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春色の雪  作者: 月島
第六章 ほどけた繋がりを結んで
23/31

23 動き出す恋

 時は流れ、いよいよ明日は体育祭だ。

 行事を目前に控えた五月最後の金曜日。小雪(こゆき)達のクラスも、みんな浮き足立っている。

 黒板には「白組優勝するぞ!」の文字があり、その周りにクラスメイトの寄せ書きやらイラストやらが賑やかに描かれていた。


 小雪(こゆき)苑香(そのか)可憐(かれん)と共にそれを眺めて微笑む。


「体育祭楽しみだな……」

「ねー! 選抜リレーでぶっちぎるの凄く楽しみ」

可憐(かれん)は自信満々だね」


 苑香(そのか)がクスリと笑うのに対して、可憐(かれん)は得意気に笑う。


「だって私、勉強より運動の方が得意だからさ。一年で一番輝ける日が、明日なんだよ」


 堂々と言ってのけてしまう可憐(かれん)を見て、二人はニコニコと笑う。

 三人で笑い合っていると、小雪(こゆき)の元に春馬(はるま)が歩いてきた。


小雪(こゆき)、いつもの場所」

「ああ、うん……保健委員会が四時半からだから、それ終わるまで待ってて」

「分かった。待ってる」


 春馬(はるま)が優しく微笑んで去って行くのを、小雪(こゆき)が赤い顔で見つめていると、可憐(かれん)苑香(そのか)がグイッと顔を近づけてきた。


「あの春馬(はるま)君が女子を下の名前で呼んでる! どういうこと!?」

「二人ってどういう関係なの?」


 興味津々といった様子で尋ねられ、小雪(こゆき)は頬を染めながらたじろいでしまった。


「え、えと……」


 この関係を教えてもいいのか、春馬(はるま)は嫌じゃないのか……少し考えてみて、堂々と下の名前で呼んでる時点で大丈夫だろうという結論に至った。

 きっと二人になら教えても大丈夫だろう。こちらを陥れるようなことはしないはずだ。


「付き合ってるんだ……あんまり、言いふらさないで欲しいんだけど……」


 小雪(こゆき)が真っ赤な顔で小さく答えると、可憐(かれん)は興奮した様子で、でも声は抑えながら「そうなんだ……!」と笑ってくれた。


「内緒にするから、話聞きたい!」


 可憐(かれん)の隣で、苑香(そのか)も繰り返し頷いていた。

 二人の期待に満ちた様子に押し負けて、小雪(こゆき)は二人にだけ聞こえる声で答える。


「お……春馬(はるま)君、は」


 桜一朗(おういちろう)と言いかけて、慌てて言い直した。


「揶揄ったり、ふざけたりしてくるけど……いつも、私が困ったときに優しく助けてくれる。春馬(はるま)君が『大丈夫』って言ってくれると、大丈夫になれる……」


 話しているうちに恥ずかしくなってしまい、小雪(こゆき)は顔をパタパタさせながら「ごめん、今日はこのぐらいで……」とか細い声で頼み込んだ。

 彼女の初々しい様子を、二人は微笑ましく見つめている。


「今度話すときは、もっと詳しく聞かせてよ」

小雪(こゆき)ちゃんが恋してるの、なんか可愛くて好きだなあ」


 二人がにこやかに笑ってくれたのを見て、小雪(こゆき)は照れ笑いする。

 チラリと時計を見ると、四時二十分だった。


「そろそろ保健委員会行ってくる」

「体育祭の連絡だよね。頑張ってね」

「うん」


 小雪(こゆき)は二人に手を振って、保健室へと歩いて行った。


* * *


 小雪(こゆき)は会議室で保健委員会の連絡事項を確認した。

 担当教員からプリントが配られ、救護対応の当番表で自分の名前を探す。


(あった。十一時から昼休み前まで。えっと一緒に当番をする人は……竹花桔梗(たけはなききょう)さん……?)


