私はやっぱり普通の人間です
「ああ、やっと気付いた……! エマ様、大丈夫ですか?」
ゆっくりと目を開けた時、最初に飛び込んできたのはシルヴィオの心配顔だった。どうやら彼の膝の上で抱きかかえられているようだ。
「! ま、マリエちゃんは!?」
ハッとなって上半身を起こす。確か、禍獣の王を封印しようとしていたはず。
慌ててキョロキョロ周囲を見回す私に、シルヴィオのクスクスという笑い声とマティアスの呆れたようなため息が同時に聞こえて来た。
「あっちよ、あっち。今は邪魔したらダメ」
「邪魔って……? あっ」
マティアスがその長い人差し指で示した先を視線で追うと、そこにはアンドリューに抱き締められているマリエちゃんの姿があった。
……お取込み中でしたかっ!!
なんだか見てはいけないものを見てしまった気がして慌ててバッと顔を逸らす。
ひえぇ、アンドリューったら大胆。さすがにマリエちゃんも、彼の気持ちに気付くかな……?
「ヒヒッ、平和になった瞬間にラブストーリーが始まるとか。ありきたりで勘弁してほしいものだねぇ」
腕を組んで馬鹿にしたように笑いながらそう言ったのはギディオンだ。うんざり、といった感情を隠す気もない様子。そ、そんなこと言わないであげてっ!
「アンドリューは幼い頃からマリエ大好きだったもんなー」
「確かにーっ! でも完全に子ども扱いされてたよねっ!」
リーアンとガウナは楽しそうに思い出話を繰り広げている。
そんなにアンドリューってばわかりやすかったんだ。今の姿から想像も出来ないけど、そういうことなら子ども時代はかわいかったんだろうな。
「僕はそんなことよりケーキが食べたい。ホールのやつ。三つくらい」
「それは食べすぎじゃないか」
カノアは二人のことなんかどうでもいいというように、お腹をさすりながら扉を出した。
あれは朝露の館への扉だよね。どのみちアンドリューがあの様子じゃ、まだケーキは用意出来ないと思うんだけど……。あと、ジーノの言うようにホールケーキ三つは食べすぎでは。
「アタシはシャワーを浴びたいわ。ジュニアス、アンタもすごい有様よ。綺麗になさい」
「ん。一緒に入る」
マティアスとジュニアスの二人は相変わらずの仲良しさを見せている。そのまま二人してカノアが出してくれた扉の向こうにサッサと入って行ってしまった。
あ、あの。なんだか全てが終わったかのようにそれぞれが自由に動き始めているみたいですが、ちょ、ちょっと待ってもらえません?
「か、禍獣の王は、どうなったんですか……?」
私は今さっき目覚めたばかりで、全く状況を把握していないのですが! たぶん、たぶんなんだかうまいこといったんだとは察せますけども!
「この平和な光景を見てたらわかるんじゃなぁい? ふわぁ。俺は眠くなってきちゃったな。しばらく起きないから静かにしててねぇ」
「え、エトワル。あの、一応察してはいるんですけど、ちゃんと知りたいというかなんというかですね……」
首を傾げているとエトワルがひょこっと顔を覗き込みにきて、答えになってない答えを教えてくれた。
結局マリエちゃんがした封印はどうなったのか、詳しい話を聞きたいのにっ!
「あとはシルヴィオに聞いてぇ。おやすみぃ」
けれど、エトワルは眠そうに目を擦りながら扉の向こうへと姿を消してしまった。
し、仕方ない、やっぱりずっとここで私を支えながらニコニコしているシルヴィオに聞くしかないよね。
本当にずっと笑顔だから妙に声をかけ難かったんだけど。
「お、教えてくれます?」
「もちろんです!」
私の問いかけにシルヴィオはかなり食い気味に返事をしてくれた。
な、なんでそんなに張り切っているの……? それと、ずっと密着しているんですが少し離れません? それもなんだか言うのが憚られて黙っているのだけれど!
結局、何も言えないままでいたのでシルヴィオは私を抱き抱えたまま説明を始めてしまった。ま、まぁ、いいか。
「マリエ様とエマ様が協力して封印を施された後、光が収束するのと同時に禍獣の王も水晶玉に封印されていきました」
「水晶玉?」
「はい。その水晶はマリエ様が持っていらっしゃいますよ。そして、今後はおそらく王家で厳重に管理されるかと」
そうだったんだ……。つまり、本当に禍獣の王を封印することに成功したんだよね? さ、察してはいたけど!
