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春色の雪  作者: 月島
第六章 ほどけた繋がりを結んで
25/31

25 嫉妬と約束

 いよいよ迎えた体育祭当日。午前中のプログラムも順調に進み、次の競技は借り物競争だ。

 時刻は十一時半。小雪(こゆき)は体育祭運営本部にある救護班の席で、競技を観戦していた。

 今のところ、怪我人や病人はいない。小雪(こゆき)はそれに安堵しつつも、暑さのせいで体調がいまいちだった。


(ちょっと具合悪いかも……でも、熱中症ってほどじゃない)


 小雪(こゆき)は自分にそう言い聞かせ、学校指定の白Tの襟元をパタパタさせる。

 隣に座っている竹花(たけはな)は、彼女が暑そうにしているのにすぐ気づいた。


「大丈夫か? 顔が赤いが」

「うん……ちょっと暑いかも。気温上がってきたし」


 小雪(こゆき)は苦笑いしながら答える。

 彼女の言う通り、今の気温は体感で二十八度ほどだ。今日は快晴で、気温も上がる予報だった。

 猛暑日ほどではないが、まだ体が暑さに慣れていない時期。この気温は、暑さが苦手な小雪(こゆき)にはかなり堪える。


(ちょっと頭が痛いな……体も熱い)


 小雪(こゆき)は浮かない顔で視線を落とす。

 明らかに元気のない彼女を見て、竹花(たけはな)は救護班用のクーラーボックスから氷嚢を取り出した。


「熱中症の初期症状があるんじゃないか」


 そう言いつつ、小雪(こゆき)の首の後ろに氷嚢を当てる。

 唐突な冷たさに、小雪(こゆき)はビクッと肩を竦めた。


「うわ……」

「体調が悪いなら素直にそう言ってくれ。僕は救護班なんだから、遠慮するな」

「でも、私だって救護班……助けられるより、助けるのが仕事」

「救護する側の人間が体調不良だと、助けられる生徒も助けられなくなる。僕と君のためにも、無理はするな」


 竹花(たけはな)は涼やかなツリ目を柔らかく細くする。口元はいつも通り真一文字に結ばれてしまったが、先ほどの声音は初対面の時よりも優しかった。


「……ありがとう」

「気にするな。これも仕事だ」

竹花(たけはな)君って、意外といい人……」


 つい本音が零れてしまった。小雪(こゆき)が「しまった」と思い振り返ると、竹花(たけはな)はクールな顔で溜息を吐いていた。


「別にいい人じゃない。頭が固いだけだ」

「素直じゃない……」

「君には言われたくないな」


 竹花(たけはな)は呆れ顔だったが、それでも小雪(こゆき)に氷嚢を当て続けてくれた。

 春馬(はるま)とは違うタイプだし、彼がいる以上、竹花(たけはな)に惹かれる事は絶対に無いのだが、竹花(たけはな)も案外接しやすかった。


(気難しい人だと思ってたけど、多分、悪い人じゃない……)


 小雪(こゆき)はそう思い、彼に対して感じていた緊張を解いた。

 そんな二人のやり取りを、借り物競争の順番待ちだった春馬(はるま)が目をスッと細めて見つめていた。


(誰だ、あいつ……)


 大好きな彼女に気安く近づいている竹花(たけはな)に、ピリピリと苛立ちを覚える。

 今すぐ彼を小雪(こゆき)から遠ざけたい。そんな嫉妬が心臓の鼓動を早めた。

 冷静さを欠いてしまい、小雪(こゆき)の体調不良に気づく余裕すらなかった。


「借り物競争、第二走の生徒は準備して下さい」


 スタート係の案内が入った。小雪(こゆき)の近くにいる男子への苛立ちは収まらないが、次は春馬(はるま)の順番でもあったため、やむなくトラックの前に並ぶ。


「いちについて、よーい……」


 パン! とピストルの音が鳴り、春馬(はるま)は走り出した。


(今できるのは、とっとと出番を終わらせて小雪(こゆき)のところに行くこと……)


 自分にそう言い聞かせて、お題の紙を拾い開く。

 そこに書かれていた内容は――料理が上手い人。

 料理上手と聞いて、春馬(はるま)がすぐ連想するのは小雪(こゆき)しかいないのだ。


(好都合だ)


 表情では冷静さを取り繕っていた春馬(はるま)だったが、心の中では色々な気持ちが喧嘩していた。

 彼女の所に行ける嬉しさと、彼女に近づく男子の顔を拝まなきゃいけない苛立ちと、応援席の女子が、「春馬(はるま)君、こっち来ないかなー」とお気楽にはしゃぐことへの不快感。

