2 似た者同士
「ど、同盟って……何、するの?」
小雪は、やっとのことでそう尋ねる。
「私、他人と同盟なんて結んだことないから、分からない」
「ふは、今どき同盟結ぶ高校生なんていないもんねー。だから、別に一原さんが変な訳じゃないよ。まあでも、条件は決めといた方がいいか」
春馬は顎に手を当てて、考え込むように空を見上げる。
「俺としては、お互いが悩んでるときには相談に乗ること。それからどっちかが困ってたら助け合うことを条件に、友達になれたらいいなーって思ってるんだけど」
「それが同盟の内容?」
「そ。俺は一原さんと仲良くできるし、一原さんは念願の友達が作れる。お互いウィンウィンだと思うんだけど、どう?」
春馬に柔らかく微笑まれ、小雪は思わず息を飲む。
よく見ると、彼は顔が綺麗だ。笑うと唇の端が優しく上がって、目元も上品に細くなる。王子様の笑顔って、こういうことなんじゃないか――。
意識してしまったが最後、小雪の頬が急に熱くなってきた。
恥ずかしくて目を逸らそうにも、逸らしたら逸らしたで変に勘繰られそうで怖い。
見つめるのは苦しいのに、意地を張ってしまって目が離せなかった。
小雪にガン見されていることに気が付き、春馬はきょとんと首を傾げる。
「あれ、俺の顔に何かついてる?」
「へ、いや……」
「ああ、分かってるよ。見惚れてたんだ?」
「う……違う。違うから」
同盟になるとはいえ、他人にこんな気持ちを察されたくなくて、小雪は目をぎゅっとさせながら首をふるふるとさせる。
男子に見惚れるなんて初めてだが、関係ができてすぐにこんな風にドキドキしてしまっていることを知られるのは嫌だった。
――見ないで欲しい。知らないで欲しい。『氷の女王』じゃない私のことを見ないで。
小雪が真っ赤な顔で首を振っていること――薄暗い中でもそれを察した春馬は、フッと笑って彼女の手を取る。
急に手に触れられて、小雪は驚いた声を出した。
「うわ……!」
「あはは、そんなビックリすることなくない? ほらこれ、落とし物」
そう言って、春馬は小雪の手のひらにライオンのストラップを乗せた。
「上着も忘れてここに来たってことは、大事なものだったんでしょ?」
「あ……そんなことまで、分かっちゃうの?」
「そーいう頭の作りなの。とにかく、ちゃんと届けられてよかった」
春馬の手が離れていく。
それが少し惜しくて、小雪は手を伸ばそうとして……やめた。
また妙なことを勘繰られるのは嫌だったのだ。
「……ありがとう」
「うん。あ、今日はパーカー貸してあげる。それ着て帰りなよ」
「いいの?」
「うん、いいの」
春馬の顔は穏やかで、別にこちらに気を遣っている訳ではなさそうだった。
彼の優しさで、胸がトクトクと音を立てる。
今まで感じたことのない感情だ。この気持ちの名前が、小雪には分からなかった。
「ありがとう……洗って返す」
「うん。あー、一原さん家の柔軟剤、何使ってるのか楽しみー」
「きも……」
「冗談じゃん。笑ってくれると思ったのになあ」
春馬は飄々と笑うと、「じゃあね」と、手をひらりとさせて去っていく。
公園の出口、遠くなる彼の背中を見て、どうしてか小雪はいてもたってもいられなくなった。
「春馬君……!」
鈴を転がすような澄んだ声が、湖のほとりに響き渡る。
春馬が振り返ると、小雪が胸元に手を握りながら、一生懸命叫んでいた。
「同盟、よろしくね……!」
小雪の声に、春馬は「こちらこそー!」と大きく手を振って応えてくれた。
この胸の高鳴りは、きっと「初めての友達」ができたことへの嬉しさだ。だから、だから――。
「治まってよ……」
小雪はドキドキと音を立てる心臓を押さえて、しゃがみ込んだ。
「落ち着いて……落ち着いてよ」
小雪が、真っ赤な顔でか細い声を出していたこと。それを知るのは、湖に映る宵の空だけだった。
* * *
小雪が落ち着かない様子で家に入ると、リビングの方に明かりが灯っていた。
確認すると、父が二人分のご飯をテーブルに並べて、待っていてくれたのだ。
「あ、お帰り。友達とは会えたかな?」
父、一原深雪が、椅子に座ったまま上半身を横に向ける。切れ長なツリ目は優しく細められており、普段のキツめな印象が和らいでいる。
彼は小雪とよく似た美形なのだが、娘とは違って素直で、優しすぎるぐらい優しい性格だった。
そのせいで、苦労することもあったのだが……そのことは一原家では敢えて話題にしない。若干のタブーだった。
「うん。ごめん、待っててくれたんだね」
「大丈夫だよ。いつも一緒に食べてるから、一人で食べるのが落ち着かなくて待ってたんだ。ほら、食べよう」
父に促され、小雪はコクリと頷いて手を洗い、席に着いた。
「いただきます」と手を合わせて、二人で一緒に箸を進める。
父がホイコーローを一口食べた後、「そういえば」と口を開いた。
「急に家を出るなんて珍しかったけど、友達は小雪に何の用事があったんだい?」
父から尋ねられて、小雪はゴクリと唾を飲む。
「お……落とし物、拾ってくれたの。それ、届けてくれた」
――落とし物が何かは、聞かないで。
小雪は、心の中で必死に念じた。
小雪が緊張した面持ちで箸を止めていると、父が「そっか」と柔らかい声で返事をしてくれた。
「優しい子だね、その友達」
「う、うん……」
追及を免れて、小雪が安堵したのも束の間。
