17 新しい思い出
五月五日、春馬は小雪と約束した通り、電車に乗って彼女にメッセージを送った。
(二号車に乗ったよ、と……)
小雪の最寄り駅までは大体七分かかる。そこまで長い時間ではないのに、春馬は彼女に会えるのが楽しみで堪らなかった。
ソワソワと、落ち着きのない気持ちが周囲にバレないように、表情を消してボディバッグを大事に抱く。
しかし、彼女が笑顔で会いに来てくれる姿を想像するだけで、頬が緩みそうになってしまうのだ。
(俺、一原さんがいない時の気持ちのコントロール下手だなあ)
そんな呆れた感情も、彼女が好きなことによる副産物なら悪くないと思えてしまう。我ながらべた惚れだと春馬は苦笑いした。
「まもなく、薫野東ー。お出口は右側です」
車内アナウンスが鳴って数十秒後、電車が止まって春馬の向かいのドアが開いた。
数人ほど、様々な年代の乗客が乗ってくる。その一番後ろに、彼女がいた。
珍しく後ろで結われた銀髪。黄緑色の襟ギャザーブラウス。白地にオレンジの花柄のスカート。
「春馬君」
笑顔でこちらに歩み寄ってくる彼女の全てが可愛くて、春馬の口から「おお……」と声が漏れる。
「おはよう、見つかってよかった」
そう言って目の前の吊革に掴まる彼女を見て、春馬は我に返った。
周囲の乗客……特に男性客が、小雪のことをまじまじと見つめていたのだ。
早急に彼らの目隠しになる必要がある。春馬はそう判断し、スッと立ち上がる。
「席、換わる。座って」
「え、いいよ。一駅だけだし」
「君が良くても俺が嫌なの。ほら、座って」
春馬が断固として譲らないのを見て、小雪は渋々頷いた。
「分かった……ありがと」
「ううん、平気。ちょっとは彼氏のこと、立ててよ?」
「そういう考え、古いと思う……」
「じゃあ言い方を変える。俺の一原さんを大切にしたい気持ち、捨てないで受け止めて」
「その言い方、ずるい。でも分かった」
小雪が赤い顔で頷くのを見て、近場の男性客は彼女から目を逸らす。きっと彼氏持ちだと気づいてくれたのだろう。
彼女が「氷の女王」なんて揶揄されていたのは、冷たい態度だけではなく、美しい容姿も理由なのだ。
今後、彼女が柔らかく魅力的になっていくにつれて、彼女に引き寄せられる虫は増える。春馬もそれは十分理解していた。
(これからは、もっと気を付けていかないとな)
心の中で気を引き締めて、春馬は吊革を握る手を強くした。
* * *
涼河駅からバスに乗って十五分。二人はブルームランドに到着し、その入り口をくぐった。
高原にある、ヨーロッパ風の建物が並ぶ園内。入り口からでも見える城とチューリップ畑は、小雪が家族で来た時よりも綺麗になっていた。
「最後に来た時より新しくなった?」
「三年ぐらい前にリニューアルしたみたいだよ」
「そっか。だから昔より綺麗なんだ」
小雪が目を伏せながら笑う。
彼女が少し寂しがっているように見えた春馬は、辛い気持ちを上書きしようと、優しく手を取る。
「新しい思い出、いっぱい作ろ」
桜色の瞳を細めてニコリと笑うと、彼女も赤い顔で微笑んでくれた。
「うん……」
「さて、最初はどこ行く?」
「お城の中をぐるぐる回るシューティングゲームがあったよね。それに乗りたい」
「了解。行こ」
春馬は小雪の手を引いて、アトラクションがある城に向かって歩き出した。
花の香りと、北国の初夏の涼しいそよ風。標高が高いためにいつもより近い清々しい青い空と、ふわふわと浮かぶ白い雲。そんなのどかな世界で感じる、彼女の手の温かさ。すべてが春馬の脳に焼き付き、忘れられない思い出になっていく。
自分の記憶力なら今日のことをいつだって思い出すことができる。しかし、それでも今は、二度と来ない今という瞬間に包まれていたかった。
* * *
フラワーキャッスルと呼ばれる城の中は、ロビーの向かって右側がお土産屋で、左側がアトラクションの入り口だった。
