表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/4

二本目

ランチタイムの最後の客が帰った。

「ありがとうございました」

言いきらぬ内にドアが閉まる。

ベルの音が私以外居ない店内にからんからんと響いた。

カウンターとテーブルに並んだランチの皿とグラス。まだほとんど回収出来ていない。

有線を消して、タバコに火をつける。

どうせ客などこない。都心のオフィス街にある喫茶店は、ランチタイムが終わればないも同然だからだ。

一息吸って、ゆっくりと肺に染み込ませる。

咥えたまま、まずはシンクに積み重なった皿を洗おうと手にした。

からんころん。

ドアが半分開いている。


「……いらっしゃいませ」

1cmだけ灰色になったタバコを揉み消して、言った。


「あの~、まだ大丈夫ですか」


昨日と同じ顔が同じ時間に、ドアからこちらを見ている。

昨日、私に吸殻をぶちまけられた客。

得体のしれないVTuberというものをやっている、そんな客が、二日続けて店に来る。

私なら、来ない。


「……もちろんです、いらっしゃいませ。今カウンターを開けます」

私の返答を聞いて、彼女は笑った。


「よかった!一本、吸いたくて」

その声はやはり、動画の声と同じだった。


「先日は大変ご迷惑をおかけしました」

おしぼりと水のグラスを出しながら、カウンターに座った彼女に言う。


「申し訳ありませんでした。クリーニング代をお支払いさせていただきます」

そう言われるだろうと思った、という顔で、こちらを見る。


「大丈夫です。洗ったらきれいに落ちましたから」

怒りも、諦めもそこにはないように見えた。

「……さようですか。お気遣い感謝いたします」


彼女はハンドバッグからタバコとライターを取り出す。慣れた手つきで火をつけた。

セブンスターのメンソール。


「……コーヒーを、ホットで」

私は頷くと、サイフォンに粉をセットし、水を注いだ。

元々、誰かと話す機会は多くない。

昨日のやり取りと、先程の謝罪で、一週間分以上は話したな、と思った。


「……ここらへん、タバコ吸えるとこないんですよ。駅前のコンビニも灰皿撤去しちゃったし」

顎に手を置いて、彼女が言った。指先に挟んだタバコから細く煙が伸びている。


「だから、吸殻かけられたくらいじゃ、また来るんです」

少しだけ言い訳と、自嘲を込めた言い方だった。

改めて謝罪を要求しているような言葉ではなかった。

私は軽く頷いて、有線のスイッチを入れた。モダンジャズが静かに流れ始めた。



「お待たせいたしました」

コーヒーカップを彼女の前に置く。

「どうも」

軽く頭を下げて、すぐに口をつけた。


「うん……やっぱりおいしい」


やはり、私に言った言葉ではないだろう。

店内のランチタイムの残骸を集める。

その様子を見ていたのか、声をかけられる。

「昨日もですけど、ランチ、繁盛してるんですね」


皿を重ねながら、答える。

「……いえ、ランチタイムにしか来店がないので、これを繁盛というと、他の店に失礼になります」

冗談ではなく、本心でそう思う。


「でも」彼女が言う。

「失礼かもですけど、それで助かりましたよ、こっちは。お客さん沢山いるところではちょっと吸いづらいですもん、これ」


そう言って、タバコを持つ手を少しあげる。


「……閑古鳥が鳴いて、よいこともあるものですね」

私が言うと、彼女は「なんですか、それ」と笑った。



「ここ、店名はなんて言うんですか」

彼女の質問に、グラスを拭いていた手を止める。

この店が出来て5年。その短い営業の中で、唯一何度か客から聞かれた質問だった。


「ないんです、店舗名が」

その答えを聞いて、目が丸く見開かれる。

「そんなことできるんですか」

今まで質問をしてきた他の客も、同じ反応をした。


「できているようですよ」

軽く首をすくめる。

「食品関係の届出をするのに屋号はいりますが、店自体に名前はなくても構わないそうです」


「知らなかったー。え、じゃあ領収書はなんて書いてるんですか?場所的に領収書、書かされそうですけど」

単純に興味があるのか、それともただの世間話か。

そう言って彼女は少しだけこちらに身体を傾ける。


「ここのビル名を書きます。『相沢ビル B1F』と」

