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春色の雪  作者: 月島
第六章 ほどけた繋がりを結んで
26/35

26 再会

 体育祭は小雪(こゆき)がいないまま進み、最終的に紅組の優勝で幕引きとなった。春馬(はるま)小雪(こゆき)が所属する白組は二位だった。

 後片付けとホームルームが終わる。春馬(はるま)小雪(こゆき)の席で彼女の荷物を手に取ろうとする可憐(かれん)苑香(そのか)に歩み寄った。


「ねえ、それ俺が持って行ってあげてもいいかな?」


 春馬(はるま)が柔らかい笑顔を作りながら声を掛けると、可憐(かれん)が不安げに眉を下げた。


「いいけど……大丈夫なの?」

「何が?」

「借り物競争の後、なんか揉めてたでしょ。理系進学の眼鏡の人と」


 可憐(かれん)の言葉に、苑香(そのか)も同意する。


「そうだよ。小雪(こゆき)ちゃんとも少しぎくしゃくしてなかった?」

春馬(はるま)君、今の状態で冷静に会えるの? 相手は病人だし、あんまり不安にさせちゃ駄目なんだよ」


 二人の言葉を聞き、春馬(はるま)はグッと喉を詰まらせる。


 ――臆病である故に、他人を傷つけてしまうその行動……父さんから聞いた君の父親とそっくりだ。


 竹花(たけはな)の言葉が蘇って、春馬(はるま)は思わず唇を噛む。


(俺が……小雪(こゆき)を傷つけるって言いたいのかよ)


 そんな不満が胸に燃え上がる。でもすぐに借り物競争後の彼女の様子がフラッシュバックして、一気に心と頭が冷めた。


(……いや、そうだよな。今の俺は、少し普通じゃない。……頭を冷やさないといけない)


 春馬(はるま)はそう思い直して、落ち着いた顔で息を吐いた。


「……ごめん。やっぱり、二人が荷物を届けてあげて。頭冷やしたい」

「うん、分かった」


 二人は春馬(はるま)に返事をすると、荷物を持って保健室へと行ってしまった。

 少しずつ、教室から生徒が出ていく。

 賑わっていた生徒の声が、薄くなっていく。

 いつもと同じ夕方直前の黄みがかった空の色と光。しかし、今日はそこに彼女がいない。

 その事実が、酷く、痛かった。


春馬(はるま)ー。何してんの?」


 教室を出ようとしていた友部(ともべ)春馬(はるま)に声を掛けた。


「帰んないの?」

「……帰る」

「おー。じゃあ、一緒に行こうよ。あ、そうだ! 薫野中央(かおるのちゅうおう)駅の中に期間限定でシュークリームの店ができたらしいから、ちょっと付き合って!」


 友部(ともべ)の表情は明るい笑顔で、こちらの苦しさに全く気付いていない様子だ。

 それが今は救いだった。


「俺の家、中央(ちゅうおう)駅の手前なんだよなー」


 お陰で、いつものように飄々と笑うことができたのだ。


「でも、せっかくだからついて行ってあげるよ」

「ありがと! 売り切れる前に行こ」


 目を輝かせながら急かす友部(ともべ)に、速足でついて行く。


(俺も……能天気で、いつも底抜けに明るくて、でも人と関わるのが上手い友部(ともべ)みたいな人間だったらよかったのに)