「そのパーカーも友達が貸してくれたの?」
「んんっ」
まだ動揺して、変なところに唾が入ってしまった。
「けほけほ……」
「ああ、大丈夫? 変な事、聞いちゃった?」
「う、ううん……そう。友達が、寒いからって貸してくれた……」
パーカーを貸してくれた時の春馬の笑顔を思い出し、また、頬が熱くなってしまう。
そういえば、彼は小雪を見つけてすぐ、パーカーを羽織らせてくれたのだ。話している時、彼は制服しか着ていなかった。本当は寒かったのに、小雪のために自分が着るはずだったものを貸してくれたんじゃないか。
(春馬君って、実は優しい人なのかも……)
小雪が頬を染めて黙り込むのを見て、父は柔らかい笑顔で続ける。
「小雪に友達がいるみたいで嬉しいよ。いつも、父さんのためにすぐ家に帰って来てくれるから、あんまり友達と遊ぶ時間もないだろうなって心配してたんだ」
「それは……気にしなくて平気。お父さん、油断すると無理しちゃう人だから。やっと自分のしたい仕事ができてるんだから、私のことは気にしないで、それに専念していいんだよ」
小雪は慌てて笑顔を作り、父にそう伝えた。
娘の健気な笑顔を見て、父は少し申し訳なさそうに目を伏せる。
「……ごめんね。いつも苦労をかけて」
「お父さんは何も悪くないよ」
「小雪は優しいね。でも、もっと自分の時間を大切にしてもいいんだよ。友達と遊びたい時は、無理しないでそっちを優先して。何なら、家に連れてきてもいいし。機会があったら、父さんにも紹介して欲しいな」
「家に……」
小雪は春馬が家に来て、父親に挨拶をする様子を想像する。
あの胡散臭いニヤケ顔で、「小雪さんの何考えてるのか分からないところが面白くて、友達になりました」と言っているところが頭に浮かんでしまい、慌てて首をブンブンと横に振った。
「ちょっとそれは難しいかも。お父さんを困らせる可能性が高くて」
「そうなの? 変わった子なのかなあ」
「うん。ちょっと変わってる人」
小雪は苦笑いで誤魔化した後、夕飯を食べるのに戻っていく。
(そういえば、格好いいなんて思ったけど……あの人、ちょっと変わり者だったよね。デリカシーが無いっていうか……)
小雪は少し赤い頬で俯きながら、ご飯をもぐもぐと食べる。
(私、まだあの人の事、ちゃんと知らないんだな……これから、知っていけるのかな)
彼が自分に「親友になりたい」と言ってくれたことを思い出し、再び頬が熱くなる。
変わり者で、デリカシーが無くて……でも格好よくて、王子様みたいに笑ったと思ったら、桜みたいに儚く散ってしまいそうな顔もする。
春馬君って、どんな人なんだろう――。
初めて「同級生」に興味を持ったということ――自分の変化に、小雪の心はまだ追いつけていなかった。
* * *
小雪と別れて家に帰った後、春馬は居間で緑茶を飲んでいる祖母、春馬桃世に声を掛ける。
「ばあちゃん、ただいま」
「ああ、おうちゃん。お帰り。晩御飯できてるからよそおうね」
「うん」
祖母に返事をして、春馬は台所の鍋の蓋を開ける。
「あ、カレー作ったの?」
「肉じゃがが残ってたからルーを入れたの。おうちゃんが昔、教えてくれたのよ」
祖母の言葉を聞き、春馬はいつのことだったか振り返る。
あれは確か、小学三年生の時だった。まだ両親と姉と暮らしていたとき、姉が肉じゃがの残りでカレーを作ってくれたのだ。
彼女のカレーはまろやかな味がして、春馬はつい、お代わりをし過ぎてしまった。その時のことを祖母にも教えたのだった。
あの頃は、姉の微笑みと料理だけが、春馬の救いだった。
「花菜ちゃんが作ってくれてたんだよ。父さんと母さん、全然料理しない人だったから」
辛さを誤魔化すように笑うと、皿にご飯をよそっていた祖母が皿をテーブルに置きながらピシャリと言う。
「あんな親のことなんて忘れなさい。あなたをお金儲けの道具にしか考えてなかった、あんな親のことなんて……」
言葉尻を震わせる祖母を見て、春馬はポツリと呟く。
「忘れられたらいいのにね」
台所に沈黙が訪れる。
この静寂が酷く重苦しくて、春馬は胸を痛めた。
(ばあちゃん、怒ってるな……)
──ちゃんと気づけるのに……どう反応したらいいのか分からなくて、何も言えないのが、私。
学校では、いつも嫌われまいとヘラヘラ受け流すことができるのに……肝心なところで言葉に迷ってしまうのは、春馬も同じだった。
(一原さんなら、今の場面でどう喋るんだろう)
夕方の湖で、恥ずかしそうにしながらも「よろしくね」も叫んでくれた彼女のことを思い出す。
あの一生懸命な顔が、どうしてか直接見たかった。
(一原さんのこと、まだ全然知らないけど……彼女の顔を見たら、何となく元気が出る気がする。それは、彼女に自分を重ねてるからなのかな……)
春馬はカレーをかき混ぜながら、再度、先ほどの湖での出来事を脳内再生する。
少し寒い空気。咲きかけの桜。沈みかけの夕日。オレンジと紫の混ざった空と、それを反射した湖。そして、パーカーを羽織らせたとき、澄んだ瞳を大きく見開いて、こちらを振り返ってくれた彼女の口から零れた声。
全部、忘れられない。忘れたくない。春馬は、そう強く思った。
──一原さんは、俺が独りじゃない証だ。
カレーの匂いが広がる台所。冷めてしまった雰囲気の中で、春馬は小雪とのやり取りに縋り、心の暖をとっていた。




