4 作戦会議
放課後。小雪が荷物を片付けていると、スマホに春馬から連絡が来た。
――帰り支度済んだら、裏門に集合ね。
(裏門……あっちの方って、何かあったっけ?)
小雪は首を傾げながらも、「分かった」と返信して裏門に向かった。
生徒玄関を出て、大勢の生徒が正門に向かう中、反対方向にある裏門へと歩いていく。この他人と違う行動をしている状態が、小雪はどうにも落ち着かなかった。
せめてこれ以上目立たないようにと、可能な限り裏門の端の方に寄り、スマホを見て待ち合わせアピールをしておく。正当な理由があれば裏門にいてもいいだろう……という、一種の悪あがきだが。
しばらくして、春馬がこちらに走ってきた。
その手には、何かが入った購買のレジ袋が入っている。
「ごめんごめん、お待たせ」
「う、ううん。さっき来たところ。それより、その袋……」
「あー、これは後でのお楽しみね」
春馬はニヤリと笑って、「それじゃ、行こ」と歩き出す。
裏門を抜けて高校のグラウンド沿いにある奥の道を歩く彼に、小雪も慌ててついていった。
(今気づいたけど、春馬君と私、歩幅が全然違う。春馬君って、意外と背が高いし脚も長い……背中も、大きい)
彼の後ろ姿を見ているだけで、胸が締め付けられる。ドキドキと、この音が彼に伝わらないように祈るしかなかった。
(私、同盟を組むようになってから……ドキドキしてばっかり。春馬君の事、知るたびに……心臓がうるさくなる。どうしてなんだろう)
自分の心の変化に追いつけなくて、小雪は赤い顔で戸惑う。
頬がこんなに熱くて、胸が痛くて……でも、もう少しこの気持ちに浸りたくなってしまう。
彼を通して、この気持ちの正体が知りたいのに……知っていいのか分からない。
――私は春馬君に、何を感じてるんだろう……。
小雪が悶々としながら彼の背中についていっていると、不意に彼が立ち止まった。
「着いた。ここ」
春馬が小雪を振り返り、微笑む。
小雪が前方を見ると、そこには古めかしい木造の学校が建っていた。
「ここって……?」
「薫野高校の旧校舎。三年前まで使われてたんだけど、今は文化部の生徒がたまに使うぐらいだね。今日は文芸部が一部屋使ってるだけで、他には誰もいないよ」
「詳しいね」
「生徒会の知り合いからリサーチ済みなんだ」
――知り合い。そういえば、彼の口から小雪以外の人間に「友達」という単語を使ったのを聞いたことが無い。彼も自分と同様に、他人には気を許していないのかもしれない……と、小雪は何となく考えた。
「じゃ、空き教室で作戦会議しよ」
「うん」
迷いなく旧校舎に入っていく彼に、小雪も置いていかれまいとついていった。
* * *
旧校舎三階にある三年六組の教室。使い古された黒板と、教室の後ろについているロッカー。それに立てかけられた、三年前の日付の文化祭の立て看板と飾りの入った箱。どれをとっても、過去から時間が止まっている。そんな教室の中に、小雪は春馬と共に入った。
彼が窓際の席に座るのについていって、隣の席に座る。
(なんか、変な感じ……春馬君の隣の席に座ってるの)
「なんか不思議ー。俺の隣の席に一原さんがいるの」
「え……!」
まるで思考を読まれたようだ。小雪は同様のあまり体をびくりとさせる。
彼女の驚きっぷりをみた春馬は、いつものように「ふは」と笑った。
「同じこと考えてたでしょ?」
「う……うん。ちょっとだけ」
「ふふ、俺らってやっぱり似た者同士だ」
春馬はそう言いながら、先ほど持っていた購買のレジ袋を机の上に出す。
「似た者同士な俺と君なら、きっと食べ物の趣味も合うと思いまして……これ、どうぞ」
春馬が袋から取り出したのは、チョコチップクッキーの箱だった。しかも、購買に売っているものでは少し高い値段のものだ。有名なチョコレート会社が作っている、ブランド品のようなクッキー。
「これ……『Snowy』のクッキー?」
「そ。美味しいよね」
「食べたことない……」
「え!? 噓でしょ!?」
春馬が出会ってから一番大きな声を出して驚く。
