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春色の雪  作者: 月島
第三章 伝えたい春色の想い
10/19

10 もどかしい

 春馬(はるま)への想いを伝えようと決めた翌日。小雪(こゆき)は朝のアラームを止めて起き上がろうとしたが、そうした途端に酷い頭痛に襲われた。


(なんか、具合悪い……でも、起きなきゃ。朝ごはん作らないといけないし)


 そう思い、痛みを堪えながら起き上がる。

 布団から出ると、ゾクゾクと悪寒がした。


(もしかして、熱があるのかな……風邪引いてたら、お父さんにうつさないようにしなきゃいけないし、ご飯作らない方がいいかも)


 小雪(こゆき)はリビングに向かい、棚の中にあるかごから体温計を取り出して、熱を測る。

 しばらくしてピピピピと音が鳴る。体温計を確認すると、「37.7」と表示されていた。


(微熱出てる……まだ上がりそう。学校、休んだ方がいいのかな)


 そう思いながらも、脳裏に春馬(はるま)のことが浮かぶ。

 夕方、送ってくれた彼の顔を見ようともせずに、逃げるように帰ってしまった自分。

 あんな態度を取ってしまった後で欠席するだなんて、彼に誤解を与えてしまうんじゃないか。


(学校、行きたい……春馬(はるま)君に会いたい)


 小雪(こゆき)は熱っぽい顔で体温計を片付け、制服に着替えようと自室に戻っていく。

 しかし、自室のドアを開けようとしたところで、体調の悪さに耐えかねて座り込んでしまった。


(具合悪い……辛い)


 小雪(こゆき)が座り込んでいると、父の部屋のドアが開いた。


小雪(こゆき)、どうしたの? 大丈夫?」


 父が小雪(こゆき)を見るなり、慌てた様子で駆け寄ってくる。

 彼は小雪(こゆき)の体を支えて、その顔を覗き込んだ。


「顔色が良くないね。具合悪い?」

「うん。微熱があって……」

「そっか、分かった。病院に電話しておくから、予約取れたら行こう。学校にも休むって連絡しておく」

「ごめん……お父さん、仕事の納期が近いのに」

「娘の方が大事だよ。朝ごはん作るまで部屋で休んでて」


 父は真剣な顔でそう言うと、小雪(こゆき)の体を支えて部屋に連れて行ってくれた。

 父に助けられながらベッドに戻り、小雪(こゆき)はぐったりと横になる。


(学校、行きたかった……春馬(はるま)君に、会いたかったな)


 そう思うことで涙が出てしまうのは、熱が上がってきているからかもしれない。

 今までは学校に行きたいとも、誰かに会いたいとも思わなかったのに……今日は会いたい人に会えないのがすごく悲しかった。


(好きって言いたかったな……)


 小雪(こゆき)は涙が溜まってしまった目を閉じて、もう一度眠り始めた。


* * *


 春馬(はるま)がいつも通り登校した朝。どんなに待っても小雪(こゆき)は姿を現さなかった。

 そのまま朝のホームルームが終わり、一時間目は教室での論理国語の授業だ。

 彼女が欠席することは、春馬(はるま)小雪(こゆき)に興味を持った高校一年の春以降、初めてだ。

 メッセージアプリを開いて彼女とのトークルームを確認するが、特にメッセージは来ていない。一体何があったのか、春馬(はるま)は気になって仕方なかった。


(昨日のこと、気にしてるのかな……俺が抱きしめた時、本当は嫌で迷惑だったのかも。自分の気持ちを隠そうとしてたぐらいだ。もしかしたら、あの好意は、彼女にとって触れて欲しくない部分で……俺の行動が、その気持ちを無神経に逆撫でしてしまっていたとか)


 冷静に分析してしまう自分が嫌になって、春馬(はるま)は眉間に皺を寄せながらスマホの画面を消灯する。


「なあ、春馬(はるま)


