十五
(ってか遅過ぎるだろ! ずっと側で見てたんだしもっと早く割って入ってくれよ! さんざん無意味な話をしまくってたのに!)
荒れ狂う俺の心の中とは裏腹に実に穏やかな表情で医者が指示を出す。一見ロマンスグレーの紳士風だが、意外と策士なのかもしれない。少なくとも医者だけに、胆は座っているはず。
「一週間後また来なさい。薬は和佳ちゃんに渡してあるからソレを飲んで。いいかい、決して動かさないようにね。それじゃお大事に」
サラサラと淀み無く指示が出される。
(これだけを言うために、要&栄の無駄話を遮らなかったっていうのはどういう了見だ!?)
憮然となるが、確かにこれで一連の診察は終了だ。ようやく解放されるんだと思えば肩の力が抜け、医者に対する蟠りは、あっというまに消えた。
ようやく診察室を出た。たっぷり深夜に足を突っ込んでいる時間帯になっていて病院内は静寂に包まれている。
しかし、いいタイミングだっただけに、医者もこの三人との付き合い方を熟知しているんだろうなと、ほんの少し羨ましくなった。
診察室を出ると何故かそこには安竹と窪田と三塚がいた。
「どうしたんだお前ら、帰ったんじゃ。窪田もどうして」
「いやなに、栄さんからお前が怪我をしたって聞いてな」
(わざわざ駆けつけてくれたのか。なんていい奴らだ)
俺は心底感動していた。そしてまだ彼女の事を紹介していなかったことに気付いた。こいつらが励ましてくれたお陰でこうして和佳とよりを戻す事が出来たんだから挨拶は大事だろう。
「そうだ紹介を・・・」
「いやぁ要さん、栄さん、任務完了しましたよ」
褒めて褒めてと安竹がウキウキしながら要と握手をしている。そして立て続けに三塚と窪田も要と握手をしている。栄さんは「ご苦労さん」と労いの声までかけている。
「任務?」
栄さんはともかく、なぜ要とも親しく会話をしているのか。
どうやらまたもや蚊帳の外にいるのは俺だけらしい。この二人によってまだ何かが進行中らしい。そして俺の同僚がなぜか協力している、と。
さっき誰かがそんなことを言ってたなぁと思い出した。
俺を除く、和やかに会話をしている5人組をじっと見つめる。
俺の気持ちを全部乗せたつもりだったが、安竹と窪田はスルー、三塚はちょっとだけ済まなそうな表情をしたが、結局は普段どおりだ。
安竹が満面の笑みで俺に話しかけてきた。
「よ、お疲れ。それと、大変だったなー。あははは」
「お前らどこまで絡んでたんだよ」
「どこまでって俺らの担当はお前をパーティに誘って嗾けることだ、な」
「担当・・・」
猛々しいとはこのことかと歯嚙みするが、元はと言えば情けない俺が原因だ。なんとか気持ちを落ち着けねばなるまい。
そこに最後まで医者と話をしていた和佳がやってきた。
今更こいつらを責めたって仕方ないし、栄さんの言う通り結果オーライだ。
要と栄さんに頼まれたことであったとしても、ある意味こいつらのお陰でこうやって和佳の心を手に入れることが出来たんだからな。
「和佳、好きだよ」
ふわっと和佳の頬が染まる。一瞬和佳の目が泳いだ気がしたが、はにかみつつも「私も好きよ」と答えてくれた。
「あああああ! ちきしょー! なんなんだよ! なんでこんな敗北感!?」
「落ち着け安竹。結果は最大限に良い形でおさまったはずだ。これも俺達の努力の結果だと思えば・・・」
「分かってる! 分かってるけど、なんかこう、釈然としないんだけど!」
安竹が雄叫びを上げる中、俺は和佳を抱き寄せた。
「安竹、窪田、三塚、ありがとう。お前達のお陰で和佳を手に入れることができた」
「ありがとう皆さん」
俺の言葉に遅れて和佳も一緒にお礼を言う。
「・・・ちきしょーーーー! 俺も彼女欲しーーーい!」
再び安竹の雄叫びが病院中に木霊した。
*
結局、何だかんだと和佳は甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれている。時間の許す限り、ではあるが。
イメージキャラクタとしての契約もあるため当初は遠慮したが、どうやらその辺りは要や栄さん達が上手く立ち回っていたらしく、和佳の契約内容もさることながら、和佳の父親も含めて恋愛についてはOKということになっているらしい。但し監督下には、おかれるという条件付きらしい。
けれどさすがに一人暮らしの俺の部屋に和佳が入り浸るというのも外聞が悪いというか、それはさすがに和佳の父親が許さなかった。で、どうなったかというと、何故か俺が和佳の家に住むことになり現在に至っている。
経緯はこうだ。
俺は和佳の控え室から病院へ行った。そしてその帰り、突然現れた同僚三人と黒幕二人に車に押し込められ、そのまま和佳の家に直行で連れて来られた。
その間抗議をするがまったく聞き入れられず。