 委員の名前を覚えることができていないため、竹花(たけはな)という人物がどんな顔なのかすら分からない。

 救護対応の方法を全体で確認した後、小雪(こゆき)竹花(たけはな)という人物を探そうか迷った挙げ句、春馬(はるま)を待たせてるからいいかと思って会議室を出ようとした。

 その時だ。


一原(いちはら)さん」


 涼しげな男子の声に呼び止められた。

 振り返ると、細いフレームの眼鏡を掛けた、栗色のショートヘアの男子がこちらを見ていたのだ。

 彼が誰なのか分からず、小雪(こゆき)は困惑してしまう。


「えっと……」

「ああ、やっぱり分からないか。僕は竹花桔梗(たけはなききょう)。明日一緒に救護対応の当番をする者だ」

「あ……あなたが、竹花(たけはな)君」


 小雪(こゆき)はペコリと頭を下げる。


「私、一原小雪(いちはらこゆき)……」

「知ってる。名前はプリントで確認した」

「……よろしく」


 なんだか気難しい人だなと、小雪(こゆき)は不安げに眉を下げた。


(この人と一緒で大丈夫かな……)


 小雪(こゆき)の気まずそうな顔を見て、竹花(たけはな)はふぅと溜息を吐く。


「今日は挨拶をしたかっただけなんだ。別に君にプレッシャーをかけるつもりはない。お互い、フォローし合いながら役目を全うしよう」

「……うん。頑張ろうね」

「ああ、よろしく頼む」


 竹花(たけはな)は涼やかな声で短く言うと、会議室から出て行ってしまった。


桜一朗(おういちろう)とは別のベクトルで変な人……)


 小雪(こゆき)は気疲れを誤魔化そうと溜息を吐いて、春馬(はるま)が待つ旧校舎へと歩き出した。


* * *


 旧校舎のいつもの教室に入ると、窓際の席で春馬(はるま)がパインと桃のフルーツサンドを食べていた。


「お待たせ」


 小雪(こゆき)が声を掛けると、春馬(はるま)はフルーツサンドを口に放り込んで彼女に微笑む。


「もふはれ」

「何て言ったの?」

「むぐ……おつかれって言ったの」


 フルーツサンドを飲み込んで、春馬(はるま)はニコリと笑った。


「なんか、教室で楽しげだったね?」

「あ……うん。恋バナしてた」

「ふーん、誰の?」

「私の……」


 小雪(こゆき)は顔を赤くしながら、彼の隣の席に座る。


「バラしたっていうか……バレちゃった」

「あー、俺が小雪(こゆき)って呼んだからだね」


 彼が飄々と笑うのを見て、小雪(こゆき)はハッと気付いた。


「もしかして、狙ってたの?」

「ふふ。実はそうなんだ」

「そ、そんなの聞いてない……なんでいきなり」


 小雪(こゆき)がじっとりとした目を向けると、春馬(はるま)は柔らかく笑って告げる。


小雪(こゆき)は可愛いから、他の人に狙われないようにアピールしたかった。それだけの理由ね」


 春馬(はるま)が王子様の笑顔で小雪(こゆき)を見ている。

 いつもよりまだ色が薄い夕日。出会ってから季節は数歩進んだが、小雪(こゆき)は彼の笑顔が好きなままだ。


「……そっか、ありがと。でも私……他の人の所には行かないよ」


 はにかみながらそう言う小雪(こゆき)に、春馬(はるま)は微笑みながら言うのだ。


「知ってる。でも、君を好きな人達が、全員それを分かってくれるとは限らないでしょ。だから、これは保険。俺の彼女だから、手を出さないでねってアピールしといた方が安心なの。俺がね」

「そうなんだ……私も一応、気をつけておく」


 小雪(こゆき)がポツリと呟くのを見て、春馬(はるま)は満足げに頷いた。


「うん、そうして」

(なんか嬉しそう……)