オープンしてすぐに来たからか、二人は運よく並ばずにアトラクション内部に入ることができた。
白い馬車を模した乗り物に座り、二人で一緒に花の飾りがついた銃を持つ。
「城に入ってきた花を枯らす悪魔を退治する……面白いコンセプトだよね」
春馬が朗らかに尋ねると、小雪は真剣な顔で口を開く。
「コンセプトとか、言わないで。私達、今はブルームランドの王国騎士団だよ。国を守らなきゃ」
(意外と入り込むタイプか……おもしろ)
春馬がクスクス笑っているうちに、馬車が出発する。
城内の物の死角から、黒いカラスがバサバサとこちらに迫ってきた。プロジェクションマッピングとはいえ、すごい迫力だ。
「えい! えい!」
頑張って声を出しながら銃を放つ小雪だったが、全く的に当たらない。
一方の春馬は、頑張る彼女を横目で見ながら完璧なシューティングをしてみせていた。実は、過去に乗ったことがあったため、どこから敵が来るのか覚えていたのだ。
「春馬君、上手……」
「一原さんってノーコン?」
「違う。銃の扱いに慣れてないだけ」
「俺も慣れてないよ? 日本は銃刀法があるから使えないでしょ」
「む……でも、春馬君なら狙撃手にもなれそう。いいなあ」
「羨ましいんだ」
春馬はケラケラ笑っていたが、小雪は真剣な顔でカラスと格闘していたのだった。
その後も、アトラクションに乗っている間の小雪の発言はずっと変なままだった。そんな新しい一面も面白がりながら、春馬は銃を撃ち続け……結局、彼女にダブルスコアほど差をつけて、アトラクションを終えた。
馬車から降り、記念品であるブルームランドの王国騎士団任命状を見つめながら、小雪は嬉しそうにニコニコしていた。
「ふふ……王国騎士団、楽しかった」
「俺も楽しかった。たまには国を守るのも悪くないねえ」
春馬が茶化すような口調でそう言うと、小雪は彼をジトっとした目で見る。
「勤勉な騎士じゃない……レオネードが怒っちゃうよ?」
どうやらまだ、彼女は王国騎士団のつもりでいるらしい。真剣な顔で夢を見ている彼女が可愛くて、春馬は王子様のように微笑みながら告げる。
「君とレオネードに怒られちゃうなら、ちゃんと働く。その代わり、ちゃんと褒めてね」
「私に褒められたいの?」
「うん。頑張ったねって言って欲しいの。優しい笑顔と一緒にさ」
春馬の言葉を聞いて、小雪はロビーに戻る階段を降りながら彼の手を握る。
「頑張ってて偉い。いい子いい子」
子どもに向けるような褒め言葉。しかし、そんな褒め言葉を掛けられたのは初めてだった。
春馬が両親から褒めて貰えたのは、小学一年生の春、自分がギフテッドだと判明したその時だけだった。
――桜一朗はすごい子ねえ。
――将来有望だな。
あの時見せてくれた、心底嬉しそうな両親の笑顔。クリニックの帰り道に繋いでくれた手と、満開の桜。何もかも、その時のまま思い出せる。
それ以降、両親があらゆることを経験させてくれたことも、そのどれもで結果を残せず、せめて会社の役に立てと経営論の本を一日中読んで覚えさせられたことも、期待外れな自分に両親が向けた冷たい顔も、何もかも忘れられない。
――記憶力がいいだけじゃ、何の役にも立たないな。
――そうね。正直、もっと有能だと思ってた。ギフテッドだって言っても、他が中途半端じゃねえ。
「春馬君?」
表情を消して歩いていた春馬は、小雪の声で我に返る。
「あ……ごめん、考え事してた。何?」
「お城出る前に、お土産見たい。お揃いで何か買おうよ」
彼女の無邪気な微笑みを見ているうちに、波立った心が凪いでいく。
そうだ、両親に褒めて貰えなくても、彼女がいるから今の自分は幸せなのだ。春馬そう思い、笑顔で頷いた。
「いいよ。何買う?」
「一緒に使えるものがいいな。キーホルダーとか、お揃いで買うの、どう?」
「いいね。俺もそれ見て、一原さんの立派な騎士姿を思い出したいし」