 春馬(はるま)は笑顔の裏で、そんな思いを抱いたのだった。


 薫野中央(かおるのちゅうおう)駅までの道中を春馬(はるま)は俯き加減に歩いていく。

 彼に元気が無いのが気になって、友部(ともべ)は首を傾げながら尋ねた。


「なあ、どうかしたの?」

「……俺って、臆病?」


 春馬(はるま)は小さな声で尋ねる。

 彼が何を気にしているのか、友部(ともべ)にはよく分からなかった。

 しかし、質問には答えねばと思い、顎に手を当てて考え込む。


「臆病っていうか……誰にでも平等だよな。平等に優しくて、でも平等に一線を引いてる感じ」

「まあ、そうかも」

「なー。その一線引いてる理由によるんじゃねえかな。嫌われるのが怖いとか、そういう気持ちがあるなら、臆病な部分もあるんじゃね?」


 友部(ともべ)はそう答えた後、不思議そうな顔で尋ねる。


「なんで急にそんなこと気になってんの?」

「お前は臆病だって、理系進学の奴に言われたんだ。お前の中途半端で臆病な態度が嫌いだって」

「わあ……そんなこと言う奴いるの? こわ……」

「ほんとだね」


 春馬(はるま)は笑顔を作り、ふうと溜息を吐く。

 いつも通り、辛い気持ちを笑顔で誤魔化して、空気を和らげようとしているのだ。

 自分の心も、周囲の心も、なんとなく誤魔化すための一つの手段。幼少期からの環境で身に着いた技だった。

 しかし、そんな誤魔化しも、親しい人には効かなくなっていくのだ。


「や、無理して笑うなよ。面と向かって嫌いだって言われたらさ、誰だって傷つくでしょ」


 友部(ともべ)が心配そうな顔を春馬(はるま)に向ける。


「人間関係なんて合う合わないあって当然だけどさあ、直接『嫌いだ』なんて言うべきじゃないんだよ。だから、仮に春馬(はるま)の態度に問題があったとしても、そいつだって悪いから、気にしないでいいと思う」

「……そっか」


 春馬(はるま)は笑顔を消して、俯き加減に呟く。


「でも……変われたらいいのかなって思うよ。誰にでもいい顔する自分から、変わりたいってずっと思ってた。それが、できなかっただけで」

「できないって、何で?」

「そうしなきゃ、上手く生きられないから。経験上、正義感もハッキリした態度も衝突を生むだけだって知ってるし。そのせいでぶつけられる攻撃的な態度や言葉も、俺の場合は敏感に感じ取っちゃうから」


