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第一話 小悪魔のタダ乗り旅行記

 一雨ごとに涼しさが混じるようになった秋の夕暮れ、街道沿いの宿場町『レヴィン』の酒場は、仕事を終えた荒くれ者たちの熱気で蒸せ返っていた。

 オーク材の分厚いテーブルを囲み、エール酒の泡を髭に付着させた男たちが、下品な大笑いを上げている。その中心にいるのは、身の丈ふたメーターを超える巨漢の戦士・ブラッドだ。


「おいおい、聞いたか? 今度の討伐依頼、あの『黒の巣穴』だぞ? 駆け出しの青二才どもが潜っちゃ、骨も残らねえような暗黒洞窟だ。俺様みたいなベテランがいなきゃ、話にならんってわけよ」


 自慢話に花を咲かせるブラッドの隣で、ひっそりと酒杯を傾ける人物がいた。


 銀糸のような細く美しい髪を後ろで一つに束ね、薄暗い酒場でも冴え冴えと光る赤い瞳。白い肌と長い首、細身だがスラリと伸びた一背の高いシルエット。年齢は十五歳といったところか。

 現地ではそろそろ売れ残り扱いをされかねない「適齢期」の娘だが、その装いはドレスやスカートとは程遠く、上質な革のパンツと膝上まであるブーツ、仕立ての良いジャケットという、動きやすさを最優先したパンツスタイルだった。


 名前は「エレナ」だ。


(まったく、どの世界に行っても酒場の男ってのは主語がデカくて助かるねぇ)


 エレナ——心の底では(転生してからずっと)三十路手前の男である彼女は、果実酒を一口含み、心の中で小さく苦笑した。

 トラックに跳ねられて異世界転生、なんてテンプレな事故から十五年。目覚めたら美少女の赤ん坊になっていた絶望は、今ではすっかり過去の話だ。男としての記憶と意識を保ったまま成長した結果、自分自身を恋愛対象として見ることは天地がひっくり返ってもあり得ないが、この「圧倒的に得な容姿」を利用することに一切の罪悪感は抱いていなかった。

 男という生き物は単純だ。特に、力自慢の冒険者なんて生き物は。 ちょっと目線を合わせて微笑み、ほんの少しの尊厳とプライドをくすぐってやれば、勝手に勘違いして手のひらで踊ってくれる。


「ねえ、そこの強いお兄さん」


 エレナは少しだけ声を高めに作り、可憐だがどこか凛とした響きを持たせて語りかけた。


「……あ?」


 ブラッドが鬱陶しそうに振り返る。しかし、目の前に立っているのが息をのむような銀髪赤眼の美少女だと気づいた瞬間、その厳つい顔筋があからさまに緩んだ。


「なんだぁ? お嬢ちゃん、ここはガキや女が一人で来るような場所じゃねえぞ。迷子か?」


 周辺の男たちからドッと下品な冷やかしの声が上がる。エレナは気にせず、赤い瞳を少し潤ませるようにして、ブラッドの太い腕に視線を落とした。


 「いいえ。私、旅の魔法使いをしているエレナと申します。……実は、あちらの掲示板にあった『黒の巣穴』の討伐依頼、ずっと受けるかどうか迷っていたんです。でも、一人ではとても危険だと諦めかけていて……。そしたら、すごく頼もしそうな騎士様のようなお方が話しているのが聞こえて」


「き、騎士様だと!?」


 ブラッドの鼻の下がぐんぐんと伸びる。彼はただの荒くれ冒険者だが、「騎士」という響きにはめっぽう弱いらしい。


「ええ。そのお体の逞しさ、ただ者ではないと思いました。もしよろしければ……私のような未熟な魔法使いを、パーティーの仲間として連れて行っていただけないでしょうか? 報酬の山分けなんて贅沢は言いません。私はただ、実績が欲しいだけなんです」


 エレナは手元で小さく指を絡め、上目遣いでブラッドを見つめた。


(よし、食いついた。男ってのは『自分だけに頼ってきた格下の美女』に滅法弱い)


