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春色の雪  作者: 月島
第一章 似た者同士の親友同盟
3/18

3 近づききれない

 翌日、小雪(こゆき)は昨晩の興奮が治まらないまま登校した。

 生徒玄関に入り、一年生達から羨望の眼差しを向けられ、同級生からは敬遠される。いつも通りの朝だ。

 教室に入ると、自分の二つ隣の席には既に春馬(はるま)が座っていた。

 彼はこちらに気づくと、微笑みながらひらりと手を振る。

 口元を見ると「おはよう」と動いていた。声には出していない様子だが。


(友達からの、挨拶……)


 高校入学から今まで、されたことのないこと。嬉しいような恥ずかしいような、そんな気持ちが込み上げる。


(どうやって返せばいいんだろう……)


 小雪(こゆき)が頬を赤くしながら、とりあえず手を振り返そうと右手を上げかけたその時。彼女の奥の方から興奮した女子生徒の声が聞こえてきた。


「ねえ、春馬(はるま)君、こっちに手を振ってるよ?」

「おはようって、私達に言ったのかなあ?」


 二人の声を聞いて、小雪(こゆき)は慌てて手を下ろす。


(そうだ……春馬(はるま)君って、モテるんだもんね……下手に親し気にしたら、反感買うかも)


 小雪(こゆき)はいつものように表情を消して、席に着く。

 英語の予習をしようとノートと教科書を開き、練習問題を解き始めたその時だ。

 スマホが、ブー、ブーと二回振動した。

 確認すると、「春馬桜一朗」のトークルームにメッセージが来ていたのだ。


 ――おはようって、一原(いちはら)さんに言ったんだよ?


(あ……やっぱり、そうだったんだ)


 彼の席をちらりと見る。すると、つまらなそうな顔でスマホを眺めていた。


 ――朝の挨拶ぐらい返して欲しいな。俺達、同盟関係なのに。


 次いで送られてきたそのメッセージを見て、彼が拗ねていることに気づいた小雪(こゆき)は弁解しようとメッセージを送る。


 ――ごめん。周りの人の目が気になって挨拶できなかった。春馬(はるま)君はモテるみたいだし、仲良くしてたらファンの子にボコボコにされそうで。


 ポコン、と音を立ててメッセージが送信された。

 それと同時に、春馬(はるま)が口元に手を当てて悶絶しだす。



「んんっ……」

(え、笑ってる?)


 小雪(こゆき)が彼を訝しげに見つめていると、再びスマホが振動した。


 ――あんな完璧な正拳突きできる人がボコボコにされる訳ないでしょ。殴られる前に殴っちゃいなよ。


「は……!?」


 小雪(こゆき)は思わず顔を真っ赤にした。

 慌てて春馬(はるま)の方を睨むと、彼はこちらを見てニヤリと笑っていた。


(あの人……!)


 小雪(こゆき)は眉根に皺を寄せながら、指先に怒りを込めてメッセージを送る。


 ――殴る訳ないでしょ。私のことを何だと思ってるの?


 間髪入れずに彼からメッセージが返ってきた。


 ――じゃあ、俺だけ特別?


(え……)


 チラリと彼の方を見る。すると、静かな桜色の瞳をこちらに向けていた。

 まるで、こちらを試しているような顔。その瞳と目を合わせるのが辛くて、小雪(こゆき)は慌てて顔を背ける。


(暴力されるのが特別とか……そんなのDVじゃん。健全な友達同士の『特別』じゃないよ)


 数年前、母に怒鳴られて、自室の隅で頭を抱えていた父の姿が思い出される。


(あの人と同じことはしたくない)


 小雪(こゆき)は目を伏せながら、返信を送った。


 ――もう殴らないよ。だから、暴力に特別を見出すのやめて欲しい。


 既読はついたが、返信は来ない。

 彼の方を見ると、前の席の男子に話しかけられているところだった。


春馬(はるま)ー。国語の課題見せてよ。記述が分かんなかったんだ」

「えー、また? まあ、いいけど」


 ヘラヘラしながら白いノートを差し出す春馬(はるま)を見て、小雪(こゆき)の胸にモヤモヤが生まれる。


(似てるなんて言ってたけど……結局、独りぼっちなのは私だけじゃん。同盟結ぼうって言ったのはそっちの癖に)


 小雪(こゆき)は普段より強い筆圧で、英語の練習問題を解いていく。

 他人に対してここまで苛立つことが初めてで、どうしたらいいのかよく分からなかった。


* * *


 モヤモヤが晴れないまま迎えた昼休み。小雪(こゆき)はいつものように弁当を持って教室を出た。

 行先は、屋上に続く階段の踊り場だ。

 薫野(かおるの)高校は屋上が立ち入り禁止のため、その階段付近も必然的に人が来ない。一人で昼食をとるには最適な場所だった。

 小雪(こゆき)は下の階から見えないように、上の階段の陰になるところへ腰を下ろす。

 薄水色の弁当箱を開いて、今朝作った卵焼きに手を付けたその時だった。

 また、スマホが二回振動したのだ。

 確認すると、春馬(はるま)からのメッセージだった。


 ――今どこ? お昼一緒に食べたいんだけど。


「え……」


 思ってもみなかったことを言われて、小雪(こゆき)は目を丸くした。

 今朝の様子を見る限りだと、きっと彼も誰かと一緒に昼食をとっているだろうと思ったのだ。

 恐らく引く手あまたな彼が、自分と一緒に昼食をとろうとしてくれている……これは同盟関係だからだろうか。それとも、今朝のメッセージのことで少し気を遣わせてしまったのだろうか。


(いいのかな……一応、確認した方がいいかな?)


