最終話
最終話です。
結界を乗り越えて、街に近づくといつものさざめきが当たりを賑わせていた。以前と同じ。いや、少しだけ違う。酒樽を運ぶ荷馬車がエヴリンの横をのんびりと過ぎていき、街角で止まった。本来なら、ここでエヴリンがあの角から飛び出して馬に跳ねられるのだ。
でも今回は違う。エヴリンは離れたところからそれを確認し、厳つい男は無事酒樽を荷馬車から降ろして納品していく。杖をついた老婆は無事道を渡り、露天商は何事もなく店を閉めた。
その向こうに見えるのは、困惑顔で辺りを見渡す馬上の騎士様。
ゆっくりと近づいていくと、目が合った。やっぱりエヴリンを探していたようだ。見開かれた目が、過去を知っていると物語っている。
巻き戻りを確信したエヴリンはにっこりと笑顔を見せた。
「そう何度も殺されませんよ」
馬上の騎士は驚きに目を見張る。ごくりと喉を鳴らし、馬上からエヴリンを見下ろした。
「…その髪は、どうした?」
「ちょっと理由があって切りました」
「……君の、母上は」
「ええ、おかげさまで元気です」
「……そうか。いや、では、なぜ、」
「知りたいですか?時間を操る第二王子様」
金髪の王子様はギョッとして、僅かに目を開いたが僅かに頭を振り、馬から降りる。
「いかにも。私は、ウォレスという。君は?」
「エヴリンです。私、薬師の娘なんです。結界の外で暮らしています」
「知っている。だが結界の外は人が住めるような環境ではないはずだ」
「厳しいですけど、住めますよ。森があればもっと豊かになるはずです」
「……森には魔獣が住む。危険極まりないだろう?」
「ふふっ。まあ、森が深ければそういうこともあるでしょうね。でも森が大地を作り、水をきれいにし、空気を正常にする。空気と水と大地が整えば、獣も鳥も人間も、精霊も住みやすい土地になり、人々の免疫力や病気などに対する耐久力も上がるんです」
「…この国に森はないが、皆生きているぞ?」
「あなた方の住んでる世界はね、外気に漂う魔素を吸収して作られているんです」
「……っ」
ウォレスが息を呑む。おそらく何のために結界があり、天候を操り空間を切り取って、この国をどう維持していくのか王族として知らなければならない知識なのだろう。歴史の中には、この国の在り方に疑問を持ち反発した人もいたのに違いない。
昔ならいざ知らず、砂漠化の進んだ外気に魔素は多くない。おそらく聖女の力も弱まり、使わなければならない魔力量も増えてきている。それに追随して、体調不良にもなりやすくなっているのではないだろうか。
「結界にヒビが入ったこと、気が付きました?」
「!?」
「外界の砂漠化が進んでいるのは、あなた方の結界が周囲の魔素を全て吸い取っているから。その魔素を使って結界を維持し、気象を操り、時間も空間を捻じ曲げている。使うだけ使って、魔素を還元していないんですよね。当然、魔素は減ってくる。なぜか?
魔素を合成する森を林を伐採したからです。根のない土は水を含まず、水のない土地で植物は育たない。朽ちる植物がなければ土は肥えず、栄養のない土は砂に変わる」
「つまり、君はこの王国がいつか崩れ落ちる砂上の楼閣だとでもいうつもりか」
「さあ。どうでしょうね。崩れ落ちるまで何もせずに見てみますか?」
わざとらしく挑発するように、にこりと笑うエヴリンに、ウォレスは内心腹を立てながらも目を細めるだけに抑えた。
(平民の女が。この私に向かって頬を染めることもなく、堂々と挑発してみせるその胆力は見上げたものだな。国に不利益を与える者は結界の中には入ってこれないはずだが…。まさか本当に結界にヒビが入ったというのか)
ウォレスは少しだけ警戒し、そして興味を持った。そして隣でそれを見ていたフィルもおや?と首を傾げた。第二王子殿下が異性に興味を持ったのはこれが初めてだからだ。にこやかに会話をしながらも話す内容は機密に近く危うい。フィルはハラハラしながらも、他の騎士達が近づいて来ないよう抑えていた。
「ふん、君ならどうするというんだ?」
「ふふ。私は旅の薬師なんです。正確には母が薬師で私はその娘ってだけですけど。精霊の愛し子の薬師の話は聞いたことはございませんか」
「…行商人から、聞いたかも知れんな。君が怪しげな花を売っているというのも耳に挟んだことがある」
