26 再会
体育祭は小雪がいないまま進み、最終的に紅組の優勝で幕引きとなった。春馬と小雪が所属する白組は二位だった。
後片付けとホームルームが終わる。春馬は小雪の席で彼女の荷物を手に取ろうとする可憐と苑香に歩み寄った。
「ねえ、それ俺が持って行ってあげてもいいかな?」
春馬が柔らかい笑顔を作りながら声を掛けると、可憐が不安げに眉を下げた。
「いいけど……大丈夫なの?」
「何が?」
「借り物競争の後、なんか揉めてたでしょ。理系進学の眼鏡の人と」
可憐の言葉に、苑香も同意する。
「そうだよ。小雪ちゃんとも少しぎくしゃくしてなかった?」
「春馬君、今の状態で冷静に会えるの? 相手は病人だし、あんまり不安にさせちゃ駄目なんだよ」
二人の言葉を聞き、春馬はグッと喉を詰まらせる。
――臆病である故に、他人を傷つけてしまうその行動……父さんから聞いた君の父親とそっくりだ。
竹花の言葉が蘇って、春馬は思わず唇を噛む。
(俺が……小雪を傷つけるって言いたいのかよ)
そんな不満が胸に燃え上がる。でもすぐに借り物競争後の彼女の様子がフラッシュバックして、一気に心と頭が冷めた。
(……いや、そうだよな。今の俺は、少し普通じゃない。……頭を冷やさないといけない)
春馬はそう思い直して、落ち着いた顔で息を吐いた。
「……ごめん。やっぱり、二人が荷物を届けてあげて。頭冷やしたい」
「うん、分かった」
二人は春馬に返事をすると、荷物を持って保健室へと行ってしまった。
少しずつ、教室から生徒が出ていく。
賑わっていた生徒の声が、薄くなっていく。
いつもと同じ夕方直前の黄みがかった空の色と光。しかし、今日はそこに彼女がいない。
その事実が、酷く、痛かった。
「春馬ー。何してんの?」
教室を出ようとしていた友部が春馬に声を掛けた。
「帰んないの?」
「……帰る」
「おー。じゃあ、一緒に行こうよ。あ、そうだ! 薫野中央駅の中に期間限定でシュークリームの店ができたらしいから、ちょっと付き合って!」
友部の表情は明るい笑顔で、こちらの苦しさに全く気付いていない様子だ。
それが今は救いだった。
「俺の家、中央駅の手前なんだよなー」
お陰で、いつものように飄々と笑うことができたのだ。
「でも、せっかくだからついて行ってあげるよ」
「ありがと! 売り切れる前に行こ」
目を輝かせながら急かす友部に、速足でついて行く。
(俺も……能天気で、いつも底抜けに明るくて、でも人と関わるのが上手い友部みたいな人間だったらよかったのに)
春馬は笑顔の裏で、そんな思いを抱いたのだった。
薫野中央駅までの道中を春馬は俯き加減に歩いていく。
彼に元気が無いのが気になって、友部は首を傾げながら尋ねた。
「なあ、どうかしたの?」
「……俺って、臆病?」
春馬は小さな声で尋ねる。
彼が何を気にしているのか、友部にはよく分からなかった。
しかし、質問には答えねばと思い、顎に手を当てて考え込む。
「臆病っていうか……誰にでも平等だよな。平等に優しくて、でも平等に一線を引いてる感じ」
「まあ、そうかも」
「なー。その一線引いてる理由によるんじゃねえかな。嫌われるのが怖いとか、そういう気持ちがあるなら、臆病な部分もあるんじゃね?」
友部はそう答えた後、不思議そうな顔で尋ねる。
「なんで急にそんなこと気になってんの?」
「お前は臆病だって、理系進学の奴に言われたんだ。お前の中途半端で臆病な態度が嫌いだって」
「わあ……そんなこと言う奴いるの? こわ……」
「ほんとだね」
春馬は笑顔を作り、ふうと溜息を吐く。
いつも通り、辛い気持ちを笑顔で誤魔化して、空気を和らげようとしているのだ。
自分の心も、周囲の心も、なんとなく誤魔化すための一つの手段。幼少期からの環境で身に着いた技だった。
しかし、そんな誤魔化しも、親しい人には効かなくなっていくのだ。
「や、無理して笑うなよ。面と向かって嫌いだって言われたらさ、誰だって傷つくでしょ」
友部が心配そうな顔を春馬に向ける。
「人間関係なんて合う合わないあって当然だけどさあ、直接『嫌いだ』なんて言うべきじゃないんだよ。だから、仮に春馬の態度に問題があったとしても、そいつだって悪いから、気にしないでいいと思う」
「……そっか」
春馬は笑顔を消して、俯き加減に呟く。
