5 笑って欲しくて
その週末、小雪はクッキーの生地を型でくり抜いていた。
家にあった型が丸と星型だったため、丸を一枚、星を二枚ずつ作り、二人分のクッキーを作る。そして、それにチョコチップを入れてオーブンで焼いた。
今回、小雪がクッキーを渡そうとしているのは、いつもクラスの集まりに誘ってくれる女子二人。名前は分からないが、流石に顔は覚えている。
(ちゃんと渡せるかな……)
不安に思いながらクッキーが焼けるのを待っていると、父がリビングにやってきた。
「いい匂いがするね。お菓子作ってるの?」
「うん。クッキー焼いてるんだ。クラスの子にあげようと思って。生地が余りそうだし、お父さんの分も焼いてあげるね」
「おお、そっか。それは楽しみだ。じゃあ、小雪のクッキーを楽しみに、もう少し仕事を頑張って来ようかな」
父はそう言って、また自室の方に戻っていく。
小雪はそれを見送った後、余った生地を型抜きしようと立ち上がった。
先ほどと同様に、丸い型で型抜きしようとして……手を止める。
(……あれ、使おうかな)
小雪は材料を入れていた買い物袋から、新品の型を取り出した。
先端が二つに分かれている花びらの、桜の型。これを見た時、つい春馬のことを思い出して買ってしまった。
(せっかくだし、春馬君にも作ろうかな……)
小雪は赤い顔で桜の型を取り出し、水洗いなどをして準備をする。
美味しそうな黄色いクッキー生地。それに心を込めながら桜の型を押し当てた。
(友達、だし……お礼に作ってもいいよね?)
胸が無性にざわざわする。
卵焼きを食べた時の彼の笑顔が思い出されて、頬が緩んでしまう。
(また、喜んでくれるといいな……)
小雪は柔らかく微笑みながら、桜型のクッキーを作っていった。
* * *
翌日の月曜日、小雪は緊張した面持ちで登校した。
カバンには、昨日作ったクッキーが入っている。後は渡すだけなのだ。
教室に入り、チラリと彼女達の方を見る。すると、廊下側の席で二人仲良く談笑していた。
あの中に入っていく勇気が、なかなか出せない。
(うう……なんて声掛ければいいんだろう)
小雪は息苦しくなりながらも、とりあえず荷物を置きに自分の席に向かう。
すると、ちょうどそこでスマホが振動した。
確認すると、春馬からのメッセージだった。
――いつも誘ってくれてるお礼を伝えたいんだよね? 自分の言葉で、笑顔で、言ってごらん。
それに次いで、春馬から可愛らしいライオンのスタンプが送られてきた。
笑顔で「君ならできる!」とガッツポーズをするライオンのスタンプだ。まさか、彼がこんなに可愛いものを送って寄越すとは思わず、小雪はクスリと笑ってしまう。
――ありがとう。頑張る。
小雪はそう返信した後、春馬の席を見た。
すると、彼は優しい王子様の笑顔でこちらを向いてくれていた。
右手の拳で小さくガッツポーズを見せてくれている。きっと、頑張れと言ってくれているのだろう。
彼の優しさに触れて、小雪の頬が熱くなる。心も自然と温かくなった。
(大丈夫。私なら、できる)
小雪は、そう心に念じながら、クッキーを両手に持ち、女子生徒達の元へと歩いて行った。
「あ……あの……!」
思い切って声を掛けると、二人はびっくりした顔で小雪を見ていた。
二人が困惑していることを感じ取り、ひゅうっと息を飲んでしまう。
しかし、脳裏に浮かんだ春馬の笑顔が、背中を支えてくれた。
――大丈夫、できる。
小雪はあの笑顔を信じて……勇気を出して口を開く。
