第6話 義元の首
俺は、勝った。海道一の弓取り、今川義元を討った。寡兵で、大軍を破った。
なのに、俺は、ただ死体の山の真ん中で、子供のように泣いていた。
***
倒れた本陣の旗を見た瞬間、俺の中の「あれ」が、すうっと引いていった。
潮が満ちるように、恐怖が戻ってきた。震えが戻ってきた。疲れが、どっと全身にのしかかってきた。膝が笑った。俺は、その場に崩れるように座り込んだ。
そして、足元を見た。
人が、倒れていた。
一人や二人では、なかった。数えきれないほどの今川の兵が、泥と血の中に折り重なって横たわっていた。つい、さっきまで生きていた人たちが。
動く者は、いなかった。ついさっきまで、あれほど満ちていた怒号も悲鳴も、嘘のように消えていた。雨上がりの静けさの中で、ただ、俺の荒い息だけが聞こえた。
それをやったのが、俺だと。俺の、この手だと。頭が、理解するのを拒んだ。手のひらを見た。返り血が、指の股にまで、こびりついていた。震える手で、それを拭おうとして、拭えなかった。
少し離れたところに、ひときわ立派な具足の武者が倒れていた。家臣の誰かが、その首を掲げて叫んでいた。
「今川義元、討ち取ったりッ」
義元。海道一の弓取りと謳われた、あの大大名。その首が、いま討たれて、俺の前にあった。
俺の、せいで。
俺は、義元の首の前に、這うようにして近づいた。そして、膝をついた。
「……ごめんなさい」
声が、震えて漏れた。
「ごめんなさい。殺すつもりは、なかったんです。本当に。俺は、ただ生きたかっただけで……」
涙が、止まらなかった。返り血で汚れた頬を、新しい涙が、何筋も伝った。
この人にも、帰る家があったはずだ。待っている人が、いたはずだ。海道一と謳われるまでに、どれほどの年月を生きてきたか。それを、俺が奪った。ほんのわずかな間に。何も考えずに。
義元だけではない。ここに倒れている一人ひとりに、名があり、親があり、子があったはずだ。今朝までは、みんな、ただ生きていただけの人だった。俺と同じように、死ぬのが怖かったかもしれない人たちだった。
俺は、声を上げて泣いた。倒れた人々の真ん中で。義元の首の前で。子供のように、しゃくり上げて。
強くなんか、なりたくなかった。こんな力なら、いらなかった。ただ、誰も殺さずに生きていきたかっただけなのに。
生き延びるために鍛えた体が、こんなにも多くの命を奪う道具になってしまった。俺は、自分の中に棲む「あれ」が、恐ろしくてたまらなかった。次にあれが目を覚ましたとき、俺はまた、こうして誰かの命を刈り取るのだろうか。
勝鬨を上げる気にも、喜ぶ気にもなれなかった。ただ、たくさんの命を奪ってしまったことが、悲しくて、怖くて、申し訳なくて。
俺は、泣き続けた。
だが――その俺の姿を、遠巻きに見ていた家臣たちの目には。返り血を浴び、涙を浮かべ、義元の首の前で何かを叫ぶ俺の姿は。俺の知らない、まったく別の何かに映っていたらしい。
***
俺は、勝った。海道一の弓取りを討った。
なのに、俺は、ただ死体の山の真ん中で、子供のように泣いていた。
勝ったのに、死体の山の真ん中で子供のように泣いている――その号泣に静かに胸を締めつけられたら、どうか【泣ける】を。この痛みの続きを、ブックマークで一緒に。




