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第8話 生きろ

帰蝶の手を握ったまま、俺は蘭丸を振り返った。


この子は、まだ俺の下知を待っている。


主とともに最期まで戦うつもりで、涙をこらえながら刀を構えている。まだ、あどけなさの残る顔だった。俺のそばに置いて、幼い頃から目をかけてきた、大事な小姓だった。


俺は、知っていた。


この計画には、どうしても辻褄を合わせるための犠牲が出てしまう。誰かが本当にここで戦い、本当に死なねば、「謀反」は本物にならない。


だが。


俺は、この子だけは死なせたくなかった。


「蘭丸」


俺は、できるだけ静かに言った。


「お前は、生きろ」


蘭丸が、息を呑んだ。


「逃げろ。ここで死ぬな。お前は、まだ若い。儂のことなど忘れて、どこか遠くで生きてくれ」


頼む。


頼むから、逃げてくれ。


お前まで、俺のばかげた段取りのために死なせたくない。


だが。


蘭丸は、ゆっくりと首を横に振った。


「……なりませぬ」


涙に濡れた、声だった。


「殿を置いて、私だけ逃げるなど。森蘭丸(もり らんまる)、生涯の恥にございます」


「お逃げください。この蘭丸が、敵をここで食い止めまする。一人でも多く、殿のお背中から遠ざけまする」


俺は、言葉を失った。


喉の奥が、熱く詰まった。何か言おうとしても、声にならなかった。


この子は最後まで、俺を魔王だと信じていた。


その魔王を守るために、たった一人、この炎の中に残って、命をなげうとうとしている。


俺の、ばかげた自由のために。


俺がただの臆病者だと、これはぜんぶ、自分が楽になるための芝居だと、そう打ち明けてしまえば、この子は逃げてくれただろうか。


いや。


きっと、それでも。この子は笑って、こう言ったに違いない。


「ならば、なおさら。お逃がしいたします」と。


炎が、二人のあいだで吼えた。もう、時間がない。


「……蘭丸」


俺はそれだけ言って、奥の間へ踵を返した。


背中で、刀を構え直す衣擦れの音がした。敵へ向かって駆けていく足音がした。


俺は、振り返れなかった。


振り返れば、足が止まってしまうから。振り返れば、あの子を抱きしめて、一緒に死んでしまいたくなるから。


一歩、また一歩。


奥の間へ向かう自分の足音が、やけに大きく響いた。背後の喊声が、剣戟の音が、少しずつ遠くなっていく。


そのひとつひとつが、あの子の命が削れていく音のように聞こえて。


俺は、唇を噛んだ。


帰蝶の手が、俺の手を強く握った。


「殿。あの子の命を、決して無駄にはなさいませぬよう」


無駄になど、するものか。


俺のこのささやかな自由は。


この子の命の上に。


ほかの、名も知らぬたくさんの者たちの命の上に。


築かれている。


全員は、救えなかった。


俺の優しさは、とうとう最後まで、誰一人こぼさずに救うことができなかった。


それを俺は、一生忘れない。


「俺の、自由は。この子の、命の、上にあった」――救えなかった忠臣への罪悪感に、静かに涙したら、どうか【泣ける】を。この重荷を抱えたまま歩く続きを、ブックマークで。

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