13 変化
「私が小学校三年生の時……夏休みに、ブルームランドに行ったんだ。お父さんは会社員で、お母さんはレストランのキッチンスタッフで、職種が違うから休みが合わなくて……なかなか出掛けられない家族だったけど、その日は偶然休みが重なったの」
その日のことを思い出しながら、小雪は言葉を続けていく。
「お母さんが、久しぶりに家族で遊びに行こうって誘ってくれて、お父さんが車を出そうって言ってくれて……私が、ブルームランドに行きたいってお願いした。そしたら、二人は一緒に笑って頷いてくれた。その後、お父さんの車に乗って、隣町まで行ったの」
小雪の脳裏に、あの日、車から見た景色が蘇る。
隣町に行く途中にある向日葵畑の黄色にはしゃいだこと。遊園地が遠くに見えた時に、助手席で指を差して喜んでいた自分。それを見て笑ってくれた両親。
記憶力が高い訳ではないから、それも脳が美化したものかもしれないと思うと切ない。
胸を痛めながら、小雪は続けた。
「ブルームランドの中に入って、何個かアトラクションに乗って、お昼にレストランで何か食べて……昼過ぎに見たショーのライオンが、すごく気に入ったんだ。レオネードっていうライオンのキャラクター。私が落としたストラップのライオン。あのショーを見てた時、お父さんもお母さんも、楽しそうに話して、笑ってた」
――あのライオン、可愛いね! 幸せの風を吹かせてくれるライオンなんだって! すごいね!
小雪が無邪気に笑っていると、右隣にいた母が笑って言ってくれた。
――だから、小雪もこんなに明るく笑ってくれたのね。
――どういうこと?
小雪が尋ねると、今度は左隣の父が微笑んで言うのだ。
――父さんと母さんの幸せは、小雪が笑顔でいてくれることだからだよ。きっと幸せの風が、父さんと母さんの所まで届いてくれたんだね。
「私が笑顔でいてくれるのが、父さんと母さんの幸せだって笑ってた。それ聞いて、すごく嬉しかった。幸せだった」
小雪の瞳が潤んでいく。
「なのに、その幸せも無くなっちゃった」
零れた涙が、枕を濡らした。
「そのお出掛けが、家族で出掛けた最後の思い出。また行きたかったけど、行けなかった。遊園地に行ったら、お父さんとお母さんも仲直りしてくれるかもって、何度も思ったの。でも……二人の辛そうな顔を見て、伝える勇気が出なかった……」
掛け布団をぎゅっと掴みながら、小雪は静かにすすり泣く。
「私が勇気を出せてたら……何か、変わってたのかな……?」
泣きじゃくってしまう小雪のことを、春馬は静かに見つめて、告げる。
「過ぎたことの後悔って、尽きないよね。俺も沢山ある。だからよく分かる。でも……でもさ、それでも君が生きていてくれて良かった。お互い、辛くて、歪で、壊れた世界で生きてたけど……お陰で俺と君は似ていた。こうして出会うことができた」
春馬はそう言うと、小雪の体を布団越しにそっと撫でる。
「ありがとう。君が君のままでいてくれて」
「うん……」
「後悔も、失敗も、全部そのままでいいから。大丈夫だから」
――大丈夫だから。
春馬に優しく微笑まれて、小雪の胸が安堵感で温かくなっていく。
彼が大丈夫と言ってくれる限り、私は大丈夫だと、そう思えた。
どんなに世界が壊れていても。幸せが元に戻せないほど歪んでしまっても。
彼と一緒なら大丈夫だ――。
「ありがと……」
小雪は涙を拭って、微笑む。
顔が赤い。春馬から見ても、熱が上がっているとよく分かった。
「ほら、そろそろ寝なよ。俺も帰る」
「うん……あ、そうだ。春馬君、遊園地の約束……」
「それも元気になってから」
優しい笑顔と共に窘められてしまい、小雪はいじけた顔で布団に顔を半分うずめる。
「けち……」
「大事な人の健康を気遣うことのどこがけちなのさ。いいから休みな」
「はーい……」
大事な人と言って貰えたから、今回は許そうと小雪は微笑む。
「じゃあ、おやすみ。またね」
「うん……」
春馬が部屋を出ていく。その後ろ姿を、小雪は幸せな気持ちで見送った。
* * *
小雪と別れて家に帰り、寝る支度も済ませた春馬のスマホに、一件のメッセージが届いた。
確認すると、「ともなぎ」という人物からのメッセージだった。
(ともなぎ……ああ、友部凪か)
そう気づいて、メッセージを確認する。
すると、「チョコのシールレア恐竜だった! 弟めっちゃ喜んでた!」というメッセージの後に、武士の格好をした猫のキャラの「ありがとう」のスタンプが届いていたのだ。
それを眺めているうちに、彼の弟がシールを見て顔を真っ赤にして笑ってる写真が送られてくる。無邪気な笑顔が微笑ましいと同時に、そんな風に幸せな子ども時代を送っている彼らが羨ましい。
――これ、弟のアキの写真! 超嬉しそうだろ。
そんなメッセージに何と返せばいいか、少し考えてから「嬉しそうだね」と無難に返した。
すると、しばらくしてから「春馬のお陰。ありがと!」と返ってくる。
――俺も何かあったら助けたいから、遠慮せず頼ってな!