「失礼ですね。普通の薬草や花ですよ。きれいだとか、いい匂いだとか、見てるだけで元気が出るとか。いろんな理由でよく売れてるんです。そういう力が、自然にはあるんですよ。この国の野菜や水は、そういう力がないんです」
「なぜだ。この国にも花くらいはあるだろう」
「ありますけど、元気がないんです。自然の力を受け継いでいないから。せめて魔素を含んだ土と水があれば良かったんでしょうけど。野菜も花も長く持たないでしょ?」
「それは…」
「自然に育った花は香りも強いし、長く咲きます。野菜も多くの栄養を含んで色鮮やかで甘みがあったり刺激が強かったりするんです。魔法水じゃなく、フィルターを通した日差しじゃなく、魔素を多く含んだ土と水で育っていますから」
「……そこまでいうなら、君はその自然で育った野菜とやらを育てているのか。その、結界の外で」
「ええ。でも、この国の外の世界は痩せてますから、沢山は作れません」
「では見せてもらおうじゃないか」
にこりと笑ったエヴリンの顔を見て、これがエヴリンの策だったのだと悟る。ただ、悪い感じはしない。少しだけ、口の端が上がるのを自身で感じた。面白そうだ、と思った。
そしてまたしてもそれを見たフィルがギョッと目を開き、顔を赤らめた。当然他の騎士達もそれを見て、息を呑む。挑戦的なウォレスの笑みは、まさしく興味を持った印。これまで誰に対してもアルカイックスマイルを見せるか、むっつりと表情を消していたウォレスが、女の子にしかも平民に興味を持ったのだ。全く望むところでないウォレスの後ろで、騎士達十数人それぞれが視線で会話を始め、あっという間に同盟を組んだ。
ウォレスの恋を応援する会だ。若年二十二歳。初めての異性との関わりに皆がドキドキと胸をときめかせた。貴族令嬢にはいないタイプ。野生的?で垢抜けていない、素朴な女の子が好みだったのかと頷き合う。
これまで、ウォレスは結界の外から来た人間に直接会ったことはない。いろいろ危険だからという理由で会わせてもらえなかったのだ。そのせいもあって外界にあまり興味も持たなかった。全てこの国に揃っているし、世界がどうなっているのか、知る必要もなかったから。
もともとこの国までくる商人もそうそういない。いたとしても、持ち込まれるものに悪意があれば結界で消滅させられる。何が悪いものなのかわからない商人としては、リスクが大きすぎるのだ。過去に嫁いできた姫や嫁いで行った姫達の国とは時折連絡を取り合っていたが、現国王になってからそれもない。
文字も言葉も違うし、魔法があるおかげで書物と呼ばれるものもこの国にはない。記憶石と呼ばれる魔法石に全て封印してあるし、日常茶飯事に書物は必要なかったからだ。
「私一人で結界の外にはいこう。お前達はここで待っていてくれないか」
フィン達騎士にそう伝えるウォレスに、皆迷ったような顔を見せたものの、最終的には頷いた。
「殿下、女の子には優しくしなきゃダメですよ?」
「外でことに及ばないようにしてくださいね?」
「ちゃんと報告してくださいよ!殿下!」
「?……お前達は何を言っているんだ?」
フィンに馬を任せ、ウォレスはエヴリンに続いて結界の外に出た。
さくりと足を踏み出した瞬間に感じる重力に、思わず目を見開いた。体がわずかに重くなったように感じたのだが、それ以上に照らされる日差しに目を細めた。真っ赤な夕陽が空を茜色に染めている。むわりとした湿った空気が喉を焼く。
「……日差しが強いな」
「夏ですからね。夕刻なので昼間よりはマシですよ。でも、うちの水は井戸水ですから冷たくて美味しいです」
「井戸…?」
「母さん!ただいま!ウォレス様連れてきたよ!」
「おかえり、エヴ!まあまあ、ほんとに連れてきちゃったのねぇ、あんたって子は」
ウォレスは庭仕事をするキラキラした緑色の髪の女性を見て、ハッとする。
初めてエヴリンをはね殺した時に、同じくして死んでいただろう女性は、溌剌としてとても病気とは思えなかった。それに黒髪のエヴリンとは似ても似つかない容姿をしているのにも驚いた。ただ瞳の色は二人とも明るいオレンジ色で共通点と思えるところだ。
ソラビア王国民は皆色素が薄い。はっきりした黒髪や緑色の髪をした人などいない。金や銀髪、良くて薄茶色かストロベリーブロンドにほとんどの人間が青か緑の瞳を持っている。だから、二人の持つ色彩の暴力に思わず目を細めた。