 彼の喜びが伝わってきて、つられた小雪(こゆき)も頬を緩める。

 もし、彼が付き合っていることをオープンにしたいというのなら、こちらも普段から名前で呼んでもいいような気がする。でも一方で、それは少し恥ずかしかった。


「……ねえ」

「ん?」

「私も学校で、桜一朗(おういちろう)って呼んだ方がいい?」


 小雪(こゆき)が上目遣いに尋ねると、春馬(はるま)はクスリと笑って口を開く。


「呼んでもいいし、呼ばなくてもいいよ」

「呼ばなくてもいいって、本気?」

「二人きりの時間の特別感が増すから、それでもいいなーって思ってる。決められない」


 春馬(はるま)にしては曖昧な答えだ。

 しかし、小雪(こゆき)にも彼の考えている事が何となく分かった。


「私が心の中で桜一朗(おういちろう)って呼んでるだけで、満足しちゃうんだ」

「ふふ、バレたか。仰るとおり、君が俺のことを親しく思ってくれてるだけで大満足」

「お腹は燃費悪いのに、心は低燃費……」

「お、言うようになったねー」


 春馬(はるま)がケラケラ笑うのがおかしくて、小雪(こゆき)も一緒に笑ってしまった。


「ふふ……きっと、桜一朗(おういちろう)の性格がうつったんだ……」

「えー、俺のせいなの? 俺はそれが小雪(こゆき)の素と見たね」

「そんなことないよ。こんな私、知らないもん」


 小雪(こゆき)は笑って出た涙を拭って、春馬(はるま)に微笑む。


桜一朗(おういちろう)が、私を明るく変えてくれたんだよ、きっと」


 小雪(こゆき)の言葉に、春馬(はるま)も優しい顔で笑ってくれたのだった。


* * *


 小雪(こゆき)を送り出した苑香(そのか)可憐(かれん)も、苑香(そのか)のバイトの時間に合わせて教室を出た。

 生徒もまばらな廊下を歩きながら、可憐(かれん)苑香(そのか)に尋ねる。


小雪(こゆき)ちゃんの恋バナで思い出したんだけど、そのちゃんの恋バナ、最近聞いてないよね」

「ああ……実は進展なくて」

「そっか、まだ見つかってないんだねえ。中学の時に神社に通ってた初恋の男の子。お母さんの病気が治るようにって、必死にお願いしてた子だっけ」

「うん」


 苑香(そのか)は小さく頷いて、微笑みながら目を伏せる。


「ちょっと目つきが悪いんだけど、話してみたら凄く気さくな人だった。神様の話って、聞く人によっては『宗教っぽくて怖い』って思っちゃうんだけど、その人はそういう偏見もなかったなあ」

「その話、中学の時からずっと聞いてる」


 可憐(かれん)がニヤリと笑って苑香(そのか)を小突く。


「そのちゃんはその人の事、本当に好きなんだなあって思うよ。いいなあ、私もそんな恋したい」

「ふふ、可憐(かれん)はきっと、恋したらのめりこんじゃうんだろうなって思う」

「えへへ、実は私もそんな気がする。恋はバスケに満足してからかなあ」


 二人で仲良く歩いていたその時だった。

 廊下の反対側から歩いてきた黒髪のおさげの女子と、ウェーブのかかった茶髪の女子が、二人の前で立ち止まったのだ。


「ねえ、ちょっといい?」


 おさげの方が声を掛ける。

 苑香(そのか)は彼女の顔を見て、すぐに名前を思い出した。


伊瀬璃乃(いせりの)さんだよね。隣は木野望海(きののぞみ)さん」

「そのちゃん、知り合い?」

「一年生の時のクラスメイトだよ。それで、二人ともどうかした?」


 苑香(そのか)が尋ねると、伊瀬(いせ)は機嫌の悪そうな顔で口を開く。


「二人って、よく一原小雪(いちはらこゆき)と一緒にいるよね。その子に、春馬(はるま)君から離れるように言ってくれる?」


 伊瀬(いせ)の言葉に、可憐(かれん)は戸惑って何も言えなかった。

 しかし、苑香(そのか)は落ち着いて尋ねる。


「どうして?」


 すると、今度は木野(きの)の方が吐き捨てるように言うのだ。


「言わなきゃ分かんないの? 邪魔だからだよ」

春馬(はるま)君を独占してるのが許せないの。氷の女王って言われてる癖に、最近調子に乗ってるのが本当に腹立つ。二人もそう思わないの?」


 伊瀬(いせ)木野(きの)の言葉を聞いて、可憐(かれん)は顔を険しくして声を荒げる。


「何その言い方……! 小雪(こゆき)ちゃんのこと何も知らない癖に、調子に乗ってるとかどの口が言ってんの? あんたらみたいな子に、春馬(はるま)君が靡く訳ないでしょ? だって、春馬(はるま)君は――」