揶揄い口調でそう言うと、案の定手をぎゅーっと強く握られた。
「いてててて……空手経験者の握力やば」
「馬鹿にしたの、謝ったらやめてあげる」
「ごめん。でも、君の騎士姿を忘れたくないのは本当だから。何度でも思い出して微笑みたいなーって思ってる。揶揄ってるんじゃなくて、愛しいからだよ。信じてくれる?」
笑顔でそう尋ねると、小雪は頬を赤らめながら手を離してくれた。
「信じてあげる。春馬君は、隠し事はしても私に嘘を吐かない人だから」
「信じて貰えて光栄です」
春馬はそう言って、騎士らしく胸に手を当てて礼をする。それを見て小雪は声を抑えながら笑ってくれた。
二人は再度手を繋ぎ、ロビーのお土産売り場へと向かった。
お土産売り場に来て、二人がまず見つけたのは、王様の格好をしたレオネードのキーホルダーだ。花の意匠をあしらった王冠を頭に着けて、可愛らしく笑っているレオネード。小雪はそれを見ているだけで頬が緩んでしまった。
「可愛い……」
「それにする?」
「うん。ポーズ違いが二つある。ちょうどいいしこれにしよう」
「いいよ。じゃあ、俺は仁王立ちしてる方にしよ」
春馬は、どや顔で仁王立ちするレオネードのキーホルダーを手に取り、微笑む。その横で、小雪は、笑顔で万歳をしているレオネードを持った。
「じゃあ、私はこっち。買いに行く?」
「その前に、ばあちゃんにお土産探してもいい? おかきがあると喜ぶと思うんだよなあ」
「そっか。私もお父さんにお菓子買おうかな。甘いものが好きだから、チョコかクッキー探してくる」
「了解。じゃあ、入り口で集合ね」
春馬はそう告げて、おかきを探しに売店の奥に入っていった。
小雪も甘いお菓子を探し始める。
しばらく歩いて、レオネードの形をしたクッキーを見つけた。
(ココアクッキー。お父さん好きそうだし、これにしよう)
微笑みながら箱を手に取り、レジに向かって歩き出して……目を見開いた。
「娘さんに買うもの、決まった?」
レジの脇にあるぬいぐるみの棚。恰幅のいい男性が、隣に立つダークチェリーのハーフアップの女性に尋ねている。
「ええ、決めた。このぬいぐるみにする。昔から好きだったから」
ちらりと見えた、女性の綺麗な横顔。睫毛が長くて、鼻筋の通ったキツめの美人。そして、今聞こえて来たよく通る澄んだ声。
(お母さん……?)
見知らぬ男性とぬいぐるみを持って笑いあう母らしき人物。
あの時浮気をしていた男と、もう家庭を持って……娘がいるというのか。自分以外の。
(やだ……どうしよう。気持ち悪くなってきた)
小雪の心臓がバクバクと音を立てる。息が上手くできない。でも、ここで倒れたら騒ぎになって、母親に気づかれてしまう。
(春馬君……助けて、春馬君……)
半ばパニックになりながら、小雪は春馬を探して走り出した。
おかきの置いてある棚の前、二種類のお菓子の表示を見比べている彼の背中を見つけ、勢いよく抱き着く。
「うわ!? え、一原さん?」
「た……助けて。怖い、助けて……」
彼女がうわごとのように繰り返すのを聞いて、春馬はすぐお菓子を棚に戻し、彼女と向き直って手を握る。
「どうしたら安心できるか、教えてくれる?」
落ち着いた声で尋ねると、小雪は涙目になりながら、か細い声で答えてくれた。
「ここから出たい。お母さんに見つかる前に、別の場所に行きたい」
「分かった、会計は俺が代わりにするから、お菓子とキーホルダー貸して。先に外に出てていいよ」
優しい声でそう告げるが、小雪は首を小刻みに振る。
「一人になりたくない……一緒にいる」
「そっちの方が安心なんだね。分かった。じゃあ、お会計済ませて外に出よう」
「うん……」
春馬は小雪に自分の腕を掴ませ、手早くお土産を決めてレジへと向かった。
そして二人分の会計を済ませて、彼女を連れて城の外へと出たのだった。