 前の席から、クラスメイトの友部凪(ともべなぎ)が声を掛けてくる。

 彼はブリーチをかけまくった金色の短髪をワシワシと掻いて、春馬(はるま)に尋ねる。


「国語の記述問題……」

「ああ、貸す」


 いつもよりぶっきらぼうな態度でノートを差し出す春馬(はるま)を見て、友部(ともべ)は怯えた顔をする。


「あ……ありがと」

「うん」

「あの……」

「なんだよ」

「いつも助けて貰ってばっかりで……ごめん?」


 愛想笑い。こめかみを伝う冷や汗。それらがすべて今の言葉を「建前」だと証明している。

 そんな風に気遣われるのも、ご機嫌を窺われるのも、春馬(はるま)は鬱陶しかった。


(ぎこちない作り笑いと、緊張で流れている冷や汗。きっと、いつも都合よく使ってた人間が、自分の脅威になりかけてるのが怖いだけだな。……気に留めるだけ無駄だ)


 春馬(はるま)はそう断定し、溜息を吐いて笑顔を作る。


「別に気にしなくていいよ。いつものことじゃん」


 言葉尻が吐き捨てるようになってしまったことに気づいて、後悔する。

 しかし、取り繕う気にはなれなかった。


「今更、何を気にしてんだよ」


 低い声でボソリと呟く。

 春馬(はるま)の機嫌がいつになく悪い事を察して、友部(ともべ)は青い顔で「ごめん、すぐ返す」と言い、逃げるように前を向いた。

 彼がすっかり動揺してしまっているのに気付きながらも、春馬(はるま)は不機嫌な顔のまま頬杖をつく。


 ――いつもなら、コントロールできる苛立ちだ。雑に扱われていることだって受け流せる。でも、一原(いちはら)さんがいないってだけで、こんなにも余裕が無い。


 春馬(はるま)は、いつもは優しい目元を険しくしたまま、窓の外を睨みつける。

 爽やかな青空すら、鬱陶しい。彼女がいない日なのに、どうしてこんなにのどかなんだろう。


 ――一原(いちはら)さんは、俺にとって唯一の……「俺を心から大切にしてくれる人」。俺の「独りじゃない証」。彼女がいないと、俺は独りだ。……寂しいって、こういう気持ちを言うんだな。


 春馬(はるま)の気持ちが晴れないまま、普段と同じく時間通りに授業が始まる。

 いつもの授業と何も変わらない空気。教員の声。眠くなる遅さで進む時計の秒針。チョークが黒板に走る音。

 なにもかもいつも通りなのに、小雪(こゆき)がいないだけで、どうしようもなく息苦しかった。


* * *


 その後も、小雪(こゆき)の方から連絡が来ることはなく、午後の授業も五、六時間目の家庭科のみとなった。今日は調理実習のため、五時間目の地学が家庭科に変更されたのだ。その代わり、来週は二時間連続で地学を学ぶことになる。


「今日は肉じゃがを作ります。班で協力して、時間内に完成させてくださいね」


 教員が声を掛け、それぞれの班で調理を開始する。


春馬(はるま)君って、包丁で野菜の皮を剥ける人?」


 班員の女子に尋ねられて、春馬(はるま)は「一応やったことはあるよ」と頷く。


「でもあんまり得意じゃなくて――」

「良かったー! じゃあ、お願いしていい? 他の人は誰もできなくてさ、春馬(はるま)君ならできるかもって思ってたんだ」

「……そう。分かった」


 また、「勝手なイメージ」で測られてしまった。いつもなら受け流せるが、今日はどうにも調子が悪い。かなり、心が痛い。

 春馬(はるま)は愛想笑いで頷きつつも、ジャガイモと包丁を手に取る。

 そのまま、危なっかしい手つきでジャガイモの皮を剥き始めた。

 何度も指を切りそうになるが、他のメンバーはこちらのことを気にも留めない。

 もし、この場に小雪(こゆき)がいたら、皮剥きを変わってくれたかもしれないし、「大丈夫?」の一言を掛けてくれたのかもしれない。

 周囲からぞんざいに扱われるたびに、彼女の存在の大きさが嫌と言うほど分からせられてしまう。

 ここまで苦しくなってしまうのは、一度「一原小雪(いちはらこゆき)」という救いを得てしまったからかもしれない。

 手に入れると、元の生活に戻れなくなるというのは人間ならよくあることだと、春馬(はるま)は事態を客観視して冷静になろうとするが、しかし。


「痛っ……」


 考え事をしていたせいで、案の定、指を切ってしまった。

 絆創膏は持っていないし、この状態で保健室に行ったら班に迷惑が掛かることは間違いなかった。

 どうすればいい。どうすれば、周囲から嫌な印象を持たれずに済む?