 春馬(はるま)は力無く笑って、歩くスピードを速めた。

 彼の辛さが痛いほど伝わってきて、友部(ともべ)は眉を顰める。でも、伝えるべき言葉が見つからない。

 そうしているうちに、薫野中央(かおるのちゅうおう)駅の前まで来た。

 駅の入り口から中に入ると、二階に上るエスカレーターの傍にシュークリームの出店が出ていたのだ。


「あー、あれだ!」


 友部(ともべ)がわざと明るい声を出す。


「東京のお店なんだって。絶対美味しいし、行こ!」


 元気に振舞ってくれる彼の態度すら、春馬(はるま)は苦しかった。

 しかし、これ以上気を遣わせても駄目だと思い、笑顔を作って頷く。

 二人で一緒に店の前まで来て、春馬(はるま)友部(ともべ)が家族の分を注文する声を聞いていた。


「プレーンが五個ですね。お待たせいたしました。こちらになります」

「はーい! ありがとうございます」


 代金を支払った友部(ともべ)がシュークリームの箱を受け取るのを、ぼんやりと見ていたその時だ。


「久々の薫野(かおるの)、意外と暑いわー」

花菜(かな)ちゃん、カーディガン脱いだら?」


 ――花菜(かな)ちゃん。


 まさかと思い、春馬(はるま)はエスカレーターの方を見る。

 降りて来た、親子三人。背の高い茶髪の男。その隣を歩く小さな男の子。そして、その子と手を繋ぐ癖のある黒髪の女性。


花菜(かな)ちゃん……?」

「え、どした?」

「姉ちゃんが……ずっと、会えてなかった姉ちゃんがいて……」


 春馬(はるま)が震える声で呟くのを聞いて、友部(ともべ)は慌てた様子で尋ねた。


「何それ、どこにいんの?」

「エスカレーターから降りて、駅の外に」

「じゃあ今追いかければ間に合うじゃん! 行けよ!」


 友部(ともべ)が言い放つのを聞いて、春馬(はるま)は目を見開いた。

 ひゅっと息を飲みながら、なんとかそれに言葉を返す。


「でも……子どもがいて」

「関係ない」

「昔、俺のことを置いて家を出ていってるから、もしかしたら会いたくないって思われてるかも」

「関係ない! お前が会いたいなら、会わなきゃ駄目だよ! だって家族じゃん!」


 友部(ともべ)は必死な顔で春馬(はるま)に訴える。


「色んな事が気になるの、分かる。不安なのも怖いのも分かる。でもさ、大事な人には臆病にならなくたっていいんだよ!」

「……!」


 春馬(はるま)は目を見開き、息をぐっと詰まらせた。


「俺……花菜(かな)ちゃんのこと追いかける。ありがと……!」


 春馬(はるま)友部(ともべ)にそう伝えて、駅の出口に向かって走り出した。

 土曜日とはいえ、遊びに行った帰りの人々や、体育祭終わりの生徒達で道が混んでいる。春馬(はるま)は周囲の人にぶつからないように気を付けながら、でも必死に走った。


「かなちゃ……花菜(かな)ちゃん!」


 息が上がるのは、走っているからというだけではない。

 緊張と期待と不安が混ざって、上手く呼吸ができなかった。

 汗が首筋を流れていく。傾いた夕方色の日の光が、汗に反射する。

 心臓が痛い。もう鼓動を止めてしまいたいと思うほど強い痛みが繰り返される。体に異常があるんじゃない。欠けてるのは心の方だ。そんなこと分かってる。

 生きているのが辛い。助けて欲しい。ずっと蓋をしていたそんな気持ちが、遠くにある姉の姿を見ているだけで再び溢れ出してしまった。涙が出そうだ。


花菜(かな)ちゃん……!」


 春馬(はるま)は姉の名前を必死に呼びながら、彼女の後ろ姿に追いつき……その腕を、強く掴んだ。


「え……?」


 花菜(かな)が目を丸くして振り返る。

 彼女の優し気な桜色の瞳に、桜一朗(おういちろう)の泣きそうな顔がうつった。


「……俺の事、分かる……?」


 桜一朗(おういちろう)が、肩で息をしながら尋ねる。

 彼の桜色の瞳と、セットされた癖のある黒髪。声は大分低くなった。背も随分高くなった。でも、だけど。


「分かるよ……」


 花菜(かな)の目が、自然と潤んでいった。


「私の弟の、桜一朗(おういちろう)でしょ」


 目に涙を浮かべながら微笑んでくれる姉の姿を見て、桜一朗(おういちろう)は小さく繰り返し頷いた。


「うん……うん、そうだよ」


 あの日、自分を置いて家を出てしまった姉。言いたいことも、伝えられなかった寂しさも、沢山あったはずだ。なのに、口をついて出たのは何の不純物もない素直な気持ちだった。