到着すると和佳の家には既に俺の部屋が用意してあり、マンションにあった俺の私物が運び込まれているのに目を疑った。全部ではない。当面の生活に必要なものだけをきっちり選り分けて、だ。実に細かい配慮だ。
誰の仕業かと言えば、栄さんを初めとする同僚達の結託した集団だ。疑いようが無い。
きっと俺が意識を飛ばしている間にやったんだろう。ひょっとするとだ、他に患者のいなかった病院で異常に時間のかかった検査にも疑いの目を向ける必要があるかもしれん。
医者もグルだったと考えた方がしっくりくる。病院をあとにしたのは深夜だったのだから。
部屋の鍵の謎は簡単だ。
何かあったときのために合鍵を実家に一本預けてあったし、きっと和佳の弟である要あたりが手を回せば、母親が二つ返事で貸しただろうってことは深く考えずとも想像がつく。
下手したら嬉々として手伝っていた可能性がある。なんせ下着類の畳み方が全て母仕様になっているからだ。
どこからどこまでが計画されてたのか、考え出すと切りがなく、あれこれ心当たりのあることばかりだ。
どんだけ俺は要&栄の手のひらの上で躍らされていたのかと気持ちが萎えた。部屋を見せられると、反抗する気力も無くなっていた。
*
ということで、今は与えられた部屋で仕事中なのだ。完治するまで在宅勤務が許され会議もテレカンで参加し、SSL-VPNを張り仕事をする。不都合は全く無い。
「よ、未来の義理従弟、何をそんな辛気くさい顔をしている」
相変わらず定番のチャラい感じで栄さんが俺の部屋にやってきた。いちおう上司だが。その顔には何かを期待する表情がありありと見て取れる。
「どうだ、良い仕事するだろう?」
はっきりと自画自賛しているし、褒めろと言っているんだこの人は。
「栄さん・・・」
「まぁまぁ皆まで言うな。分かっている。いきなり同棲をすることになって気後れしているかもしれんがな、社長、いや伯父さんも伯母さんもすっかり事情は知っていてお前ならばと受け入れてくれたんだ。
まぁ入社当時からちょくちょく俺が話をしてたんだけどな。偉いだろ俺。あ、大学後半については、要から聞いた話を後付けで伝えておいたぞ」
(よ、余計な事を・・・)
「でもま、これで海外に行きっぱなしだった和佳も帰って来るようだし、二人ともまた賑やかになるって喜んでる。だから遠慮せずに甘えておけば良い。それがお礼になる」
「俺、まだ・・・」
「わーってる! 分かってるって。結婚を前にその何だ、アレのことだろ? 和佳との婚前交渉と言うか、ぶっちゃけ肉体関係の話だろ?
まぁ和佳は和佳であの性格だし、両親や弟と一つ屋根の下であれやこれや色んなことをイタし難いとは思うけどな、そこはまぁ折りをみてだな、ヤレることはヤレ。オレが許す」
「は・・・? なにを・・・」
「照れるなよっ」
俺の言うことはまったく聞く気がないらしく発言の間すら与えられない。
そして栄さんは俺の首に腕を回して来た。二人しかいないのに無駄に小声で話し始めた。
「ここだけの話、色んな伝手をだな駆使して集めた情報に寄るとだ」
栄さんは自分の言葉に悦に入っているようだ。無駄にためを作って期待を持たせようとしているのがありありだ。俺は何を言われるのか身構える。
「和佳はな、まだ経験は無いらしい。お前が最初で最後の男ってわけだ。羨ましいなぁおい。だからお前もそのつもりで大事に扱え。
こう言ってはなんだが身内の贔屓目無しで見ても和佳はいい女になった。従妹じゃなくて身内みたいな感情がなかったら、俺がかっさらっていたかもしれん。多少の頑固な所はあるが、まぁ愛嬌だと思え。
伯父さんが言ってたが実際にここ最近、ひっきりなしに結婚の申込があるって話だぞ。横からかすめ取られないように早めに手を打たないとな。
筋を通すという意味で手を出さないのも礼儀かもしれんが、手を出すのも礼儀だと思うぞ。両思いなら特にな」
「だからあの・・・」
「だから協力してやる。俺が伯父さん達と要を誘い出して、その隙にやっちまえ」
「栄! 何の話をしているの!」
鬼の形相で和佳が入って来た。その後ろには不機嫌を丸出しにした要も居る。
いちおう俺はその事を伝えようとしたんだが、栄さんは話に夢中になっていて聞いてもくれなかっただけだ。
「何って先輩としてアドバイスをしてやってたまでだ」
どこまでもチャラく偉そうに栄さんは言う。怒っている和佳を見た時には「しまった」という表情をしていたが、すぐにいつもの彼のペースに戻った。
「従兄さんにアドバイスされると失敗する可能性もありますからね、聞くのは程々で」
「そうそう栄はバツイチだからね」
「おまえら!」
早くも日常の光景として馴染んでしまった従兄妹弟達のやりとりだ。放っておいても問題ないことは早くも理解した。
「和佳、来て」