そう書いたことは一度や二度ではない。

「一度、お客さんに怒られましたね。いかがわしい店だと思われるから名前を書いてくれ、と」


彼女はにやりと笑う。

「……で、なんて返したんですか」


「“この値段で楽しめる店なら、私に紹介してください”」


一瞬だけ間があいて、彼女は「ぶっ」っと吹き出した。

「それは……ぶふっ、あははは!たしかにそうですね!」

たん、たん、とカウンターを手のひらで叩いて、笑う。


「えーと、んー、店長?でいいですか?それともマスター?」

煙を吹きながら、そう聞いてきた。

そういえば私が客に呼ばれる時は、「すいませーん」くらいだな、と思った。


「……マスター、は嫌ですね。そう呼ばれるほど拘りもプライドもありませんので」

「じゃあ店長でいっか。店長!」

人懐っこそうな笑顔を向ける。


「肉か魚、どちらかが食べられなくなるとしたら、どちらを選びます?」


「……なぜです?」

急な質問に、それしか返せなかった。

「質問に質問で返しちゃだめなんですよー。なんて。わたし色んな人と話す機会があって、その中の企画みたいなものなんです」

「テーマで色んな意見集めて、それについて話そうみたいな……伝わりますかね」


「まぁ、それなりに分かります」


「それ分かってないやつですよ……。で、店長はどちらですか?」


「……魚に出汁は含まれますか。含まれるなら肉を断ちますね。そばとうどんが好きなので」


「……それは考えてなかったな」

彼女はそう言ってまたタバコに火をつけた。


「出汁も含むなら、どう考えても魚が必要だと思います。味噌汁も食べられなくなるのは……ごめんですね」


「味噌汁……なるほどぉ……わたしは肉派だったんですが……」

「改宗しないといけないかもです」


私は首を振って、答える。

「私みたいな偏屈な人間がいると難儀しますよ。出汁やエキスは除く、とした方がいいと思います」


「偏屈って自覚のある偏屈な人……はじめて見ました」

笑いながら、そう言った。


私はゴミをまとめながら、少し笑った。

「私も、他人では見たことがないですね」




ゴミをまとめて振り向くと、彼女は肩肘をついてスマホを見ている。


「もう、閉店ですね。……わたしもいかなきゃなあ」

自分に言い聞かせるような言葉だった。

「ん……!」ぐっと、伸びをする。


「店長は何も聞いてこないですよね」

またタバコに火をつけて、言う。

「この時間のオフィス街を、喫煙所を探してうろうろするスーツじゃない女を見たら、わたしでもなにか言いますもん」


「……接客業をやるにあたって、お世話になった人に教えていただいた言葉があります」


指を二本立てる。

「ひとつ、言われていないことを聞くな」

「ふたつ、聞かれてないことを答えるな」

楽しそうな目で私を見ている。


三本目を立てる。

「みっつ、聞かれたことは必ずしも答えなくていい」


彼女は「……ふっ」と笑った。

「教えられる前からやってそうな感じありますね、店長」

「なんでしたっけ、さーもん、あります、みたいな」


「……さもありなん、ですか」


「それです、それ」

私に向けられた指が少し揺れはじめた。

「……サーモン、あります……ぶっ」

肩を震わせた彼女が落ち着くまで、私はじっとしていた。


「……はーおもしろ……ふぅ」

そう言ってタバコを消し、財布を取り出した。

「店長、お会計、お願いします」


金額を告げ、彼女が頷いて財布から現金を出した。

「ちなみに、ここって電子決済は……」


「……私の嫌いな言葉のひとつに、『手数料』があります」

古いレジがレシートを印字する、ジジッという音。

それを切って、渡す。


「このレシート、久しぶりにみました」

受け取った紙を丁寧に財布にしまいながら言う。



「ありがとうございました」

私の言葉に、彼女はドアの前で振り向いた。


「また、吸いたくなったら、寄らせてもらいます」

そう言って、軽く頭を下げ、出ていった。


ベルがからん、と静かな店内に響いた。

私は小さくため息を吐いて、タバコに火をつけた。

時計を見る。17時10分を指している。

閉店時間を過ぎたのは、5年間で初めてのことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