「でも……変われたらいいのかなって思うよ。誰にでもいい顔する自分から、変わりたいってずっと思ってた。それが、できなかっただけで」
「できないって、何で?」
「そうしなきゃ、上手く生きられないから。経験上、正義感もハッキリした態度も衝突を生むだけだって知ってるし。そのせいでぶつけられる攻撃的な態度や言葉も、俺の場合は敏感に感じ取っちゃうから」
春馬は力無く笑って、歩くスピードを速めた。
彼の辛さが痛いほど伝わってきて、友部は眉を顰める。でも、伝えるべき言葉が見つからない。
そうしているうちに、薫野中央駅の前まで来た。
駅の入り口から中に入ると、二階に上るエスカレーターの傍にシュークリームの出店が出ていたのだ。
「あー、あれだ!」
友部がわざと明るい声を出す。
「東京のお店なんだって。絶対美味しいし、行こ!」
元気に振舞ってくれる彼の態度すら、春馬は苦しかった。
しかし、これ以上気を遣わせても駄目だと思い、笑顔を作って頷く。
二人で一緒に店の前まで来て、春馬は友部が家族の分を注文する声を聞いていた。
「プレーンが五個ですね。お待たせいたしました。こちらになります」
「はーい! ありがとうございます」
代金を支払った友部がシュークリームの箱を受け取るのを、ぼんやりと見ていたその時だ。
「久々の薫野、意外と暑いわー」
「花菜ちゃん、カーディガン脱いだら?」
――花菜ちゃん。
まさかと思い、春馬はエスカレーターの方を見る。
降りて来た、親子三人。背の高い茶髪の男。その隣を歩く小さな男の子。そして、その子と手を繋ぐ癖のある黒髪の女性。
「花菜ちゃん……?」
「え、どした?」
「姉ちゃんが……ずっと、会えてなかった姉ちゃんがいて……」
春馬が震える声で呟くのを聞いて、友部は慌てた様子で尋ねた。
「何それ、どこにいんの?」
「エスカレーターから降りて、駅の外に」
「じゃあ今追いかければ間に合うじゃん! 行けよ!」
友部が言い放つのを聞いて、春馬は目を見開いた。
ひゅっと息を飲みながら、なんとかそれに言葉を返す。
「でも……子どもがいて」
「関係ない」
「昔、俺のことを置いて家を出ていってるから、もしかしたら会いたくないって思われてるかも」
「関係ない! お前が会いたいなら、会わなきゃ駄目だよ! だって家族じゃん!」
友部は必死な顔で春馬に訴える。
「色んな事が気になるの、分かる。不安なのも怖いのも分かる。でもさ、大事な人には臆病にならなくたっていいんだよ!」
「……!」
春馬は目を見開き、息をぐっと詰まらせた。
「俺……花菜ちゃんのこと追いかける。ありがと……!」
春馬は友部にそう伝えて、駅の出口に向かって走り出した。
土曜日とはいえ、遊びに行った帰りの人々や、体育祭終わりの生徒達で道が混んでいる。春馬は周囲の人にぶつからないように気を付けながら、でも必死に走った。
「かなちゃ……花菜ちゃん!」
息が上がるのは、走っているからというだけではない。
緊張と期待と不安が混ざって、上手く呼吸ができなかった。
汗が首筋を流れていく。傾いた夕方色の日の光が、汗に反射する。
心臓が痛い。もう鼓動を止めてしまいたいと思うほど強い痛みが繰り返される。体に異常があるんじゃない。欠けてるのは心の方だ。そんなこと分かってる。
生きているのが辛い。助けて欲しい。ずっと蓋をしていたそんな気持ちが、遠くにある姉の姿を見ているだけで再び溢れ出してしまった。涙が出そうだ。
「花菜ちゃん……!」
春馬は姉の名前を必死に呼びながら、彼女の後ろ姿に追いつき……その腕を、強く掴んだ。
「え……?」
花菜が目を丸くして振り返る。
彼女の優し気な桜色の瞳に、桜一朗の泣きそうな顔がうつった。
「……俺の事、分かる……?」
桜一朗が、肩で息をしながら尋ねる。
彼の桜色の瞳と、セットされた癖のある黒髪。声は大分低くなった。背も随分高くなった。でも、だけど。
「分かるよ……」
花菜の目が、自然と潤んでいった。
「私の弟の、桜一朗でしょ」
目に涙を浮かべながら微笑んでくれる姉の姿を見て、桜一朗は小さく繰り返し頷いた。
「うん……うん、そうだよ」
あの日、自分を置いて家を出てしまった姉。言いたいことも、伝えられなかった寂しさも、沢山あったはずだ。なのに、口をついて出たのは何の不純物もない素直な気持ちだった。
「会いたかった……」
桜一朗の瞳から、涙が零れてアスファルトに跡を作る。
「会いたかったんだ……ずっと」