「会いたかった……」


 桜一朗(おういちろう)の瞳から、涙が零れてアスファルトに跡を作る。


「会いたかったんだ……ずっと」


 春馬(はるま)の潤んだ声と思いが、夏を目前に控えた温い空気の中に、混ざっては溶けていった。


* * *


 保健室で休んでいた小雪(こゆき)の元に、苑香(そのか)可憐(かれん)は荷物を届けに来てくれた。

 その後、父が迎えに来るのを待つことになった小雪(こゆき)は、二人と別れて保健室のベッドに寝て休んでいた。

 養護教諭が、小雪(こゆき)の事を報告するために職員室へと向かう。

 一人きりになった保健室で、小雪(こゆき)がぼんやりとしていた時だ。

 再度扉が開いて、竹花(たけはな)が入ってきたのだ。


「失礼します」


 涼し気なツンとしている声を聞き、声の主が竹花(たけはな)だと気づいた小雪(こゆき)はベッドを囲うカーテンを開けた。


竹花(たけはな)君……先生、職員室だよ」

「ああ、寝てたのか。起こしてすまない。先生が来るまで、少し待たせて貰っていいか? 今日の振り返りシートを出しに来たんだ」


 竹花(たけはな)はそう言いながら入り口脇にあるテーブルの前の椅子に座る。

 彼の発言を聞いた小雪(こゆき)は、目を丸くしながら尋ねた。


「振り返りシートの締め切りって、来週じゃなかったっけ……」

「早いうちに書いてしまった方がいいだろう。鉄は熱いうちに打て、だ。それに、シートは当番ごとの提出だから、僕がとっとと出してしまえば君の心配事も減るからな」

「そっか……ありがとう」


 小雪(こゆき)が遠慮がちにお礼を伝えると、竹花(たけはな)目を閉じながら腕を組む。

 わずかに、表情が和らいだ。


「別に、僕がしたくてしてるだけだ。いい」


 気難しく見える彼だが、やはり、小雪(こゆき)に対する言動は少し優しい。体育祭前の委員会が初対面だったはずなのに、ここまで親切にしてくれるのは、やはり「約束」が関係しているのだろうか。


「……ねえ」

「何だ」

「昼、保健室前で桜一朗(おういちろう)……あ、春馬(はるま)君と話してたよね?」

「聞いてたのか?」

「部屋の真ん前で話してたら聞こえるに決まってる……春馬(はるま)君が怒鳴るの、初めて聞いたからびっくりした。でも、もっと気になるのは、あなたが言ってた『約束』の話」


 小雪(こゆき)はそう伝えて、竹花(たけはな)に尋ねる。


「中一の時、蒔苗(まかなえ)道場で……私のことを励ましてくれた男の子。たしか、『君が笑顔になる手伝いがしたい』って言ってくれた。それが……あなた?」


 小雪(こゆき)の言葉を聞いて、竹花(たけはな)はゆっくりと立ち上がる。


「思い出してくれたんだな」


 スタスタと、小雪(こゆき)がいるベッドまで歩み寄り……膝をついて彼女と視線を合わせた。


「そうだ。あの時、君にそう伝えたのが僕だ」


 竹花(たけはな)は真剣な顔で小雪(こゆき)を見つめる。

 彼の強い眼差しから、目が離せない。

 桜一朗(おういちろう)に対する恋のときめきとは違う。でも、彼のことを見ていると胸がザワザワした。


「君が笑顔になれるように、あらゆる手助けをしたい。それが僕の願いだ」


 彼の涼し気で、でも愛情のある言葉を聞いているうちに、この胸騒ぎの正体が分かった。


竹花(たけはな)君は……私の事、大事に想ってくれてる)


 ――君を好きな人達が、全員それを分かってくれるとは限らないでしょ。だから、これは保険。俺の彼女だから、手を出さないでねってアピールしといた方が安心なの。


 昨日の桜一朗(おういちろう)の言葉が蘇った。


(気を付けるって、約束した。でも……どうやって)


 小雪(こゆき)が困り果てているのを知りながらも、竹花(たけはな)は冷静な声音で、続ける。


「君の春馬(はるま)への想いは、もう随分噂になってるから知っている。今の君の反応を見て、あいつが好きなんだと確信すら覚えている。でも、今のあいつの傍にいて、君が将来、幸せに笑えるとも思えないんだ。だから……一度でいい。僕と向き合ってくれないか」

「向き合う……?」

「昔、一緒に過ごした時の事。それから、あの日からずっと抱いていた気持ち……全て教える。だから、聞いて欲しい。その上で、僕と春馬(はるま)、どちらが君を笑顔にできるのか教えてくれないか」


 竹花(たけはな)の態度は本気そのものだった。

 ここまで真摯に向き合われているのに、この場で「迷惑だ。もう近づかないでくれ」と言えるほど、小雪(こゆき)は冷たい人間にはなれなかった。


「……分かった。でも、私の答え、きっと変わらない」

「それでもいい。ありがとう」


 竹花(たけはな)はほんの僅か微笑むと、リュックサックからスマホを取り出した。


「連絡先を教えてくれ。日程が分かったら連絡する」

「日程……?」

「ああ、連れていきたい場所がある」

春馬(はるま)君以外の男子と、二人きり……正直、困る。でも、分かったって言っちゃったし……仕方ない)


 小雪(こゆき)は自分の鞄からスマホを取り出し、彼と連絡先を交換したのだった。

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