 春馬(はるま)が半ば混乱しながら、指から出る血を見つめていたその時だ。


「おい、春馬(はるま)! お前、指!」


 友部(ともべ)がすぐに、春馬(はるま)の怪我に気づいて、彼の手首を掴んだ。


「俺、バンドエイド持ってるから、とりあえず傷口洗って待ってろ。……せんせー! 教室に戻ってバンドエイド取ってきます!」


 友部(ともべ)がバタバタと家庭科室を出ていくのを見送ってから、春馬(はるま)は水道で傷口を洗う。

 そうしているうちに、他の班員も心配そうにこちらに来た。


「大丈夫?」

「ごめんね、春馬(はるま)君だけに皮剥き押し付けたせいだね……」


 申し訳なさそうな彼らの顔に、他意は感じられない。

 こんな風に、周囲の人間から心配して貰えたのはいつぶりだろう。小学生の時は能力が理由でいじめを受けることが多かったし、中学になってからは今のように取り繕いながら生活していたし。


(変なの……今更、俺の心配するなんて)


 春馬(はるま)の心に嬉しさが芽生えるが、それを自分で必死に踏みつけた。

 得られたら戻れなくなる。だから、幸せになるのは怖い。自分を大切にして貰うのが、怖い。

 自分はそんなことをされるような人間じゃない。


「ごめんね、ありがとう」


 春馬(はるま)はなんとか笑顔を作り、班員にお礼だけ告げた。

 その後、友部(ともべ)がバンドエイドを付けてくれて、野菜の皮剥きは班員みんなで四苦八苦しながら行ったのだった。

 そうして完成した肉じゃがは、不格好だったが美味しかった。


* * *


 その日の放課後。教室にて、春馬(はるま)は、早々に下校しようとする友部(ともべ)のリュックを後ろから思い切り引っ張った。


「うお!? な、何?」

「ねえ、ちょっと時間ちょうだい」

「時間? ああ、ちょっと待って引っ張んないで!」


 春馬(はるま)友部(ともべ)を背面から引きずりつつ、特別棟にある購買に向かった。

 店の前まで来て、友部(ともべ)のことを解放し、尋ねる。


友部(ともべ)って、好きなお菓子何?」

「お、お菓子? えーっと……恐竜チョコって知ってる? おまけにシールが付いてくる恐竜型のミルクチョコレート。それよく食べる」

「ふーん。そんなのがあるんだ」


 春馬(はるま)は彼に相槌を打ちつつ、購買の棚を物色する。

 チョコレート類の置かれた棚の中に、彼が言っている恐竜チョコの袋が掛かっていた。

 春馬(はるま)は迷いなくそれを取り、レジに持っていく。そんな彼の後ろを、友部(ともべ)は戸惑いながらついて行った。


「え、春馬(はるま)も食うの……?」

「違う、君にあげる」


 春馬(はるま)はいつもの笑顔を作ったまま、会計の済んだ恐竜チョコを友部(ともべ)に差し出す。

 唐突にチョコを奢られて、友部(ともべ)は戸惑いを隠しきれない様子だ。


「あ、ありがと……でも、待って。とりあえず理由だけ聞いていい?」

「絆創膏のお礼。これで貸し借りナシね」


 いつもの柔らかい作り笑いと共に発せられた言葉。そう、春馬(はるま)はこれまで通りの立ち位置を崩さないために、絆創膏の件をチャラにしようとチョコを買ったのだ。

 こうして義理を通しておけば、友部(ともべ)だってこれ以上絆創膏の件を引っ張らないし、不機嫌の理由にも突っ込んでこないはずだ。物を貰えれば、大抵の人間はお礼と共に引き下がってくれる。中学生の時、小学時代で縁を切れなかったいじめっ子に、お菓子を渡して手打ちにして貰っていた時はそうだった。