 小雪(こゆき)は少し迷いながらも、指を動かす。


 ――私と一緒で大丈夫なの? 他に一緒に食べる人いないの?


 すると、すぐに返信が返ってきた。


 ――君と一緒に食べたいの。他の誘いは全部断ったし。


(全部、断った……)


 彼が自分を優先してくれていることが分かり、小雪(こゆき)の心が浮つく。

 今朝はあんなにモヤモヤしていたのに、少し優しくされただけで、そのモヤモヤも霧散してしまった。


(ちょっと優しくされただけでこれとか……私、単純すぎる)


 小雪(こゆき)は色白な頬を桜色に染めながら、返信を打つ。


 ――屋上前の階段の踊り場にいる。場所分かる? 美術準備室を奥に進んだところなんだけど。


 メッセージを送信したら、すぐに返事が返ってきた。


 ――分かった。そっち行くね。


 たったそれだけのメッセージなのに、彼の王子様の笑顔が目の前に浮かんでしまった。

 うっかり空想に耽りそうになって、小雪(こゆき)は頭をブンブンと振る。


(落ち着かなきゃ……変にドキドキしてたら、きっと勘繰られる)


 小雪(こゆき)は深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着けようとする。

 そうしているうちに、階段を上る音が聞こえて、春馬(はるま)が姿を現した。

 彼の手には、渋い唐草模様のランチバッグがある。


(え、おじいちゃん臭い……)


 普段のキラキラした彼のイメージとそのバッグがどうにも結びつかず、小雪(こゆき)は困惑してしまった。

 呆然と固まっている彼女に、春馬(はるま)はにこやかに手を振る。


「やっほー。こんなところでご飯食べてたんだね」

「う……うん」

「あ、卵焼き美味しそー。俺の弁当の何かとトレードしてよ」

「ああ……いいけど」


 春馬(はるま)小雪(こゆき)の隣に腰を下ろして、弁当箱を取り出す。

 彼の弁当の中身を見て、小雪(こゆき)は再度目を丸くしてしまった。


(ふきのとうと、きんぴらごぼうと、厚揚げと、焼きサバ……渋い)

「この中だったら厚揚げかなー。卵焼きに見た目も似てるし。あ、一原(いちはら)さんって生姜大丈夫な人? ちょっと掛かってるけど」

「だ、大丈夫」

「じゃあ決まり。弁当箱出して」


 小雪(こゆき)が弁当箱を差し出すと、春馬(はるま)は空いているところに生姜の乗った厚揚げを入れてくれた。

 小雪(こゆき)の方も、彼の弁当箱の厚揚げの分空いた場所に、自分の卵焼きを入れてやった。


「どうも。早速食べよっかな」

「うん。口に合うか分からないけど……」

「だいじょーぶ。いただきます」


 春馬(はるま)が卵焼きを一口で食べる姿を、小雪(こゆき)は少し緊張しながら見守る。

 味は変じゃなかったはずだが……彼から「まずいね」と言われたら、向こう二か月は引きずってしまうかもしれない。ついでに言うと、同盟も解消したくなってしまうかも……と、小雪(こゆき)は不安のあまりゴクリと唾を飲んだ。


「……ん」

「どう?」

「甘い。美味しい」


 春馬(はるま)は目をキラリとさせながら卵焼きを飲み込み、小雪(こゆき)に向かって満面の笑顔を見せた。


「反応を見た感じ、一原(いちはら)さんが作ったんだよね?」

「う、うん。そうだけど」

「すごく美味しかった。一原(いちはら)さん家も甘い卵焼き派なんだね」

「うん。お父さんが甘い方が好きな人だから、いつも砂糖を入れてる」

「いやー、それ聞いて安心したよ。俺も甘い卵焼き派なんだよね。戦争にならなくて良かったー」


 冗談めかしくそう言って、ケラケラと笑う彼の様子は、どこか子どものように無邪気に見えた。


春馬(はるま)君って、こんな顔もするんだ……ちょっと、可愛いかも)