可憐(かれん)、待って」


 苑香(そのか)が冷静な声で彼女を制止し、首を横に振った。

 それを見た可憐(かれん)も、ハッと口を噤む。小雪(こゆき)が、二人の関係を言いふらさないでくれと言っていたのを思い出したのだ。

 口を閉ざした可憐(かれん)の代わりに、苑香(そのか)が静かな表情で口を開く。


「好きな人に振り向いて欲しいなら、ライバルを蹴落とそうとするんじゃなくて、自分を磨いた方がいいと思うよ。春馬(はるま)君にバレたくないから、小雪(こゆき)ちゃんに直接言わずに私達を利用するつもりだったんだろうけど……そういう悪意のある計算って、自然と明るみに出るものだから」


 苑香(そのか)は二人を真っすぐに見つめて、続ける。


「『天網恢々疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず』ってことわざ、一年生の国語の時間に辞書で引いたと思う。悪いことしても、いつか罰が下るだけだよ」

「……何なの。優等生気取り」


 伊瀬(いせ)が吐き捨てる。


沖浜(おきはま)さんの家、神社なんだよね。神の期待には背くなーみたいな教育でもされてるの? だからそんなに優等生ぶってるんでしょ」


 伊瀬(いせ)の言葉に、木野(きの)も嘲笑を重ねる。

 二人の態度を見て、苑香(そのか)は静かに目を伏せた。


(今に始まったことじゃない。こういう反応をする人も珍しくないって、これまでの人生で学んできたでしょ)


 心の中でそう呟き、冷静に感情を抑え込もうとする。

 表情は落ち着いたままなのに、体の横で握られた拳は震えていた。

 親友が馬鹿にされ、可憐(かれん)が我慢できずに怒鳴ろうとしたその時だ。


「あれー! 沖浜(おきはま)さんと河原(かわばら)さん? 二人も居残り?」


 場違いなぐらい明るい声が、二組の教室から聞こえてきたのだ。

 教室の扉の方を見ると、帰り支度を終えた友部(ともべ)が、にこやかに駆け寄ってくるところだった。


「あーそういやさ、沖浜(おきはま)さんも今日シフト入ってるよね。一緒に行かない?」

「あ……うん。いいけど」


 苑香(そのか)が戸惑いながら頷く横で、可憐(かれん)が眉間に皺を寄せながら彼を見る。


友部(ともべ)、今それどころじゃないんだけど!」

「あー、ごめん! でもあと一個だけ!」


 友部(ともべ)は申し訳なさそうな顔で両手を合わせて、苑香(そのか)に笑顔で続ける。


「今年の初詣、沖浜(おきはま)さんちの神社に行ったんだけどさ、弟が『水泳の大会で一番取れますように』ってお願いしたらしいんだ。そしたらこの前のジュニアの地区大会で、本当に一番取ってさあ! すげー嬉しかったからお礼したかったんだ。ありがと!」


 友部(ともべ)は屈託ない笑顔で言うと、伊瀬(いせ)木野(きの)に向かって朗らかに告げる。


「チラッと見かけた程度だけど、二人も初詣来てたでしょ? だったらさ、神様を使って他人を貶すより、神様に感謝しといた方がいい事あるんじゃねーかな」


 友部(ともべ)の口調は穏やかで、決して攻撃的ではない。だがそれでも、二人を窘めようとする意図はよく表れていた。

 いたたまれなくなった二人は、何も言わずにその場から逃げて行ってしまった。

 まさか、普段おちゃらけているクラスメイトがこの場を収めてくれるとは思わず、可憐(かれん)苑香(そのか)も呆然としてしまう。

 驚いた顔で固まっている二人に向かって、友部(ともべ)はいつも通りの元気な笑顔を見せながら首を傾げた。


「何してんの? 早く帰ろ」


 何てことないように笑う友部(ともべ)を見て、苑香(そのか)は胸の辺りを押さえながらコクリと頷いたのだった。

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