 ある種、思考の停止のために用いる手段だ。相手にしても、自分にしても。

 友部(ともべ)だって例外じゃないだろうと、春馬(はるま)はそう踏んでいた。

 しかし、彼の反応は予想と全く異なっていたのだ。


「や……受け取れないって」


 友部(ともべ)は気まずそうに眉を下げ、手で春馬(はるま)を制止する。


「絆創膏なんか些細な事じゃん。それより、俺のがいつも課題で助けて貰ってる。お礼とか貰える立場じゃない」


 助けて貰ってる。そういう自覚が彼にあったことが意外で、春馬(はるま)は目を丸くした。

 彼の声色や態度から考えて、今の言葉は「建前」じゃない。本心から言っているように見える。

 しかし、春馬(はるま)にはその事実が信じられなかった。


「本気で言ってる?」


 思わずそう尋ねると、彼は涙目になりながら「やっぱりそうなるよな!」と頭を抱えた。


「俺さあ、今朝のお前の反応見て、ずっと迷惑掛けてたなって気づいたんだよ。お前の事、自分の都合いいように使ってたんだなって。それってマジで最低だよー! もう、弟と妹に偉そうに注意できねえよお……」

「ええ、そんな泣くほどの事?」

「どんだけ泣いても後悔し足りないよ! なあ、ほんとにごめんなあ……」


 購買の前でボロボロと泣き出してしまった友部(ともべ)を目の当たりにして、春馬(はるま)は言葉が出なかった。


(何だこいつ……今までに会った人間の中で、一番泣いてる……この状況、俺にどうしろって言うんだ?)

「なあ、春馬(はるま)……俺、どうしたら許して貰える?」


 ウルウルした三白眼で目で見つめられる。


「いや、許すも何も怒ってないし。今朝、機嫌悪かったのは別件でさ。俺の態度が悪かっただけ。君は別に悪くないから」

「そーやってまた笑顔作る! そういうの良くない!」

「ええ、めんど……」


 春馬(はるま)が苦笑いしながら呟くのを聞いて、友部(ともべ)は潤んだ目を擦りながら真剣に告げる。


「人間関係がめんどいのは分かるよ。でもさ、お前って誰と話してる時も一線引いてる感じじゃん? それじゃ勿体ないことも多いと思う」


 痛いところを突かれて、春馬(はるま)は唇を噛みしめる。

 ――そうやって他人を受け入れて、自分を出して、何になる? それこそ、消耗して終わりじゃないか。そんな言葉が喉まで出かかった。

 春馬(はるま)が反論したげなのを察して、友部(ともべ)は一生懸命になって続ける。


「色々気になっちゃうのはすげー分かるよ。お前にも事情があるって俺も少し知ってるし。でも、お前にもう一歩踏み込んで貰えたら、お前と親しい人は結構嬉しいと思うんだ。俺も含めて! 言ってること分かって貰える?」


 彼の言葉を聞いているうちに、春馬(はるま)の目が見開かれていった。


 ――もう一歩踏み込んで貰えたら、親しい人は喜んでくれる。本当に?


 確証は得られない。小雪(こゆき)だって、そんなこと望んでいないかもしれない。でも――。


 ――相手の全てを受け入れて、『大丈夫』って笑ってあげるの。


 祖母の言葉が蘇った。

 そうだ、嫌われたかもなんて心配して、全部の言葉を飲み込んでしまったら、「大丈夫」だと伝えられないままだ。そうやって誤解したまま、彼女との関係を終わらせるのは嫌だ。絶対に嫌だ――!


 春馬(はるま)は喉をグッと詰まらせながら、友部(ともべ)に恐竜チョコを押し付ける。


「それ、やっぱりあげる」

「ええ、でも……」

「今、君にすごい救われた。ありがと」


 そう手短に告げて、春馬(はるま)は顔も見せずに特別棟から飛び出した。


「お、おい、春馬(はるま)……!」


 戸惑う友部(ともべ)が声を掛けても、春馬(はるま)は振り返ってくれなかった。

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