 小雪(こゆき)の口元が、自然と解けていく。


「ふふ……」


 まるで雪解けを迎えた春の草むらのように、柔らかい笑顔。彼女が初めて見せてくれた笑顔を見て、春馬(はるま)は目を見開いた。


一原(いちはら)さんが笑った……」


 春馬(はるま)に呆然と指摘され、小雪(こゆき)の顔が一気に赤くなる。


「え……あ、これは、その……」


 恥ずかしくてまごついてしまう彼女を見て、春馬(はるま)は興奮した様子で尋ねた。


「ねえ、今まで学校で笑ってたことないよね? もしかして、今のが初めて?」

「う、うう……そう、かも」

「よっし! あはは、同盟関係結んでから、やっと少し一原(いちはら)さんに近づけた。すごい嬉しい」


 春馬(はるま)が心底嬉しそうに笑ってくれるのを見て、小雪(こゆき)の心臓がうるさくなる。

 こんな風に、屈託なく笑っている彼が見られるなんて、思ってもみなかった。

 彼の顔をずっと見続けていることが苦しくて、小雪(こゆき)は目線を下にしながら口を開く。


春馬(はるま)君の、周りには……色んな人がいて、私なんてその中の一人でしかないと思うけど……ちょっとだけ、特別になれたかな」


 小雪(こゆき)が赤い顔でポツポツと尋ねると、春馬(はるま)は「ふは」と笑って答える。


「特別に決まってんじゃん。じゃなきゃ、朝の挨拶もしないし、お昼も一緒に食べないから」

「そ、そっか……」

「そうなんだよ。てか、俺としては、学校でももっと一原(いちはら)さんと話したいんだけど?」


 春馬(はるま)から悪戯っ子の笑顔で覗き込まれて、小雪(こゆき)は真っ赤な顔を逸らす。


「それは……ちょっと。私、あんまり周りによく思われてないし……私と一緒にいたら、迷惑掛かっちゃうから」

「あー、周りの視線が気になっちゃう系ね。一原(いちはら)さんはそういう感じなんだね。なるほどなあ」

「分析しないで」

「ごめんて。まあ、でもさ。俺としては、他の人といるよりも、一原(いちはら)さんと一緒の方が落ち着けるんだよねー」


 何でもない笑顔でそう言い切ってしまう春馬(はるま)が魅力的に見えて、小雪(こゆき)は彼から目が離せなかった。


(平然と言ってのけちゃうんだもんなあ……そりゃ、モテるよね)


 小雪(こゆき)がそんなことを思いながら見惚れていると、春馬(はるま)はニヤリと口角を上げた。


「今、変な事考えたでしょ」

「考えてない。感心してただけ」

「ふーん、そういう事にしてあげましょうか」

(ちょっとウザいのは玉にキズだけど……)


 小雪(こゆき)にジトっとした目で見られて、春馬(はるま)は「ごめんごめん」と笑って誤魔化す。

 そうやって軽薄な癖に、簡単に他人に優しくできてしまう彼が恨めしかった。

 こんなにドキドキしてるのは、私だけなの――。


「ねえ、一原(いちはら)さん」

「あ、は、はい」

「放課後、ちょっと作戦会議しない?」

「作戦会議……?」


 小雪(こゆき)が小首を傾げると、春馬(はるま)は柔らかい微笑みと共に口を開いた。


「そ。俺と君が、学校でも同盟らしく仲良くできる方法について、一緒に考えてよ」


 彼の申し出に、小雪(こゆき)は息を詰まらせる。

 仮に作戦会議をしたとしても、自分が周囲に疎まれていることには変わらない。一緒にいることで、彼に迷惑を掛けてしまう可能性だって高いままだ。

 でも、それとは別に……彼と少しでも長く一緒にいたいと思ってしまうのは、どうしてなのだろう。

 初めての友達、だからだろうか。


「う……うん。いいよ」


 迷った末に、小雪(こゆき)はコクリと頷いた。


(同盟結んでる以上、春馬(はるま)君のことを蔑ろにする訳にはいかないし……別に、下心とか、ある訳じゃない。ただ、『お互いの相談には乗る』っていう条件を守ってるだけ)


 赤くなってしまった頬から、妙な探りを入れられてしまうことが怖くて、小雪(こゆき)は俯きながら厚揚げを口に入れる。

 生姜の効いた、どことなく懐かしい味。これが、彼の普段食べている味なのかと思うと、どうしてか気恥ずかしかった。


(まだ、春馬(はるま)君の事、よく知らない……知りたいけど、知るのは、少し怖い……)


 自分が自分じゃなくなってしまうような危うさに怯えながら、そして、それでも浮ついてしまう心を落ち着けようとしながら、小雪(こゆき)は昼食を食べ進めた。

 彼女の様子を見ながら、春馬(はるま)は心の中で呟く。


(そんな怖がらなくてもいいのに。俺はただ……無色透明な君と、一緒にいたいだけなんだけどな)


 静かな顔で彼女を見つめた後、弁当の中のきんぴらごぼうを食べる。


(もっと笑ってよ。そっちの方が俺も嬉しいのにさ)


 近づきたいのに近づききれない距離感が、二人の間にはあった。

 もどかしくて、でもどうしていいのか、二人とも分からない。

 しかし、それでも……二人きりで過ごす昼下がりが、もう少しだけ続いて欲しい――と、心の中で願う声が重なってしまうのだった。

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