小さな水
朝の光は、少しだけ強くなっていた。
商店街の通りにも、夏に近い明るさが落ちている。
風はまだやわらかいけれど、触れるとほんの少しあたたかい。
時計屋の石段で、ガブは横になっている。
丸くなるより、少し体を伸ばしている。
その隣で、ふわも同じように体を伸ばしている。
くっついてはいるけれど、昨日より少しだけゆるい距離。
暑さの分だけ、間ができている。
ふわが目を開ける。
舌を少しだけ出して、空気を感じる。
それから、ゆっくりと起き上がる。
石段の下を見る。
いつもの場所。
待つ場所。
でも、今日は少し違うものを感じている。
乾いた空気。
水の気配が少ない朝。
ふわは石段を下りる。
その場所へ歩く。
座る。
ガブもゆっくり下りてくる。
隣に座る。
通りには、少しずつ人が増えてくる。
子どもたちがやってくる。
「今日、暑いね」
一人が言う。
「うん」
ランドセルを背負いながら、少しだけ肩をすくめる。
猫たちを見る。
ふわとガブ。
同じ場所にいる。
その様子を見て、少し考える。
「さ」
一人が小さく言う。
「うん」
別の子がうなずく。
ランドセルを下ろす。
中から、小さなペットボトルを取り出す。
飲みかけの水。
まだ半分くらい残っている。
「これ」
「いいかな」
少し迷う。
でも、昨日までのことを思い出す。
そっとやること。
近づきすぎないこと。
子どもたちは、静かに近づく。
猫たちから少し離れた場所で止まる。
しゃがむ。
ペットボトルのふたを開ける。
小さなカップはない。
少し考える。
一人が、昨日使ったハンカチを取り出す。
それを折る。
少しだけくぼみを作る。
そこに、水を少し注ぐ。
じわり、と布に水が広がる。
小さな水の場所ができる。
それを、そっと地面に置く。
音を立てない。
静かに。
すぐに手を引く。
立ち上がる。
少し下がる。
「これでいい?」
誰も答えない。
でも、みんな同じように猫を見る。
ふわは動かない。
ガブも動かない。
子どもたちは、それを見てから立ち上がる。
「行こ」
学校の方へ歩いていく。
振り返らない。
通りに静けさが戻る。
風が少し通る。
濡れたハンカチが、ほんの少し揺れる。
ふわが立ち上がる。
ゆっくり近づく。
匂いをかぐ。
水の匂い。
ほとんど匂いはない。
でも、わかる。
ふわは舌を伸ばす。
ぺろり。
小さく水をなめる。
もう一度。
ぺろり。
ガブも近づく。
少しだけなめる。
二匹で、少しずつ。
急がない。
取り合わない。
ただ、そこにあるものを使う。
喫茶ひだまりの前に、おじいさんが来る。
いつもの時間。
ベンチに座る。
猫たちを見る。
その下にある、小さな水にも気づく。
ハンカチと、水。
ほんの少し目が止まる。
それから、静かにうなずく。
からん。
扉が開く。
「おはようございます」
「おはよう」
店の中へ。
窓の外には、二匹の猫。
そして、小さな水。
時間がゆっくり流れる。
昼が近づくころ、ハンカチの水は少しずつ減っていく。
乾いていく。
でも、最初に飲んだ分だけで十分だった。
ふわはその場に少し座る。
ガブも隣に座る。
それから、二匹で石段へ戻る。
午後の光は、少し強い。
でも、風はやさしい。
野良猫ガブは、今日も何もしない。
ただ、少し暑くなった商店街で過ごしていただけだ。
そのまわりで、やさしさの形が、少しだけ変わった。
食べ物だけじゃない。
水もまた、大事なもの。
商店街は、それを静かに受け入れていく。




