2.北区
ジャニィとはぐれてしまったアイソレシアは不安の中にいた。
少しは慣れてきているオボステム市だが、勝手知ったるとまでは程遠い。
ジャニィの家の周辺はともかく、少し離れてしまえば、一つ角を曲がるだけで、途端に自分の居場所が分からなくなってしまう。
村に比べると、建物がどれも似通っていることが原因なのではないか? と、心の片隅で冷静に分析している自分自身に少し驚きもしていた。
そうね! 北区はオーク様式で建て直された家が多いみたいだよ。
って、オーちゃんが言ってたわね。
……だから似通っているのかしら?
アイソレシアは無意識に猫の手を握り、それをポンポンと顎先に当てていた。
あっ! じゃあ、区が違う! フッカってユガレスの王様だったわね? ならば、ジャニィは市庁舎区に向かったのかしら?
ぼんやりと、そんなことを考えていると、歩道の隅から、こちらをじっと見つめる中年の女性の姿があった。
なにかしら? と思っていると、突然声を掛けられた。
「あれ? もしや、ジェニーちゃん?」
ジェニーちゃん? 私が?
あっ、いや、ジェニーって、ジャニィのお姉さん!
えっ? でも……。
そう思っている間にも、女性はツカツカと近寄ってきた。
そして、アイソレシアの前にやってくると、ゆっくりと腰を折り、マジマジと顔を見つめてきた。
「あっ、あのぉ……」
なんとなく気恥ずかしい気持ちになり、顔をそらしていた。
「あら、やだ、そうよね、ジェニーちゃんじゃないわよね」
そう言うと、女性は、丸めていた背中を伸ばして、口元に手をやって笑いだした。
「ごめんなさいね、でも、そのベレー帽を被っている姿が、子供の頃のジェニーちゃんにそっくりだったもんでね。思わず声をかけちゃったのよ」
どういうこと? 急にそんなことを言われても……。
アイソレシアがモジモジとしていると、尚も女性は続けた。
「ほんと、ごめんなさいね。でも、凄く似てるわ! あっ! もしかして、ジェニーちゃんの娘さんとかかしら?」
「あっ、いえ……」
「違うのかい?」
「いや……親戚です。従姉妹なのよ」
なんだか、ぜんぜん違うと言うのも気が引ける感じがして、思わず嘘をついてしまった。
「あら、そうなのかい! やっぱり!
あっ、じゃあ、ジャニィ坊ちゃまも知っているのかい?
懐かしいわねぇ、坊ちゃまは元気かい?
ヴォーアムの騎士団に入ったって聞いたことがあったけれど……」
ジャニィ坊ちゃま?
アイソレシアが不思議そうに首を傾げた。
「あらあら、そうよね。いきなり、こんな話をされても困るわよね! 実は私、10年、いや、もう少し前だったかしら、ジャンセンさんのお宅で、家政婦をしていたことがあったのよ。
ほら、あそこのご主人、ジェニスさんでしたっけ? あちこち出稼ぎやらで、留守にすることが多かったでしょ? だから、家事のお手伝いに、ってね……」
アイソレシアの表情を見て、なにを勘違いしたのか、女性は身の上話を始めていた。
女性の昔ばなし自体には、興味は湧かなかったが、ジャニィのことを、ジャニィ坊ちゃまと呼ぶことだけが気に掛かった。
でも、そうなのか……この人はジャニィを知っているのね。それも、ずっと昔の、ジャニィがまだ子供だった頃から……。
そうよね……。
もうずいぶん長く一緒にいるように感じていたが、まだ半年程度なのだ。
あの村から連れ出され、ジャニィとオーちゃんと一緒に、たくさんの世界を旅してきたと思っていたが、まだ、1年も経っていないのだ。
アイソレシアにしてみれば、あの夏の夜の出来事は、遥か遠い昔のように感じられるが、世界の時間は、どうやら、もっとゆっくりと、流れているらしい。
そして、その流れは、決して途切れることなく続いている。
いくら、頭の片隅に追いやり、途切れた向こうの世界の出来事として処理しようとも、やはり、世界はそれを許してはくれない。
父と母と、慎ましくも幸せに暮らしていた、あの村はもう存在しない。
事実としては、廃村として残っているのだろうが、アイソレシアの思い出の中にある、あのダムイの村は、もうどこにもないのだ。
そう思うと、アイソレシアは途端に寂しさを感じた。
そして、抑えきれない悲しみに襲われた。
目に涙を浮かべ、押し寄せる負の感情に耐えようとした。
「あらあら、どうしたのかい? 急にそんな顔されたら、おばちゃん困っちゃうよ。何か悪いことでも言ってしまったかい?」
先ほどまで陽気に話をしていた女性が、屈み込み、アイソレシアの顔を覗き込んだ。
「そう言えば、まだ名前も聞いてなかったね、お嬢ちゃん、お名前は?」
ああ、なんだか、この感じも、ジャニィと初めて会った時と似ているわ。
こんな気持ちの中で、一方的に質問をされていたっけ。
「アイソレシア……私は、お兄ちゃんと、ジャニィと、はぐれてしまって……」
そこまで言うと、アイソレシアは、ワンワンと泣き出してしまった。




