19 歩み寄る
ゴールデンウィークが明けて以降、学校は徐々に体育祭ムードへと変化していた。
小雪のクラスでも、六時間目のロングホームルームでそれぞれの出場競技を決めたところだ。
帰りの前の掃除の時間、小雪は同じ掃除の班である苑香と可憐に、ほうきを動かしながら話しかける。
「河原さん、選抜リレーに選ばれるなんてすごいね。足速いんだ」
「えへへ、これでもバスケ部だからねえ」
「うちのバスケ部、東北大会に出てるの知ってる。もしかして、河原さんも出るの?」
「まだ予選終わってないけど、絶対に東北大会出て見せるから応援してて!」
快活な笑顔でそう言いながらロッカーの上を雑巾で拭く可憐。彼女を見ていると、東北大会まで勝ち進むなんて余裕だと思えてしまった。決して楽なことではないはずなのに。
小雪が「応援してる」と微笑む横で、苑香がほうきでごみを集めながらにっこり笑う。
「可憐。例のあれ、今年も作ったから後であげるね」
「お、ほんとに!? そのちゃんありがとー!」
「例のあれ……?」
小雪が首を傾げるのを見て、苑香はすぐに答えてくれる。
「沖浜特製お守り、毎年、可憐に作ってるの。バスケで活躍できますようにってお祈りもするんだよ」
「そのちゃんち、神社なんだ。薫野灯里神社ってところ」
「あ、この辺りで一番大きい神社だよね。知ってるよ。初詣、お父さんとよく行く」
小雪が頷くと、苑香は嬉しそうに笑ってくれた。
「知っててもらえて嬉しい。あのね、一原さんにもお守り作ったんだ。もしよければ、後で受け取って」
「いいの?」
「もちろん! 手縫いだけど、見栄えはバッチリだよ」
「そのちゃんのお守りは効果てきめんだから、一原さんにも楽しいことが起きると思う」
二人が明るく笑ってそう言ってくれるのが嬉しくて、小雪も顔を綻ばせながら頷いたのだった。
* * *
掃除と帰りのホームルームが終わった後、小雪は可憐と苑香の元に向かった。
廊下側の前から三番目の席。苑香の席で、彼女から青い雪の結晶の刺繍が入ったお守りを手渡される。
「雪の模様……可愛い」
小雪が顔を綻ばせると、苑香は優しい笑顔で頷く。
「一原さん、お名前が小雪さんだから雪の刺繍を入れてみたんだ」
「名前、覚えててくれたの?」
「もちろん。友達の名前だもの」
「そっか……」
友達だと思って貰えていたこと、名前を覚えていてくれたこと……どちらも嬉しくて、小雪は頬を薄く染めながら微笑む。
「ありがとう。大事にする」
「そう言って貰えて嬉しい。あ、もし良かったらさ、これからはお名前で呼んでもいい?」
「え……」
思わぬ提案に、小雪は目を丸くした。
今まで、名前で呼んでくれる同級生なんていなかったのだ。だから、そう言って貰えることが信じられなかった。
「あ……二人が良ければ、呼んで欲しい……」
嬉しさと照れ臭さで胸をいっぱいにしながら、小雪は赤い顔で頷く。それを見て、可憐と苑香は顔を見合わせて、嬉しそうに笑った。
「じゃあ小雪ちゃんって呼ばせて!」
可憐が快活な笑顔で言う。
その横で苑香もにっこりしながら頷いた。
「私も小雪ちゃんって呼びたいな」
「う、うん。いいよ、ありがとう……河原さ――」
河原さん、沖浜さん。そう言おうとして、慌てて口を噤む。
二人が名前で呼んでくれているのだ。こちらもそうしたい。小雪は勇気を出して口を開く。
「可憐ちゃん、苑香ちゃん……ありがとう」
真っ赤な顔で緊張しながらそう言うと、二人は目を輝かせて小雪の腕をさする。
「こちらこそだよ! 小雪ちゃん、可愛い……!」
「仲良くなれたみたいで嬉しいよ! これからもいっぱい呼んで」
「う、うん……ふふ、いっぱい呼ぶ」
二人に喜んで貰えたのが嬉しくて、小雪はふにゃりと笑う。
その後、苑香は可憐にもお守りを手渡し、二人に向かって笑いながら告げた。
「可憐のお守りはバスケのことをお祈りしてあるの。でも、小雪ちゃんのお守りには『願いが叶いますように』ってお祈りしたんだ。だから、小雪ちゃんの方でお願い事を決めて、お守りを大事にして欲しいな」
「うん、分かった」
――願い事か。
小雪はお守りを見つめて、何を願おうか考え込む。
(そういえば、親の仲が悪くなってからは生きるのに必死で、願い事とか、あんまり考えてこなかったかも……)
「小雪ちゃん、何お願いするの?」
可憐が興味津々といった顔で尋ねてくる。
この場でお願い事を決めることができなくて、小雪は曖昧に首を傾げた。
「まだ考え中。今まで、叶えたいこととか、あんまり考えないで過ごしてたから」
「そっかあ。素敵なお願いが見つかるといいね」