……あんまり実感はないけれど、もう終わったんだよね?
「光が収まった後、禍獣の王がいた場所でお二人が倒れていたのを見た時は肝が冷えました。ですがお二人とも怪我一つありませんでしたので、自然に目覚めるのを待っていたのです。水晶を抱えたままだったマリエ様をアンドリューが抱きかかえていましたので、オレがエマ様を」
「そ、そうでしたか。それはお手数をおかけしました……」
「とんでもない! こんなに光栄なことはありませんから!」
その後、先に目覚めたマリエちゃんが封印の理由を幻獣人たちに説明して、みんな納得した、と。
私が眠っている間に全てが終わっていたってことかぁ。残念なような、注目されずにすんで助かったような。
何はともあれ、無事に終われたことが何よりも嬉しい。じわじわと喜びが胸に広がっていく。
「禍獣の王の封印があんなにも美しい水晶になるなんて初めてのことです。死んだことのないリーアンでさえ、初めて見たそうですよ。わかりますか? この長い歴史の中で、ものすごい偉業を成したのですよ、マリエ様とエマ様は!」
「ま、待ってください、落ち着いて!」
興奮気味に語るシルヴィオに、両手を前に出して落ち着ける。すると、シルヴィオは少しだけ不服そうに片眉を下げた。いや、だって!
「すごいのは禍獣の王を封印したマリエちゃんで、この世界の聖女はマリエちゃんのままだったんですよ。一緒に封印されたり、たくさんの困難を乗り越えてようやく平和を呼んで……私はやっぱり聖女なんかじゃなかった。私はただ、ほんの少し手助けをするために呼ばれただけの、普通の人間です」
「でっ、でも、エマ様だって間違いなく……」
「私は、普通の人間でいいんです。聖女なんて柄じゃないですから。マリエちゃんは自分だけズルいって文句を言いそうですけど!」
私もマリエちゃんも、聖女だなんてとんでもないって思ってる。
でも、さすがにあれだけのことをしたらマリエちゃんは聖女確定でしょう! それはとても誇らしく思える。
だから私は本当に、マリエちゃんという聖女を助けるためにこの世界に来ただけなんだと思う。
だって私は自分勝手な願いだけを叶えたんだもの。結果的に、それがこの世界を救うお手伝いになっていただけに過ぎないんだから。
「それでも……それでも、オレにとってエマ様は、ちゃんと聖女様です」
「シルヴィオ……うん、ありがとうございます。ちょっと恥ずかしいけど、そう思ってくれるのは嬉しいです」
思えば真っ直ぐなシルヴィオには一番助けられたな。いつもすごく心配してくれて、近くでたくさん助けてくれて。
シルヴィオにとってはマリエちゃんこそが守るべき尊い聖女だろうに、私も同じように扱ってくれるのはとてもありがたいと思ってた。
何か少しでも恩返しが出来ればいいんだけど、私に出来ることなんてあんまりないよね。他の幻獣人たちにも何かしたいなぁ……。
「ですので!」
そんな風に思っていると、シルヴィオが急に大きな声を上げた。な、何!?
「オレはこれからも、ずっとエマ様の近くで貴女をお支えし続けます。エマ様は、マリエ様と共にこの世界で暮らすのでしょう?」
「え」
そう問われて、すぐには返事が出来なかった。
でも、そうだよね。元の世界に戻る手段なんてわからないし……そもそも、あの世界に未練はない。義母があの後どうなったのかは少しだけ気になるけれど……。
あの人にとっても、私がいない方が心穏やかに過ごせるだろうし、私を殺した事実が亡くなれば人殺しにならなくて済むもの。
「……そう、ですね。この世界で生きるんだと思います。でも、シルヴィオは無理に私の側にいなくてもいいんですよ? 私は教会のお手伝いをさせてもらえればそれでいいですし」
「オレが! そうしたいんです!」
「そ、そう……?」
まぁ、幻獣人は気まぐれで自由なところがあるし、シルヴィオに行きたい場所が出来たら送り出せばいい、よね。誰かのお世話をするのが好きなのは確かだから、気の済むまで好きにさせてあげよう。
「わかりました。では、その……よろしくお願いします、ね?」
「はい! 喜んで!」
ただ、ここまで嬉しそうにされると気の済むことなんてあるんだろうか? なんて思っちゃう。
きっと私もシルヴィオに甘やかされた生活が惜しいんだろうな。けど、ちゃんと自立するためにもなんでもかんでもやってもらわないように気を付けたいと思います!




