24 初恋の彼
友部も加わり、三人で学校を出て薫野中央駅方面へと歩いていく。
下校する学生が大勢歩いている駅前通りで、可憐が友部の方を見て口を開いた。
「友部、さっきはありがと。私、あのままだったら、あの二人の事殴ってたかも」
「え、マジ!? そんなことしたら、河原さんバスケ部を強制退部になっちゃってたかもしれないじゃん。間に合ってよかったわー」
「ほんと、友部が居残りしてくれてて助かったよ。私も、もう少しカッとならないように気をつけなきゃなー」
可憐は大きく伸びをして、溜息を吐いた。
「てか、友部があんなに仲裁上手いの意外だった。もしかして、年下の兄弟でもいるの?」
「そうだよ。小学生の弟と妹がいるんだ。二人とも超元気で、喧嘩も沢山するからさ、俺がいつも仲裁役」
「大変そうだねー。私は一人っ子だから、そういうの全然分かんないんだ」
「大変だけど、全然苦じゃないよ。二人とも可愛いし。兄ちゃん兄ちゃんって懐いてくれるのほんと嬉しい」
友部はニコニコ笑って、スマホのハードカバーの裏に挟まった小さな紙を見せる。
その紙には、小さい子が描いたような似顔絵と、「なぎにいちゃんだいすき」の文字があった。
「これ、妹が幼稚園の時に描いてくれた絵をコピーしたやつなんだけどさ、見てると超元気出んのよな。これ描いてくれた時、ちょうど家が大変だった時期だったから……俺、これ見ながら毎日泣いてた」
「嬉し泣きってやつ?」
「そうそう。俺が頑張って妹と弟を守るんだって、やる気貰えたのもそん時。二人は俺にとって心の支えなんだよな」
友部が微笑みながらスマホを鞄に仕舞う横で、苑香は静かに俯いていた。
何も喋らない苑香に気づき、可憐が心配そうに尋ねる。
「そのちゃん、大丈夫?」
「え? ああ、ごめん。ちゃんと聞いてるよ」
「それは分かってるけど、何も話さないから、さっきの事を引きずってるんじゃないかって」
「ううん、友部君と可憐のお陰で、ちょっと元気出たから平気」
苑香は笑顔を作って頷いた。
それを見て、可憐は「ならいいんだけどさ」と眉を下げる。
ちょうどそこで駅前のロータリーに出た。可憐はここから商店街方面に向かうため、二人と別れなければならない。
「じゃあ私、こっちだから。そのちゃん、何かあったら溜め込まないでちゃんと相談してよ?」
「うん。ありがとう」
「友部も、そのちゃんのこと気にかけてくれると助かる! そのちゃん多分無理するから!」
「りょうかーい! バイトリーダーに任せとけ」
得意げな顔で胸に拳を当てる友部を見て、可憐は安心した顔で帰っていった。
「そんなに心配しなくても大丈夫なんだけどな」
苑香が呟くと、友部はニッと笑う。
「そんだけ大事な友達なんだろうね。いい関係じゃん」
まるで常夏を思わせるような笑顔を見て、苑香もつられて微笑む。
「そうかも」
「ね? じゃ、その気持ちのまんまで、今日も一緒にバイト頑張ろ」
「うん」
友部と一緒に、苑香は前を向いて歩いていく。
しかし、その視線は徐々に下がっていき、頬が少しずつ赤くなっていった。
(まさかね……)
彼に、初恋の人の面影を感じていること。それはまだ、彼に言えない。
* * *
三年前の夏。薫野灯里神社に、熱心に通う男子中学生がいた。
ゲリラ豪雨の中、傘も差さずに拝殿に走ってくる、薫野第二中学の学生服の男子。短い黒髪をびしょびしょにしながら、彼は目を固く瞑って必死に手を合わせている。
その姿を、神社の隣の自宅に帰る苑香は、心配そうに見つめていた。
(こんなに酷い雨なのに……傘も差さないで、何を必死にお願いしてるんだろう)
彼の事が気になってしまい、苑香は青色の傘を差したまま、家に入れずにいた。
雨脚が強くなる。彼が、泣きそうな顔を上げながら、合わせていた手を離して礼をした。
そのまま、とぼとぼと拝殿を後にする。