「いつも……集まりに行けなくて、ごめん。でも、誘ってくれるの、嬉しくて……だから、お礼に作ってきたの」
赤い顔で、手を震わせながら、小雪は二人にクッキーの袋を差し出した。
「いつも……あ、ありがとう」
小雪は緊張しながら、二人の返事を待つ。
(受け取って……くれる、かな)
不安のあまり、目をぎゅっと瞑ってしまう小雪を見て、二人は優しく笑ってくれた。
「ふふ、私達、一原さんに迷惑がられてた訳じゃなかったんだね」
「クッキー美味しそう。ありがとう、一原さん」
二人が優しい笑顔と共にクッキーを受け取ってくれたのを確認し、小雪は安心して顔を綻ばせた。
(よかった……)
「あ、一原さん!」
「は、はい」
女子生徒のうちの片方……栗色のセンター分けのショートヘアの女子が、笑顔で自分を指さす。
「私、河原可憐っていうの。よろしくね」
彼女の向かい側にいるもう片方……黒髪ロングヘアの眼鏡を掛けた女子も、笑いながら自分の胸に手を当てた。
「私は沖浜苑香。もし良ければ、また一緒に話そうね」
二人のフレンドリーな様子を見て、小雪は明るい笑顔を見せた。
「うん……よ、よろしく」
――春馬君のお陰で、頑張れた……。
小雪は彼の優しい笑顔を思い出しながら、胸に手を当てて笑みを零す。色白な頬はほんのりと桜色に染まっていた。
可愛らしい笑顔を覗かせる彼女のことを、可憐と苑香も嬉しそうに見つめていた。
――仲良く話している女子三人の様子を、春馬は遠くから観察する。
その桜色の瞳は、少しだけつまらなそうだった。
(これで、俺も一原さんと一緒にいやすくなるからいいはずなのに……なんで、ちょっとモヤモヤするんだろう)
周囲の生徒の様子を窺ってみると、みんな小雪が他人と笑顔で話しているのに見惚れているようだった。
「氷の女王……意外と可愛くない?」
「あんな風に笑うのとか、意外かも。てか、お菓子渡してたけど、料理とかできるのかな?」
彼女の魅力が周囲に知れていく。それが面白くなかった。
あんなに魅力的な小雪のことだ。誤解が解ければ、きっと瞬く間に大勢の人に囲まれることだろう。
そうなった時、彼女は俺を優先してくれるのだろうか――。
(……ただの友達なのに、こんなに独占欲持っちゃうとか笑える。俺は彼女に何を求めてるんだよ)
春馬は彼女から目を逸らし、つまらない顔のままスマホを開いた。
つい、いつもの癖で小雪のトーク画面を見てしまう。
彼女から新しいメッセージが来ていないのは分かっているのに、どうしてか何度も確認してしまうのだ。
(面倒な人間だな、俺)
周囲の賑やかな声を聞くのが苦しい。いつもより、胸がザワザワしてしまう。今は誰とも会話がしたくなかった。
春馬はスマホの画面を消して、寝たふりを決め込んだのだった。
* * *
放課後、小雪は帰る前に春馬のトークルームを確認した。
小雪の「頑張る」というメッセージの後、彼からは連絡が来ていない。彼は昼休みも教室におらず、屋上前の階段に姿を現すこともなかった。六時間目は選択体育なので別授業だが、帰りのホームルームも、彼の席は空席のままだった。まるで、ふらりとどこかへ出掛けているみたいだ。
以前、彼は「感受性が強い」という話をしていた。だから、もしかしたら精神的に疲れてしまい、人気のないところに避難しているのかもしれない……と思った小雪は、敢えて彼に連絡をしなかったのだが……。
(クッキー渡さなきゃいけないし、さすがに呼び出さないと駄目だよね)
小雪は少し迷いながらも、タプタプとメッセージを打つ。
――渡したいものがあるから会いたい。どこにいる?
