほど前のめりになっている。
「おう!」
俺はそのままするっと転移門を潜った。
一瞬で、部屋の反対側に出る。
「!!!!」
ヤスが声を失っていた。
目が大きく開かれて、口が半開きになっている。
あの口数の多いヤスが黙っている。
これは相当だ。
「すごい、すごいでござるよ、ナオヤ氏!」
「しかも、俺と一緒なら他の人もできる。ほらヤス」
俺はもう一度転移門を開いて、ヤスに手招きした。
ヤスは一瞬だけ躊躇い、そして「えいっ」と言いながら俺の後についてきた。
2人で転移門を潜る。
ふわっ、と。
一瞬で、さっきいた場所に戻った。
「…………すごいでござる」
ヤスはしばらく自分の手のひらを見ていた。
手のひらに何も書いてないのは知ってるけど、それでも確認したくなるような気持ちは分かる。
「これは会津で見つけた研究書と関係が?」
『それもありますが、きっかけは違います』
静かな声が、部屋に響いた。
ヤスが驚いてあたりを見回す。
「え、今の女性の声は……?」
俺はちょっと得意げに言った。
「はっはっは、もう一つ報告だ、ヤス。
俺の相棒、イチカだ」
『初めまして、安田様。
私はSU-001、イチカといいます。
直哉の探索支援を担当しています』
「な、なんと……!」
ヤスは目をパチパチさせながら、天井というか虚空というか、イチカの声が来た方向に向かってお辞儀した。
「まさか、そんなことになっていたなんて……さすがナオヤ氏ですな」
「おいおい、これは前座だぜ。本命は違うんだ」
「なんでござるか?」
俺は一呼吸置いた。
溜めた。
少しだけ溜めた。
「なんと、異世界に転移できまーす!」
「え? いやいやいや、ナオヤ氏。さすがにそれは……」
ヤスが目を細めて俺を見る。
10年来の幼なじみの顔を、読もうとしている顔だ。
冗談を言っている顔ではないと分かったのだろう。
「本当なのでござるか?」
「まじまじ。おおまじだ」
「なんと……」
ヤスは窓の外を見て、また俺を見た。
その目に、じわじわと何かが灯り始めていた。
「それはもしかして……拙者も異世界に行けたり……?」
「行ける」
「なんとなんとなんと! すごいでござるな、ナオヤ氏!!」
ヤスが両手を挙げた。
「だろだろだろ!」
俺も思わず同じテンションで返してしまった。
しばらく2人でわーわー言い合い、ひとしきり騒いでから、ヤスが少し落ち着いた顔で聞いた。
「しかし……無制限なのですか?」
「いや、魔素を使うから、今のところは往復するなら1日4人までだ。一晩休むなら1日8人ってとこだね」
「おお、素晴らしいですな! 十分に実用的です」
ヤスが頷き、もう一度俺を見た。
「ナオヤ氏」
「なんだ」
「私も行きたいでござる。いますぐ!!」
鼻息が荒い。
目がキラキラしている。
いや、まあ……そうなるよな。
「なあ、イチカ。どう思う?」
『行くのであれば、念のためラグナの外に転移したほうがよいです。
先日は町を出てから転移しましたので』
「そうだな」
『それと、安田様は入場料がかかります。
今後のことも考え、換金できるものを揃えてから行った方がよいでしょう』
ヤスが「なるほど」と頷く。
入場料というのは現地で使える金のことだ。
日本円はそのままでは使えない。
「よし、ヤス。とりあえず買い物だ!
向こうで売れるもの揃えてから行くぞ」
「わかりましたぞ!」
「アイテムバッグを2つ持っていきましょう。100キロぐらい持ち運びできますぞ」
「おお、いいなそれ!」
俺は考えた。
向こうで売れるもの。
アル・テラスは魔石の技術は発達しているが、現代日本の食文化はない。
あの宿での食事を思い出す。
悪くはないが、調味料の種類は圧倒的に少なかった。
「調味料がいいと思う。
向こうはまだあんまりないから」
「なるほど、素晴らしい着眼点ですな」
ヤスは実験フロアの棚から2つ目のアイテムバッグを取り出しながら、目を輝かせた。
業務用スーパーで、醤油、みりん、酢、ごま油、砂糖、塩。
追加で出汁パック、乾燥昆布、鰹節、鷹の爪。
思いつく限りの調味料をカゴに放り込んでいくと、ヤスも負けじとあれこれ追加していく。
アイテムバッグの口が膨らんでいく。
重さはゼロ。
2つのバッグに調味料を詰めながら、俺は少し笑っていた。
数時間前まで異世界を歩いていたのに、今は業務用スーパーで調味料を爆買いしている。
なんか、こういうの悪くないな。
「じゃ行くか、ヤス」
「はい! 参りましょう、ナオヤ氏!!」
ヤスの目が、ランランとしていた。
こういう顔をするヤスは、大抵とんでもないものを作るか、とんでもないことをしでかすかのどちらかだ。
今回はきっと、両方だろう。




