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第5話 家康の、名演技

役者は、まだ、もうひとりいる。


このとき家康は、商人の町、堺(さかい)にいた。俺はひそかに使いを出して、あいつにだけ計画を伝えてあった。


ビビリ同盟の、相棒だ。


まだ竹千代と呼ばれていた人質の頃、暗がりの中で「お前も――死ぬの、怖いか?」と声をかけ合って以来の、腐れ縁だ。同じ恐怖を分かち合い、筋肉は裏切らないと信じて、二人で黙々と体を鍛えた。こいつにだけは、どうやったって、隠し事ができない。俺が震えていることも、俺が本当は帰りたいだけの男だということも、家康はとっくに見抜いている。


俺の計画には、家康にしか頼めない大事な役があった。


考えてみてほしい。


明智が本能寺を囲んで、火を放つ。それを世間が心の底から「本物の大事件だ」と信じなければ、計画は成り立たない。少しでも芝居くさく見えれば、誰かが骸を検めに来てしまう。「妙に手際がよすぎる」「まるで示し合わせたようだ」――そんな疑いが一つでも生まれれば、すべては水の泡だ。


俺は、本当に死んだことにならねばならない。誰の目にも、疑いようもなく。


だが、家康に打ち明けたのには、もう一つ――いや、むしろ、こちらが本当の理由だった。


俺が消えれば、この天下は主を失う。次の座を巡って、遠からず誰かと誰かがぶつかる。俺が何より恐れたのは、それが秀吉と家康の間で起きることだった。


猿は、俺の死をうまく隠して天下をまとめてくれるだろう。放っておいても、あの世話焼きはそうする。だが事情を知らぬ家康が、律儀に弔い合戦でも起こして猿と刃を交えたら――俺の大事な二人が、俺のいない天下で殺し合うことになる。


それだけは、どうあっても避けたかった。


だから俺は、家康にだけ打ち明けた。俺は死なない、ただ消えるだけだ、と。そのうえで頼んだ。俺がいなくなったあとの天下は、猿に任せてやってくれ。あいつと争うな。どうか、仲良くやってくれ、と。


そして、ひとつ芝居を頼んだ。


俺の死が報じられたら、こう振る舞ってくれ、と。「明智が謀反した。信長を討った次は、この己かもしれん」――そう血相を変え、堺からわずかな供だけを連れて、一目散に領国へ逃げ帰る。守りを固めるために、なりふり構わず。


畿内は、明智の兵で満ちるだろう。物見遊山に来ていただけの家康が、供もろくに連れずに取り残されたのだ。命を狙われて逃げ惑うのは、誰が見ても道理。だからこそ、山深い伊賀(いが)の道を、落武者狩りに怯えながら命からがら逃げ帰る――その必死の逃走劇には、誰ひとり、嘘の匂いを嗅ぎつけられない。


天下に名だたる徳川家康が、明智を恐れてなりふり構わず逃げ惑う。その姿を天下じゅうが噂すればするほど、「信長は本当に死んだ。だから家康は、あれほど慌てているのだ」という筋書きが、揺るぎないものになっていく。


つまり家康の伊賀越えは、俺の死を本物に見せるための、世界一出来のいいサクラなのだった。


我ながら、ひどい役を押し付けたものだと思う。


だが、こんな無理を頼めるのは、この世に、あいつしかいなかった。


使いの者から、報せが届いた。家康は二つ返事で引き受けた、という。


そしてひとこと、こう言って泣いていたらしい。


「信長さんが」


「ようやく、自由になれるんだ」


俺はその伝言を聞いて、思わず目頭が熱くなった。


あの、三方ヶ原で無様に負けて、俺の前で泣きじゃくった男が。いま、俺のために、また自分から無様な役を買って出ようとしている。


あの怖がりの親友は、俺が逃げ切れるように、天下一の臆病者と嗤われる役目を、喜んで引き受けてくれた。


きっと伊賀の山を、半泣きで転がるように逃げながら、心の中では、こう笑っているのだろう。


「織田殿。せいぜい無様に逃げてやりますよ。あんたが自由になるためなら」


役者は、揃った。


帰蝶。光秀。信忠。そして、家康。


あとは――


あの夜を、待つだけだった。


「信長さんが、ようやく、自由になれるんだ」と嬉し涙で熱演を誓う親友にやられたら、【にこにこ】か【笑える】を! 役者が揃った。あの夜を、ブックマークで見逃さずに。

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