「うん」
小雪は二人に頷いて、お守りを丁寧に持ち直した。
* * *
部活がある二人と別れて、小雪は生徒玄関に向かった。
靴を履き替えて、玄関の風除室に出たところでふと横を見ると、春馬がスマホを見て立っていたのだ。
「春馬君?」
声を掛けると、春馬は表情をパッと明るくして小雪の方を向いてくれた。
「お、来た来た。おつかれー」
「もしかして、待っててくれたの?」
「うん。君と一緒に行きたい場所を見つけたからさ。放課後、少し時間ある?」
「うん。夜までに帰れるなら……」
小雪が頷くと、春馬は「決まり。行こ」と笑って歩き出した。
小雪もそれについていく。
いつものように速足で歩こうとして、彼を置き去りにしてしまいそうになっていると気づき、一人で歩く時のペースに戻した。
「今日、歩くの遅い?」
「一原さんはこのぐらいのペースの方が歩きやすいかなって」
「あ……私に合わせてくれたんだ。ありがとう」
「うん。もう置いてかないから」
春馬に柔らかく微笑まれて、小雪は真っ赤な顔で俯く。
(ずるいなあ、もう)
「あー、また照れてる」
「狙ってやってる癖に……」
「そんなことないよ。どれも俺の素直な言葉。狙ってるつもりはないから」
そう優しい声で言いつつも、顔がニヤニヤと笑っているから微妙に信用できなかった。
どんなに親しくなっても、彼はたまに掴めないのだ。
「春馬君って、変な人……」
「そっちの方が仲良くし甲斐があるでしょ」
「自信満々……でも、たしかに見てて飽きないかも」
「ふは、そのまま飽きずにいてよね。俺も努力しますから」
「うん。ふふ、期待してる……」
小雪がクスリと笑うのを見て、春馬も満足げに笑う。
二人で小雪の自転車を取って、春馬のスマホのマップの案内を見ながら歩き始めた。
* * *
薫野中央駅に続く、駅前の大通りを歩いていく。
時刻は間もなく四時十五分。駅前通りにも徐々に下校する学生の姿が増えてきている。
ふと視線を感じて、小雪が反対側の通りを見ると、薫野高校の制服を着た生徒がチラチラと二人の方を窺っていた。
制服のリボンが水色だから、同学年の生徒だ。しかし、小雪は彼女らのことを知らない。
「誰だろ……」
彼女の呟きを聞いて、春馬は女子生徒の方を見る。そして、納得したように「ああ」と口を開いた。
「三組の伊瀬さんと木野さんだ」
「知ってる人?」
「去年、お菓子を押し付けてきた人と、その友達」
春馬は吐き捨てるように言って、乱暴な笑顔を作る。
それを見て、小雪は彼が考えていることを察した。
「春馬君にアプローチしたけど、あしらわれた人……」
「そー。陰で『春馬君に気に入られたら将来安泰だよね』って話してた二人ね。そういうの、誰にも聞かれないところで言えばいいのにさ」
小雪はそれに「そうだね」と同意しながらも、内心穏やかではなかった。
(あの人達、まだ春馬君に気があるのかな……)
そんな不安に襲われ、何も言えずに口を噤む。
小雪が考えていることを察して、春馬は彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「うわ……ちょっと、何するの」
「一原さんがいるのに、他の人に目移りすることなんて絶対にないからね?」
「う……信じてるよ。でも、髪ぐちゃぐちゃにしたのは許せない……」
小雪が顔を真っ赤にしながら頬を膨らませると、春馬「ふは」と吹き出して柔らかく笑った。
「ごめんごめん。直してあげるから立ち止まって」
小雪が立ち止まると、春馬は彼女の髪を丁寧に手櫛で整えていった。
彼に頭を触られていることがくすぐったくて、小雪は赤い顔で目をぎゅっと瞑る。
「ん……」
「一原さん、髪サラサラだ。いいなー、羨ましい」
そう笑いながら髪を整えて、春馬は「はい、おしまい」と手を離す。
「綺麗になりましたよ、お姫様」
おちゃらけた笑顔でそう告げる彼を見て、小雪は赤い顔で呆れていた。
「またふざけたこと言ってる……」
「変な人でいたら、一原さんも俺に飽きずにいてくれるみたいだからさ」
「そのうち、お笑い芸人目指すとか言い出しそう」
「目指すときは一緒にコンビ組んでよ。M-1で優勝しよう」
「絶対やだ」
「ふは、冗談じゃん。ほら、目的地のお店に行きましょ」
春馬はケラケラ笑いながら歩き出す。小雪もそれに並んで自転車を押した。
(モヤモヤすることがあっても、春馬君と一緒だと全部『大丈夫』になっちゃうんだもんなあ。不思議)
小雪は俯きながらはにかんで、自分の歩幅で彼と共に歩いて行った。