確かに、この日差しの中で自分と同じような色白では火傷をしそうだ。すでにウォレスの肌は赤くなりつつある。これは、おかしな病気になるのではないだろうかと少し心配になり、肩からかけたマントで肌を隠した。
「ああ、王子様は日焼けするといけないから、影に入ってください。あとこれ塗って」
ひんやりするゼリーのようなものを顔に塗られて、思わずのけぞるウォレスだったが、ヒリヒリした肌が収まるのを感じ、甘んじてそれを受け取った。
井戸水というものを飲んだ時は、魔法で冷やしているのかと思うほど冷たく、甘く感じた。なぜか重く感じていた体が軽くなった。育てている野菜や薬草は青々として勢いが良く、大きさも何もかもが国内産の物と違う。
「これはなんだ?」
「紫人参ですね。甘い野菜です」
細長く紫色をしたニンジンを井戸水で洗い、髭を取り除くと、食べてみろと差し出された。恐る恐る口に含むと、確かにほのかに甘い。コリコリして歯応えがある。
「…これは、うまいな」
「でしょう?これは木苺。野生のだから甘味より酸味が強いけど、ジャムにすると美味しいの」
エヴリンは、歯の抜けた笑顔でウォレスに説明する。あっちは薬草で、こっちは野菜。あそこにあるのは、土に混ぜるための腐葉土で、こちは廃棄した野菜クズを入れて、レッドワームに食べてもらう物。
「レッドワームというのは虫か?なぜそんなものが必要に?」
その有用性に眉を顰めたものの、ウォレスは好奇心に任せて夢中になって質問を繰り返した。
それ以来、毎日のように結界の外に出てはエヴリンと畑を練り歩くウォレスに、部下のフィンまでついてくるようになった。時には畑仕事を手伝い、時には薬師の作る薬を試したり。
一年もそんなことを続けると、すらりとしていた体型が肉付きが良くなり始め、今ではウォレスについていた部隊が皆結界の外で訓練に励み、日焼けをして、精悍になっていった。
決まった日数の晴れや雨の日があり、気候は年中過ごしやすい常春の結界の中の世界に、皆が次第に疑問を持っていく。
精霊達も相変わらずフィリッパにくっついて飛び回ってはいたものの、騎士達の誰一人として見える者はいなかった為、精霊に悪戯をされて泥まみれにされた騎士や、水浸しになった騎士もいて、そのたびにエヴリンが精霊達を追い払うようになった。
外は真冬で風が冷たく、雪というものも初めて見た。春先になると国内産の野菜の苗を外界に植えてみたり、街路樹の苗を砂漠化した土に移してみたりもした。大抵のものはすぐにへなりと死に絶えてしまったが、生き残ったものもあった。夏の台風で野ざらしのエヴリンたちの家の屋根がとび、次の日には皆で材木を集めて家を直した。秋が来て、雨の日が増えて風邪を引き、寝込んだ時は生姜湯なるものを飲み、エヴリンの薬で体が楽になった。
ウォレスは毎日が楽しくて仕方がなかった。自然と笑顔が増え、季節の移り変わりに心を打たれた。砂漠化は相変わらず進んでいて、エヴリンやフィリッパの旅の話を聞いては他国に想いを馳せた。
「私も緑あふれる森というものをこの目で見てみたい」
世界は色彩に溢れているのだ。涙が出るほど愛おしい、美しいと思う気持ちがわからないウォレスだったが似たような気持ちは、心の奥底で育っていった。
「兄上の世になれば、理解されるかもしれない」
ウォレスは精力的に国王に訴え、王太子である兄やその妃である聖女にも、貴族や国民達にも結界の中がいかに危険な状態か伝え、外界の野菜や果物がいかに瑞々しく美味しいかを伝えた。
「血迷うな、ウォレス!お前は王族としての立場を蔑ろにし、国を潰す気なのか!」
国王の座にしがみつく父王は、ウォレスの考えには大反対だ。だが、国王に三王子のような特別な力はなく、王太后が前聖女だったから国王になれたようなものだ。平和な世の中で、誰が国王になっても問題はなかったし、王子達が優秀だったおかげで、誰にも不満はなかった。
「蔑ろにするつもりは毛頭ありません、父上。私は目の前に迫っている危機を感じて動かなければならないと申し上げているのです」
「おのれ、お前は他国の平民女に騙されておるのだ!恥を知れ!これ以上物申すというのであれば、王族から離脱せよ!」
「父上。近い将来直視しなければならない事態なのですよ!なぜお分かりにならない!」
父王との意見は平行線のままではあったが、ある日聖女でもある王太子妃がウォレスを呼び、王子三人も含めて話し合った。