春馬の潤んだ声と思いが、夏を目前に控えた温い空気の中に、混ざっては溶けていった。
* * *
保健室で休んでいた小雪の元に、苑香と可憐は荷物を届けに来てくれた。
その後、父が迎えに来るのを待つことになった小雪は、二人と別れて保健室のベッドに寝て休んでいた。
養護教諭が、小雪の事を報告するために職員室へと向かう。
一人きりになった保健室で、小雪がぼんやりとしていた時だ。
再度扉が開いて、竹花が入ってきたのだ。
「失礼します」
涼し気なツンとしている声を聞き、声の主が竹花だと気づいた小雪はベッドを囲うカーテンを開けた。
「竹花君……先生、職員室だよ」
「ああ、寝てたのか。起こしてすまない。先生が来るまで、少し待たせて貰っていいか? 今日の振り返りシートを出しに来たんだ」
竹花はそう言いながら入り口脇にあるテーブルの前の椅子に座る。
彼の発言を聞いた小雪は、目を丸くしながら尋ねた。
「振り返りシートの締め切りって、来週じゃなかったっけ……」
「早いうちに書いてしまった方がいいだろう。鉄は熱いうちに打て、だ。それに、シートは当番ごとの提出だから、僕がとっとと出してしまえば君の心配事も減るからな」
「そっか……ありがとう」
小雪が遠慮がちにお礼を伝えると、竹花目を閉じながら腕を組む。
わずかに、表情が和らいだ。
「別に、僕がしたくてしてるだけだ。いい」
気難しく見える彼だが、やはり、小雪に対する言動は少し優しい。体育祭前の委員会が初対面だったはずなのに、ここまで親切にしてくれるのは、やはり「約束」が関係しているのだろうか。
「……ねえ」
「何だ」
「昼、保健室前で桜一朗……あ、春馬君と話してたよね?」
「聞いてたのか?」
「部屋の真ん前で話してたら聞こえるに決まってる……春馬君が怒鳴るの、初めて聞いたからびっくりした。でも、もっと気になるのは、あなたが言ってた『約束』の話」
小雪はそう伝えて、竹花に尋ねる。
「中一の時、蒔苗道場で……私のことを励ましてくれた男の子。たしか、『君が笑顔になる手伝いがしたい』って言ってくれた。それが……あなた?」
小雪の言葉を聞いて、竹花はゆっくりと立ち上がる。
「思い出してくれたんだな」
スタスタと、小雪がいるベッドまで歩み寄り……膝をついて彼女と視線を合わせた。
「そうだ。あの時、君にそう伝えたのが僕だ」
竹花は真剣な顔で小雪を見つめる。
彼の強い眼差しから、目が離せない。
桜一朗に対する恋のときめきとは違う。でも、彼のことを見ていると胸がザワザワした。
「君が笑顔になれるように、あらゆる手助けをしたい。それが僕の願いだ」
彼の涼し気で、でも愛情のある言葉を聞いているうちに、この胸騒ぎの正体が分かった。
(竹花君は……私の事、大事に想ってくれてる)
――君を好きな人達が、全員それを分かってくれるとは限らないでしょ。だから、これは保険。俺の彼女だから、手を出さないでねってアピールしといた方が安心なの。
昨日の桜一朗の言葉が蘇った。
(気を付けるって、約束した。でも……どうやって)
小雪が困り果てているのを知りながらも、竹花は冷静な声音で、続ける。
「君の春馬への想いは、もう随分噂になってるから知っている。今の君の反応を見て、あいつが好きなんだと確信すら覚えている。でも、今のあいつの傍にいて、君が将来、幸せに笑えるとも思えないんだ。だから……一度でいい。僕と向き合ってくれないか」
「向き合う……?」
「昔、一緒に過ごした時の事。それから、あの日からずっと抱いていた気持ち……全て教える。だから、聞いて欲しい。その上で、僕と春馬、どちらが君を笑顔にできるのか教えてくれないか」
竹花の態度は本気そのものだった。
ここまで真摯に向き合われているのに、この場で「迷惑だ。もう近づかないでくれ」と言えるほど、小雪は冷たい人間にはなれなかった。
「……分かった。でも、私の答え、きっと変わらない」
「それでもいい。ありがとう」
竹花はほんの僅か微笑むと、リュックサックからスマホを取り出した。
「連絡先を教えてくれ。日程が分かったら連絡する」
「日程……?」
「ああ、連れていきたい場所がある」
(春馬君以外の男子と、二人きり……正直、困る。でも、分かったって言っちゃったし……仕方ない)
小雪は自分の鞄からスマホを取り出し、彼と連絡先を交換したのだった。




