9.ヴォーアムの王子
マスケスは時よりふらつくシンクフォイルの手を取り、傍らの椅子に座らせてやった。
そして、シンクフォイルが寝言のように何かを呟くと、それに答えるように二言三言合いの手を入れた。
そうして、仮面の年輪が全て無くなるまで、じっとシンクフォイルを見守った。
全ての年輪が仮面の中央に吸い取られると、マスケスは仮面の額の部分に人差し指をあてた。すると、シンクフォイルの頭を包む根がシュルシュルと引っ込んでいき、ポトリと仮面が外れた。
マスケスはテーブルに転がる仮面を拾い上げると、眠るように目を瞑っているシンクフォイルに話しかけた。
「ご気分は、いかがですかな?」
シンクフォイルは噛みしめるように一つ深呼吸をすると、ゆっくりと目を開いた。
「ああ、大丈夫だ……、多少眩暈のようなものがあるが……、それも心地良いな」
シンクフォイルは手のひらを顔に当てると、親指と中指でこめかみを押さえていた。
「シンクフォイル殿、淋しい気持ちはなくなりましたかな?」
「ああ、嘘のようだ……、父やアルバが死んだことは頭では理解できるが……、まるで他人ごとだ。だからと言って悲しみがないわけではないがな」
シンクフォイルはそう言って、こめかみを押さえる手を下ろすと、軽く頭を左右に振った。
「ふむ、記憶というのは絶望を助けますな」マスケスはしみじみと言った。
「だが、先生、これに何の意味が? 私にどうしろと?」
「シンクフォイル殿、私の願いは、あなたに王子として生きてもらうことですぞ」
「生きる?」
シンクフォイルは、そこで何かに気付いたのか、マスケスの顔を見返した。
「生きる? 何を言っている? 当然だろ? 私は生きているぞ」
マスケスは突然シンクフォイルの顔に生気がみなぎるのを感じた。
「ほう、シンクフォイル殿……、やはりあなたは……」
「シンクフォイル? 何を言ってるんだ? 私は……、マスケス……、いや、先生? 私は何を言っているのです?」
シンクフォイルは、そこでまた悲しい表情に戻った。
やはり混乱するのでしょうな? 他人の記憶が統合されるというのは、いったいどんな気分なのですかな? マスケスはコロコロと表情を変えるシンクフォイルの顔を眺めていた。
しばらくすると、突然シンクフォイルがクスクスと笑い出した。
マスケスが呆気にとられ、とうとう気でも触れたのかと思っていると、シンクフォイルは真顔になり、落ち着いた声で喋り出した。
「マスケス、なんて顔をしている? お前にはやることがあるだろう? こんなところで油を売っている暇はないぞ!」
そこで、シンクフォイルは一度アルバの方を見遣ると続けた。
「アルバを連れて王宮に戻り、この病の原因と対処法を見つけてくれないか? 今後、同じ病で民が命を落とすことを避けたい。この荒れ地の村々もそうだが……、国内に広がりでもしたら一大事だ。そうなればヴォーアム王国の存亡にも関わる」
マスケスは言葉が出なかった。
「うん? どうしたマスケス? 聞いているのか?」
「シンクフォイル殿?」
マスケスがやっとの事で口を開いた。
「それは……、王子として、ですかな?」
「当然だ! 私はヴォーアムの王子だぞ!」
シンクフォイルは、そう言うと立ち上がり、身支度をしてくると言って部屋を出ていった。
「シンクフォ……、いや、王子! では、身支度を終えたら正門の前に止めてある馬車まで来てくだされ」
マスケスは部屋を後にしたシンクフォイルに向けて大声を上げた。