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この度、獣人世界に転移した普通の人間である私が、幻獣人を束ねる「鍵の聖女」に任命されました。  作者: 阿井りいあ
やっぱり私は聖女ではなかったのです

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初めて対等になれた気がします


 呆然とマリエちゃんを見ながら、掠れた声で呟く。なんというか、こう、現実味がなくて。


 ずっと会いたかったし、たくさん話したいこともあったはず。

 さっき救い出せた時は、もうそれで精一杯だったから……なんだろう。こうして目の前で起きて立っている姿を見ると、どんな反応をしていいのかわからなくなってしまって。


 というか、立ち歩いて大丈夫なの? アンドリューが付き添ってはいるけど、どうしてこんな危険な場所にまでっ!?


「ま、マリエちゃん? え、あ、アンドリュー、なんで……!」

「落ち着け、エマ。エマは大丈夫なのか? 顔色が悪いが」

「私は大丈夫ですっ! それよりも……」


 慌てる私を遮るように、というよりも落ち着かせるように、マリエちゃんがそっと私の手を取った。

 ひんやりとした、細い指先。あまり大きくはない白い手が、私の右手を包み込んでいる。


 冷たいけれど、あったかく感じるのはなんでだろう?


 ツゥ、と一筋の涙が知らない間に私の頬を伝っていて、その滴もマリエちゃんが指で拭ってくれた。


「エマ。やっぱりこの世界に来たんだね。……予想してた通りだった」

「予想……?」


 マリエちゃんは私の前に膝をついてどこか悲し気に微笑んでいた。

 シルヴィオが気を利かせて少しだけ私の上半身を起こしてくれる。これでしっかりとマリエちゃんの姿が見えるようになった。ありがとう。


「私ね、この禍獣の王を以前みんなと倒そうとしていた頃、このままじゃ無理だってわかった時に気付いたことがあって」


 マリエちゃんは私よりもずっと前にこの世界に来て、禍獣の王を倒そうと奮闘していたんだよね。そうして頑張っている途中で、今のままでは禍獣の王を弱らせて封印することは出来ないって気付いたんだって。


 それを当時、幻獣人たちに告げることは出来なかったけれど、彼らも察してはいたんじゃないかな、とマリエちゃんはその場にいたシルヴィオたちに目を向けた。

 みんなが揃って気まずげに視線を落としているのが答えだろう。


「禍獣の王を封印出来なかったのは、彼らのせいじゃないの。たぶん……ううん、間違いなく私のせいだってわかった。私が聖女として半人前だから」

「半人前……? マリエちゃんが? そんなはず」

「あるの。あるんだよ、エマ」


 どういう、こと?

 でも、たとえマリエちゃんが言う通り聖女として半人前だったとしてもだよ? それだけで禍獣の王をちゃんと封印出来なかった理由にはならないよ。そんなこと言ったら、聖女ですらない私なんてもっとダメなんだから。


 マリエちゃんの言葉に疑問を抱いたのは私だけではなかった。その場にいたジーノやエトワル、シルヴィオ、そしてアンドリューまでもがそんなことはない、といった様子でマリエちゃんを見ている。


 当のマリエちゃんは一度ニコリと微笑むと、急に話題を変えてきた。


「私さ、ずっとお母さんに縛られて生きてきたんだ。豪華な食事、綺麗な自室、綺麗な服。何不自由ない暮らしをしていたけれど……常に期待されて、お母さんの希望通りに成長しないと許されない暮らしは、すごく……息が詰まりそうだったの」


 それは、初めて聞くマリエちゃんの本音だった。いつも明るくて、笑顔を絶やさない姿しか知らなかったから、私はとにかく驚いてしまう。


「でもね、エマがいた。エマは明らかにお母さんから酷い扱いを受けていて……そんなエマの前でこんな弱音は言えないって思ったの。贅沢すぎる悩みだって。エマが嫌な思いをするに違いないって。エマに、嫌われちゃう、って……」


 目の前のマリエちゃんは話を続けるごとに怯え始めて、とても弱々しく見えた。こんな姿、初めて……。


「臆病だった。子どもだった私にはエマを救う力も、虐げられている間に割って入る勇気も出来なかったの。だからね、せめてエマの前だけでは、完璧な姉であろうとしたんだ。エマを救うヒーローになりたかった。エマの前でだけは、私は自由でいられたんだよ」


 ……よく考えてみれば、当たり前のことだった。マリエちゃんだって普通の女の子なんだから。

 あの家庭環境が普通じゃないってわかる今、それでもよく笑顔でいてくれたって思う。それはやっぱりマリエちゃんの強さだ。


「私は、優しい姉なんかじゃない。エマという弱者を利用して、自分の存在価値を確認していただけ。それで頼られて、良い気になって、安心していただけだった。でも、でも……!」


 ギュッと握られていた手に力が込められた。私もそれに応じるようにギュッと握り返す。


「私がエマを大好きだって思う気持ちは本当だよ。助けたいって思っていたし、なんとかしたかった。だから大人になって家を出て、ようやくこれからだって……っ! でもっ、それだって自分のためだったかもしれない……っ!!」


 ああもう何言ってるのかわからなくなってきた、とマリエちゃんが項垂れる。でも言いたいことは伝わった。


 つまり、マリエちゃんが私に手を差し伸ばしたのは自分のためだったってことだよね?

 ボロボロになっている私を助けることが、マリエちゃん自身の救いになっていたから。だから自分は偽善者なんだって言いたいんだ。


 そんな風に思ってくれていたんだ。もちろん、ショックだなんて欠片も思ってない。むしろ嬉しいよ。


 やっと。やっとマリエちゃんが本音を私に言ってくれたかた。

 それだけ、私が少しは頼もしくなったって思ってもいいかな……? 自惚れかな?


「……いいんだよ、それでも。マリエちゃんが自分のためにしたことで、私も救われていたんだから」


 今度は私がマリエちゃんの手を両手で握りしめて顔を覗き込む。マリエちゃんは俯いたまま涙をポロポロと流していた。


「っ、結局、異世界に飛ばされて、それすら叶わなかったよ……? 私は、自分のことで精一杯で、エマを利用した酷い姉なんだよ……? 恨まれたって……」

「ううん。恨まない。恨みっこないよ。だって私は、幸せだった」


 一緒にいられる時だけが楽しくて、幸せで、色んなことを知れた。

 そりゃあ辛い記憶の方が多いけれど、今こうして穏やかに辛い日々を思い出せるのも全て、マリエちゃんとの幸せな記憶があるおかげなのだから。


「マリエちゃんがいてくれたから、私はあの世界を呪わずに済んでいたもの」


 ブワッとマリエちゃんの目から涙が溢れ出す。次から次へと。


 さっきしてもらったように私が拭いたかったけれど、とても手では拭いきれないや。


 アンドリューが黙ったまま差し出してくれたハンカチをありがたく受け取り、私はマリエちゃんが落ち着くまでその涙を拭い続けた。


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