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第7話 是非に及ばず

「明智の謀反にございます! いかがなさいますか、殿!」


蘭丸が、もう一度叫んだ。涙声だった。


炎は、もう天井を這っている。寺ぜんたいが、巨大な松明のように燃えていた。外の喊声が、近づいたり、遠ざかったりする。


誰一人、この炎の壁を越えて踏み込んでこられずにいる。


そうだろうとも、と俺は思った。


誰も近づけない。何年も、何十年も、俺を「魔王」だと思い込ませてきたおかげだ。みんな、俺が怖い。だから、この炎の中へ確かめに来る者など、いやしない。


ずっと、俺を苦しめてきた、この看板が。


ここに来て、ようやく、役に立った。


恐れられている、ということは。誰も、近づいてこない、ということだ。


近づいてこない、ということは。


俺が、ふっと消えても。誰も、追ってはこられない、ということだ。


焼け跡から、黒焦げの骸が出てきたとて。「これは本当に信長か」などと、わざわざ確かめに来る、命知らずは、いない。


皆、震えながら、「魔王は死んだ」と信じ込んで。それで、終わる。


考えてみれば、可笑しな話だ。


俺が臆病だったから、鍛えた。臆病だったから、鉄砲を集め、南蛮の胴を着込み、皆を遠ざけた。


その臆病が、ぜんぶ、「魔王」の証と見なされて。


その「魔王」の看板が、いまこの瞬間、俺を炎の中から逃がしてくれる。


臆病が、臆病を、救うのだ。


それで、いい。


それが、いる。


「お下知を……っ」


俺は、燃える梁を見上げた。喉が、煙で焼けるように痛い。心臓は、まだ、こわいくらいに暴れている。芝居だと分かっていても、この熱は本物だ。この煙も、この火の粉も、みんな本物だ。


だから、怖い。


だが、怖がっている場合ではない。言うべき言葉は、もう、何年も前から決めてあった。


震える唇を、ひらいた。


「是非(ぜひ)に及ばず」


『是非に及ばず』


蘭丸が、息を呑んだ。


その六文字を、この子はきっと、覚悟の言葉として聞いただろう。


逃げも、悔いもせぬ、魔王の壮絶な最期の決意として。後の世も、そう書き残すに違いない。


違うんだ。


これは、合(・)図(・)だ。


何年もかけて、たった一人と二人だけで組み上げてきた、世界一ばかげた段取りの、最後の合図。


しゃあない。やるか。逃げるぞ。


――そういう、意味だった。


奥の間で、衣擦れの音が、もう一度した。


帰蝶が、すべてを察して、待っている。


俺は、燃える襖の向こうへ、手を伸ばした。


闇の中から、細く、温かい手が、俺の指を、しっかりと、握り返してきた。


ああ。


この手だ。


俺が、人に怯えながら生きてきた、長い、長い、年月の中で。


ただ一人、まっすぐに、俺の手を取ってくれた、人の手だ。


「行くぞ、帰蝶」


「はい」


たった、それだけの、言葉で。


通じ合える、相手が。


俺には、いた。


だが。


その合図は。


ひとりの、忠臣の、命を、奪う合図でも。


あった。


あの六文字が、覚悟ではなく――序章の謎が完全に開く瞬間に鳥肌が立ったら、【びっくり】を! 帰蝶の手の温もりと、その合図が奪うものへ。続きはブックマークで見届けてください。

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