雨に打たれるのを気にする余裕も無い彼が見るに堪えず、苑香は傘を持って彼に走り寄った。
俯き加減に歩いていた男子の頭上が、青色の傘で覆われる。
雨が遮られたことに気が付いて顔を上げると、彼の視界に黒髪ボブヘアの女子――苑香が現れた。
「大丈夫?」
苑香は、彼の三白眼を見つめながら尋ねた。
すると、男子の方は、俯いて目を擦るのだ。
「母ちゃんが……癌になっちゃって。手術しないといけないってお医者さんが言ってたんだ」
彼の頬を伝っていく雫は涙なのだと、傘のお陰で知ることができた。
「妹が毎日泣いてて、弟も寂しいの必死に我慢してて……俺がなんとかできたらいいのに……俺一人じゃ何もできないから、毎日、ここに……」
震える声で、彼は必死にそう答えてくれた。
「ねえ、母ちゃん助かるかな……? 神様、助けてくれるかな?」
涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げて、彼はそう尋ねてきた。
神社の家の娘とはいえ、苑香に神様は見えない。感じることも、まだできない。
しかし、この土砂降りの中でも必死に参拝に来てくれる彼のことを、神様が見捨てるだなんて思いたくなかった。
「私も一緒にお祈りする」
苑香はそう真剣に伝えて、彼の方に傘を傾けた。
「私もお祈りするから、きっと大丈夫」
苑香の言葉に、彼は目を見開いて何度も頭を下げてくれた。
「ありがとう……ありがとう、ほんとに」
泣きながらお礼を繰り返す彼を見て、苑香の胸が熱くなっていく。
こんな風に神様を肯定してくれる人が、苑香の周りには珍しかったのだ。
――苑香ちゃんちって、神社なんでしょ?
――神様なんている訳ないのに。
――なんで私の願い事、叶えてくれなかったの?
――神様がいるなんて、嘘だよ。嘘吐き。
小学校時代は、教室の中で繰り返しそんなことを言われていた。
同じ学区の生徒が多い薫野第三中学でも、そういう風な言葉を掛けてくる生徒は一定数いたのだ。
しかし、目の前の彼は違う。
自分の家が仕えている神様を信じてくれたことも、こうして頼ってくれたことも、苑香は嬉しくて仕方がなかった。
どうにかして彼の願いを叶えたいと、そう思わずにいられなかった。
(この男の子には、幸せになって欲しい)
傘が雨粒を弾く豪音の中で、苑香は必死に祈った。
(彼が、幸せになれますように)
そんな願いを心の中で唱えながら、苑香は彼に傘を差し続けていた。
* * *
季節が巡り、境内の銀杏の木が色づき始める頃の事。あの男子が、また拝殿まで走って来ていた。
苑香は自宅前からその姿をみとめ、彼の元へと駆け寄る。
(お母さん、大丈夫だったかな……)
緊張と不安で胸をドキドキさせながら、苑香は拝殿から降りてくる彼に大きな声で尋ねた。
「お母さん、どうなった?」
すると、彼は苑香に気づくなり、パッと破顔して彼女に駆け寄ってきたのだ。
「君、あの時はありがと! 母ちゃんさ、手術上手くいったんだ!」
彼はそう言うと、心底嬉しそうに苑香の手を取って、ぎゅっと握る。
「この前、退院してさ。まだ気をつけなきゃいけないことはあるけど、前みたいに家族みんなが家に揃った。妹と弟も嬉しそうで、父ちゃんも笑ってて……」
そう言っているうちに、彼の三白眼から涙が溢れてくる。
「ほんと、よかったなあ……一緒にお祈りしてくれて、ありがとね」
彼の純粋さ溢れる泣き笑い。目つきが悪いのに、彼の心は大らかな青空のようで、澄み渡っていた。
こんなに綺麗な心の人を、苑香は今まで見たことがなかった。
だからだ、きっと。
だから、こんなに胸が痛くて、締め付けられて……でも、嬉しくてフワフワしてしまうのだ。
握られた手から、彼の温かい熱が広がるような心地がする。
もう少し、日が暮れるまで、どうかこのままで――。
「ねえ、君」
「え?」
唐突に彼から声を掛けられて、苑香はびくりと体を強張らせた。
「な、何?」