 全部、ごちゃまぜになって胸が苦しい。感受性が高いことを、ここまで恨んだのは久しぶりだった。

 春馬(はるま)は歯を食いしばり、葛藤を抑え込む。

 そして、救護班の席にいる小雪(こゆき)の元へと走り寄った。

 彼女の目の前に行き、眉間に皺を寄せながら肩で息をする。


「来て」

「え……」


 明らかに機嫌の悪い彼を見て、小雪(こゆき)は戸惑ってしまった。

 ただでさえ、体調が芳しくないのだ。上手く返事ができないし、スムーズに立つこともできない。

 それが尚のこと春馬(はるま)を苛立たせる。


「いいから、来て」


 春馬(はるま)小雪(こゆき)の手を強引に掴んで走り出した。

 彼に手を握られていること。その喜び以上に、彼の機嫌の悪さが気になってしまい小雪(こゆき)は不安だった。

 そこに体調不良も重なり、気分の悪さと過呼吸に襲われる。


「は……はあっ……」


 しかし、小雪(こゆき)はどうにかそれに耐えてゴールした。

 春馬(はるま)に握られていない方の手を膝につき、荒く呼吸をする。

 彼女の様子がおかしいことに気づき、春馬(はるま)は慌てて彼女の肩を支えた。


小雪(こゆき)……」

「ご、ごめ……あんまり、体調良くない……暑くて、具合悪くて……」

「え……」


 彼女の言葉に、春馬(はるま)は冷静さを取り戻した。

 先ほど、彼女に近づいていた男子の姿が蘇る。遠くからでも首の後ろに氷嚢を当てている姿は見えていた。

 彼に下心があったのかは分からないが、小雪(こゆき)を助けようとしてくれていたのは間違いない。

 嫉妬に駆られてそんな事実も見落としてしまっていた。春馬(はるま)の胸に罪悪感と焦燥感が込み上げていく。


「ごめん、無理に走らせて。救護係のところ、行こ――」


 春馬(はるま)が彼女を支えながら歩き出したその時だ。

 竹花(たけはな)の方から、こちらに駆け寄って来てくれたのだ。

 手に持っているのは氷嚢。後ろからは養護教諭の女性も走ってきている。


一原(いちはら)さん、大丈夫か」


 竹花(たけはな)は彼女の首の後ろに氷嚢を当てる。


「保健室に行こう。先生には話を通してある」

「うん……ごめん」

「いい、これが僕の

仕事だ」


 竹花(たけはな)はそう告げると、春馬(はるま)の方を一瞥して短く告げる。


春馬桜一朗(はるまおういちろう)。昼休みに、保健室前の廊下に来い」

「え……」

「拒否権は与えない」


 竹花(たけはな)はそう言い切り、小雪(こゆき)を連れて保健室へと歩いて行った。

 養護教諭も二人と合流し、校舎へと向かっていく。

 初夏から梅雨になる前の蒸し暑さ。照り付ける日差し。遠くなる大好きな人と、彼女を支える知らない男の背中。そのすべてが、春馬(はるま)の記憶に痛みを伴って焼き付く。


「何なんだよ……」


 誰に向けたのか分からない苛立ちが、春馬(はるま)の口から小さく零れ落ちた。


* * *


 昼休み、春馬(はるま)が保健室前の廊下に行くと、扉の前で竹花(たけはな)が腕を組み立っていた。

 一度会った人の顔は忘れないはずの春馬(はるま)だが、彼とはクラスが被っていないし、初対面のため名前も知らない。

 春馬(はるま)にとっては、ただ小雪(こゆき)の近くにいた人間という認識で、嫉妬の対象でしかなかった。

 しかし、第一印象で不快な思いをさせてもメリットはない。そう思い、柔らかい笑顔を作って声を掛ける。


「おまたせ」

「ああ、待ったよ」


 遠慮も気遣いも感じさせない彼の態度に、春馬(はるま)は静かに苛立つ。


(何なんだこいつ……)


 そう思いながらも、顔には出さないよう気を付けながら尋ねた。


「……君、名前は?」

「僕は竹花桔梗(たけはなききょう)。二年一組。理系進学クラスに所属する保健委員だ」


 竹花(たけはな)がご丁寧に名前と素性を教えてくれたが、全て聞いても春馬(はるま)は彼のことを知らなかった。

 名前を知られている心当たりなんて当然無い。


「俺と君、初対面だよね? 何で俺の名前を知ってたの。ついでに、ここに呼び出した理由も教えてよ」


 飄々とした笑顔を作って尋ねるが、竹花(たけはな)はクールな表情を崩さないままだ。こちらの気遣いが何一つ響かないこの感じが、無性に腹立たしかった。

 そんな春馬(はるま)の苛立ちを察してか、竹花(たけはな)は目をスッと細めて冷たく告げる。


「君の名前は、父親から聞いていたから知っていた。竹花利恭(たけはなりきょう)という名前だ。聞いたことはないか」

「知らないけど」

「元フローリアの社長秘書だよ。君の父親が原因で退社している。ここまで言っても、本当に心当たりがないのか」


 竹花(たけはな)は静かなトーンで淡々と尋ねる。その声からも、表情からも、感情を感じない。出会ったばかりの頃の小雪(こゆき)と同じで、何を考えているのか分からなかった。

