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春色の雪  作者: 月島
第三章 伝えたい春色の想い
12/19

12 君だから大丈夫

春馬(はるま)君」


 小雪(こゆき)に声を掛けられ、春馬(はるま)は彼女の方を振り向く。

 その顔には、いつものようなニヤケ面が浮かんでいない。王子様の柔らかい笑顔もない。ただの静かで落ち着いた顔だった。


「体調、大丈夫?」

「うん。今朝より良くなった。……わざわざここまで来てくれてありがとう」


 小雪(こゆき)はそう言いながら、ポットのお湯をカップに入れて彼の隣に座る。


「遠かったよね? 自転車で三十分かかる道だもん」

「走ってたから、そうでもなかった。とにかく君に会わなきゃって必死だったから、アドレナリンもドバドバだったかも。全然疲れを感じない」


 春馬(はるま)は目を伏せながら、冗談めかしく言って笑った。

 彼に普段の調子が戻ってきたことに気づき、小雪(こゆき)も微笑みながら冗談を返す。


「後から、どっと疲れるやつだよね。明日、筋肉痛なんじゃない?」

「あー、その可能性はあるなあ。俺、運動習慣ないし。体育でちょっと動くぐらい」

「そうなんだ。じゃあ、運動は私の方ができるかも」

「お、何その自信。なんかやってたの?」

「空手やってたの。中一まで」


 小雪(こゆき)はそう言いながら、自分の両手を開いて見つめる。


「幼馴染に憧れて始めたんだ。すごく格好いい子だったから、私もそうなりたいと思って……その子ほど上手くなかったけど、茶帯までいったよ」

「ふーん……格好いい幼馴染ねえ」


 春馬(はるま)の胸がもやっとして、思わず目が細くなる。

 その幼馴染と自分は、どっちが上なのだろう。それを推し測ろうと思い、質問をしてみる。


「幼馴染さんって、どんな人?」

「サバサバしてて、嘘が嫌いで、正義感が強くて……いつも元気に笑ってる人。笑った顔が犬っぽいの。可愛い」


 小雪(こゆき)がクスクス笑いながら答えるのを見て、春馬(はるま)は面白くなかった。


(少なくとも、そいつは一原(いちはら)さんにとって親しい人な訳ね。ふーん)

「あれ、なんか悪い顔してる……なんで?」


 小雪(こゆき)が首を傾げるのを見て、春馬(はるま)は彼女の手に触れながら、真剣に薄紫色の瞳を見つめた。


「俺が目の前にいるのに、この場にいない人に笑顔を向けてるのがムカつくの」


 春馬(はるま)は眉間に皺を寄せながら、少し赤い顔で続ける。


「俺は君しか見てないよ。だから、君も俺だけ見てくれない?」

「へ……」


 熱を出していて赤い小雪(こゆき)の顔が、更に赤くなる。


「そ、それ……ど、いう……意味?」


 目を見開いたままたどたどしく尋ねられて、春馬(はるま)は我に返って頭を抱えた。


「ごめん……伝える順番ミスった」


 そう言いつつも、彼女の手から自分の手を離すことはしない。

 ただ、右手の隙間から見える顔は、いつになく赤くて悔しそうに顰められていた。

 こんな顔の彼を、小雪(こゆき)は見たことがない。


「俺ってば、ほんと……一原(いちはら)さんには欲を出したくなる。ごめん、びっくりしたよね」

「う、ううん……欲……?」

「もう一回、順を追って伝えてもいい?」


 恥ずかしそうに目を固く閉じながら、春馬(はるま)は尋ねる。

 それに対して、小雪(こゆき)は「大丈夫」と答えた。


(こんな顔になってまで、春馬(はるま)君が私に伝えたいこと……)


 彼からどんな言葉を掛けて貰えるのか緊張しながら、小雪(こゆき)は彼を見つめていた。

 やがて、彼が目を開けて、こちらを見つめてくる。

 桜色の澄んだ瞳が向けられて、ドキドキするのに目が離せない。まるで、彼の瞳に吸い込まれてしまいそうな感じだ。


「あのさ、まず……ごめんね。俺の言葉で、色々プレッシャーを掛けちゃったと思う。前に俺、『汚い感情を持って近づかないから安心する』みたいなこと言ったでしょ。それって、裏を返せば『絶対に汚い感情を持つな』って強制してるようなものだからさ」

