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春色の雪  作者: 月島
第六章 ほどけた繋がりを結んで
24/31

24 初恋の彼

 友部(ともべ)も加わり、三人で学校を出て薫野中央(かおるのちゅうおう)駅方面へと歩いていく。

 下校する学生が大勢歩いている駅前通りで、可憐(かれん)友部(ともべ)の方を見て口を開いた。


友部(ともべ)、さっきはありがと。私、あのままだったら、あの二人の事殴ってたかも」

「え、マジ!? そんなことしたら、河原(かわばら)さんバスケ部を強制退部になっちゃってたかもしれないじゃん。間に合ってよかったわー」

「ほんと、友部(ともべ)が居残りしてくれてて助かったよ。私も、もう少しカッとならないように気をつけなきゃなー」


 可憐(かれん)は大きく伸びをして、溜息を吐いた。


「てか、友部(ともべ)があんなに仲裁上手いの意外だった。もしかして、年下の兄弟でもいるの?」

「そうだよ。小学生の弟と妹がいるんだ。二人とも超元気で、喧嘩も沢山するからさ、俺がいつも仲裁役」

「大変そうだねー。私は一人っ子だから、そういうの全然分かんないんだ」

「大変だけど、全然苦じゃないよ。二人とも可愛いし。兄ちゃん兄ちゃんって懐いてくれるのほんと嬉しい」


 友部(ともべ)はニコニコ笑って、スマホのハードカバーの裏に挟まった小さな紙を見せる。

 その紙には、小さい子が描いたような似顔絵と、「なぎにいちゃんだいすき」の文字があった。


「これ、妹が幼稚園の時に描いてくれた絵をコピーしたやつなんだけどさ、見てると超元気出んのよな。これ描いてくれた時、ちょうど家が大変だった時期だったから……俺、これ見ながら毎日泣いてた」

「嬉し泣きってやつ?」

「そうそう。俺が頑張って妹と弟を守るんだって、やる気貰えたのもそん時。二人は俺にとって心の支えなんだよな」


 友部(ともべ)が微笑みながらスマホを鞄に仕舞う横で、苑香(そのか)は静かに俯いていた。

 何も喋らない苑香(そのか)に気づき、可憐(かれん)が心配そうに尋ねる。


「そのちゃん、大丈夫?」

「え? ああ、ごめん。ちゃんと聞いてるよ」

「それは分かってるけど、何も話さないから、さっきの事を引きずってるんじゃないかって」

「ううん、友部(ともべ)君と可憐(かれん)のお陰で、ちょっと元気出たから平気」


 苑香(そのか)は笑顔を作って頷いた。

 それを見て、可憐(かれん)は「ならいいんだけどさ」と眉を下げる。

 ちょうどそこで駅前のロータリーに出た。可憐(かれん)はここから商店街方面に向かうため、二人と別れなければならない。


「じゃあ私、こっちだから。そのちゃん、何かあったら溜め込まないでちゃんと相談してよ?」

「うん。ありがとう」

友部(ともべ)も、そのちゃんのこと気にかけてくれると助かる! そのちゃん多分無理するから!」

「りょうかーい! バイトリーダーに任せとけ」


 得意げな顔で胸に拳を当てる友部(ともべ)を見て、可憐(かれん)は安心した顔で帰っていった。


「そんなに心配しなくても大丈夫なんだけどな」


 苑香(そのか)が呟くと、友部(ともべ)はニッと笑う。


「そんだけ大事な友達なんだろうね。いい関係じゃん」


 まるで常夏を思わせるような笑顔を見て、苑香(そのか)もつられて微笑む。


「そうかも」

「ね? じゃ、その気持ちのまんまで、今日も一緒にバイト頑張ろ」

「うん」


 友部(ともべ)と一緒に、苑香(そのか)は前を向いて歩いていく。

 しかし、その視線は徐々に下がっていき、頬が少しずつ赤くなっていった。


(まさかね……)


 彼に、初恋の人の面影を感じていること。それはまだ、彼に言えない。


* * *


 三年前の夏。薫野灯里(かおるのあかり)神社に、熱心に通う男子中学生がいた。

 ゲリラ豪雨の中、傘も差さずに拝殿に走ってくる、薫野第二(かおるのだいに)中学の学生服の男子。短い黒髪をびしょびしょにしながら、彼は目を固く瞑って必死に手を合わせている。

 その姿を、神社の隣の自宅に帰る苑香(そのか)は、心配そうに見つめていた。


(こんなに酷い雨なのに……傘も差さないで、何を必死にお願いしてるんだろう)