「ガハハハ! そうかそうか! お嬢ちゃん、お目が高いな! よし、決まりだ! 俺様の背中にしっかり隠れてな。害虫一匹、お前に近づけさせやせんからよ!」


 ブラッドはドスンと自分の胸を叩いた。

 周囲の男たちが「おいブラッド、職権濫用だぞ!」「ずるいぞ!」と野次を飛ばすが、ブラッドは得意顔でエレナの肩を抱こうと腕を伸ばしてくる。


 エレナはそれを自然な動作で一歩下がり、優雅にお辞儀をすることでかわした。肌を触れさせるような過剰な媚びは売らない。安売りすれば価値が落ちるし、何より自認が男の自分にとって、男に触られるのは純粋に気持ちが悪いのだ。


「ありがとうございます、ブラッド様。頼りにしていますね」


 天使のような微笑みを浮かべながら、エレナは心の中でほくそ笑んだ。 これで明日の洞窟探検の「前衛(壁役)」と「荷物持ち」の確保は完了だ。




 翌朝。『黒の巣穴』と呼ばれる洞窟の前に、四人の冒険者が集まっていた。

 リーダー気取りの巨漢戦士ブラッド。 その子分の弓手(アーチャー)ジャック。 さらに、エレナの「おねだり」によってブラッドが追加で雇った、気弱な風の回復術士キース。 そして、魔法杖を携えたエレナだ。


「いいかエレナちゃん、俺のすぐ後ろを歩けよ。何が出てきても俺がこの大剣で一刀両断にしてやるからな」


 鼻息荒く先頭を行くブラッド。ジャックはエレナの腰つきや足の長さをチラチラと盗み見ているが、エレナが視線を合わせると、慌てて赤面して前を向く。


(手頃なウブさで扱いやすいねぇ。まあ、視線くらいなら減るもんじゃないし好きにさせておくか)


 洞窟内部は、湿度が高く嫌な臭いが充満していた。 『黒の巣穴』の主な生態系は、巨大な毒蜘蛛『シャドウ・スパイダー』だ。硬い甲殻と強い麻痺毒を持ち、初心者殺しとして知られている。

 薄暗い通路を進むこと三十分。天井からサササッという不穏な不快音が響いた。


「出たぞ! シャドウ・スパイダーだ!」


 ジャックが叫び、弓を構える。天井から人ほどもある巨大な黒い蜘蛛が三匹、糸を垂らして降りてきた。


「ハッ、こんな虫ケラ! 俺様の相手じゃねえ!」


 ブラッドが大剣を振るい、先頭の一匹を叩き斬る。豪快な一撃だが、フォームが大振りで無駄が多い。残る二匹がブラッドの死角から飛びかかろうとした。


「ブラッド様、危ないっ!」


 エレナが悲鳴のような可憐な声を上げた。 同時に、右手に持った短い杖をスッと滑らかに突き出す。


(『風刃(エア・スラッシャー)』、出力十パーセント。切り刻むんじゃなく、脚の関節だけをピンポイントで落とす)


 詠唱もなしに放たれた不可視の風の刃が、飛来する二匹の蜘蛛の左脚を完璧に削ぎ落とした。体勢を崩した蜘蛛は無様に地面へ転がり落ちる。


「うおっ!? ……ハッ、俺様の危機一髪を察知して、運よく脚が折れたか! 見たかエレナちゃん!」


 ブラッドは自分が放った剣撃の風圧で蜘蛛が倒れたのだと勘違いし、ドヤ顔で残りの蜘蛛にとどめを刺した。


「すごいです、ブラッド様! あんな素早い動きに対応できるなんて……! 私、感動しちゃいました」


 エレナはパチパチと手を叩く。目を輝かせるおまけ付きだ。


「ガハハ! これくらい当然よ!」


 後ろで見ていた回復術士のキースだけが、不可解そうな顔でエレナの手元を見ていた。


(いま……無詠唱で精密な指向性魔法を……? いや、まさかな。あんな若い、しかも綺麗な女の子が……)