「そんな……プレッシャーって言うより、私がそうしたくなかったっていうか……」


 彼女が弁解しようとするのを、春馬(はるま)は柔らかい声で遮る。


「何も気にしなくていいから、とりあえず最後まで聞いて?」

「……うん」


 小雪(こゆき)がコクリと頷いたのを見て、春馬(はるま)は目もとを優しく微笑ませながら話すのを再開した。


「今日、君が休んだのも、俺のせいだって思ってた。もしそうなら、この友達関係も終わりかもしれない。いつもなら淡々と受け入れられるのに、一原(いちはら)さんとの関係が切れるのは絶対に嫌だったんだ。それだけ、君の存在は俺にとって大きかった」


 春馬(はるま)の顔に、いつもの柔らかい王子様の笑顔が浮かび上がっていく。小雪(こゆき)が今まで、何度も見惚れてきた笑顔だった。

 彼が、こちらに優しく丁寧な想いを向けてくれる時の表情。それが大好きであるということは、彼が何度もそれを見せてくれた証拠だった。

 記憶に焼き付き、何度でも思い出せるぐらい、思い出したいぐらいに、彼がそうやって笑ってくれたから好きになったのだ。


「俺、君の全部を受け入れて、こう伝えたくてここに来た。『そのままの君で大丈夫。だから、これからも傍にいて欲しい』って」


 カップを持つ小雪(こゆき)の手を優しく一撫でして、春馬(はるま)は屈託ない笑顔で告げた。


「俺、一原小雪(いちはらこゆき)さんが、大好きだから」


 彼の言葉を聞いて、小雪(こゆき)の目が潤んでいく。頬が熱くて、喉の奥も熱い。

 駄目だ、泣いてしまう――。

 小雪(こゆき)は泣き顔を見られたくなくて、咄嗟に俯いた。


「私……昨日、逃げるみたいに帰っちゃった。それで、きっと春馬(はるま)君に嫌な思いさせたって心配してた」


 涙がはらはらと落ちていく。

 溢れてしまった恋心と共に、雪のように舞い降りていく。


「私は下心がないから安心するって聞いた後、あなたを好きになっていくにつれて……この気持ちを言ったら、きっと嫌われちゃうって思ってた。私があなたの傍にいられたのは、私があなたに媚びないからだって分かってたから……でも、今は」


 小雪(こゆき)は涙を拭いながら顔を上げて、潤んだ薄紫色の瞳で彼のことを見つめ返した。


春馬(はるま)君に好かれたい……もっと、近くにいたい。特別な人になりたい……春馬(はるま)君が好きだから。こんなに下心があるけど……今までみたいに傍にいていいの?」


 震える声と、赤い頬。涙が溢れている瞳。どれも、春馬(はるま)が今まで見たことのない彼女の泣き顔だった。

 見ているだけで、色々な気持ちが混ざっているのだと分かる。やり場のなかった好意と、不安と、罪悪感と期待。色々なものを、彼女は自分に向けてくれているのだろう。そう春馬(はるま)は察する。