 彼の事が気になってしまい、苑香(そのか)は青色の傘を差したまま、家に入れずにいた。

 雨脚が強くなる。彼が、泣きそうな顔を上げながら、合わせていた手を離して礼をした。

 そのまま、とぼとぼと拝殿を後にする。

 雨に打たれるのを気にする余裕も無い彼が見るに堪えず、苑香(そのか)は傘を持って彼に走り寄った。

 俯き加減に歩いていた男子の頭上が、青色の傘で覆われる。

 雨が遮られたことに気が付いて顔を上げると、彼の視界に黒髪ボブヘアの女子――苑香(そのか)が現れた。


「大丈夫?」


 苑香(そのか)は、彼の三白眼を見つめながら尋ねた。

 すると、男子の方は、俯いて目を擦るのだ。


「母ちゃんが……癌になっちゃって。手術しないといけないってお医者さんが言ってたんだ」


 彼の頬を伝っていく雫は涙なのだと、傘のお陰で知ることができた。


「妹が毎日泣いてて、弟も寂しいの必死に我慢してて……俺がなんとかできたらいいのに……俺一人じゃ何もできないから、毎日、ここに……」


 震える声で、彼は必死にそう答えてくれた。


「ねえ、母ちゃん助かるかな……? 神様、助けてくれるかな?」


 涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げて、彼はそう尋ねてきた。

 神社の家の娘とはいえ、苑香(そのか)に神様は見えない。感じることも、まだできない。

 しかし、この土砂降りの中でも必死に参拝に来てくれる彼のことを、神様が見捨てるだなんて思いたくなかった。


「私も一緒にお祈りする」


 苑香(そのか)はそう真剣に伝えて、彼の方に傘を傾けた。


「私もお祈りするから、きっと大丈夫」


 苑香(そのか)の言葉に、彼は目を見開いて何度も頭を下げてくれた。


「ありがとう……ありがとう、ほんとに」


 泣きながらお礼を繰り返す彼を見て、苑香(そのか)の胸が熱くなっていく。

 こんな風に神様を肯定してくれる人が、苑香(そのか)の周りには珍しかったのだ。


 ――苑香(そのか)ちゃんちって、神社なんでしょ?

 ――神様なんている訳ないのに。

 ――なんで私の願い事、叶えてくれなかったの?

 ――神様がいるなんて、嘘だよ。嘘吐き。


 小学校時代は、教室の中で繰り返しそんなことを言われていた。

 同じ学区の生徒が多い薫野第三(かおるのだいさん)中学でも、そういう風な言葉を掛けてくる生徒は一定数いたのだ。

 しかし、目の前の彼は違う。

 自分の家が仕えている神様を信じてくれたことも、こうして頼ってくれたことも、苑香(そのか)は嬉しくて仕方がなかった。

 どうにかして彼の願いを叶えたいと、そう思わずにいられなかった。


(この男の子には、幸せになって欲しい)


 傘が雨粒を弾く豪音の中で、苑香(そのか)は必死に祈った。


(彼が、幸せになれますように)


 そんな願いを心の中で唱えながら、苑香(そのか)は彼に傘を差し続けていた。


* * *


 季節が巡り、境内の銀杏の木が色づき始める頃の事。あの男子が、また拝殿まで走って来ていた。

 苑香(そのか)は自宅前からその姿をみとめ、彼の元へと駆け寄る。


(お母さん、大丈夫だったかな……)