顔に「信じられない」と書いているが……小雪にとってはこんな高級菓子を好んでいる方が信じられなかった。
「普段から、こんなに高いの食べてるの?」
「え、そんな高くないでしょ? せいぜい三五〇円じゃん」
「私、お菓子はいつも二〇〇円以内のしか買わない」
「ええ!? 小学生の遠足じゃん! マジで!?」
「マジだよ……だってうち、節約しなきゃだし」
小雪がポツリと呟いたのを見て、春馬は少し落ち着きを取り戻した……というか、冷静にならなければと思い直して咳払いした。
「ごめん。そういうのって家庭によるよね」
「うん……でも、春馬君がSnowy好きなの意外。だって、お弁当の中身はあんなに渋かったのに」
「あー、それはばあちゃんが作ってくれてるからだね」
「おばあちゃんと一緒に暮らしてるの?」
「そ。両親と姉ちゃんの代わりに、ばあちゃんが面倒見てくれてるの」
春馬は微笑みながらそう言うと、窓の方を見て続ける。
「うちの両親、会社を経営してて忙しいんだ。フローリアって知ってる? スーパーの」
「ああ……日本中にあるよね。薫野市にもあるやつ。それ?」
「そう。あのスーパーの運営会社の社長が、うちの父親」
「え……!」
春馬の意外な家庭事情を知り、小雪は目をパチパチさせた。
頭が良くて、容姿端麗な上に社長のご子息なんてステータスが追加されたら、誰だって彼を手に入れたくなるだろう。彼に言い寄る人間の気持ちが、小雪にもよく分かってしまった。
「た、大変だね……」
「あはは、親が社長だっていうのに対する感想がそれ? 普通だったら、金持ちで良いなーとか、将来は会社継げるから、就活いらなくて羨ましーとか、そういうこと言うもんじゃない?」
春馬はケタケタと笑う。
傾いた日に照らされて、逆光になっている彼の顔は、いつもよりよく見えない。
でも、本当は無理をして笑っていることが、小雪には分かった。
何故なら、目元が普段の笑顔と違って引き攣っているからだ。
「春馬君は……なんとなく、そういうこと考えないと思う。それから、そういう目で見られるのも嫌なんじゃないかなって、思う」
小雪は遠慮がちに彼を見つめて、首を傾げた。
「当たってる……?」
彼女の澄んだ瞳で見透かされ、春馬は思わず乾いた笑い声を出す。
「はは、やっぱり一原さんって、勘がいい人じゃん」
気まずそうに笑って、首の後ろに手を当てて目を伏せる。こんな仕草をする春馬を、小雪は今まで見たことが無かった。
(また新しい顔……)
「君の言う通り、俺は自分の家が会社運営してることも、親が社長なことも自慢だと思ってない。それで良かったこと、あんまりないから」
「そうなの?」
「うん。ばあちゃんが面倒見てくれてるって話から察したんじゃない? 俺の家、家族仲あんまり良くないんだ。両親は仕事人間でお金の事ばっかり。姉ちゃんは、俺が中一の時に家を出てったきり会えてないし」
暗く伏せられた桜色の目。また、どこか遠くに行ってしまいそうな顔をしている彼から、小雪は目が離せなかった。
励ましたい。でも、何といえばいいのか分からない。ただ……家族に問題があるという点では、彼と自分はよく似ていた。
似ているからこそ、どんな言葉も地雷になってしまうと分かってしまい、何も言えなかった。
小雪が申し訳なさそうな顔で俯いているのを見て、春馬はフッと笑う。
「ま、そういう家族もいますよねーって感じ。そんなに重く考えなくていいよ。今はそこまで苦しんでないから」
「ほんとに?」
「うん。一原さんが傍にいるから」
優しく目を細めて笑う彼に、小雪は吸い寄せられそうになる。
息をしたくても、上手くできない。呼吸することで、この瞬間を見逃してしまいそうな気すらしていた。
彼の桜みたいな笑顔を、ずっと見ていたい。
このまま、時間が止まって欲しい――。
「ねえ、一原さん」
彼に呼びかけられて、小雪の意識が現実に呼び戻された。
「は、はい」
「俺さ、もっと一原さんと一緒にいたいんだ。君は、他の人と違って、俺に汚い感情を持って近づかないから安心するの」