「私の結界に限界が来ています。まだ十年程は大丈夫でしょうが。私は最初、子を産み、力が衰えたのかと思いました。ですがウォレス様の意見を聞いて納得しました。魔素が足りていないのでございます。強化しても、仕切れないほど結界の壁が引き伸ばされ、薄くなっているのです。それに関しては、王太子殿下も感じておられるのではないでしょうか」
「ああ。天候の調節が難しく不安定なのだ。魔力がうまく練れず、結界を包めないのだ」
「僕も同じく、空間魔法で外界と区切る部分が曖昧になってきています。北の領地は日に日に気温が落ちていると聞きましたが、外界からの影響が強いのです。僕自身の魔力もそうですが、北の魔法石が割れてしまいましたから…今はまだ部分強化で難を逃れていますが、来年、再来年になると自信がありません」
「兄上。私はエヴリンと共に森を作ろうと思います」
「森か…。だがそんなに簡単には作れないのだろう?森林は百年二百年と言った期間を要すると聞いたが」
「もちろん時間はかかるでしょうが、始めるなら早い方が良いに決まっている。この国のためにも決断をお願いします」
「それならば、いっそのこと結界魔法も空間魔法も気象の塗り替えも徐々にやめにしませんか?」
そう言ったのは第三王子のコンラッドだ。
「僕の婚約者であるテリーヌ姫は南の大国からやってきます。彼方には海があり、背の高い木にはココナツやバナナ、パイナップルという果物が実るのだそうです。臭くて食べる気がしないというドリアンという巨大なフルーツやぬるぬると動くタコという生物もマリネにして食べるのだとか。僕にはそれらがどんなものなのか全くわかりません。そもそも商人もこの国に来るには月日を要するし、結界に遮られて入れないのだそうです。僕は悔しい。外界で皆が知っていることをこの国では誰も話さないのだから」
「エヴリンは西の国にはジャングルと呼ばれる森林があるといった。当然魔獣も多く住んでいるらしいが、魔獣は薬の素材にもなるそうだ。薬は魔法と違って即効性はないのだが、体の内側から強化していくらしい。自然治癒力とやらを高めるのだそうだ。外傷には魔法がよく効くが、風邪や感染症にかかった場合、体の中から直していくのだと言っていた」
「確かに聖女の力は怪我や呪いは治せますが、風邪や疲労は治せませんもの」
「ふむ。では、決まりだな。俺は父上を王座から退いてもらうよう努めるよ。何、そう時間はかからんさ」
そんなやりとりがあってから、半年後。王太子レオポルドは晴れて国王になり、外交を開通させた。
多少の混乱を招いたものの、平和ボケした貴族達は訳の分からないうちに政策に乗せられ、国は数年のうちに大きく変わった。まだ結界は張り巡らされてはいるものの、それはほぼ害獣を避けるためだけのものに設定をし直し、気候は天の赴くままになり、空間は外界と繋がった。
エヴリンとフィリッパは精霊の力を借り、腐葉土を持ち込んで土づくりから始め、今や結界の外にはポツポツと若木が植えられ始めた。薬草畑は特に力を入れ東南に広がる薬草畑は、観光地にも指定された。諸外国には薬師のフィリッパの噂が広がり、『聖女と精霊の愛し子がいる国』と街道も作られることになった。
「私は、世界を知らなかった。些細なことで時を戻し、国民のためになると使っていた力は必要なものではなかった。結界の外でこの力は使えないし、私はきっと傲慢な生き物だったのだろうな」
ウォレスはそう言って、エヴリンの手を取った。
「君と共に生きて、もっと世界を知りたいと思う。どうか、私と一緒に生きてくれないか」
「私は、ただの流浪の薬師の娘ですよ?」
「私はただの第二王子だ」
「平民ですから、お力にはなれません」
「新しい国づくりに散々口を挟んでおきながら何をいうか。なんなら王子の特権でエヴリンを貴族に仕立て上げてもいいんだぞ?それだけのことを君はしていることだし、今更他国に君を渡す気はない」
いつの間にか精霊達を味方につけ、キラキラと輝かんばかりの笑顔で迫ってくるウォレスに、引き攣った笑みで逃げ惑うエヴリンだったが、いつの日か仲睦まじく薬草畑で愛を囁く二人を見る事になるのだろう。
ー完ー
完結です。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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