俺の声に我にかえった和佳が二人を睨みつけながら俺の側に来た。
まだ全く動かせない右腕を避け左側に座る。俺に向ける和佳の眼差しは柔らかい。だが栄さんの妙な話を聞いていたからだろうか、いつもより少し目が潤んでいるように見える。
そんな彼女の頭をポンと軽く撫でれば、途端にとろんとした表情に変わり、その瞳は俺のことを大好きだと言っている。そのまま和佳の頬に触れるとそっと和佳の手が俺の手に重ねられた。
「和佳、俺は和佳が嫌がることはしないよ。結婚まで待つ。だから安心して」
「里中君」
「た・か・み、貴己だよ。約束したよね。名前呼びに変えるって。前に進みたいって言ったのは君だよ」
「た、貴己君」
一緒の家に住むことを了承する代わりに、俺から一つ条件を出した。和佳には下の名前で俺を呼んでもらうこと。
まだ呼び慣れないせいか、和佳は恥ずかしそうに俺の名を口にする。だが、それはそれで新鮮で、とても、いい。
「貴己君、ありがと」
「どういたしまして」
「あーあー、お二人さん、俺らもいるからね。ってか名前呼びが前進なのか? 微々たる前進だな」
栄さんがチャラく割り込んで来る。仕事の話をしないのならば上司扱いはしなくていいはずだ。
「どうぞお引取り下さい。ここから先は和佳がいれば良いですから」
そう言ってやると栄さんがぐっと詰まる。同時に、俺の言葉を受けて和佳が早速二人を追い出しにかかった。
さんざん俺を嗾けていた栄さんが「未婚の男女が同じ部屋に二人で居るのは・・・」などと時代錯誤な話を始めようとしたが、後からやって来た和佳の母親に捕まり、強制的に姿を消した。当然、要も一緒だ。
要は俺がここに住み始めた当初こそ、俺が和佳と二人きりになるのを渋っていたが、最近はだいぶ落ち着いて来たらしい。
シスコンはまだ卒業していないらしいが、ちらりと心配そうに和佳を見た後は、黙って一緒に出て行った。
「ごめんね栄がうるさくって。あの人ってば昔っからそうなの。あのチャラさは傷に響くわね」
和佳は扉をきっちり締めると、さっと俺の側にやって来た。
「構わないよ。いままでずっとひとりだったから賑やかで丁度良いかも」
和佳は甘えるように俺の肩に頬を寄せた。
「これからは私が居るわ。ずっと一緒よ」
「ああ一緒だ。和佳の契約が終了したら・・・結婚しよう」
和佳はガバッと身を起こした。
口を開きかけるも言葉が出て来ないようで、代わりに何度も頷いて承諾を伝える。
「ねぇ和佳、キスは、してもいい?」
海外に住んでいる割には慣れていないのか、和佳の頬が一気に朱に染まる。そしてその反応はイエスだということを意味している。
左手でそっと和佳の頬に添える。覗き込むように和佳の瞳を見つめるとそっと目蓋を閉じて俺を待ってくれる。
学生の頃にもキスは何度もしたことはある。けれど、あの時以上に緊張していた。
本当の意味で恋をした。
会えない間、ずっとずっと和佳の幸せを願っていた。相手が俺でなくてもいい、和佳が幸せになってくれればそれでいいと願い続けていた。だが実際は、和佳は俺を望んでくれた。それがたまらなく嬉しくて恋しくて大事にしたくて、壊したく無くて、和佳に触れる事に躊躇いが生じる。
「どうしたの?」
心配そうに和佳が目を開いた。
俺は躊躇ったことを誤摩化すために軽く触れるだけのキスをした。すると不意をつかれた和佳の目が大きく見開かれた。
「もう!」
ぷぅっと彼女の頬が膨らんだ。軽く睨まれるがその姿は愛おしくてたまらない。
「もう一回目を瞑って」
唇を寄せながら囁くと素直に閉じてくれた。今度は躊躇うこと無く口づけた。舌先で軽く突くとそっと唇が開く。深く口づければ、ぎこちなくも返してくれた。
ぎこちないキスが却って和佳の深い愛情を伝えているようで、たまらなく愛おしく感じる瞬間だ。
同時に思い切り抱きしめられないこの時ばかりは苛立つが、きっと和佳の甲斐甲斐しい看病で、そう遠く無いうちに元に戻るだろう。その時は、遠慮なく抱きしめてキスをしよう。
「和佳」
「ん? なあに貴己君」
「好きだよ」
「・・・私も、私も好き」
恥ずかしい?
嬉しい?
和佳のそんな表情もいい。そのためには俺の手の届くところにいてもらわないとな。もちろん和佳がスイスに住みたいと言うのなら俺がついていく。
「ずっとそばに居て和佳」
「うん、もちろんよ」
気持ちはしっかり伝えよう。
言葉にしないと伝わらないことは身を以て理解したし、大好きだということを伝えることは何よりも大事なことだから。
それに和佳の反応を見るのも楽しいし。
言葉が足りないばかりにすれ違い、危うく失うところだった。いや、一度は失っていた。だからもう二度と和佳を失いたく無いんだ。
年を経て、俺が死ぬその日にも、愛する人に愛を伝え続けよう。
―――愛しているよ、和佳
完。