――汚い感情。
今抱いているこの感情は、彼にとって「汚い感情」じゃないのだろうか。
小雪はそんな不安を飲み込むように、唾を飲んだ。
「だから、俺としては学校でも一緒にいたいのね。でも、一原さんは周りが気になって一緒にいられないって言うんだよね」
「う、うん。ごめん……」
「謝んなくていーよ。考えるべきは、どうしたら君が周りを気にしなくて済むかってこと。一原さんが周りを気にしちゃう理由って、『皆に嫌われてる』っていう劣等感だと思うんだよねー。どう、合ってる?」
まるで見透かされているかのように言い当てられて、小雪は頷く事しかできなかった。
「やっぱりね。じゃあ、その劣等感の解消が先決だ」
「う、うん……でも、私が劣等感を解消したところで、みんなのイメージは変わらない……私、みんなに好かれるような人じゃないし……」
「うわ、自己肯定感低っ! あのさあ、一原さんって、俺からしたら魅力的な人だからね?」
春馬が呆れた笑顔で告げる。
「凛としてて、他人に媚びない。他人をステータスで見ないし、嫌なうわさ話をされても学校から逃げない強い人。君の周りの空気は、いつも冬の空みたいに澄み渡ってて、綺麗なんだ」
話しているうちに、春馬の表情が優しくなっていく。
小雪は、彼にそんな顔をさせる理由が自分にあることを喜んでしまいそうになって、「それは駄目だ」と慌てて心を落ち着ける。
(調子乗っちゃだめだ……落ち着かないと)
彼がくれた美しい褒め言葉の数々を、小雪は必死に頭の隅に追いやる。
彼女が赤い顔で目をぎゅっとさせるのを見て、春馬は「ふは」と笑って続けた。
「ついでに、料理も上手い」
「……それは、いつもしてるから」
「高校生で自分の弁当作ってる人、初めて見たよ。だから、やっぱり一原さんはすごい。妻に欲しいぐらい」
「は……!?」
小雪は真っ赤な顔で口を開けた。
何と返せばいいのか、彼の意図が何なのか……何もかも分からず口をパクパクさせていると、春馬はケラケラと笑った。
「ごめん、揶揄った。ピュアな一原さんの反応が気になって……ああ、空手の構えはやめて! もう殴らないって言ってたじゃん!」
「……次は無いから」
「分かった分かった! ……話を戻して、周りの人にもそういう魅力を知って貰えたらさ、誤解も解けるし劣等感も解消されるよね?」
「そ、それはたしかに。でも、どうしたらいいのかな……」
小雪は暗い顔で目を伏せる。
自分の魅力を認めて貰えることは嬉しかったが、それを周囲の人にどう知って貰えばいいのか分からない。
彼女の暗い顔を見て、春馬は強気な笑顔を浮かべる。
「俺に考えがあります」
「考え……?」
「うん。題して……チョコチップクッキー大作戦」
「は……?」
彼の言っていることの意味が分からず、小雪は首を傾げた。
「どういう作戦?」
「クラスの人に、クッキーを作って配るんだよ。一原さんは料理上手だし。あ、お菓子作りは苦手だったりする?」
「ううん。でも……クラス全員ってことは、一人三枚作る計算だと……九十枚?」
小雪が不安げな顔で尋ねる。
それを見た春馬は「真面目か!」と笑った。
「全員じゃなくてもいいんだよ。ちょっと話したことがある数人に配ることから始めよう。そうやって徐々にクラスに溶け込んでいって、『氷の女王』の異名を溶かしていくの」
「少しずつ……私にできる、かな」
小雪は自信なさげに呟く。
「あんなに嫌われてる、私に……できるかな」
「大丈夫、できる」
小雪が顔を上げると、春馬の王子様のような微笑みがあった。
「一原さんなら、大丈夫。一緒に頑張ろう」
春馬の笑顔を見て、小雪の心が温かくなっていく。
――悲観的な性格だった。父や幼馴染に何度「大丈夫」だと言われても、不安が解消されることはなかった。でも、彼に「大丈夫」だと言われると、安心できるのは何故だろう。
(私の中で、春馬君の存在は……大きいんだな)
小雪はそのことに気恥ずかしくなりながら、赤くなった顔で小さく頷いたのだった。