既読がつくが、なかなか返信が返ってこない。もしかして、もう帰ってしまったのだろうか。小雪が不安に思ったその時だ。
――旧校舎の教室にいる。この前一緒に行ったところ。
そう短く返信が来た。
(旧校舎か……早く行こう)
小雪は荷物を持って、急ぎ足で教室を出た。
以前彼が案内してくれた道を、今度は一人で歩いていく。
(春馬君がいないと、なんか……静かだな)
今までは、そんな静かな日々が小雪の日常だった。彼と出会うまで、友達もいなかったし、敢えて話しかけたいと思う人もいなかった。寂しかったけれど、それは仕方のない事だと思い込んでいた。
でも……今はそれが落ち着かない。
(春馬君がいないと、少し……寂しいかも)
小雪は、ほんの少しの物足りなさを感じながら、旧校舎の玄関に入っていった。
* * *
三年六組の教室に入ると、春馬がこの前と同じ窓際の席に座っていた。
ぼんやりと窓の外を見ている彼に、小雪はそっと呼びかける。
「春馬君……!」
「ああ、来たんだ」
そう言ってこちらを見る春馬の顔は、湖で見た時のように儚くて、寂しそうな笑顔だった。
彼の表情の理由が分からなくて、小雪は戸惑いながらも彼の隣に座る。
「ちょっと、元気ないね」
「ああ……うん。少し疲れちゃったんだ」
「それで、昼も教室にいなかったの……?」
「うん。昼もここにいた。六時間目の選択体育も、ここでサボっちゃった。ソフトボールがだるくてさあ」
飄々とした笑顔を浮かべながら、頭の後ろで手を組む春馬。小雪には、彼の様子が辛い気持ちを誤魔化しているように見えた。
しかし、彼が何に苦しんでいるのかは分からない。
いつも、掴めそうで掴めないのだ。
故に、なんと声を掛ければいいのか分からなかった。
「……そっか」
「それだけ?」
「なんて言えばいいのか分からなくて」
「ふーん、そっか」
春馬は笑顔を浮かべたまま、目を閉じて腕を組む。
「……なんで疲れちゃったのか、自分でも少し分からないんだ。ただ、君の声が聞けたらいいなって思ってた」
「私の声……?」
「そう。他人と話すのが苦しいのに、君の声だけは……どうしてか欲しくなる。俺の前で笑ってる君が見たい。一回見たものは忘れないはずなのに、君の笑顔は何回でも見たいんだ。変だよねー、俺」
そういう癖に、春馬は目を開けてくれない。小雪の顔を見てくれない。小雪には、それが酷くもどかしかった。
――目を開けて、私を見て欲しい。私のこと、見て欲しい……。
黙っていられないほどの思いに駆られて、小雪は制服の裾を握りしめながら声を出す。
「私も……そうだよ。春馬君と、もっと一緒にいたい。いっぱい話したいし、いっぱい、笑い合いたい……」
春馬が目を開けると、小雪が頬を赤らめながら、潤んだ瞳でこちらを見ていた。
「あなたがいないと、少し、寂しいの」
そう言って柔らかく微笑む彼女の顔が、網膜に焼き付く。
もっと、そのまま見つめていたかった。
昼と夕方の間の日差し。
古びた旧校舎。
膝がぶつかってしまいそうな距離感。
このまま時が止まってしまったら――。
「春馬君」
小雪に呼びかけられて、春馬は我に返った。
「ああ……何?」
「春馬君にも、クッキー作ってきたの。この前のお礼に……」
小雪は、はにかみながらクッキーの入った袋を差し出す。
前面が透明な包装紙からは、桜型のチョコチップクッキーが覗いていた。
「俺にも作ってくれたんだ。ふふ、桜型かあ……」
春馬の顔が花咲くように綻ぶ。
「嬉しい。ありがとう」
そう言って無邪気な笑顔を見せてくれた彼に、小雪は目を輝かせながら頷いた。
「あ、あのね……桜の形の型、実は新しく買ったの。春馬君の名前に、桜が入ってたのを思い出して……つい、買っちゃったんだ」
「俺の名前を思い出したの? あれ、下の名前って名乗ったっけ?」
「メッセージアプリの名前に書いてあったよ? 春馬さくらいちろうって」
小雪の言葉を聞いた途端、春馬が「ぶはっ」と吹き出した。
「ふ……ふふ……さくらいちろうねえ」
「な、何笑ってるの?」
なんで笑われているのか分からず、慌てた顔で首を傾げる小雪に向かって、春馬は笑いながら告げるのだった。
「俺の名前、桜一朗ね」
「え……!」
読み間違いに気づいた小雪の顔が、カーッと赤くなる。
彼女が恥ずかしがっているのを見て、春馬はニヤニヤしながら続けた。
「一原さんって漢字苦手なの?」
「ち、違うよ! 今回はたまたまだもん!」
「どうかなー? ふはは、あーおもしろ……」
「そんなに笑わなくても……」
頬を膨らませる小雪を見て、春馬は涙を拭いながら微笑む。
「でも、すごく嬉しいよ。俺の事、考えてくれてありがとう」
彼の優しい微笑み。王子様みたいに、甘い笑顔。
その顔を見るだけで、小雪が抱えるどんなモヤモヤも吹き飛んでしまう。
デリカシーが無くて、少しウザくて……飄々と笑ったと思ったら、頭の良さと家族のことで色々抱えていて、時々寂しそうな顔をする彼。
それでも、一緒に話すと色々な笑顔を見せてくれる彼と一緒にいると、小雪は自然と笑うことができた。
(いろんな顔をするから、少し掴めない人だけど……これから、もっと知れたらいいな。春馬君の事)
二人で笑い合う放課後の時間が、これから先も続くことを、密かに願った小雪だった。