そんなメッセージが返ってきて、春馬はスッと目を細める。
顔が見えないから真意かどうかは分からないが、夕方の彼の反応を見た限りだと、社交辞令で言っている感じはしなかった。
(あいつ、意外と素直なヤツなんだな……)
そう思ったら、不思議と頬が緩んでいく。
(何でも察しちゃうなんていっても、関わらないと分かんないこともあるんだな。放課後、言われた通りだ)
春馬は小さく微笑みながら、「俺の方こそありがと。夕方に言ってくれた言葉のお陰で、悩みが解消された。人間関係、踏み込むのも悪くないね」と送る。
それに対して、目をキラキラさせた武士猫のスタンプが返ってきた。
――なんか助けになったみたいで良かった! これを機に、もうちょい仲良くなれたら嬉しい。よろしく!
こんなことを言われても、今までは適当に流して終わりだった。
でも今日、彼の言葉と祖母の言葉に支えられ、小雪に一歩踏み込んだ結果、関係がいい方向に進んだのだ。
――友達。踏み込んだ関係。そういうものも、悪くないのかもしれない。
春馬は微笑みながら、彼に向かってライオンの「了解」のスタンプを送ったのだった。
* * *
その日、夜までひと眠りした小雪も、体調がずいぶん回復した。
夕飯を食べ終わった後、リビングで熱を測ったら、36.8の表示だった。一晩眠れば、明日にはもう大丈夫そうだ。
明日からはゴールデンウィーク。体調が治ったら、連休中に春馬と一緒に遊園地へ行けるかもしれない。
(熱下がったし、誘ってみようかな……)
小雪は浮かれそうになりながら、自室に戻ってスマホを開く。
「春馬桜一朗」のトークルームを開き、遊園地の予定を聞こうとして……急に、何とメッセージを送ろうか迷ってしまう。
(私、デートのお誘いするんだよね……どうしよう、緊張してきたあ……)
顔が熱くなっていく。また熱が上がってしまったら大変だと思い、一旦トークルームを閉じた。
(誰かに相談しよう……でも、沖浜さんと河原さんにはちょっと言うの恥ずかしい……)
小雪は迷った末に「まひろ」という人物のトークルームを開く。
(真宙ちゃんなら聞いてくれるかも……)
小雪は「まひろ」という人物に「ちょっと相談したいことがあるんだけど平気?」と送る。すると、二分ほど経って電話がかかってきた。
急に鳴り出したスマホに驚いて、ワタワタしながらも電話を取る。
「も、もしもし……!」
「小雪―! 久しぶり! 相談って何?」
快活な女性の声が返ってくる。
久しぶりの連絡だったが何も変わらない幼馴染。それに安心しながら、小雪は口を開く。
「あのね、好きな人をデートに誘いたくて……何てメッセージ送るか迷ってて――」
「え!? 彼氏とデート!? じゃあ最高におめかししていかなきゃじゃん!!」
興奮した声が返ってきた。
もしかして、いや、もしかしなくても、こちらの相談を聞いていない。いつも通り、勢いがあって元気な様子だ。
しかし、相談に答えて貰えないのは困る。
「いや、あの、メッセージ……」
「私、ゴールデンウィークに薫野に帰るから、一緒に服選びに行こ! ついでにメイクも教えてあげる! いつ空いてる?」
もう話を戻せる様子じゃない。小雪はそう判断し、苦笑いしながら「五月三日か四日なら……」と答える。
「じゃあ三日にしよ! 三日の十一時に、マーガレットスクエアに集合ね」
マーガレットスクエアというのは、隣町の涼河市にあるショッピングモールだ。小雪の家からも、電車一本で行くことができる。十一時前の電車もあったはずだ。
「分かった」
「じゃあ、そういうことで! 当日楽しみにしてるね!」
真宙の方から電話を切られた。
嵐のような幼馴染だったが、よくよく考えると彼女の助けが借りれるのは心強かった。
(可愛い格好して……春馬君に喜んで貰えたらいいな……)
楽しみで胸がウキウキと弾んでしまう。
期待に胸を膨らませながら、小雪はスマホを胸に抱えてにっこりと笑ったのだった。