 キースの視線に気づいたエレナは、彼に向かってそっと人差し指を唇に当て、ウィンクしてみせた。 キースは顔を真っ赤にして勢いよく頷き、俯いてしまった。


(よし、口封じ完了。余計な手柄はいらないのよ。目立つと面倒なギルドに連縛されるからね)


 エレナの目的はただ一つ。この町での滞在費と、次の町へ向かうための安全な護衛の獲得だ。無駄に無双して有名になれば、国の騎士団や面倒な貴族に目をつけられる。だからこそ、力自慢の男に手柄を譲り、自分は「可憐でちょっと役に立つサポート役」に徹するのが一番効率的なのだ。

 洞窟の最深部。開けた巨大な空間に到達した時、一行は異変に気付いた。


「な、なんだありゃあ……!?」


 ジャックの声が震えている。 広場の中心に鎮座していたのは、通常のシャドウ・スパイダーの数倍の巨躯を誇る『クイーン・スパイダー』だった。しかも、その体色は禍々しい紫に染まっており、変異種(レア)であることが一目でわかる。


「変異種だと……!? 冗談じゃねえ、聞いてねえぞ!」


 ブラッドの顔から余裕が消え、冷や汗が吹き出していた。変異種の討伐ランクはBランク以上。Cランク冒険者であるブラッドの手には明らかに余る。


「ひ、ひぃぃっ! に、逃げましょうブラッドさん!」


 キースが悲鳴を上げる。しかし、時すでに遅く、クイーン・スパイダーは侵入者を認識し、無数の仔蜘蛛を従えて通路を塞ぐように立ちはだかった。


シャァァァァッ!!


 鼓膜を刺すような威嚇音とともに、クイーンが大量の毒液を噴射してくる。


「くそっ!」


 ブラッドは大盾で防ぐが、強い酸を含んだ毒液に盾が急速に溶かされていく。威勢の良かったブラッドの脚が、恐怖でガクガクと震え始めた。


(やれやれ……やっぱり限界か。まあ、ここまで運んでくれただけでも感謝しなきゃね)


 エレナはため息を呑み込み、恐怖に震えるフリをしながらブラッドの背中にそっと手を添えた。


「ブラッド様……私、怖いです。でも……ブラッド様となら、私、乗り越えられる気がします」


「エ、エレナちゃん……!?」


「私、知っています。ブラッド様が本当は誰よりも強くて、仲間のために戦える真の勇者さまだってこと。……私に、少しだけ力を貸してください。ブラッド様のその素晴らしい剣に、私の魔法を注ぎ込みます!」


 エレナの声には、不思議な絶対的な説得力(と、わずかな精神誘導の魔力)が籠もっていた。

 男というものは、絶望的な状況であっても、美女に「あなたならできる」「真の勇者だ」と讃えられれば、死すら恐れぬ馬鹿になれる生き物だ。エレナの元・男としての経験が、そう告げていた。

 ブラッドの瞳に、再び無謀な炎が宿る。


「……おうよ! 俺様が負けるわけねえだろ! エレナちゃん、俺の背中は任せたぞ!」


「はいっ!」


 ブラッドが吠え、クイーン・スパイダーに向かって突進する。


「ジャック様は仔蜘蛛の足止めを! キース様はブラッド様に身体強化の支援を! お二人とも、ブラッド様を信じて!」


 エレナの的確かつ凛とした指示に、パニックになりかけていたジャックとキースも「お、おう!」「わかりました!」と動き出した。

 ブラッドがクイーンの巨大な前脚を大剣で受け止める。凄まじい衝撃。だが、キースの支援魔法と、何より「女の前で格好悪いところは見せられない」というブラッドの底力で踏みとどまった。


(さて、仕上げといきますか)


 エレナはブラッドの背後から、彼の持つ大剣の身に向かって細い手をかざした。

 表向きは「剣に魔力を付与する補助魔法(エンチャント)」のポーズ。 だが、実際に行っているのは超高密度の熱線魔法『極光破(サンバースト)』の収束と不可視化だ。


(ブラッドの剣撃に合わせて、切り口にダイレクトで熱線をぶち込む。彼が斬ったように見せかけて、中から蒸発させる)


「うおあああああ! 喰らいやがれぇぇぇ!!」


 ブラッドが渾身の力で大剣を振り下ろす。


ズバァァァンッ!!