 他の人からこんな気持ちを向けられたら、面倒なだけだ。

 でも、彼女は違うのだ。


「君に傍にいて欲しいの。君じゃなきゃダメ」


 彼女が向けてくれた気持ちなら、どんな気持ちでも……溶けないように、丁寧に触れて抱きしめたいのだ。そうやって、愛情を注ぎたい人が、彼女だった。


「大丈夫だから、今まで通り俺の一番近くにいて。……恋人になってよ」


 そう言って彼女の頬に触れて、自分の額と彼女の額をこつんとぶつける。

 距離がゼロになった彼女から、小さく「うん」と返事が返ってきた。


「私も、春馬(はるま)君の一番近くにいたい」

「うん、そうして」

「近くにいる……約束する」


 小雪(こゆき)はそう言って微笑み……彼の体にずるずると寄りかかっていった。

 気が抜けて、一気に体に疲れが襲ってきたのだ。

 ズキズキと、頭が痛い。


「頭痛い……」

「ああ、熱上がっちゃった?」


 春馬(はるま)は彼女の体を支えながら、声を抑えて尋ねた。

 すると、弱々しい声が返ってくる。


「一回下がったんだけどな……」

「起きてるの辛いよね。部屋まで運んであげる。どこに行けばいい?」

「廊下に入って、手前の部屋……って、うわ」


 小雪(こゆき)は答えきる前に、春馬(はるま)から軽々とお姫様抱っこされてしまった。

 好きな人と両想い。更には、お姫様抱っこ。もうキャパオーバーだ。

 真っ赤な顔で目を回す小雪(こゆき)に、春馬(はるま)は優しい声で告げる。


「大丈夫。落とさないで運ぶから」

「運動部じゃないのに、ほんとに大丈夫……?」

「人並みに筋力はあるし、一原(いちはら)さんは軽いから。てか、好きな子を床に落とす訳なくない?」


 そう得意げに笑って、春馬(はるま)は廊下に向かって歩く。


「何があっても離さないし、傷つけたりしたくないの。君の事だけはね」


 彼の言葉が格好良すぎて、小雪(こゆき)は赤い顔で彼に見惚れてしまう。


(ずるい……こういうところがモテるのかも。私も春馬(はるま)君に釣り合う人になりたい……)


 心に生まれた恋の目標を胸に、小雪(こゆき)は緩みかけた口元をぎゅっと結ぶ。

 部屋につき、ベッドの上に下ろしてもらった小雪(こゆき)は、「ありがとう」と言って横になった。


「やっぱり、春馬(はるま)君に助けられてばっかり……」

「俺も救われてるから気にしないでよ。君がいない学校、息苦しくて大変だった。早く元気になってね」

「うん……あ、そういえば、さっき外で持ってた袋。あれって高校の近くのパン屋さんだよね? 春馬(はるま)君って、パン食べるの?」


 照れ隠しの質問だった。春馬(はるま)もいつものようにフラットに答えてくれると思ったが、彼は「そういえば」とハッとして立ち上がったのだ。


「あれ、俺のじゃなくて一原(いちはら)さんのだから」

「私の……?」

「うん。取ってくるから待ってて」


 春馬(はるま)はスタスタとリビングに向かい、パン屋の袋を持って部屋に戻ってくる。


「これなんだけど……」


 春馬(はるま)が袋から取り出したのは、ライオンの顔がチョコペンで描かれたパンだった。


「ライオン見て、一原(いちはら)さんってライオンに思い入れがありそうだったなって思って……それがどんな物か分からないけど、トラウマでも嬉しい思い出でも、抱えたままで大丈夫だよって伝えたくて買ったんだ」

「私のために、買ってくれたんだ……そっか」


 小雪(こゆき)はつぶらな瞳のライオンのチョコパンを見つめて、嬉しそうに目を細める。


「ありがとう。元気になったら食べる」

「うん。そうして」


 春馬(はるま)が微笑みながら頷いてくれたのを確認し……小雪(こゆき)は短く息を吸ってから、口を開いた。


「あのね、ライオンの思い出……春馬(はるま)君が言ってた通り、大事なものなの。私にとって、宝物みたいな思い出で……でも、触れたら心が苦しくなる思い出」


 小雪(こゆき)は口が乾くのを感じながら、それでも伝えたいと思って、唇を動かした。


「他の人には、あんまり言えないんだけど……春馬(はるま)君には聞いて欲しい。いい?」


 緊張した様子の彼女を見た春馬(はるま)は、落ち着いた顔を作って頷いた。


「大丈夫。話したい事なら、いくらでも聞く」

「ありがとう。あのね――」


 心臓がバクバクと音を立てる。

 触れると痛くて、でも、絶対に捨てたくない思い出。これを伝えたとしても、春馬(はるま)に「大丈夫」と笑って欲しいと……そう願いながら、小雪(こゆき)は言葉を紡いでいった。

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