 緊張と不安で胸をドキドキさせながら、苑香(そのか)は拝殿から降りてくる彼に大きな声で尋ねた。


「お母さん、どうなった?」


 すると、彼は苑香(そのか)に気づくなり、パッと破顔して彼女に駆け寄ってきたのだ。


「君、あの時はありがと! 母ちゃんさ、手術上手くいったんだ!」


 彼はそう言うと、心底嬉しそうに苑香(そのか)の手を取って、ぎゅっと握る。


「この前、退院してさ。まだ気をつけなきゃいけないことはあるけど、前みたいに家族みんなが家に揃った。妹と弟も嬉しそうで、父ちゃんも笑ってて……」


 そう言っているうちに、彼の三白眼から涙が溢れてくる。


「ほんと、よかったなあ……一緒にお祈りしてくれて、ありがとね」


 彼の純粋さ溢れる泣き笑い。目つきが悪いのに、彼の心は大らかな青空のようで、澄み渡っていた。

 こんなに綺麗な心の人を、苑香(そのか)は今まで見たことがなかった。

 だからだ、きっと。

 だから、こんなに胸が痛くて、締め付けられて……でも、嬉しくてフワフワしてしまうのだ。

 握られた手から、彼の温かい熱が広がるような心地がする。

 もう少し、日が暮れるまで、どうかこのままで――。


「ねえ、君」

「え?」


 唐突に彼から声を掛けられて、苑香(そのか)はびくりと体を強張らせた。


「な、何?」

「君、どこ中? 俺は薫野第二(かおるのだいに)に通ってる」

「私は第三中(だいさんちゅう)第二(だいに)って、薫野西(かおるのにし)駅の近くだよね? そんなに遠くからここまで来てたの?」


 苑香(そのか)が尋ねると、彼はにこやかに笑って頷く。


「そうだよ。初詣とか、七五三の時にこの神社に来てたからさ、もしかしたら、ここの神様なら助けてくれるかもって思って」

「そうだったんだ……うん、きっと神様も喜んでたと思う」

「ほんと? だと嬉しいな」


 彼が明るく笑ってくれるのを見て、また苑香(そのか)の胸がうるさくなる。

 どうにかして、彼ともう少し、繋がっていたい。しかし、学区が違うなら学校では会えないし、参拝に来る用事も無くなってしまった今、彼との接点は消えてしまったも同然だった。


(せめて、名前だけでも知りたい)


 苑香(そのか)はそう思い、勇気を出して口を開いた。


「あの……! 君、名前は――」


 しかし、その声も夕方五時十五分の町内放送に掻き消えてしまった。

 カラスが鳴きながら夕焼け空を飛んでいく。

 彼も放送に気づいて、慌てて苑香(そのか)の手を離した。


「やべ、もうこんな時間か。急いで帰んなきゃ」


 そう呟いて、パタパタと走っていってしまう彼。

 その背中を名残惜しく見つめていると、境内から出る直前で彼が振り返った。


「ほんっとうにありがとー! じゃあ、またね!」


 「またね」という言葉が本心なのか社交辞令なのか、苑香(そのか)には分からなかった。

 しかし、どうか本心であって欲しいと、そう願い続けて毎日神社の方を見たが、彼を見つけることができないまま、三年が過ぎてしまった。


 向こうももう忘れてしまっているかもしれない。しかし、苑香(そのか)は彼のことを忘れられないままだった。

 彼以外を好きになれる自信すらなかった。なのに今日、友部凪(ともべなぎ)の言葉と笑顔に、彼の面影を見てしまったのだった。


* * *


 バイト終わり、苑香(そのか)は帰宅し、自室のベッドに寝そべった。

 スマホを開き、バイトを始めた時に交換した友部(ともべ)の連絡先を表示させる。

 妹が描いてくれた似顔絵をアイコンにしており、プロフィールの背景は三人兄弟揃って笑ってる海辺での写真だ。


(家族思いで、弟と妹がいて、ちょっと目つきが悪いけど、心が綺麗で……凄く、似てるんだよな)


 また胸がうるさくなる。

 苑香(そのか)はスマホを閉じて、ドキドキとしている胸の上に置いた。

 スマホを両手で持ちながら、ぼんやりと天井を見つめる。


(確かめたいけど……違ったら、申し訳ないし)


 頬が少し熱い。客観的に考えても、今日の一件で、自分は友部凪(ともべなぎ)に惹かれてしまったのだろう。苑香(そのか)にもそれは十分に分かっていた。

 ただ、ここから先をどうしたいのか、またどうすればいいのかが分からないのだ。


(私……友部(ともべ)君と彼を重ねてるだけなのかな。それとも、友部(ともべ)君が好きなのかな……)


 答えが出せなくて、苑香(そのか)はうつぶせになって枕に顔をうずめる。


友部(ともべ)君が、彼ならいいのになあ……)


 そう思いながらも、またトークルームを開いてしまう。

 最後の連絡は、彼のシフトを代わってあげた時のお礼のメッセージだった。


 ――この前はありがと! お陰で弟の風邪も治ったよ。


 こうやって自然に「ありがとう」と言えるところまで、初恋の彼に似ている。

 でも、まだそれを確かめる勇気は出ない。

 だけど……少し距離を縮めるぐらいなら、してもいいんじゃないか。苑香(そのか)はそう思い、メッセージを打ち込んでいく。


 ――今日はありがとう。学校で助けてくれたの、本当にありがたかった。友部(ともべ)君に何かあったら、私も助けるから教えてね。


 メッセージがポコンと音を立てて送信された。

 しばらくして既読がつき、すぐに返信が来る。


 ――大丈夫だよー! 俺もバイトでは助けられてるし、お互い様だから! 今後もよろしくね!


 そのメッセージの後に、武士の格好をした猫が「頼りにしてるぞ」と言っているスタンプが送られてきた。


(ふふ、意外と可愛いの使うんだよね……)


 苑香(そのか)は幸せな気持ちで微笑み、スマホを閉じたのだった。

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