 しかし「君の父親が原因で退社している」という言葉から察するに、こちらの父に憎しみがあるとみて間違いないだろう。

 ただ、それは父親にぶつけるべき恨みであって、息子の桜一朗(おういちろう)がぶつけられていいものじゃない。


「悪いけど、俺は会社のことを詳しく知らないんだ。社員の情報なんて、個人情報だから尚のことね。君は俺が父さんと繋がってるって勘違いしてるようだけど、俺と父さんの関係は冷めてるよ。同居すらしてない」

「……そうか。君は父親が嫌いなのか?」


 竹花(たけはな)が静かに問う。

 彼の質問の意図も、その質問への答えも分からず、春馬(はるま)は静かに唇を噛んだ。


(そんなことを聞いて、何がしたいんだよ)


 父親の失望した顔が頭に蘇る。あの顔に怒りを覚えたのも、とうに昔の事だ。年を重ねるにつれて、怒る気力も無くなっていった。今は、「嫌いか嫌いじゃないか」の判断すら下したくない。


「……どうでもいいよ、あんな親。嫌いでも、好きでもない」


 吐き捨てるようにそう告げると、竹花(たけはな)は一度目を閉じて考え込む。

 痛いところをついてくる彼が、口を閉ざしてくれたのに安堵したのも束の間。やがて彼の口から出てくる言葉に、春馬(はるま)は心をかき乱されてしまうのだ。


「君のその、中途半端で臆病な態度が、君を知ったその瞬間から嫌いだった」


 竹花(たけはな)の温度の無い声と言葉に、春馬(はるま)は目を見開く。

 心臓の辺りが急速に冷えていく。校舎の外から聞こえてくる賑やかな声が、遠くなっていくように感じる。

 春馬(はるま)がショックを受けているのに気づきながらも、竹花(たけはな)は淡々と続けた。


「さっきの借り物競争、君は僕の存在が気がかりで、一原(いちはら)さんの体調不良に気づくことができなかっただろう。それはひとえに、僕に彼女を取られることが怖かったから。彼女を大切にしたい気持ちが、彼女を奪われる恐怖に負けたんだよ」


 何もかも図星で、春馬(はるま)は息を詰まらせた。

 呼吸が乱れそうになるのを、必死に堪える。

 しかし、心臓はうるさくて、めまいがしそうなほど気分が悪かった。

 自身の高い感受性に、壊されそうになっているのだ。


「臆病である故に、他人を傷つけてしまうその行動……父さんから聞いた君の父親とそっくりだ。どんなにいがみ合っていても、君は血の繋がりからは逃げられない。その中途半端な態度のせいで君に期待してたかる女子からも、君が嫌いな僕からもだ。……いい加減、腹をくくったらどうだ」

「そんな話がしたくて、ここに連れて来た訳?」


 春馬(はるま)は吐き捨てるように尋ねる。

 いつもの癖で口元は笑ってしまっているのに、目元は酷く険しかった。


「お前に俺の何が分かるんだよ」


 春馬(はるま)竹花(たけはな)を強く睨んだ。

 しかし、竹花(たけはな)は涼しい顔で答えるのだ。


「分からない。だが、それでも忠告しなきゃいけないんだよ。それが僕と彼女の約束だから」

「彼女? 誰だよそれ……」

一原(いちはら)さんに聞いたらどうだ。……もう忘れているようだが、何度も聞いたら思い出すかもしれない」

「どういう意味だよ。お前は小雪(こゆき)の何なんだ? 何がしたくて、俺に喧嘩を売ってるんだよ……!」


 いよいよ苛立ちが隠せなくなってしまった春馬(はるま)に、竹花(たけはな)は落ち着いた目で答える。


一原小雪(いちはらこゆき)を幸せにする。それが僕と彼女の約束なんだ」

「は……?」

「言いたいことは以上だ。後は自由にしてくれ。僕は教室で昼食をとる」

「おい、待て……!」


 スタスタと歩いていってしまう竹花(たけはな)を見て、春馬(はるま)は悔しそうに眉根を寄せた。


(臆病で中途半端……そんなの、自分が一番分かってるよ。でも、他にどうしようもないだろうが。そうじゃなきゃ、俺は上手く生きていけないんだよ……)


 春馬(はるま)が一人俯いている中、保健室のベッドの上で、仰向けに寝ていた小雪(こゆき)は目を丸くした。


(約束……)


 脳裏に、薄っすらと空手をしていた時のことが蘇る。


 ――君が笑顔になる手伝いがしたい。だって、君は僕の憧れの人だから。


 中学一年生まで通っていた蒔苗(まかなえ)道場。空手を辞める最後の日に、同い年の男子が、真剣な顔でそう言ってくれていた――。


(まさか……あの時の人が、竹花(たけはな)君?)


 恋のときめきとは違う。しかし、胸が熱くてザワザワとしている。

 小雪(こゆき)がこの感情に名前をつけることができないまま、体育祭の昼休みが静かに過ぎていった。

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