様々な人々17
つるりと硬い曲線が頬に押し当てられる。しばらく押し当てて、ゆさゆさと揺すった後、耳元でピャーッ!! と大声で鳴かれた。私の下にある大きい胴体がビクッと揺れる。
「ミミうるさい……馬は音に敏感なんだから静かにしてあげてよ」
馬房でぎゅーぎゅーになってるミミと馬との間に入り込んだはずが、いつの間にか馬の方へと追いやられていたらしい。私が起き上がると、それを待ち構えていたように馬が立ち上がった。ぶるぶると振っている首を撫でる。
「起こさないようにじっとしててくれたんだ。優しくていい子だね。ミミが甘えて大変でしょ」
まだ鼻筋は嫌がるけど、たてがみなら撫でさせてくれる。野生では捕食者であるグリフに怯えてはいるけれど、暴れたり逃げ出したりしないあたり馬の中でも肝が据わってる。
「ミミはわがままだけど仲良くしてあげてね。ニンジンあげる」
1本目はピャッとミミが奪い取ってしまったので、奪われないように背を向けながら2本目をあげた。ボリボリと食べる音がかわいい。誉めていると、ミミが私の頭をカパッと咥えた。
「ミミもかわいいよ。世界一かわいい」
ぐりぐり撫でまくってから掃除をして、たっぷり水をあげる。まだ暗い厩舎の中では、一足先に準備をするアデルのことをひっそりと窺う視線がいくつもあった。
近衛騎士の厩舎にいる馬は、体格がいい。おそらくいい馬をたくさん買って掛け合わせてもっといい馬を作り出してきたからだろう。走り回らせたらもっと良くなるだろうなと思うけど、ここの馬たちは行進に加わるか、御前試合の前座がせいぜいなのだとワイズ先輩が言っていた。
「ミミ、行こう」
山の上にある小屋とは違って、ここにはグリフが羽ばたくための仕組みがない。馬にするみたいに歩いて厩舎を出て、前の広場で鞍に跨る。ミミが王宮の方を向いてピャッと鳴いた。誰かいる。
夜明け前の暗さの中をじっと見つめていると、その人物が近付いてきた。
「アデル」
「殿下?」
近付いてきたのは第四王子だった。まだ寝ている人が多い中で、すでにいつもの服装に着替えている。といっても黒いローブなので、中が寝間着でもわからないけど。
「そろそろ起きてくるだろうと思ってな。ローナンたちがたまに厩舎で寝ていると言っていたが、本当だったのか」
「ミミはあったかいんでよく眠れるんであります」
「……毛布が薄いなら支給させるが」
「どんな高級な毛布でもミミのふかふかには敵わないんであります」
褒められていると知って、ミミがピャッと胸を張る。ズイズイと歩いてきたミミに殿下は身構えたけど、後退りする様子はなかった。鞍から降りようとすると、そのままでよいと殿下が片手で制した。
「昨夜は兄上に呼ばれたようだな」
「早耳ですね」
「迷惑をかけたようですまない。多勢に無勢では手こずっただろう」
「いえ……守りが薄くて王族はちょっと心配であります」
「お前ほど強い騎士はそうそういないからな。陛下や王太子殿下の周囲はそうでもない」
王様が大事なのはそうだろうけど、第三だろうが第四だろうが王族は王族だ。暗殺でもされたら大変だと思うけど、人手不足で片付けて大丈夫なんだろうか。今度ローナン先輩に聞いてみよう。
「第三王子は、殿下がなんか怪しい動きをしてるんで疑ってたんであります」
「だろうな」
「私に答える権限はないし、そもそもよく知らないんで返答に困ったんであります」
「意に沿わず配属されたのなら、近衛隊から抜けるために内情を喋るかもしれないと期待したのだろう。今のところ、私にとってもっとも近くもっとも頼れる騎士はアデル、お前だけなのだからな」
「消去法でありますね」
層が薄過ぎて、望み薄であっても狙いどころが私しかなかったのだ。第三王子も大変だな。
「第三王子は悪い人じゃないんであります。詳しい事情を話してもいいんでは」
「確かに、方針としては似ているかもしれないが、間違いなく反対される」
「どんなヤバい手段を使おうと思ってるんでありますか?」
「戦争を止めるのだぞ。犠牲なしでできるようなものであれば、とっくに争いは消えている……そんな顔をするな。民も森もグリフも犠牲にするつもりはない」
「じゃあ、何を犠牲にするつもりなんでありますか?」
殿下は応えることなく口を閉ざした。教える気はないようだ。
私には、その態度が答えを物語っているのではないかと思える。人も森もグリフも犠牲にならないなら、他にどんなものを犠牲にするというのだろうか。不可能に思える、戦争を止めることの代償に何が用いられるのか。もしかしたら、それはとてつもなく大きな代償なのかもしれない。けれど、人命でも森でもグリフでもない、大きな代償というのは思い付かない。
「兄上には私から説明しておく」
「どう説明するつもりなんでありますか?」
「平和を乱すつもりはない、近衛にグリフ乗りを呼んだのは、ただ私がグリフに乗りたいだけだと」
「えぇ…………」
めちゃくちゃマヌケな理由だ。あの第三王子には普通に疑われる気がする。
けど、殿下がグリフに乗ろうとしているのは事実である。そう説明しても嘘ではないだろう。けどなあ。
「体力もかなりついた。グリフに乗る姿を見れば兄上も一応の納得はするだろう」
「多少体力がついたくらいでミミに乗れるわけないんじゃであります!!!」
「夜明け前に大きな声を出すな」
茶色い羽根の首筋に手を当てて「ミミ、ご挨拶してあげて」と促すと、ミミは後ろを向いて私をじっと睨んだ。それから前を向いて殿下をじっと睨む。
ピャーッ!! と大きく鳴いた声にも殿下は怯まずに立っていたけれど、黄色いクチバシで腹を押されてあっさりと後ろへ転んでいた。大きな鉤爪のついた片脚がその上にのしっと乗る。
「ぐっ」
「あーよかったでありますねえーミミが殿下に触ったんでありますー」
「……どかせろ、重い……!」
「ミミはほとんど体重かけてないんであります。その状態から起き上がれるようになったら、体力がついたと言ってもいいんでありますけどねえ」
しばらく抵抗していた殿下は、やがて力尽きたようだった。ミミは足を上げて、私の方を向いてピャッと鳴いた。
そうだね、ひょろい殿下は食いでがないね。
「今日から練習を倍にしたらいいと思うんであります」
「待て。私もローナンらと同じく練習量を倍にしたばかりだぞ。それを倍にはできまい」
「やる前のできないはやりたくないと同じじゃ!! であります!! できるまでやったらできる!! であります!!」
殿下の絶望顔。教育隊の最初の頃にみんなでやった顔だなあ、と懐かしく思いながら、私はミミと朝の散歩に出かけたのだった。