「君、どこ中? 俺は薫野第二に通ってる」
「私は第三中。第二って、薫野西駅の近くだよね? そんなに遠くからここまで来てたの?」
苑香が尋ねると、彼はにこやかに笑って頷く。
「そうだよ。初詣とか、七五三の時にこの神社に来てたからさ、もしかしたら、ここの神様なら助けてくれるかもって思って」
「そうだったんだ……うん、きっと神様も喜んでたと思う」
「ほんと? だと嬉しいな」
彼が明るく笑ってくれるのを見て、また苑香の胸がうるさくなる。
どうにかして、彼ともう少し、繋がっていたい。しかし、学区が違うなら学校では会えないし、参拝に来る用事も無くなってしまった今、彼との接点は消えてしまったも同然だった。
(せめて、名前だけでも知りたい)
苑香はそう思い、勇気を出して口を開いた。
「あの……! 君、名前は――」
しかし、その声も夕方五時十五分の町内放送に掻き消えてしまった。
カラスが鳴きながら夕焼け空を飛んでいく。
彼も放送に気づいて、慌てて苑香の手を離した。
「やべ、もうこんな時間か。急いで帰んなきゃ」
そう呟いて、パタパタと走っていってしまう彼。
その背中を名残惜しく見つめていると、境内から出る直前で彼が振り返った。
「ほんっとうにありがとー! じゃあ、またね!」
「またね」という言葉が本心なのか社交辞令なのか、苑香には分からなかった。
しかし、どうか本心であって欲しいと、そう願い続けて毎日神社の方を見たが、彼を見つけることができないまま、三年が過ぎてしまった。
向こうももう忘れてしまっているかもしれない。しかし、苑香は彼のことを忘れられないままだった。
彼以外を好きになれる自信すらなかった。なのに今日、友部凪の言葉と笑顔に、彼の面影を見てしまったのだった。
* * *
バイト終わり、苑香は帰宅し、自室のベッドに寝そべった。
スマホを開き、バイトを始めた時に交換した友部の連絡先を表示させる。
妹が描いてくれた似顔絵をアイコンにしており、プロフィールの背景は三人兄弟揃って笑ってる海辺での写真だ。
(家族思いで、弟と妹がいて、ちょっと目つきが悪いけど、心が綺麗で……凄く、似てるんだよな)
また胸がうるさくなる。
苑香はスマホを閉じて、ドキドキとしている胸の上に置いた。
スマホを両手で持ちながら、ぼんやりと天井を見つめる。
(確かめたいけど……違ったら、申し訳ないし)
頬が少し熱い。客観的に考えても、今日の一件で、自分は友部凪に惹かれてしまったのだろう。苑香にもそれは十分に分かっていた。
ただ、ここから先をどうしたいのか、またどうすればいいのかが分からないのだ。
(私……友部君と彼を重ねてるだけなのかな。それとも、友部君が好きなのかな……)
答えが出せなくて、苑香はうつぶせになって枕に顔をうずめる。
(友部君が、彼ならいいのになあ……)
そう思いながらも、またトークルームを開いてしまう。
最後の連絡は、彼のシフトを代わってあげた時のお礼のメッセージだった。
――この前はありがと! お陰で弟の風邪も治ったよ。
こうやって自然に「ありがとう」と言えるところまで、初恋の彼に似ている。
でも、まだそれを確かめる勇気は出ない。
だけど……少し距離を縮めるぐらいなら、してもいいんじゃないか。苑香はそう思い、メッセージを打ち込んでいく。
――今日はありがとう。学校で助けてくれたの、本当にありがたかった。友部君に何かあったら、私も助けるから教えてね。
メッセージがポコンと音を立てて送信された。
しばらくして既読がつき、すぐに返信が来る。
――大丈夫だよー! 俺もバイトでは助けられてるし、お互い様だから! 今後もよろしくね!
そのメッセージの後に、武士の格好をした猫が「頼りにしてるぞ」と言っているスタンプが送られてきた。
(ふふ、意外と可愛いの使うんだよね……)
苑香は幸せな気持ちで微笑み、スマホを閉じたのだった。