 爆音とともに、眩い光が洞窟内を包み込んだ。 ブラッドの大剣がクイーン・スパイダーの胴体に触れた瞬間、不可視の熱線が蜘蛛の体内を貫き、内側から激しく爆散させたのだ。

 緑色の体液と光の粒子が舞い散る中、巨大な変異種は一瞬で焼き尽くされ、物言わぬ塊となって崩れ落ちた。


「……あ……え?」


 自分の放った一撃の威力が凄まじすぎたことに、ブラッド本人が一番呆然としている。大剣から煙が立ち上り、周囲の仔蜘蛛たちは恐怖で一斉に逃げ出していった。


「す……すごい……! ブラッドさん、一撃で変異種を……!?」


 ジャックが目を丸くして叫んだ。


「勝っ……勝った……? 俺が……あの巨体一発で……?」


 ブラッドが自分の手を見つめ、震えている。 そこへ、エレナがパッと顔を輝かせて駆け寄った。


「ブラッド様! 天晴れな御業でした! あんな凄まじい剣技、私、生まれて初めて見ましたわ!」


 エレナは尊敬と憧れに満ちた目でブラッドを見上げ、小さな手を拍手させた。


「が……ガハハハハ! 見たか小僧ども! これが俺様の本気よ! 英雄ブラッド様の伝説の始まりだぁーっ!」


 勘違いは見事に完成した。ブラッドはすっかり「自分には眠っていた凄まじい潜在能力があった」と確信し、高らかに勝利の雄叫びを上げたのだった。

 数日後。レヴィンの町のギルドは大騒ぎだった。

 Cランク冒険者のブラッドが、黒の巣穴の変異種を単独(と彼らは思っている)で討伐したというニュースは瞬く間に広がり、ブラッドは一躍町のヒーローとなった。酒場で奢られ、有頂天になっている彼の姿がある。


 一方、宿屋の一室。

 エレナは旅装を整え、リュックサックを背負って姿見の前に立っていた。 鏡に映るのは、相変わらず誰もが振り返るような銀髪赤眼のスレンダーな美少女。


「よし、身支度完了」


 声のトーンを落とし、男本来のサバサバとした呟き漏らす。

 今回の件で、エレナが得たものは大きい。 ブラッドが「俺の愛しい女神」としてギルドに大見栄を切り、討伐報酬の三割をエレナに譲渡してくれたのだ。さらに、彼の顔パスで次の大都市行きの高級乗合馬車のチケットまで手に入った。


「惚れた弱みってのは恐ろしいねぇ。まあ、あいつは町の名声と自尊心を手に入れたんだ、お互いウインウイン(Win-Win)だろ」


 エレナは不敵に微笑むと、窓から爽やかな秋風を吸い込んだ。

 男と恋愛をする気などサラサラない。かといって、女として苦労して生きる気も毛頭ない。 この美貌と、男としての抜け目なさ、そして陰で鍛えた確かな魔法。それら全てを道具として使い倒し、世界中を気ままに旅する。それこそが、転生者エレナの生き道だ。


「さて、次の町にはどんなカモ……じゃなくて、親切なお兄さんたちがいるかな?」


 エレナは可愛らしくウインクを一度鏡に投げかけると、軽やかな足取りで部屋を後にした。 行く先はまだ決めていない。ただ風の吹くまま、銀の髪をなびかせて、彼女の気まぐれな諸国漫遊は続いていくのだった。

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