1.北雪の高台
この真っ白な世界では、全ての感覚があまりにも曖昧だ。何も見えないし、何も聞こえない。
何かを掴んでいるようだが、何も握ってはいない。それどころか自分自身の体が存在しているのかも分からない。時間の流れすらも感じられない。
ただただ広がる真っ白な空間に全てが溶け込まれているようだ。
このまま永遠にこの世界を漂っていられるのならば、それはそれで幸福だと感じる。
王子はそんな思いすらも曖昧にふっと目を開いた。
先ほどと変わらぬ白の世界だ。
寒さが感じられるが心地よい。
そういえば、幼い日にもこんな気持ちを味わったな。
王子がそんな事を思っていると、遠くから何かが近寄ってくる足音が聞こえた。
王子は一瞬その足音を警戒したが、体がいうことをきかなかった。
まあいい。
諦めなのか、心地良さなのか、曖昧さの残る感覚に身を任せ王子は再び目を瞑った。
パチパチと薪木の爆ぜる音が聞こえる。体の末端から温もりが染み渡るように感覚が戻ってくるのも分かる。白の世界を漂う心地よさとはまた別の心地良さが感じられる。
そして、暖かい匂いだ。
王子がゆっくりと目を開けると、そこはどこかの部屋のようだった。
部屋全体が暖炉の炎の明かりを中心に柔和な色に染まっている。
部屋の温度もその色と同様に心地良かった。
王子は感覚の戻りつつある体に力を入れて、上半身を起き上がらせた。
部屋はそれほど広くはないが、レンガ造りでしっかりしている。
王子の眠っていたベットは部屋の隅に置かれており、その反対側の中央部分に暖炉があった。
暖炉とベッドの間には、小さめのテーブルが置かれており、その上には湯気を立たせたスープとパンが置いてあった。
王子は忘れていた空腹を思い出し、そのテーブルへ近づこうとベットから抜け出した。
おぼつかない足取りでテーブルに近ずくと、暖炉の左側にある扉が開いた。
「おや?気付かれましたか?」
そう言って、若い男が両手に皿を持って部屋に入って来た。
王子は力の入らない体をテーブルで支えつつ男の方を見た。
男は長いオレンジ色のローブを纏い、室内だというのに、同じ色の学者帽をかぶっていた。
男はリラックスしているのか、表情はとても穏やかだ。
「そんなに、険しい顔をしなくても大丈夫ですよ」
ローブの男が諭すように言った。
「まあ、とりあえず、座ってください。食事を用意しましたので、食べながらでもお話しを聞かせてください」
ローブの男がそう言うと、王子に座るよう促した。
王子は、このまま立っているのも辛いと思い、素直にローブの男の指示に従った。
「しかし、ここはどこなんだ?」王子が椅子に座りながら尋ねた。
「ノーザン・スノー・アッパーランズ」ローブの男は皿をテーブルに並べながら続けた。
「北雪の高台。ユガレスの辺境の地ですよ」
「ユガレスだと? ノーザン・スノー・アッパーランズはオークだろ?」王子が否定する。
「まだ、混乱しているようですね?」男は軽く笑いながら続けた。
「まずはスープでも飲んで温まってください。でも、この季節ですからね。たいしたものは入れられませんでしたが味は保証しますよ」
そう言うと、男は王子の皿に丁寧にスープを注いだ。
ふわっと立ち込めるスープに匂いがお王子の食欲をそそった。
「すまない。頂くことにしよう」
「少しですが、パンもあります。どうぞ」
男はテーブルの上のパンを王子に差し出した。