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第7話 二時間目、這い寄る美少女後輩

 滞りなく数学の授業が終わり、束の間の休み時間がやってきた。


 コハルは肩が触れ合うほどに近づいてくる。相変わらずの距離感だ。


「ねーねー、さっきの先生の『夫婦漫才』って絶対狙ってたよね〜ウケるんだけど!」


 ふわふわのプラチナブロンドが俺をくすぐる。近いよ〜。


「いや、俺は死ぬほど寿命が縮まりましたよ」


「えー? アタシは結構アリだと思ったよ? トーマ、ツッコミの才能あるし」


 そんな軽口を叩き合っているうちに、二時間目のチャイムが鳴った。


 現代文の時間だ。

 凛然とした女性教師が教科書を開き、夏目漱石を朗々と読み上げ始める。


 いくらか落ち着いてきた俺は授業に没入しようとした、そのとき。


 ――ピコン。

 ポケットの中でスマホが震えた。

 マナーモードにしているが、机に当たって小さな音が響く。


 ――ピコピコピコピコピコンッ!!


 凄まじい連打だ。

 通知のバイブレーションが鳴り止まない。スマホが痙攣している。


「……日村くん」


 女教師が眼鏡を指で押し上げつつ、こちらを見る。丸いレンズは反射光で白く輝く。


「今の音は、聞きなかったことにしましょう。ですが、授業中は電源オフが校則です。次は没収ですよ」


「すみません……」


 俺は慌てて画面を伏せ、電源を切ろうとする。だが、通知音は止まるどころか、もはや重低音のドラムのように激しさを増していく。


 ――ヴヴヴヴヴヴヴヴヴッ!!


 教室中の視線が俺に集まる。

 先生はため息をつき、チョークを置いた。


「……日村くん。廊下に出て、応えてあげなさい」


「えっ、でも授業が……」


「いいんです。これほどまでの鬼電が君のようなボッチに来るなんて、国家存亡の危機か天変地異の予兆でしょうから」


「鬼失礼じゃないですか?」


 俺は先生とクラスメイトの心配げな視線を背に廊下へ出た。


 震えるスマホを取り出す。画面に表示されていたのは――


『シミズ(着信 48件 / 未読メッセージ 156件)』


「ヒェッ……」


 俺は恐る恐る通話ボタンを押した。


『遅いですよ先輩。差延があるとは言え、私と先輩は一心同体。光より速く通じ合うべきでしょう、量子テレポーテーションのようにね』


 このオタク女、のっけからフルスロットルである。


「シミズさぁ……今、授業中なんだぞ?」


『授業? ああ、あの畜群を牧場の幸福に慣らすための、取るに足りない営みのことですか。先輩、貴方はまだ気づいていないようですね。ドストエフスキーを引用するまでもなく、愛を知った人間にとって、カント的教育などというものは、塵芥に等しいのです』


「いや、普通に卒業したいんだけど俺」


『私のカネがあればどうとでもなりますよ』


 説明しよう。

 この冷水シミズ 夏希ナツキという後輩、ただの根暗で冷笑的で可愛いだけの文学少女ではない。


 実は弱冠十五歳にして、覆面小説家として文壇を席巻している本物の天才なのだ。


 印税とその他諸々だけで一生暮らせる資産を持ち、高校に通っているのは『人間観察という名の暇つぶし』に過ぎないという、チートキャラなのである。


『先輩。私とあんなに深く、魂の深層……いえ、一線を超えた仲になった以上、もはや貴方が労働や学習に従事する意味はありません』


「は?」


『私が、貴方を養います。 先輩はただ、私の隣で、私の書き上げる物語の第一読者……いえ、永遠のミューズとして存在していればいいのです。さあ、今すぐその鳥籠を飛び出し、我らが聖域「文芸部室」へ。昼食は、叙々苑の弁当をデリバリーしてあります』


「叙々苑! ……じゃなくて! 俺はヒモになるつもりはない!」


『部室のドアを電子ロックで封鎖すれば、中で何をしてもバレませんよ。防音加工もしてありますし』


 シミズは少し、声をひそめる。


『……《《ナニ》》をシてもバレませんよ?』


「おまっ……先輩を食欲と性欲で釣るな!!」


『私は何も言ってませ〜ん、先輩が勝手に性欲とか言い出しただけですよ? いやはや淫獣ですねえ。先輩は何でも性に結びつける。フロイトの再来かもしれませんなぁ。ではまた、昼休みに』


 ツーツー、と不穏な音を立てて通話が切れた。

 

 養う? 叙々苑? 電子ロック?

 

 俺は冷や汗を拭いながら教室に戻った。

 席に着くと、隣からコハルが身を乗り出してきた。


「ねえねえトーマ! 今の誰? 女子? まさか浮気?」


 コハルがジト目で迫ってくる。その瞳には、冗談半分、本気半分の独占欲がチラついていた。俺の背筋が凍る。


「いや、部活の後輩だよ。ちょっと……いい性格の奴でね」


「ふーん? アタシよりその子が大事なら、アタシ、泣いちゃうかもだよ〜?」


 コハルはいたずらっぽく笑いながら、机の下で俺の靴を軽く小突いた。


 ……あったけぇ。

 教室の空気は、相変わらず陽だまりのように温かい。


 だが、俺の背筋は冷たいまま。

 昼休みに待ち構える『事件』の予感に、キリキリと胃が痛み始めていた。



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